頭が潰れているのに、なぜ胴体だけで動けるのか…ゴキブリの「不死身の肉体」がもつ恐るべき仕組み

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※本稿は、稲垣栄洋『ナマケモノは、なぜ怠けるのか? 生き物の個性と進化のふしぎ』(ちくまプリマー新書)の第4章(「こまった」生き物)を再編集したものです。
ゴミムシとは、ひどい名前をつけられたものだ。
ゴミムシは、ゴミ捨て場に集まることから名付けられた。中でも、「へっぴり虫」や「へこき虫」と呼ばれているゴミムシがいる。その名のとおり、臭い屁(へ)をこくから「へこき虫」なのだ。
実際に、へこき虫は、屁をこくのだから、そう呼ばれても仕方がない。神さまはどうして、こんなぞんざいに扱われる生き物をお創りになったのだろう。
ゴミ捨て場に集まるゴミムシだが、じつはゴミを食べているわけではない。ゴミを食べに来た昆虫をエサにしているのだ。ゴミムシは肉食の昆虫なのである。
肉食性のゴミムシは、害虫も食べてくれる。そのため、ヨーロッパでは畑の害虫を退治するために、畑の中にゴミムシのすみかになる緑地を設けることがある。これはビートルバンクと呼ばれている。ビートルバンクは「ゴミムシの銀行」という意味だ。ゴミムシは、人間の役に立つ益虫だったのである。
ゴミムシの中には飛ばない種類が多い。ゴミムシは、前翅(ぜんし)が身を守るために堅くなっている。そして、後翅はその中で退化してしまっているのである。
ゴミムシはその代わり、すばやく走る能力を身につけている。他章でも述べたが、多くの昆虫は飛ぶことができるが、飛ぶためにはエネルギーを必要とする。そのため、飛ぶことをやめれば、その分のエネルギーで、よりたくさんの卵を残すことができる。
飛んで移動したほうが良いのか、飛ぶのをあきらめてたくさんの卵を残した方がいいのか、昆虫の成功には常にこのジレンマがつきまとう。
多くの昆虫は飛んで移動することを選んでいる。しかし飛ばないゴミムシは、飛ばないことを選んでいる。飛ぶのをあきらめるというのは、かなりの勇気だ。
ゴミムシの中には、身を守るために、臭い汁を出すものがある。中でも見事なのが、ミイデラゴミムシである。ミイデラゴミムシは、つかまりそうになると、お尻からポンと大きな音を立てて、ガスを噴き出す。このようすが、おならをしているようなので、「へっぴり虫」や「へこき虫」と呼ばれているのである。
もちろん、ミイデラゴミムシは、ただおならをしているわけではない。ミイデラゴミムシが噴出するガスは、身を守るための武器である。ミイデラゴミムシの出すガスは悪臭がする。さらにこのガスは温度が一〇〇度に達するほど高温で、天敵の鳥やカエルに火傷(やけど)を負わすほどの威力がある。
それにしても、この小さな虫が、どのようにしてこれほどの危険なガスを体内に蓄えているのだろうか。
ミイデラゴミムシは、体内の器官でヒドロキノンと、過酸化水素という二つの物質を別々に生成する。この二つの物質はそれぞれ危険のない物質である。ヒドロキノンは、脱皮後の外皮を堅くするときに利用する物質であるし、過酸化水素は、細胞の生体防御反応に用いられる物質である。
ミイデラゴミムシは、危険が迫ると体内でこの二つの物質を混ぜ合わせて、酵素を加える。すると急激な化学反応が起こって、ベンゾキノンという高温のガスが生成される。そして、ミイデラゴミムシは敵に向かってその高温のガスを吹き付けるのである。
噴射口は肛門(こうもん)ではないから、けっしておならではない。しかも、おならと違って噴射口の向きを変化させて、敵を狙って発射させることができるし、連続発射も可能である。いたって高性能な武器なのだ。
驚くべきことに、二つの物質を混ぜ合わせた化学反応によって高温のガスを噴射するという仕組みは、ロケットエンジンの仕組みと同じである。ミイデラゴミムシは、どのようにしてこんな複雑な方法を身につけたのだろうか。どうやって、この化学反応を見出したのだろう。
現代の進化論では、進化は突然変異と環境に適したものが生き残るという淘汰(とうた)が、少しずつくり返されることによって起こると考えられている。しかし、少しずつの進化で、危険なガスを武器にする高度な仕組みを完成させられるのだろうか。ミイデラゴミムシの武器は、現代の進化論だけでは満足な説明ができないほど完成度が高いのである。
しかし、進化論の説明など人間が考えれば良いことだ。ゴミムシの暮らしには何の関係もない。だからね、「へこき虫」なんてひどい名前をつけられても、ゴミムシも、そのままでいいんだよ。
「五月蠅い」と書いて「うるさい」と読む。
ハエはうるさい存在だ。これは、かの文豪の夏目漱石(なつめそうせき)の当て字だという。うまいことを言ったものである。もともとは、騒がしいことを「五月蠅(さばえ)なす」と言ったらしい。
それにしても、ハエはうるさい。追い払っても追い払っても、ハエはやってくる。ハエがいなければ、どんなに静かに暮らすことができるだろう。神さまはどうして、こんなうざい生き物をお創りになったのだろう。
ハエはブンブンという羽音がうるさい。じつは、ハエは一秒間に二〇〇回ものスピードではばたくことができる。そのため、ブーンという高い周波数のうるさい羽音を立てるのである。
一般的に、昆虫には翅(はね)が四枚ある。ところがハエには翅が二枚しかない。翅は四枚あると安定するが、すばやく動かそうとすると邪魔になる。そのため、ハエは、翅をすばやく動かせるように、後ろの二枚の翅が退化してしまっているのである。
こうして翅を二枚に減らしたことによって、ハエは高速で翅を動かすことを可能にし、さらに小回りの利く飛行を可能にした。そればかりか、退化した後ろの翅は、飛行を安定させるジャイロスコープのような役割を果たしている。そのため、ハエは、宙返りしたり、急旋回したり、まるでアクロバット飛行のように自由自在に飛びまわることができるのである。
ハエは、高い飛行能力を自らのものにしているのだ。それだけではない。ハエは、壁や天井に留(と)まることができる。天井ばかりか、つるつるした窓ガラスにも平気で留まっている。まるで重力など感じていないかのようである。
ハエは、どのようにして垂直な壁や天井に留まることができるのだろうか。ハエの足先には細かい毛がたくさん生えているが、この毛からは、粘着力の強い分泌液が出ている。そのため、毛が吸盤のようになってハエの体を支えることができるのである。
さらに、ハエの足の先には、大切な役割がある。
やれ打つな蠅(はえ)が手をする足をする (小林一茶)
俳人、小林一茶が詠んだように、確かに、ハエを叩(たた)こうとすると、まるで懸命に命ごいをしているかのように、手をすり合わせているように見える。ハエの足の先の毛は味覚のセンサーにもなっていて、ハエは、エサに留まって足先で味を確認することで、エサかどうかを判断しているのだ。高度なセンサーとなっているのだ。
ハエが手足をこすっているのは、味覚の感度が鈍くならないように、手入れを怠らないのである。ハエは高度な飛行技術と高度なセンサーを持っているのだ。
だからね、うるさいと言われても、イエバエも、そのままでいいんだよ。
ゴキブリは嫌われ者である。見つかれば、悲鳴を上げられて、丸めた新聞紙で叩かれる。
別に人間に危害を加えるわけでもなければ、毒を持っているわけでもない。それでも、多くの人はゴキブリが嫌いだ。この世からゴキブリがいなくなってほしいと、だいたいの人が願っている。そして、今日も新聞紙を丸めてゴキブリを叩き続けるのだ。
ゴキブリと人間が共存できるはずがない。神さまはどうして、こんな嫌われる生き物をお創りになったのだろう。
よく知られていることだが、ゴキブリは三億年以上も前の古生代から、今とほとんど変わらない姿で地球に存在していた。ホモ・サピエンスと呼ばれる人類が現れたのは、およそ二〇万年前のことだから、人類はゴキブリの一〇〇〇分の一にも満たない時間しか地球上に存在していないことになる。ゴキブリは、人類よりも、ずっと先輩なのだ。
三億年前というが、それは恐竜も存在していなかった昔の話である。
それから、地球には大きな環境の変化が何度もあった。そのたびに、多くの生物が絶滅する「大絶滅」と呼ばれる事件が起こったのである。
ゴキブリの誕生は古生代の石炭紀(三億五〇〇〇万~二億九九八万年前)であると言われる。
第2章でも紹介したように、たとえば、石炭紀の後のペルム紀(二億九九〇〇万~二億五一〇〇万年前)には、地球史上最も激しい火山活動とそれに伴う大規模な気候変動がおきた結果、史上最大の大絶滅が起こっている。
何と、地球の生き物の九〇パーセント以上が絶滅したというから、すごい。この大絶滅で、かつて古生代の海に繁栄していた三葉虫が絶滅したと言われている。そして、この大絶滅を生き残った恐竜の祖先が、後に活躍することになる。
古生代に続く中生代三畳紀(二億五一九〇万~二億一三〇万年前)にも、大絶滅があった。このときに、爬虫類(はちゅうるい)の多くが絶滅したと言われている。そして、二度の大絶滅で、生き残った恐竜がは爬虫類にかわって繁栄していくことになるのだ。
その後地球に君臨した恐竜も、白亜紀(一億四五〇〇万~六六〇〇万年前)の終わりにすべて絶滅をした。小惑星が地球に衝突したことが原因であると言われている。こうして、地球では繰り返し多くの生き物が滅び、そして、新たな生き物たちが進化を遂げていった。
この大絶滅という大事件をゴキブリは生き抜いてきたのである。それが「三億年前から存在していた」ということなのだ。もう、これは当たり前のことではない。すごいことだ。それが人間の家に出没するゴキブリである。
ゴキブリの能力はすごい。もし、ゴキブリが人間と同じ大きさだったとしたら、どうだろう。
走る速度は、時速三〇〇キロメートルになる。さらに瞬発力に優れ、わずか〇・五で危険を察知し、迫りくる敵を紙一重で交わす。忍者のように音もなくわずかな隙間に忍び込むこともできるし、スパイダーマンのように壁や天井を進むこともできる。
もちろん、空を飛ぶこともできるし、不死身と称される肉体を持つ。まさに、無敵のスーパーヒーローだ。スリッパで叩こうとしても、ゴキブリはいち早く危険を察知して逃げてしまう。ゴキブリのお尻には、細かい毛が無数に生えた尾葉と呼ばれる感覚器官が伸びている。この尾葉の毛で、わずかな気流の変化を感じとるのである。
しかも昆虫の体は、人間のように大きな脳が情報を処理するのではなく、複数の小さな脳や神経中枢を体の節目に分散させて、体の各部位が条件反射的に反応できるようになっている。そのため、危険に対して極めて敏速に行動することができるのだ。
不気味なことにスリッパで叩かれて頭がなくなっても、ゴキブリは残った胴体だけで逃げる。体を動かす命令系統が分散しているから、可能なのである。おそらくは、こうした能力によって、ゴキブリは危険を察知し、危機を乗り越え、何度も大絶滅の時代を乗り越えてきたのだ。
とはいえゴキブリは、ずっと昔から変わらないわけではない。
森をすみかとしていたゴキブリは、人類が誕生すると、人類の住居をすみかとした。新石器時代や縄文時代には、すでに人類と共にゴキブリは暮らしていたという。姿はほとんど変わっていないと言われるが、巧みに時代に適応しているのだ。
ゴキブリは、シーラカンスなどと同じ「生きた化石」である。じつは身近なところに生きた化石はいる。たとえば、シロアリやシミも古生代から姿が変化していない「生きた化石」である。
もっともシロアリも柱を食べて嫌われるし、シミも障子紙や本を食べてしまう。これらの「生きた化石」は、いずれも人間にとっては、害虫なのだ。しかし、三億年を生き抜くには、この図太さが必要ということなのだろう。
現在、人類が引き起こす環境破壊によって地球に大絶滅が引き起こされると指摘されている。それどころか、人類さえも絶滅してしまうのではないかと心配されている。
それでもゴキブリは気にとめないようだ。おそらくは人類が地球から消え去ったとしても、ゴキブリは生き残ることだろう。だからね、嫌われても、叩かれても、ゴキブリも、そのままでいいんだよ。
———-稲垣 栄洋(いながき・ひでひろ)静岡大学大学院教授1968年静岡市生まれ。岡山大学大学院農学研究科修了。農学博士。専攻は雑草生態学。農林水産省、静岡県農林技術研究所等を経て、静岡大学大学院教授。農業研究に携わる傍ら、雑草や昆虫など身近な生き物に関する著述や講演を行っている。著書に、『植物はなぜ動かないのか』『雑草はなぜそこに生えているのか『イネという不思議な植物』『はずれ者が進化をつくる』(ちくまプリマー新書)、『身近な雑草の愉快な生きかた』『身近な野菜のなるほど観察録』『身近な虫たちの華麗な生きかた』『身近な野の草 日本のこころ』『身近な生きものの子育て奮闘記』(ちくま文庫)、『たたかう植物 仁義なき生存戦略』(ちくま新書)など。———-
(静岡大学大学院教授 稲垣 栄洋)

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