9歳で事故に遭い「頭を打って終わった子」扱いに…友達の“やさしい母親”が放った「冷酷な一言」

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“抗う”とは、外から加わる強い力に従わずに、それをはねのけようとすること。作家の印南敦史さんは、9歳のときに事故に遭って以来、「頭を打って終わった子」という世間の烙印と戦ってきた。自分らしく生きていくために、どのように抗えばいいのか――。ここでは新刊『抗う練習』(フォレスト出版)を一部抜粋して紹介する。
【画像】友達の“やさしい母親”が放った「冷酷な一言」
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小学4年生になったばかりの4月最終日曜日、僕は大きな怪我をしました。弟を乗せて自転車に乗っているときに坂道でブレーキが効かなくなり、ど派手に転倒……いや、そんなに生やさしいものではありません。
後ろの弟のことも気になっていたためバランスを崩し、アスファルトにしたたか側頭部を打ちつけたのですから。
自転車の二人乗りをするやつが悪いといわれれば、まさにそのとおり。返すことばもございません。
でも、通っていた剣道場に忘れ物をした弟が「いますぐ取ってこい!」と父から怒鳴られている姿を見たとき、「ついていかなきゃ」という謎の使命感が生まれてしまったんですよね。
2年生になったばかりだった弟に、少し離れた剣道場までひとりで行かせるのは無理があると思ったし、日が暮れかけていたし。別にいい人ぶるわけではなく、子どもの思考ってそんなものじゃないですか。
頭を打ちつけた直後、「いってぇ……」といいながら立ち上がったことは覚えています。でもその時点では、別にたいしたことではないと思っていたのです。普通に考えれば、充分に“たいしたこと”なんですけど。
※写真はイメージ AFLO
その証拠に、ほどなく僕は意識を失い、そのまま20日間も意識不明の状態になったのでした。20日間といえば3週間ですから、そんなに長い間意識がなかったのだとしたら、もう死んだも同然です。
事実、あとで聞いたら医師は「命の保証は99%できません」と話していたそうなのですが、幸いなことに奇跡的に回復。入院生活は3ヶ月に及んだものの、夏休みをはさんで9月からは学校に戻ることができたのでした。その間に誕生日を迎え、僕は10歳になっていました。
なかなかできない体験ではあったので「大変だったね」などと言われますし、腕が捻れるほど痛い注射を打たれ続ける毎日は楽ではなかったかもしれません。
でも本当の意味でハードだったのは、むしろ社会復帰してからでした。なにしろ頭を打ったので(後遺症で、歩き方にもおかしなクセがつきましたし)、同級生やその親、近所の人など周囲の方々から「頭を打って終わった子」というような目で見られるようになってしまったのです。
決して大げさな表現ではなく、歩いているだけで「あの怪我があったからねえ」などという声が聞こえてくるなんてことは日常茶飯事。一歩足を踏み出すだけでなにかを囁かれるような状況は、10歳男児にとってなかなかハードでした。
ただし、それは仕方がないことだとも思っていたのです。入院中にお見舞いに来てくれた同級生が真剣な顔で「僕のことわかる?」と訊ねてきたことについて母は激怒していましたが、僕はただ、「そりゃそうだろうな」と思っていました。大人から好奇心に満ちた視線を向けられても、そういうものだろうと感じていました。
理由は簡単です。僕は頭を怪我したからです。
そして、もし怪我をしたのが自分ではなく、誰か別の子だったら、僕もその子のことを奇異の目で見ていたかもしれないからです。「子どもにそんなことを考えられるはずがない」と思われるかもしれませんが、子どもだってその程度のことは考えられます。いや、子どもだからこそ変化を敏感に感じ取っていたのかもしれません。
とはいえ本音の部分では、そりゃーキツかったですけれど。
あのころは、常に悪夢のなかにいるような気分でした。
どんよりとした不安がすぐ手に届く場所にいつもあって、なんの根拠もなく「僕はもうすぐ死ぬんだろう」などという意味不明なことを信じてもいました。
生き返ったくせにお笑いですけれど、どうしようもない絶望感がずっと周囲に漂っているような感じだったわけです。顔では笑っていても、笑顔を向ける相手のその向こう側には、どうしようもない悲しさがこちらを見ていたというような。
けれど、どうすることもできません。なにしろ、起きてしまった“事実”を変えることはできないのですから。つまり、目の前の現実を受け入れる以外に手段はなかったわけです。つまり、そのときから僕の「抗い」がはじまったのです。
怪我をする前、しばしば数軒先の家へ遊びに行っていました。その家の小さな男の子が僕になついていたため、よく遊んであげていたのです。とてもかわいい子で、お母さんも、仲よく遊ぶ僕たちのことを笑顔で静かに見守ってくれていました。穏やかでやさしく、品のいいお母さんでした。
長い入院生活を終えて家に戻ってきてから、またその子の家に遊びに行きました。ひさしぶりでしたから、再会が楽しみでした。まだ小さかったその子は僕が大怪我をしたことなど知らず、以前のようになついてきました。ただ、いつも穏やかな笑顔をしていたはずのお母さんは違いました。
「もう来ないでくれる?」
同じ人とは思えないような冷たい表情をして、突き放すようにそう言ったのです。どうやって帰ってきたのかは覚えていませんが、それ以来、すぐ近くのその家とそこに住む親子は、僕にとって遠い存在になりました。
もちろん悲しかったけれど、やはり、仕方ないことだよなとも感じました。
繰り返しになりますが、僕は頭を怪我したからです。それだけのことだけれど、なにかを背負ってしまったのは間違いないのです。それが痛いほどわかったものだから、しかも時間は戻せないから、受け入れるしかなかったのです。もちろん、無性に悲しかったですけどね。

とはいっても、完全に絶望し、前向きに生きていくことを放棄したわけではなかったようにも思います。それどころか、「絶対に負けてたまるか」というような気持ちがいつもありました。
勝ち負けの問題ではないのですけれど、それは過剰なくらいに負けず嫌いで、つねになにかに抗っているように見えた母からの影響だと思えてならないのです。そういう意味では、母の存在とそこから得た影響こそが、僕にとっての“抗い”の原点なのかもしれません。
ただし、先にも触れたとおり母は僕にとって非常に問題のある存在でもありました。“自分を生んでくれた大切な存在”と美しくまとめることのできない、モヤモヤとした感情はいつでもたしかにあったのです。

僕には会ったことのない兄がいます。
彼は僕が生まれる前、病気のために生後一年を経ずして亡くなってしまったのです。したがって実質的に長男として育てられたものの、戸籍上、僕は次男だということになります。
なにしろ第一子を失ったあとですから、両親、とくに母は僕のことをとにかく慎重に育てたようです。叔母などに話を聞いてみると手のかけ具合は尋常ではなかったらしく、「あなただけは特別だった」と何度も言われました。それは事実なのでしょうし、外部から見れば僕は“たっぷり愛情を注がれてきた子”であるように映っていたのかもしれません。
ただし、外側から見えるものと内側からしか見えないものには大きな違いがあったりするものです。僕がまさにそうで、端的にいえば、かなり偏った育てられ方をしたのです。もちろん、嫌われているわけではなく、むしろ愛情を注がれているのであろうことは推測することができました。
しかし、その育て方にはどこか大きな歪みがあったということ。
その理由を挙げていったらきりがありませんが、なかでも顕著だったのは「ほめられたことがない」という点です。なにをするにしても「できて当然」としか評価されず、ほめられたことがなかったのです。
同じような経験をした方もいらっしゃるでしょうが、あとになって考えてみても、やはりこれは子どもに大きな影響を与えることだと思います。
事実、(もちろん当時は自覚していませんでしたけど)僕はつねに自信が持てず、緊張感を抱えながら生きてきたように思います。だから幼少時から、「自分はなんなのか? 自分は自分のままでいいのか?」という本質的な部分を解消することができなかった。
しかし、その反面で前述した「負けてたまるか」という思いや、そこに絡まる根拠のない自信もあったのですから、自分でもなんだかよくわかりません。早い話が、バランスがとっても悪かったのです。バランスの悪さは、いまもあんまり変わらないんですけどね。
そんな環境の影響だったのか、幼いころから不眠症でした。布団から出て「眠れない……」と居間に顔を出すたび、母は「また『ねむれな~い』がはじまった」と大笑いするのですが、こちらにしてみればそんな夜はストレスを溜め込むための時間でしかありませんでした。
加えて、そのころはチック症を抱えていました。当時はそれらがストレスの影響であるなどとは考えもしませんでしたけど、振り返ってみれば「ああ、そうか、精神的に安定していなかったんだな」と妙に納得できてしまう部分は残念ながらあるのです。
ちなみに数年前、母は初めて「たしかに私はあなたのことをほめたことがなかった。申し訳なく思っている」と言ってくれました。
そのため一件落着……となったのであれば美しくまとまるのですけれど、残念ながらそうはいきませんでした。なぜならその時点で僕は57歳、還暦直前だったのです。
ですから正直なところ、「いまさらそんなことをいわれても……」という気持ちが残ってしまったことは否定できず、以後もモヤモヤとした想いだけが残ることになったのでした。
(印南 敦史/Webオリジナル(外部転載))

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