「2000万あります」下村博文元文科相が森喜朗元首相に手渡そうとした疑惑の紙袋

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下村博文元文科相(69)が、森喜朗元首相(86)と面談した際、「2つ入っています。2000万あります」などと語り、紙袋を手渡そうとしていたことがノンフィクション作家・森功氏の取材で分かった。下村氏によれば、自民党安倍派(清和政策研究会)の会長に就任するために森元首相と面談したという。
【写真】「2つ入っています。2000万あります」森喜朗元首相に紙袋を手渡そうとしていた下村博文元文科相森元首相 時事通信社 森功氏は、10月5日配信の「文藝春秋 電子版」及び「文藝春秋」11月号(10月10日発売)に掲載した記事「森喜朗元首相へ献上された疑惑の紙袋」で、安倍晋三元首相の一周忌を2日後に控えた7月6日、下村氏が東京・赤坂にある森元首相のプライベートオフィスを訪ねた際の様子をこう綴っている。

〈下村は、パーテーションで仕切られた左側の応接スペースのソファーで待機した。ほどなくして森が杖をついて現れ、そばにあるダイニングチェアーのような椅子に腰かけた。「ご無沙汰をしていました」 下村が丁寧に頭を下げると、威圧感のある低い声で森が凄みを利かせた。「君、ご無沙汰って、いつからだと思ってるんだ。無沙汰をしていたということを、君は認めるんだな」 すると、下村はソファーから右側に滑り出て正座した。そのまま居住まいを正して床に頭を擦り付けた。「これまでの無礼をお許しください。(私は)どうしても会長になりたいんです。お許しいただきたく……」〉「わずかですが……」 8月31日、塩谷立元文科相を座長として、松野博一官房長官や西村康稔経済産業相ら15名の常任幹事会による新体制が発足した安倍派。だが、それまで会長代理を務めてきた下村氏は顧問となり、常任幹事会のメンバーからは外れた。 下村氏が安倍派の元会長でもある森元首相と面談したのは、それから1カ月以上前のことだった。森功氏は、下村氏が紙袋を渡そうとした場面についてもこう綴る。〈このあと下村は驚くべき行動に出る。持参していた薄茶色の手提げ袋を森の前に差し出した。「わずかですが、これまでのご無礼を、お許しをいただきたいと思いまして」 手提げ袋は食料品などを入れるときに使うような粗末な紙のそれで、新品ではない。もっとも紙袋の中は百貨店の包みで二重になっていて、中身が何かわからない。〉 紙袋の中には何が入っていたのか。森功氏は関係者への取材を元に、下村氏がこう語ったと綴る。〈「2つ入っています。2000万あります」 森の怒気は呆気に変わった。「君は、何というバカなことをするんだ。清和会の会長を2000万円というそれだけの金額で買えるとでも思っているのかね。もう帰ってくれ。これ以上ここにいたら、俺はこのことを人に言うぞ。おい、お帰りだ」〉 結局、下村氏は紙袋を持ち帰り、会長就任は叶わなかった。「清和研の汚点になる人を会長にはできません」 なぜ、そうまでして森元首相の元を訪ねたのか。下村氏はかねてから、松野官房長官や高木毅国対委員長ら、安倍派の有力議員「5人衆」と距離があった。森元首相を訪ねた7月6日は、午前中に安倍派の幹事会が開かれ、安倍氏の一周忌に向けて、新会長の選任を含めた新たな体制について幹部たちが議論を重ねていた。だが、塩谷氏と共に、新会長を決めるべきだと発言した下村氏に対し、高木氏が5人衆を代表して集団指導体制を主張。議論はまとまらなかった。森功氏は、座長である塩谷氏のコメントを紹介しつつ、こう綴っている。〈「本人は会長をやりたいのでしょう。そのためにどう動いたか。しかし、彼を推薦するという話があったかといえば、それはないと思います。彼は過去2回の自民党総裁選に出ようとしたけれど、取りやめた。あのときも誰が彼を支持しているのか、わからずじまいでした。たとえば15人いる常任幹事会のうち、少なくとも半数ぐらいが了解するような立場でないと、会長になれません」 それでも下村は突っ走ってきた。その勝負どころが、一周忌の2日前の7月6日だったといえる。〉 果たして、2000万円を手渡そうとしたのは事実なのか。下村氏は森功氏の取材に対し、「森さんに会長になる意思をお伝えしたかったんです」と語り、次のように答えた。「丁寧に謝罪はしましたが、土下座なんかしていません。もちろん金銭を渡そうとした事実はありません。2000万云々はまったくのデマです。秘書に用意してもらった手土産を渡そうとはしました。しかし、それも拒否され、帰り際に森さんの秘書から突き返されました。何を持っていったか覚えていませんでしたが、秘書に調べてもらったところ、手土産は2万円相当の(京都の料亭)和久傳のちりめん山椒とすっぽんの煮凝りの詰め合わせとのことでした」 一方、森元首相はこう回答した。「国民から見れば、日本の政治に疑念を持たれるような出来事です。したがって私の口からは多くは語れません。しかしやはり、清和研全体の汚点になるような人を会長にすることはできません」 10月5日配信の「文藝春秋 電子版」及び「文藝春秋」11月号(10月10日発売)に掲載した森功氏の記事「森喜朗元首相へ献上された疑惑の紙袋」では、紙袋を渡そうとした場面の詳細なやり取りに加えて、下村氏が森功氏の取材に語った回答についても詳報。また、塩谷氏に加えて、「5人衆」である松野官房長官や萩生田光一政調会長、世耕弘成参院幹事長らも実名で取材に応じ、安倍氏死去後の派閥の混乱について語っている。(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年11月号)
森元首相 時事通信社
森功氏は、10月5日配信の「文藝春秋 電子版」及び「文藝春秋」11月号(10月10日発売)に掲載した記事「森喜朗元首相へ献上された疑惑の紙袋」で、安倍晋三元首相の一周忌を2日後に控えた7月6日、下村氏が東京・赤坂にある森元首相のプライベートオフィスを訪ねた際の様子をこう綴っている。
〈下村は、パーテーションで仕切られた左側の応接スペースのソファーで待機した。ほどなくして森が杖をついて現れ、そばにあるダイニングチェアーのような椅子に腰かけた。
「ご無沙汰をしていました」
下村が丁寧に頭を下げると、威圧感のある低い声で森が凄みを利かせた。
「君、ご無沙汰って、いつからだと思ってるんだ。無沙汰をしていたということを、君は認めるんだな」
すると、下村はソファーから右側に滑り出て正座した。そのまま居住まいを正して床に頭を擦り付けた。
「これまでの無礼をお許しください。(私は)どうしても会長になりたいんです。お許しいただきたく……」〉
8月31日、塩谷立元文科相を座長として、松野博一官房長官や西村康稔経済産業相ら15名の常任幹事会による新体制が発足した安倍派。だが、それまで会長代理を務めてきた下村氏は顧問となり、常任幹事会のメンバーからは外れた。
下村氏が安倍派の元会長でもある森元首相と面談したのは、それから1カ月以上前のことだった。森功氏は、下村氏が紙袋を渡そうとした場面についてもこう綴る。〈このあと下村は驚くべき行動に出る。持参していた薄茶色の手提げ袋を森の前に差し出した。「わずかですが、これまでのご無礼を、お許しをいただきたいと思いまして」 手提げ袋は食料品などを入れるときに使うような粗末な紙のそれで、新品ではない。もっとも紙袋の中は百貨店の包みで二重になっていて、中身が何かわからない。〉 紙袋の中には何が入っていたのか。森功氏は関係者への取材を元に、下村氏がこう語ったと綴る。〈「2つ入っています。2000万あります」 森の怒気は呆気に変わった。「君は、何というバカなことをするんだ。清和会の会長を2000万円というそれだけの金額で買えるとでも思っているのかね。もう帰ってくれ。これ以上ここにいたら、俺はこのことを人に言うぞ。おい、お帰りだ」〉 結局、下村氏は紙袋を持ち帰り、会長就任は叶わなかった。「清和研の汚点になる人を会長にはできません」 なぜ、そうまでして森元首相の元を訪ねたのか。下村氏はかねてから、松野官房長官や高木毅国対委員長ら、安倍派の有力議員「5人衆」と距離があった。森元首相を訪ねた7月6日は、午前中に安倍派の幹事会が開かれ、安倍氏の一周忌に向けて、新会長の選任を含めた新たな体制について幹部たちが議論を重ねていた。だが、塩谷氏と共に、新会長を決めるべきだと発言した下村氏に対し、高木氏が5人衆を代表して集団指導体制を主張。議論はまとまらなかった。森功氏は、座長である塩谷氏のコメントを紹介しつつ、こう綴っている。〈「本人は会長をやりたいのでしょう。そのためにどう動いたか。しかし、彼を推薦するという話があったかといえば、それはないと思います。彼は過去2回の自民党総裁選に出ようとしたけれど、取りやめた。あのときも誰が彼を支持しているのか、わからずじまいでした。たとえば15人いる常任幹事会のうち、少なくとも半数ぐらいが了解するような立場でないと、会長になれません」 それでも下村は突っ走ってきた。その勝負どころが、一周忌の2日前の7月6日だったといえる。〉 果たして、2000万円を手渡そうとしたのは事実なのか。下村氏は森功氏の取材に対し、「森さんに会長になる意思をお伝えしたかったんです」と語り、次のように答えた。「丁寧に謝罪はしましたが、土下座なんかしていません。もちろん金銭を渡そうとした事実はありません。2000万云々はまったくのデマです。秘書に用意してもらった手土産を渡そうとはしました。しかし、それも拒否され、帰り際に森さんの秘書から突き返されました。何を持っていったか覚えていませんでしたが、秘書に調べてもらったところ、手土産は2万円相当の(京都の料亭)和久傳のちりめん山椒とすっぽんの煮凝りの詰め合わせとのことでした」 一方、森元首相はこう回答した。「国民から見れば、日本の政治に疑念を持たれるような出来事です。したがって私の口からは多くは語れません。しかしやはり、清和研全体の汚点になるような人を会長にすることはできません」 10月5日配信の「文藝春秋 電子版」及び「文藝春秋」11月号(10月10日発売)に掲載した森功氏の記事「森喜朗元首相へ献上された疑惑の紙袋」では、紙袋を渡そうとした場面の詳細なやり取りに加えて、下村氏が森功氏の取材に語った回答についても詳報。また、塩谷氏に加えて、「5人衆」である松野官房長官や萩生田光一政調会長、世耕弘成参院幹事長らも実名で取材に応じ、安倍氏死去後の派閥の混乱について語っている。(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年11月号)
下村氏が安倍派の元会長でもある森元首相と面談したのは、それから1カ月以上前のことだった。森功氏は、下村氏が紙袋を渡そうとした場面についてもこう綴る。
〈このあと下村は驚くべき行動に出る。持参していた薄茶色の手提げ袋を森の前に差し出した。
「わずかですが、これまでのご無礼を、お許しをいただきたいと思いまして」
手提げ袋は食料品などを入れるときに使うような粗末な紙のそれで、新品ではない。もっとも紙袋の中は百貨店の包みで二重になっていて、中身が何かわからない。〉
紙袋の中には何が入っていたのか。森功氏は関係者への取材を元に、下村氏がこう語ったと綴る。
〈「2つ入っています。2000万あります」
森の怒気は呆気に変わった。
「君は、何というバカなことをするんだ。清和会の会長を2000万円というそれだけの金額で買えるとでも思っているのかね。もう帰ってくれ。これ以上ここにいたら、俺はこのことを人に言うぞ。おい、お帰りだ」〉
結局、下村氏は紙袋を持ち帰り、会長就任は叶わなかった。
「清和研の汚点になる人を会長にはできません」 なぜ、そうまでして森元首相の元を訪ねたのか。下村氏はかねてから、松野官房長官や高木毅国対委員長ら、安倍派の有力議員「5人衆」と距離があった。森元首相を訪ねた7月6日は、午前中に安倍派の幹事会が開かれ、安倍氏の一周忌に向けて、新会長の選任を含めた新たな体制について幹部たちが議論を重ねていた。だが、塩谷氏と共に、新会長を決めるべきだと発言した下村氏に対し、高木氏が5人衆を代表して集団指導体制を主張。議論はまとまらなかった。森功氏は、座長である塩谷氏のコメントを紹介しつつ、こう綴っている。〈「本人は会長をやりたいのでしょう。そのためにどう動いたか。しかし、彼を推薦するという話があったかといえば、それはないと思います。彼は過去2回の自民党総裁選に出ようとしたけれど、取りやめた。あのときも誰が彼を支持しているのか、わからずじまいでした。たとえば15人いる常任幹事会のうち、少なくとも半数ぐらいが了解するような立場でないと、会長になれません」 それでも下村は突っ走ってきた。その勝負どころが、一周忌の2日前の7月6日だったといえる。〉 果たして、2000万円を手渡そうとしたのは事実なのか。下村氏は森功氏の取材に対し、「森さんに会長になる意思をお伝えしたかったんです」と語り、次のように答えた。「丁寧に謝罪はしましたが、土下座なんかしていません。もちろん金銭を渡そうとした事実はありません。2000万云々はまったくのデマです。秘書に用意してもらった手土産を渡そうとはしました。しかし、それも拒否され、帰り際に森さんの秘書から突き返されました。何を持っていったか覚えていませんでしたが、秘書に調べてもらったところ、手土産は2万円相当の(京都の料亭)和久傳のちりめん山椒とすっぽんの煮凝りの詰め合わせとのことでした」 一方、森元首相はこう回答した。「国民から見れば、日本の政治に疑念を持たれるような出来事です。したがって私の口からは多くは語れません。しかしやはり、清和研全体の汚点になるような人を会長にすることはできません」 10月5日配信の「文藝春秋 電子版」及び「文藝春秋」11月号(10月10日発売)に掲載した森功氏の記事「森喜朗元首相へ献上された疑惑の紙袋」では、紙袋を渡そうとした場面の詳細なやり取りに加えて、下村氏が森功氏の取材に語った回答についても詳報。また、塩谷氏に加えて、「5人衆」である松野官房長官や萩生田光一政調会長、世耕弘成参院幹事長らも実名で取材に応じ、安倍氏死去後の派閥の混乱について語っている。(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年11月号)
なぜ、そうまでして森元首相の元を訪ねたのか。下村氏はかねてから、松野官房長官や高木毅国対委員長ら、安倍派の有力議員「5人衆」と距離があった。森元首相を訪ねた7月6日は、午前中に安倍派の幹事会が開かれ、安倍氏の一周忌に向けて、新会長の選任を含めた新たな体制について幹部たちが議論を重ねていた。だが、塩谷氏と共に、新会長を決めるべきだと発言した下村氏に対し、高木氏が5人衆を代表して集団指導体制を主張。議論はまとまらなかった。森功氏は、座長である塩谷氏のコメントを紹介しつつ、こう綴っている。
〈「本人は会長をやりたいのでしょう。そのためにどう動いたか。しかし、彼を推薦するという話があったかといえば、それはないと思います。彼は過去2回の自民党総裁選に出ようとしたけれど、取りやめた。あのときも誰が彼を支持しているのか、わからずじまいでした。たとえば15人いる常任幹事会のうち、少なくとも半数ぐらいが了解するような立場でないと、会長になれません」
それでも下村は突っ走ってきた。その勝負どころが、一周忌の2日前の7月6日だったといえる。〉
果たして、2000万円を手渡そうとしたのは事実なのか。下村氏は森功氏の取材に対し、「森さんに会長になる意思をお伝えしたかったんです」と語り、次のように答えた。
「丁寧に謝罪はしましたが、土下座なんかしていません。もちろん金銭を渡そうとした事実はありません。2000万云々はまったくのデマです。秘書に用意してもらった手土産を渡そうとはしました。しかし、それも拒否され、帰り際に森さんの秘書から突き返されました。何を持っていったか覚えていませんでしたが、秘書に調べてもらったところ、手土産は2万円相当の(京都の料亭)和久傳のちりめん山椒とすっぽんの煮凝りの詰め合わせとのことでした」
一方、森元首相はこう回答した。
「国民から見れば、日本の政治に疑念を持たれるような出来事です。したがって私の口からは多くは語れません。しかしやはり、清和研全体の汚点になるような人を会長にすることはできません」
10月5日配信の「文藝春秋 電子版」及び「文藝春秋」11月号(10月10日発売)に掲載した森功氏の記事「森喜朗元首相へ献上された疑惑の紙袋」では、紙袋を渡そうとした場面の詳細なやり取りに加えて、下村氏が森功氏の取材に語った回答についても詳報。また、塩谷氏に加えて、「5人衆」である松野官房長官や萩生田光一政調会長、世耕弘成参院幹事長らも実名で取材に応じ、安倍氏死去後の派閥の混乱について語っている。(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年11月号)
10月5日配信の「文藝春秋 電子版」及び「文藝春秋」11月号(10月10日発売)に掲載した森功氏の記事「森喜朗元首相へ献上された疑惑の紙袋」では、紙袋を渡そうとした場面の詳細なやり取りに加えて、下村氏が森功氏の取材に語った回答についても詳報。また、塩谷氏に加えて、「5人衆」である松野官房長官や萩生田光一政調会長、世耕弘成参院幹事長らも実名で取材に応じ、安倍氏死去後の派閥の混乱について語っている。
(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年11月号)

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