創価学会の懸案は「池田大作氏の後継者」ではない…カリスマを失った創価学会がいま本当に悩んでいること

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“Xデー”は、実にあっさりと来たなという印象だ。
11月15日に創価学会の池田大作名誉会長が死去したとのニュースが流れたのは、同18日のことだった。以後、多くの創価学会員に取材で話を聞いて歩いているが、彼らの様子は基本的に淡々としたものだ。もちろん、多くの学会員は「偉大な池田先生の死」に悲しい思いを抱いているが、「覚悟していた、いずれ来るべき日が来た」という冷静な受け止め方をしている人がほとんど。例えば絶叫調に泣きわめくなど、そういう感じの人にはいまだ出会えていない。
そもそも池田氏は2010年以降、公の場にまったく姿を見せてこなかった。脳梗塞や認知症で長く病床にあったなどの報道がこれまでしばしばなされても来たが、年齢が年齢でもあり、実際に心身の状態はよくなかったのだろう。特にここ10年ほどは、池田氏は創価学会の組織運営にもうタッチしておらず、教団は集団指導体制に移行していた。
これは創価学会サイドも、基本的には認めていた事実である。こうした言い方には語弊もあるが、「具体的な活動は何もしていなかった」という意味で、池田氏はすでに10年ほど前から社会的には“死んでいた”のである。
今年3月2日に幸福の科学教祖・大川隆法総裁が死去した際、幸福の科学教団は当初マスコミの事実確認に対して「大川総裁の現在状況についてはコメントを差し控える」と繰り返し、信者へは大川氏の「復活祈願」を呼びかけていた。
また2020年12月5日に死去した御木貴日止・PL教団(パーフェクトリバティー教団)3代目教主のケースでは、教団ホームページに長く彼の死去の報は載らず、いつまでも教主在任中のような形で人物紹介がなされていた。こうしたことと比べれば、池田大作氏の死去は実にあっさりと訪れ、教団もそれを特に隠しもせず公表したことになる。
現在、一部のメディアでは「池田大作というカリスマを失った創価学会はこれから大きく変わる、崩壊に向かっていく」などといった意見も散見されるが、すでに述べたように、現在の創価学会はとっくの昔に「ポスト池田体制」に移行している。
もちろん、池田氏を直接知る高齢世代の創価学会員たちは、今回の訃報に大きな悲しみを覚えている。それが創価学会の組織力を弱める方向に作用すること自体は、確実に起こるだろう。ただ、創価学会の組織基盤はここ十数年、池田氏の生死に関係なく弱ってきている。
かつて暴力や脅迫を当たり前にように伴った過激な折伏(布教)活動はすっかり影をひそめ、一から思い立って新規に入会する会員はほとんどいない。いま創価学会員の大半を占めるのは、「単に創価学会員の家に生まれたから」という2世、3世で、彼らの多くはまじめに会のための活動などしない。「すでに創価学会員の半分くらいは幽霊会員になっているのではないか」(ある古参会員)といった声まであるほどだ。
この状況は国政選挙における公明党の獲得票数という形で、あまりにもはっきり表れている。2005年の衆議院議員選挙で公明党は全国から比例票を898万票集めたが、22年の参院選で獲得した比例票は618万票だった。つまりこの十数年で、公明党支持者(多くは創価学会員だ)は300万人近くどこかへ消えてしまっているのである。もちろん、池田氏の長期の不在がそうした状況を招いた面は確実にある。しかし、本質的な問題はまた別に存在する。
そもそも現在の日本は、急速な少子高齢化を伴う人口減少社会である。入り口にゲートを持ち、居住者以外が入れないタワーマンションの流行、また隣に誰が住んでいるのかもわからないことも普通になった地域コミュニティの衰退は、宗教団体の勧誘活動を確実にやりにくくしている。
さらに創価学会に限らず戦後日本の新宗教団体は、サラリーマンなどに比して可処分時間が豊富な専業主婦の会員たちを組織活動の実行部隊として重宝してきたが、女性の社会進出が進み、そもそも専業主婦なる存在が激減している。
こうした近年における社会状況の変化が、創価学会に限らず、多くの宗教団体の勢いをそいでいる。実際に文化庁が発行する『宗教年鑑』によれば、2013年から22年の10年間で、天理教は公称信者数を507万人から418万人に、立正佼成会は同じく公称信者数を311万人から207万人に落としている。先に創価学会の過激な折伏は今や影をひそめていると書いたが、意識して穏健化したというより、そういう過激なことは、もうやりたくでもできないというのが実情だ。
ただ、創価学会はいまなお公明党を自民党と連立させて国家権力に食い込んでいる存在で、衰えたといえどもまだ国政選挙で600万規模の票は動かせる。
今年、政界には「公明党の力に見切りをつけ始めた自民党が、国民民主党を連立に参画させようとしている」といった怪情報が流れ、また麻生太郎副総理が露骨に「公明党はガン」と発言するなど、自公間にはすきま風が吹きつつある。しかし、現実的にまだ公明党の持つ600万という数字を代替できるほかの宗教団体や業界団体などは存在せず、自民党は公明党切りを最終的なところで決断できるには至っていない。
そういう意味では、創価学会とはこの宗教衰退時代のなかで、カリスマ・池田大作氏を実質的に欠きながらも、ほかの宗教団体などと比べれば割とうまく組織を回してきたとも言える。その立役者は何といっても、現会長の原田稔氏であろう。
原田氏は池田氏のような宗教的カリスマ性は持たないが、東京大学卒の優秀な事務官僚的存在として、会の内外からその手腕が高く評価されてきた。例えば原田氏が会長に就任して以降、創価学会は会則(教義)の変更(2014年)や、勤行要典(創価学会員が日々読むお経の内容)の改訂(16年)、また会憲の制定(17年)など、宗教団体としてかなり大きな改革を、多々行ってきた事実がある。
池田氏が公の場から姿を消して以降も、『聖教新聞』などの学会機関紙類にはしばしば、「池田先生のメッセージ」なるものが掲載されてきた。本当にそれを本人が書いていたものなのかどうか、創価学会員ですら疑う向きはあったが、しかしそれでもそういうメッセージが出ることで、その時々の創価学会全体の方向性を示し、会内に納得感を生みながら、原田体制は前述したような改革を実行してきた。まさに「優秀な事務官僚」の面目躍如たるものがある。
しかし、今後はそういう「池田先生のメッセージ」は発せられない。もちろん当面は、「あのとき池田先生はこうおっしゃった」というような語録などを示しながら、これまでと同じような組織運営を続けていくのだろうとは思う。しかし、そういうアクロバティックなことを見事にやり続けてきた原田氏が、もう82歳という年齢なのである。
そして、今の創価学会の幹部たちというのは、原田氏のように池田氏に寄り添って組織拡大に汗をかいてきた人々というより、創価大学その他のエリート養成コースを通って純粋培養された、“小粒なお坊ちゃん”ばかりになってきているというのが、もっぱらの評判だ(それは公明党の国会議員にも当てはまる)。
すでに述べてきたように、実は創価学会の「ポスト池田体制」はすでに完成している。今回の池田氏の訃報も、悲しみのなかで冷静に受け止めている会員が多く、これによって組織が根本的に揺らぐ前兆のようなものも確認できない。しかし、筆者は追悼ムードの創価学会周辺で、現会員から「本当に心配なのはポスト池田ではなく、ポスト原田だ」という複数の証言を得ている。それは実際に、そうなのだろう。
———-小川 寛大(おがわ・かんだい)『宗教問題』編集長1979年、熊本県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。宗教業界紙『中外日報』記者を経て、2014年、宗教専門誌『宗教問題』編集委員、15年、同誌編集長に就任。著書に『時代に取り残される新宗教 創価学会は復活する』(共著、ビジネス社)、『南北戦争 アメリカを二つに裂いた内戦』(中央公論新社)など。———-
(『宗教問題』編集長 小川 寛大)

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