秀吉が振舞ったかゆで突然死「リフィーディング症候群」か…1581年の鳥取城兵糧攻め

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羽柴(豊臣)秀吉が兵糧攻めを行った1581年の鳥取城の戦いで、落城後に助け出されて粥(かゆ)を食べて死亡した人が、飢餓状態での急激な栄養摂取が原因で電解質異常などの重い合併症を引き起こす「リフィーディング症候群」を発症していた可能性が高いとの研究成果を、鳥取県立博物館(鳥取市)などが発表した。
国際医学誌の電子版に論文が掲載された。(鳥取支局 藤本幸大)
史書「信長公記」などによると、鳥取城の戦いでは、毛利氏方の武将・吉川経家や兵士、農民ら1000人以上が城に立てこもった。
鳥取城は急峻(きゅうしゅん)な山に築かれた堅固な名城として知られ、秀吉は城を取り囲んで食べ物の補給路を断つ作戦を実行。包囲は3か月以上に及び、城では多くの餓死者が出た。
城側は降伏し、経家は切腹。秀吉は生存者に粥を振る舞ったが、食べた後に突然死した人が多くいたと伝わる。死に至った理由はよく分かっていなかった。
鳥取県立博物館の山本隆一朗学芸員は、東京都立多摩総合医療センターの医師らとの共同研究で、戦いについて記した史書を精査。秀吉に仕えた武将・竹中重門が著した「豊鑑(とよかがみ)」の「粥をたくさん食べた者はすぐに死んでしまったが、少し食べた者は問題なかった」との記述に着目した。
たくさん食べた人は、粥から栄養分を一気に摂取したことで、リフィーディング症候群を発症して死亡し、少しだけ食べた人は、栄養分の摂取量が少なかったために発症を免れたと推定した。同症候群の特徴と一致しているという。
同症候群は現代でも、摂食障害などの病気、紛争、災害といった要因で極端な栄養不足に陥った人が、急に栄養補給した場合に起こりうる。山本学芸員は「この病気の危険性を伝える貴重な記録だ」と話す。

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