鉄道ファンが地方を滅ぼす…!「もっと早く鉄道を廃止すればよかった」と地方町長も大後悔した「衝撃的な理由」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「もう少し早く鉄道廃止を受け入れていたら」と、鉄道からバス転換を決断した新ひだか町長は悔やむ。イトモス研究所所長・小倉健一氏によれば、「鉄道ファンによるセンチメンタルバリュー(情緒的な価値)が過大に、そして、当たり前のように評価され、地方がますます疲弊している現実が明らかになった」と指摘する。一体、赤字ローカル路線をめぐって、いま、何が起きているのか。
2022年4月、利用者の少ない赤字路線と赤字額を初公表したJR西日本に続き、JR東日本も公表に踏み切ったことで、赤字ローカル線をめぐる議論が、沸騰している。
しかし、日本における赤字ローカル線をめぐる議論は、「鉄道ファン」である記者・メディアが手がけていることが多く、センチメンタル(情緒的)で、偏った議論になりがちだ。また、自治体の政治家たち、行政も、街のシンボルである鉄道がなくなることで批判を喰らうのを恐れているようで、基本的に反対(しかし自らの財源からの支出にも反対)という立場を貫いている。しかし私たちの生活にとって大事なことは、地域経済、そして日本社会の発展であり、鉄道網を維持することでないはずである。photo by Gettyimages現在利用価値がなく、また将来にわたって価値がないであろう赤字ローカル線を、大富豪が自分の金で、民間企業が自らの意思で、あるいは地域住民が自分たちのお金で、支えるというのなら反対すべきではないかもしれない。しかし、いま起きている議論は、基本的に赤字ローカル線の維持に「国費の投入」が前提とされている。他人の収めた税金だと思って軽く扱われているのだとすれば残念だ。赤字ローカル線の存続は「地域エゴ」2022年3月25日に、野村総合研究所が公開した「ローカル線沿線住民約1万人を対象とした地域公共交通に関するアンケート調査」では、75%が最寄りのローカル線を「ほぼ利用しない」と回答する一方で、52%の回答者が、ローカル線は「地域住民の心の支えになっている」と回答した。 つまり、沿線住民が生活の基盤として使っているのなら、赤字でも支える理屈は見つけられるのかもしれないが、まったくそうではない。誰も使っておらず、地域の「心の支え」でしかないというセンチメンタルな話なのだ。こんなことでは赤字ローカル線の存続は、「地域エゴ」と断じられても仕方がないのではないだろうか。しかも、日経ビジネス最新号(2022.10.03)が報じたところによれば、赤字ローカル線の存続は、地域社会にとっても後悔がなされている。それは北海道日高線で起きたのだという。photo by Gettyimages日高線の一部区間は、赤字で将来的に廃止するしかないにもかかわらず、だらだらと結論を先延ばしにし続けた。途中、「道路と線路の両方を走るバス型車両の導入なども検討」(同誌)するなどしてさらに結論を先延ばし、結局、20年10月に、鉄道廃止を決断することになった。その結果、鉄道駅を中心に組まれていたバスのダイヤは、住民の居住地を中心に組まれるようになり、学生によっては2時間近くかかった通学時間が1時間を切るようになったのだという。新ひだか町長の「後悔」詳細は同誌を読んでほしいが、記事内にはこう書かれている。〈バスは輸送能力で鉄道に劣る半面、安いコストで柔軟にルートを変更できるのが強みだ。新ひだか町内の大型商業施設「イオン静内店」も駅から15分歩いた国道近くにあるが、バス転換後はイオン前を通る便を増やして周辺自治体からのアクセスが改善した。同町の大野克之町長は「どの自治体も鉄道の復旧費を負担する体力はなく、現実的にはバス転換しかなかった。もう少し早く鉄道廃止を受け入れていたら」と悔やむ〉(同誌)このように、鉄道廃線への「決定的証言」も飛び出しているのだ。 「鉄道が田園風景を走っているのが好き」「鉄道のファンだから鉄道を残してほしい」という人たちのセンチメンタルな気分に流されるようなことさえなければ、もっと同町は栄えていたのだと、町長は考えているのだろう。鉄道は決められたところしか走れないので、バスと比べて不便極まりない。JR北海道社長も輸送密度2000人未満の鉄道路線について、鉄道廃止・バス転換以外の解決策を見出していない。鉄道網を維持するとしても、国や道などに支援を求める前提となっている。photo by Gettyimages私は、先日、東京から一番近い赤字ローカル線、JR東日本の久留里線(久留里駅~上総亀山)に乗車してきたが、沿線の状況を観察しても、廃止一択しかないという結論に至った。なにしろ、この久留里線は、100円の運賃を得るために、1万5000円以上の費用が必要なのである。年間の売り上げは100万円しかない。私が乗車したときは終着駅についてもどこかへ向かうわけでもなく、そのまま列車の折り返しを待つという鉄道目的のお客がほとんどだった。真正面から向き合わないメディア東京駅から上総亀山駅に向かおうとして、Googleで経路検索をしても、ほとんどのルートはバスを使ったほうが速い。鉄道を廃止して、バス転換するしかないのである。しかし、メディアには、センチメンタルな記者たちがいて廃止一択の結論を先延ばしさせようとするのである。 産経新聞(2022年9月10日付)の記事「千葉発 JR東管内収支ワーストの久留里線 存続へ知恵絞る沿線自治体」をみてみよう。内容としては、〈上総亀山駅近くに40年以上住んでいるという60代の主婦は「周りの人は車生活。最近は(同線を)ほとんど利用していない」と話す。〉という中立的な筆致で進んでいき、「冷静に考えて、これはやはり廃止するしかないよな」と思っていたら、文章の締めは突然センチメンタルになる。〈乗降の際のボタン、乗車駅証明書の発行、車内禁煙のアナウンスなど、私にとっては新鮮だったが、他の乗客にそんな様子はなく、久留里線が日常の一部なのだと伝わってきた。上総亀山駅で出会った86歳男性の「なくなってほしくない」と寂しそうに線路を見つめた目が忘れられない。〉と結ぶのである。photo by Gettyimagesそのほかにも、業平橋渉氏という都内探検家の肩書きを持つ人が書いたニュースサイト「Merkmal」での記事『久留里線の年間収入わずか「100万円」の衝撃! ほのぼの路線の維持に必要なのは労働争議か、住民目線の妙案か』によれば、ダイヤの本数を増やすことが活性化に重要であることが繰り返し強調されていて、文章の結びには、〈独特の魅力がある路線だけに、廃線になるのはあまりにも惜しい。〉とある。廃止する前にやるべきこと都内探検家の氏によれば、千葉県にある久留里線の同区間は〈JR発足直後の1987(昭和62)年と比較すると、1日あたりの乗客数は「90%」も減っている〉とのことだが、現状の売り上げは年間100万円で、乗客10倍となっても売り上げは1000万円にしかならず、大赤字のままであり、焼け石に水としかいいようがない。今さらダイヤを増やしてどうにかなる問題でないのだ。 氏の結びの文言、久留里線の〈独特の魅力〉というのが何か、この記事からは、私には判然としないが、バス転換をしてもその魅力は失われないだろう。ひょっとして、久留里線が首都圏では珍しいディーゼルカーであることが独特の魅力というのであれば、なおさら、鉄道ファン以外には関係のない話だ。北海道の日高線のように、バスへの積極転換で、利便性が向上する可能性が大いにありそうだ。町長が、バス転換の遅れを悔やんだように、久留里線の走る千葉県君津市がセンチメンタルな感情に流されないよう、切に望む。改めていうまでもないが、赤字ローカル線の維持が地域社会が滅びていくのを加速させている可能性について、よくよく議論をすべきだ。廃止する前にやることがある、と考えたのは日高線も一緒だ。検討に、検討を重ねている時間があったら、地域発展に向けてもっと実効性のあることにリソースを割いたほうが良いだろう。
しかし、日本における赤字ローカル線をめぐる議論は、「鉄道ファン」である記者・メディアが手がけていることが多く、センチメンタル(情緒的)で、偏った議論になりがちだ。また、自治体の政治家たち、行政も、街のシンボルである鉄道がなくなることで批判を喰らうのを恐れているようで、基本的に反対(しかし自らの財源からの支出にも反対)という立場を貫いている。
しかし私たちの生活にとって大事なことは、地域経済、そして日本社会の発展であり、鉄道網を維持することでないはずである。
photo by Gettyimages
現在利用価値がなく、また将来にわたって価値がないであろう赤字ローカル線を、大富豪が自分の金で、民間企業が自らの意思で、あるいは地域住民が自分たちのお金で、支えるというのなら反対すべきではないかもしれない。
しかし、いま起きている議論は、基本的に赤字ローカル線の維持に「国費の投入」が前提とされている。他人の収めた税金だと思って軽く扱われているのだとすれば残念だ。
2022年3月25日に、野村総合研究所が公開した「ローカル線沿線住民約1万人を対象とした地域公共交通に関するアンケート調査」では、75%が最寄りのローカル線を「ほぼ利用しない」と回答する一方で、52%の回答者が、ローカル線は「地域住民の心の支えになっている」と回答した。
つまり、沿線住民が生活の基盤として使っているのなら、赤字でも支える理屈は見つけられるのかもしれないが、まったくそうではない。誰も使っておらず、地域の「心の支え」でしかないというセンチメンタルな話なのだ。こんなことでは赤字ローカル線の存続は、「地域エゴ」と断じられても仕方がないのではないだろうか。しかも、日経ビジネス最新号(2022.10.03)が報じたところによれば、赤字ローカル線の存続は、地域社会にとっても後悔がなされている。それは北海道日高線で起きたのだという。photo by Gettyimages日高線の一部区間は、赤字で将来的に廃止するしかないにもかかわらず、だらだらと結論を先延ばしにし続けた。途中、「道路と線路の両方を走るバス型車両の導入なども検討」(同誌)するなどしてさらに結論を先延ばし、結局、20年10月に、鉄道廃止を決断することになった。その結果、鉄道駅を中心に組まれていたバスのダイヤは、住民の居住地を中心に組まれるようになり、学生によっては2時間近くかかった通学時間が1時間を切るようになったのだという。新ひだか町長の「後悔」詳細は同誌を読んでほしいが、記事内にはこう書かれている。〈バスは輸送能力で鉄道に劣る半面、安いコストで柔軟にルートを変更できるのが強みだ。新ひだか町内の大型商業施設「イオン静内店」も駅から15分歩いた国道近くにあるが、バス転換後はイオン前を通る便を増やして周辺自治体からのアクセスが改善した。同町の大野克之町長は「どの自治体も鉄道の復旧費を負担する体力はなく、現実的にはバス転換しかなかった。もう少し早く鉄道廃止を受け入れていたら」と悔やむ〉(同誌)このように、鉄道廃線への「決定的証言」も飛び出しているのだ。 「鉄道が田園風景を走っているのが好き」「鉄道のファンだから鉄道を残してほしい」という人たちのセンチメンタルな気分に流されるようなことさえなければ、もっと同町は栄えていたのだと、町長は考えているのだろう。鉄道は決められたところしか走れないので、バスと比べて不便極まりない。JR北海道社長も輸送密度2000人未満の鉄道路線について、鉄道廃止・バス転換以外の解決策を見出していない。鉄道網を維持するとしても、国や道などに支援を求める前提となっている。photo by Gettyimages私は、先日、東京から一番近い赤字ローカル線、JR東日本の久留里線(久留里駅~上総亀山)に乗車してきたが、沿線の状況を観察しても、廃止一択しかないという結論に至った。なにしろ、この久留里線は、100円の運賃を得るために、1万5000円以上の費用が必要なのである。年間の売り上げは100万円しかない。私が乗車したときは終着駅についてもどこかへ向かうわけでもなく、そのまま列車の折り返しを待つという鉄道目的のお客がほとんどだった。真正面から向き合わないメディア東京駅から上総亀山駅に向かおうとして、Googleで経路検索をしても、ほとんどのルートはバスを使ったほうが速い。鉄道を廃止して、バス転換するしかないのである。しかし、メディアには、センチメンタルな記者たちがいて廃止一択の結論を先延ばしさせようとするのである。 産経新聞(2022年9月10日付)の記事「千葉発 JR東管内収支ワーストの久留里線 存続へ知恵絞る沿線自治体」をみてみよう。内容としては、〈上総亀山駅近くに40年以上住んでいるという60代の主婦は「周りの人は車生活。最近は(同線を)ほとんど利用していない」と話す。〉という中立的な筆致で進んでいき、「冷静に考えて、これはやはり廃止するしかないよな」と思っていたら、文章の締めは突然センチメンタルになる。〈乗降の際のボタン、乗車駅証明書の発行、車内禁煙のアナウンスなど、私にとっては新鮮だったが、他の乗客にそんな様子はなく、久留里線が日常の一部なのだと伝わってきた。上総亀山駅で出会った86歳男性の「なくなってほしくない」と寂しそうに線路を見つめた目が忘れられない。〉と結ぶのである。photo by Gettyimagesそのほかにも、業平橋渉氏という都内探検家の肩書きを持つ人が書いたニュースサイト「Merkmal」での記事『久留里線の年間収入わずか「100万円」の衝撃! ほのぼの路線の維持に必要なのは労働争議か、住民目線の妙案か』によれば、ダイヤの本数を増やすことが活性化に重要であることが繰り返し強調されていて、文章の結びには、〈独特の魅力がある路線だけに、廃線になるのはあまりにも惜しい。〉とある。廃止する前にやるべきこと都内探検家の氏によれば、千葉県にある久留里線の同区間は〈JR発足直後の1987(昭和62)年と比較すると、1日あたりの乗客数は「90%」も減っている〉とのことだが、現状の売り上げは年間100万円で、乗客10倍となっても売り上げは1000万円にしかならず、大赤字のままであり、焼け石に水としかいいようがない。今さらダイヤを増やしてどうにかなる問題でないのだ。 氏の結びの文言、久留里線の〈独特の魅力〉というのが何か、この記事からは、私には判然としないが、バス転換をしてもその魅力は失われないだろう。ひょっとして、久留里線が首都圏では珍しいディーゼルカーであることが独特の魅力というのであれば、なおさら、鉄道ファン以外には関係のない話だ。北海道の日高線のように、バスへの積極転換で、利便性が向上する可能性が大いにありそうだ。町長が、バス転換の遅れを悔やんだように、久留里線の走る千葉県君津市がセンチメンタルな感情に流されないよう、切に望む。改めていうまでもないが、赤字ローカル線の維持が地域社会が滅びていくのを加速させている可能性について、よくよく議論をすべきだ。廃止する前にやることがある、と考えたのは日高線も一緒だ。検討に、検討を重ねている時間があったら、地域発展に向けてもっと実効性のあることにリソースを割いたほうが良いだろう。
つまり、沿線住民が生活の基盤として使っているのなら、赤字でも支える理屈は見つけられるのかもしれないが、まったくそうではない。
誰も使っておらず、地域の「心の支え」でしかないというセンチメンタルな話なのだ。こんなことでは赤字ローカル線の存続は、「地域エゴ」と断じられても仕方がないのではないだろうか。
しかも、日経ビジネス最新号(2022.10.03)が報じたところによれば、赤字ローカル線の存続は、地域社会にとっても後悔がなされている。それは北海道日高線で起きたのだという。
photo by Gettyimages
日高線の一部区間は、赤字で将来的に廃止するしかないにもかかわらず、だらだらと結論を先延ばしにし続けた。途中、「道路と線路の両方を走るバス型車両の導入なども検討」(同誌)するなどしてさらに結論を先延ばし、結局、20年10月に、鉄道廃止を決断することになった。
その結果、鉄道駅を中心に組まれていたバスのダイヤは、住民の居住地を中心に組まれるようになり、学生によっては2時間近くかかった通学時間が1時間を切るようになったのだという。
詳細は同誌を読んでほしいが、記事内にはこう書かれている。
〈バスは輸送能力で鉄道に劣る半面、安いコストで柔軟にルートを変更できるのが強みだ。新ひだか町内の大型商業施設「イオン静内店」も駅から15分歩いた国道近くにあるが、バス転換後はイオン前を通る便を増やして周辺自治体からのアクセスが改善した。同町の大野克之町長は「どの自治体も鉄道の復旧費を負担する体力はなく、現実的にはバス転換しかなかった。もう少し早く鉄道廃止を受け入れていたら」と悔やむ〉(同誌)
このように、鉄道廃線への「決定的証言」も飛び出しているのだ。
「鉄道が田園風景を走っているのが好き」「鉄道のファンだから鉄道を残してほしい」という人たちのセンチメンタルな気分に流されるようなことさえなければ、もっと同町は栄えていたのだと、町長は考えているのだろう。鉄道は決められたところしか走れないので、バスと比べて不便極まりない。JR北海道社長も輸送密度2000人未満の鉄道路線について、鉄道廃止・バス転換以外の解決策を見出していない。鉄道網を維持するとしても、国や道などに支援を求める前提となっている。photo by Gettyimages私は、先日、東京から一番近い赤字ローカル線、JR東日本の久留里線(久留里駅~上総亀山)に乗車してきたが、沿線の状況を観察しても、廃止一択しかないという結論に至った。なにしろ、この久留里線は、100円の運賃を得るために、1万5000円以上の費用が必要なのである。年間の売り上げは100万円しかない。私が乗車したときは終着駅についてもどこかへ向かうわけでもなく、そのまま列車の折り返しを待つという鉄道目的のお客がほとんどだった。真正面から向き合わないメディア東京駅から上総亀山駅に向かおうとして、Googleで経路検索をしても、ほとんどのルートはバスを使ったほうが速い。鉄道を廃止して、バス転換するしかないのである。しかし、メディアには、センチメンタルな記者たちがいて廃止一択の結論を先延ばしさせようとするのである。 産経新聞(2022年9月10日付)の記事「千葉発 JR東管内収支ワーストの久留里線 存続へ知恵絞る沿線自治体」をみてみよう。内容としては、〈上総亀山駅近くに40年以上住んでいるという60代の主婦は「周りの人は車生活。最近は(同線を)ほとんど利用していない」と話す。〉という中立的な筆致で進んでいき、「冷静に考えて、これはやはり廃止するしかないよな」と思っていたら、文章の締めは突然センチメンタルになる。〈乗降の際のボタン、乗車駅証明書の発行、車内禁煙のアナウンスなど、私にとっては新鮮だったが、他の乗客にそんな様子はなく、久留里線が日常の一部なのだと伝わってきた。上総亀山駅で出会った86歳男性の「なくなってほしくない」と寂しそうに線路を見つめた目が忘れられない。〉と結ぶのである。photo by Gettyimagesそのほかにも、業平橋渉氏という都内探検家の肩書きを持つ人が書いたニュースサイト「Merkmal」での記事『久留里線の年間収入わずか「100万円」の衝撃! ほのぼの路線の維持に必要なのは労働争議か、住民目線の妙案か』によれば、ダイヤの本数を増やすことが活性化に重要であることが繰り返し強調されていて、文章の結びには、〈独特の魅力がある路線だけに、廃線になるのはあまりにも惜しい。〉とある。廃止する前にやるべきこと都内探検家の氏によれば、千葉県にある久留里線の同区間は〈JR発足直後の1987(昭和62)年と比較すると、1日あたりの乗客数は「90%」も減っている〉とのことだが、現状の売り上げは年間100万円で、乗客10倍となっても売り上げは1000万円にしかならず、大赤字のままであり、焼け石に水としかいいようがない。今さらダイヤを増やしてどうにかなる問題でないのだ。 氏の結びの文言、久留里線の〈独特の魅力〉というのが何か、この記事からは、私には判然としないが、バス転換をしてもその魅力は失われないだろう。ひょっとして、久留里線が首都圏では珍しいディーゼルカーであることが独特の魅力というのであれば、なおさら、鉄道ファン以外には関係のない話だ。北海道の日高線のように、バスへの積極転換で、利便性が向上する可能性が大いにありそうだ。町長が、バス転換の遅れを悔やんだように、久留里線の走る千葉県君津市がセンチメンタルな感情に流されないよう、切に望む。改めていうまでもないが、赤字ローカル線の維持が地域社会が滅びていくのを加速させている可能性について、よくよく議論をすべきだ。廃止する前にやることがある、と考えたのは日高線も一緒だ。検討に、検討を重ねている時間があったら、地域発展に向けてもっと実効性のあることにリソースを割いたほうが良いだろう。
「鉄道が田園風景を走っているのが好き」「鉄道のファンだから鉄道を残してほしい」という人たちのセンチメンタルな気分に流されるようなことさえなければ、もっと同町は栄えていたのだと、町長は考えているのだろう。鉄道は決められたところしか走れないので、バスと比べて不便極まりない。
JR北海道社長も輸送密度2000人未満の鉄道路線について、鉄道廃止・バス転換以外の解決策を見出していない。鉄道網を維持するとしても、国や道などに支援を求める前提となっている。
photo by Gettyimages
私は、先日、東京から一番近い赤字ローカル線、JR東日本の久留里線(久留里駅~上総亀山)に乗車してきたが、沿線の状況を観察しても、廃止一択しかないという結論に至った。
なにしろ、この久留里線は、100円の運賃を得るために、1万5000円以上の費用が必要なのである。年間の売り上げは100万円しかない。私が乗車したときは終着駅についてもどこかへ向かうわけでもなく、そのまま列車の折り返しを待つという鉄道目的のお客がほとんどだった。
東京駅から上総亀山駅に向かおうとして、Googleで経路検索をしても、ほとんどのルートはバスを使ったほうが速い。鉄道を廃止して、バス転換するしかないのである。しかし、メディアには、センチメンタルな記者たちがいて廃止一択の結論を先延ばしさせようとするのである。
産経新聞(2022年9月10日付)の記事「千葉発 JR東管内収支ワーストの久留里線 存続へ知恵絞る沿線自治体」をみてみよう。内容としては、〈上総亀山駅近くに40年以上住んでいるという60代の主婦は「周りの人は車生活。最近は(同線を)ほとんど利用していない」と話す。〉という中立的な筆致で進んでいき、「冷静に考えて、これはやはり廃止するしかないよな」と思っていたら、文章の締めは突然センチメンタルになる。〈乗降の際のボタン、乗車駅証明書の発行、車内禁煙のアナウンスなど、私にとっては新鮮だったが、他の乗客にそんな様子はなく、久留里線が日常の一部なのだと伝わってきた。上総亀山駅で出会った86歳男性の「なくなってほしくない」と寂しそうに線路を見つめた目が忘れられない。〉と結ぶのである。photo by Gettyimagesそのほかにも、業平橋渉氏という都内探検家の肩書きを持つ人が書いたニュースサイト「Merkmal」での記事『久留里線の年間収入わずか「100万円」の衝撃! ほのぼの路線の維持に必要なのは労働争議か、住民目線の妙案か』によれば、ダイヤの本数を増やすことが活性化に重要であることが繰り返し強調されていて、文章の結びには、〈独特の魅力がある路線だけに、廃線になるのはあまりにも惜しい。〉とある。廃止する前にやるべきこと都内探検家の氏によれば、千葉県にある久留里線の同区間は〈JR発足直後の1987(昭和62)年と比較すると、1日あたりの乗客数は「90%」も減っている〉とのことだが、現状の売り上げは年間100万円で、乗客10倍となっても売り上げは1000万円にしかならず、大赤字のままであり、焼け石に水としかいいようがない。今さらダイヤを増やしてどうにかなる問題でないのだ。 氏の結びの文言、久留里線の〈独特の魅力〉というのが何か、この記事からは、私には判然としないが、バス転換をしてもその魅力は失われないだろう。ひょっとして、久留里線が首都圏では珍しいディーゼルカーであることが独特の魅力というのであれば、なおさら、鉄道ファン以外には関係のない話だ。北海道の日高線のように、バスへの積極転換で、利便性が向上する可能性が大いにありそうだ。町長が、バス転換の遅れを悔やんだように、久留里線の走る千葉県君津市がセンチメンタルな感情に流されないよう、切に望む。改めていうまでもないが、赤字ローカル線の維持が地域社会が滅びていくのを加速させている可能性について、よくよく議論をすべきだ。廃止する前にやることがある、と考えたのは日高線も一緒だ。検討に、検討を重ねている時間があったら、地域発展に向けてもっと実効性のあることにリソースを割いたほうが良いだろう。
産経新聞(2022年9月10日付)の記事「千葉発 JR東管内収支ワーストの久留里線 存続へ知恵絞る沿線自治体」をみてみよう。
内容としては、〈上総亀山駅近くに40年以上住んでいるという60代の主婦は「周りの人は車生活。最近は(同線を)ほとんど利用していない」と話す。〉という中立的な筆致で進んでいき、「冷静に考えて、これはやはり廃止するしかないよな」と思っていたら、文章の締めは突然センチメンタルになる。
〈乗降の際のボタン、乗車駅証明書の発行、車内禁煙のアナウンスなど、私にとっては新鮮だったが、他の乗客にそんな様子はなく、久留里線が日常の一部なのだと伝わってきた。上総亀山駅で出会った86歳男性の「なくなってほしくない」と寂しそうに線路を見つめた目が忘れられない。〉と結ぶのである。
photo by Gettyimages
そのほかにも、業平橋渉氏という都内探検家の肩書きを持つ人が書いたニュースサイト「Merkmal」での記事『久留里線の年間収入わずか「100万円」の衝撃! ほのぼの路線の維持に必要なのは労働争議か、住民目線の妙案か』によれば、ダイヤの本数を増やすことが活性化に重要であることが繰り返し強調されていて、文章の結びには、〈独特の魅力がある路線だけに、廃線になるのはあまりにも惜しい。〉とある。
都内探検家の氏によれば、千葉県にある久留里線の同区間は〈JR発足直後の1987(昭和62)年と比較すると、1日あたりの乗客数は「90%」も減っている〉とのことだが、現状の売り上げは年間100万円で、乗客10倍となっても売り上げは1000万円にしかならず、大赤字のままであり、焼け石に水としかいいようがない。今さらダイヤを増やしてどうにかなる問題でないのだ。
氏の結びの文言、久留里線の〈独特の魅力〉というのが何か、この記事からは、私には判然としないが、バス転換をしてもその魅力は失われないだろう。ひょっとして、久留里線が首都圏では珍しいディーゼルカーであることが独特の魅力というのであれば、なおさら、鉄道ファン以外には関係のない話だ。北海道の日高線のように、バスへの積極転換で、利便性が向上する可能性が大いにありそうだ。町長が、バス転換の遅れを悔やんだように、久留里線の走る千葉県君津市がセンチメンタルな感情に流されないよう、切に望む。改めていうまでもないが、赤字ローカル線の維持が地域社会が滅びていくのを加速させている可能性について、よくよく議論をすべきだ。廃止する前にやることがある、と考えたのは日高線も一緒だ。検討に、検討を重ねている時間があったら、地域発展に向けてもっと実効性のあることにリソースを割いたほうが良いだろう。
氏の結びの文言、久留里線の〈独特の魅力〉というのが何か、この記事からは、私には判然としないが、バス転換をしてもその魅力は失われないだろう。ひょっとして、久留里線が首都圏では珍しいディーゼルカーであることが独特の魅力というのであれば、なおさら、鉄道ファン以外には関係のない話だ。
北海道の日高線のように、バスへの積極転換で、利便性が向上する可能性が大いにありそうだ。町長が、バス転換の遅れを悔やんだように、久留里線の走る千葉県君津市がセンチメンタルな感情に流されないよう、切に望む。
改めていうまでもないが、赤字ローカル線の維持が地域社会が滅びていくのを加速させている可能性について、よくよく議論をすべきだ。
廃止する前にやることがある、と考えたのは日高線も一緒だ。検討に、検討を重ねている時間があったら、地域発展に向けてもっと実効性のあることにリソースを割いたほうが良いだろう。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。