「うずらの卵」で小1男児が窒息死 「当面、給食での使用を控える」という行政方針に何故かネット世論は猛反発 専門家は「騒音による長野市の公園廃止が分岐点」

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痛ましい事故だったのは紛れもない事実だが、ネット上では異論が殺到した──。福岡県みやま市の教育委員会は2月26日、小学1年生の男子児童が、給食のおでんに入っていたうずらの卵を喉に詰まらせて死亡したと発表した。報道各社が悲劇を伝えると、意外な観点から批判が沸き起こった。
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【写真】“うずら批判”は「意外すぎる2つのケース」から生まれた? 写真で確認する
朝日新聞DIGITALは同日、「給食をのどに詰まらせ小学1年の男児が死亡 ウズラの卵による窒息か」との記事を配信すると、ネット上で広く拡散した。担当記者が言う。
「記事に関する感想が、XやYAHOO!ニュースのコメント欄などに相次いで投稿されました。『かわいそうな事故』、『やるせない事故』、『どこに責任があるとかの問題ではない』、『子供に危険性を言い聞かせるようにする』など、悲劇的な事故に対する感想が大半を占めました。ところが、様々なメディアが続報を配信するにつれ、いわゆる“ネット世論”が変化していったのです」
TBS NEWS DIGが翌27日に配信した「『うずらの卵』による窒息か、小学1年男児が給食詰まらせ死亡 過去にも同様のケース【news23】」との記事も多数の読者が閲覧したが、SNSでの感想は、「辛い悲しい事故」、「亡くなった子供さんのご冥福を心より願います」という内容が大半を占め、変化は見られなかった。
だが、この日にネット世論ははっきりと変化を示していた。朝日新聞DIGITALが「ウズラの卵で小1窒息死、市教委が緊急校長会 各地で提供控える動き」の記事を配信したためだ。
記事によると、みやま市で緊急の校長会が開かれ、対策の徹底が指示された。さらに文部科学省が注意喚起を通知。そして福岡県内の小中学校に給食の食材を納める「県学校給食会」には、うずらの卵の注文キャンセルが相次いだという。
さらに大分県佐伯市の教育委員会も市内の公立幼稚園、小中学校に対して当面、給食にうずらの卵を使わないとする通知を出した。同県由布市や、福岡県の北九州市も同様の対策を取る方針だと伝えられた。
「朝日新聞DIGITALの記事がネット上で拡散すると、SNS上で『うずらの卵が悪者扱いされているのは許せない』という主旨の投稿が相次いだのです。具体的には『ウズラの卵だけを槍玉に上げるのはどうかと思う』、『「事故があったから提供をやめる」というのは、乱暴』、『窒息事故は、他の食品でも起きる』といった具合です。うずらの卵が給食から姿を消すことへの反発も強く、『次は里芋?蒟蒻?って感じで、どんどん給食の献立から具材が減っていく』、といった投稿が目立ちました」(同・記者)
ネット上の意見を紹介するメディアも現れた。中日スポーツは2月27日、「給食の『うずらの卵』を食べて…小1が死亡に衝撃 こども家庭庁は『給食使用避ける食材』もネットでは『そのうち食べられるものが…』」との記事を配信した。
記事は「よく噛んで食べなさいって教育するべき事案」、「何でもかんでも危険要素を排除すれば良いってもんじゃない」といった反発がネット上では強いことを紹介。「そのうち食べられるものなくなりそう」と心配する意見も投稿されたと伝えた。
中日スポーツの記事もSNSなどで拡散。「事故を契機に危険だから特定の食材として使用中止というのは、やや行き過ぎだと感じる」など、報道内容に賛意を示す投稿が相次いだ。
「とは言っても、うずらの卵が今後永遠に給食から姿を消すというわけではありません。食材としての安全性を確認するには、それなりに時間が必要でしょう。行政が『当分の間は、給食での使用を控えます』と発表したのは、拙速な判断を避けるという観点では評価すべきではないでしょうか。どうしてネット上で、これほど批判が殺到しているのか理解できませんし、非常に奇異な印象を受けます」(同・記者)
ITジャーナリストの井上トシユキ氏に分析を依頼すると、「背景にあるのは『少数派の意見を尊重しすぎているのではないか』という多数派の強い不満です」と指摘する。
「大前提として、義務教育に関する報道はSNS上で議論が起きやすいという傾向があります。給食を口にしたことのない人は少ないでしょう。多くの人にとって、給食でうずらの卵を出すか出さないかという問題は、意見を開陳しやすいテーマだったのです。さらに、ここで改めてSNSの歴史を振り返ってみましょう。誰でも気軽に投稿できることから、少数派の意見が可視化されてきたという経緯があり、これは社会に大きな影響を与えてきたのです」
例えば身体障がい者や、精神疾患の患者、日本に暮らす外国人──こうした“マイノリティ”の人々がSNSに意見を投稿することで、彼らの悩みや苦しみが可視化されてきた。切実な訴えを行政がチェックし、施策に反映させることも増えた。
「そうした流れに対し、『多数派の意見も大切にしてくれ』という反対意見が相次ぐようになったのは、2022年12月が転換点だったと考えています。この時、たった一軒の住民が騒音を訴えたことで、長野市が公園を廃止したことが明らかになりました。これにネット世論は『少数派の意見に耳を傾けることは大切だが、さすがにこれは行きすぎではないのか』と強く反発しました。議論の振り子が、少数派重視から多数派重視に大きく振れたのです。その後、ネット上では『まずは多数派の意見を尊重してほしい』という訴えが、様々な場面で見られるようになりました」(同・井上氏)
井上氏が代表例として挙げるのが「公園や校庭におけるジャングルジムの廃止」だ。Xで「ジャングルジム 廃止」を検索してみると、撤去に強く反対する投稿が次から次へと表示される。
「多くの人々が『自分もジャングルジムで遊んでいたが、ケガはしなかった』という認識を持っています。そこに事故が起きてジャングルジムが撤去されると、『例外的な事故を規準とし、多数派であるはずのジャングルジムを楽しむ権利が阻害されるのはおかしい』と反発するようになったのです。この構図は、うずらの卵でも同じだと思います」(同・井上氏)
多くの人々が「自分もうずらの卵を食べてきたが、喉に詰まらせたことはない」と認識している。
そのため悲劇的な事故を踏まえて「うずらの卵は当分、給食での使用を見合わせる」と行政が判断すると、ネット上では「確かに悲しい事故だが、例外的なケースを参考にして、うずらの卵が好きだという多数派の楽しみを奪ってほしくない」と強く反発するというわけだ。
「2021年4月、車いすユーザーがブログに『車いすはJRで乗車拒否されました』と投稿し、最終的に批判が殺到したこともネット世論の変化に大きな影響を与えたと思います。車いすのユーザーが無人駅で降りようとして、JR側と衝突した経緯を伝えたものですが、旅程の一部で『JRへの事前通告』がなかったとして炎上状態になりました。『多数派は旅行をする際、交通機関や飲食店、宿泊先などへ事前に連絡したり、予約を入れている。そうしたルールを守らない少数派の意見は、耳を傾ける必要はない』という意見が多数を占めた事例として、重要な出来事だったと考えています」(同・井上氏)
ネット世論は極端な意見が目立つという傾向はあるが、井上氏は「少なくとも、うずらの卵の場合は当てはまりません」と指摘する。
「Xなどを注意深く見ていると、うずらの卵の使用を控えることに賛意を示す意見も、しっかり投稿されていることが分かります。この問題におけるリアルな賛成派と反対派の割合が、そのままネット上に反映されていると考えていいでしょう」(同・井上氏)
ネット世論は右から左へ、左から右へ、と極端から極端に振れ、最終的には「落とし所」が見つかるのが一般的だ。ネット世論における「多数派と少数派」の問題も、同じ経緯を辿るという。
「かつてネット世論の主流は『少数派の意見に耳を傾けよう』でしたが、今は『多数派の意見を大切にしてほしい』に変わりました。しかし、いつか再び『少数派の意見を尊重すべき』という議論が生じるはずです。こうして振り子が揺れ動く様子が可視化されているのが、ネット世論の優れた点ではないでしょうか(同・井上氏)
メリットもあれば、デメリットもある。懸念されるのは、いわゆる“迷惑系”の跳梁跋扈だ。
「ネット世論を悪用し、攻撃的な言説を撒き散らす層が出現する可能性があります。具体的には、うずらの卵の使用を控えると発表した教育委員会に嫌がらせの電話をかけたり、現地に出向いて動画を撮影したりする行為です。こうした連中が目立つと、ネット上の良識派が攻撃に回ります。議論が議論を呼び、収拾がつかない状態となってしまい、論点がどんどんズレていきます。何が問題だったのか世論が忘れてしまうような状態になってしまうことは、最悪の結末と言わざるを得ません」(同・井上氏)
デイリー新潮編集部

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