神の山に「し尿垂れ流し」。縦割り行政、その場しのぎ…”富士山が壊れていく”原因は日本の問題と一緒

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「富士山は、無秩序で、危険な山。行政の管理が不徹底な無法地帯です」
開口一番、こう怒りを口にするのは、都留文科大学で「富士山学」を教えていた渡辺豊博氏。
「富士山の頂上手前に三島岳という場所がありますが、ここが平坦なことから、8月第1週の土日には、多いときで1万人から1万2000人近い登山者が、その場所に集まってきます。
そのときの状況は、地面に座ることもできない満員電車と同じくらいの密になります」
8月9日、山梨県は登山道に人が集まり過ぎて転倒や落石の危険があると判断した場合は、11日より登山規制を行うと発表した。これまでに県は、登山者が4000人以上になった場合は、8合目付近で登山規制をするとしてきたが、そんな数字を遥かに超えて、登山者の命を守れない、危険な状態が常態化している。しかし、今までに登山規制が実施されたことは一度もない。
「登山規制するためには明確な根拠・調査が必要とされます。そのためには登山者数の正確な調査、7月から8月の2ヵ月間、毎日、時間別・男女別・年齢別・国別などの項目別に、何人登ったのか、登山者の多様な動向把握が必要です。経年的な登山者数の資料が蓄積されていなければ、登山者を適切にコントロールすることはできません。
しかし、これも今まで実施されたことはありません」
実施しないのは、「山小屋」が正確な登山者数の提供を個人情報の問題だとし、拒んでいるためであり、宿泊者の人数がわかれば、山小屋の収入も詳細に把握されてしまうからだろうと、渡辺氏は推測する。
毎年、発表される富士山の登山者数は、環境省が各登山道の八合目付近に赤外線カウンターを設置して調査したものであり、平均で25万人程度だが、欠損・故障も多く正確な数字とは評価できない。
富士山が世界文化遺産に登録されたのは’13年6月22日。このとき、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)の専門家たちが、事前に富士山を訪れ、調査した。富士山は登録が認められたものの、カンボジアで行われた世界遺産委員会の席上、イコモスから多くの注文がつけられた。
「富士山について20分ほどのプレゼンがありました。そのうちの5分間は富士山を褒めました。しかし、残りの15分間は、ゴミの放置やし尿の垂れ流しなどの恥ずかしい現場写真を写し出しながら、非常に厳しい指摘がありました」
イコモスからは「国や県が作成した包括的保存計画を抜本的に見直すこと」「入山制限について検討し、実施すること」「富士山信仰の巡礼道として登山道を整備すること」「富士五湖などの開発に対する制御の措置を行うこと」などの宿題が出され、’16年の世界遺産委員会までに、これらに対して「保全状況報告書」を提出するように求められたのだ。
それにしても、「富士山にし尿を垂れ流す」とは、どういうことか?
「5合目以上には42ヵ所の山小屋があり、トイレが併設されています。夏の間は、し尿を溜めておき、閉山するときに、次年度に空状態で使用するために、斜面に垂れ流します。今まで約40年間にわたって垂れ流してきた結果、トイレットペーパーが、山肌に何キロメートルにもわたってへばりつき、“白い川”のような痕跡を残しています」
こうした環境被害の問題を憂慮して、解決に動いたのは、国や県ではなかった。
’01年、渡辺氏が事務局長を務めていたNPO法人「富士山クラブ」が、NPO法人「グラウンドワーク三島」や市民ボランティア、環境バイオトイレを製造している企業などと協力し、バイオトイレを最初に富士山頂に設置したのだ。
しかし、設置から20年以上が過ぎた今、バイオトイレの機能低下により処理が追いつかず、昔のように、山小屋のトイレからのし尿の垂れ流しが行われているとの懸念が広がっているとか。
行政はいったい何をしてきたのか。イコモスから提出を求められた「保全状況報告書」はどうなったのか?
「日本が提出した報告書には、登山者数の実態・正常化に対する評価、マイカー規制に関する検討、山小屋の宿泊状況などの実態調査、協力金に関わる検討などを行うとしました。イコモスもそれで了承したんです。
しかし、現実はどうなっていますか? 無謀な弾丸登山が増えて危険度が増し、まったく具体策が見出せない。登山道には手すりもなく、途中、鎖につかまって登る危険な場所もある。安全登山のための整備はまったくなされていません」
翻って海外はどうなのか。アメリカのヨセミテ国立公園も世界自然遺産に登録されている。広さは東京都の2倍! そんな広いところでも入山制限が行われていて、1日に入れるのは1万1550人。入山するときは車1台35ドルの入山料を払わなくてはならない。
「入山料を払うと入山証が渡され、園内で入山証の提示を求められたとき持っていないと逮捕され、罰金を払わされます」
こうしたシステムになっているのは、ヨセミテ国立公園だけではない。ニュージーランドの世界複合遺産・トンガリロ国立公園をはじめとして、海外では当然のように行われていることだという。
「世界遺産に登録する意味は、大きく2つあります。1つは、世界基準での制約を受入れて開発を抑止すること。もう1つは、国際的な環境基準で厳しい環境保護対策を行うこと。
世界に誇れる、美しくて、安全な富士山を保護・保全する覚悟の証を示さなくてはならないのです」
トンガリロ国立公園には10回近く訪れている渡辺氏だが、行くたびに登山道が整備され、手すりができ、災害用シェルターが造られたり、山小屋が快適になっていると言う。
「トンガリロ国立公園では、売り上げに対して山小屋・ゴルフ場には6%、スキー場には15%の税金がかかります。それで年間2億円の資金が確保される。その資金を活用して、下水処理場を造り、ヘリコプターでし尿を下水処理場まで運搬・処理しています」
それが“世界基準”なのか。そう思うと、富士山が世界遺産に登録されたこと自体、不思議に思えてくる。せめて入山料をとることはできないのか。
「やる気になればできるはずです。多くの登山者は5合目から登るので、そこで徴収すればいいのです。
ただ、富士山には4本の登山ルートがありますが、そこ以外から登ってくる人もいる。そこで、行政は登山ルート以外から登った人からは徴収できない。不公平が起こるので徴収できないと行政は説明しています」
そんなこと、ヨセミテ国立公園が行っているように入山証を持たない人からは罰金をとればいいだけだ。
「縦割り行政の弊害と、仕事をなるべくしたくない、死んだふり行政の姿勢による怠慢の事実です」
富士山の管理体制は複雑だ。8合目から上は富士浅間大社の境内、8合目までは山梨県と静岡県に分かれていて、2つの県と10の市町村が関わっている。さらに世界文化遺産であり文部科学省の文化庁、国立公園であり自然環境保護法が適用されるので環境省、東・北富士演習場があるところは防衛省、静岡県側の国有林は農林水産省の林野庁など、さまざまな役所が網の目のように絡み合っている。
そのためバイオトイレを設置するときは、なんと21もの役所や関係団体から設置許可をもらわなければならなかったという。
「海外では『自然環境保護局』をつくり、国立公園を一元管理している。日本も『富士山庁』という省庁の横断的な組織をつくり、さらに富士山全体を覆う『富士山立法』を制定するべきだと思うんです」
富士山は信仰の山であり、葛飾北斎や歌川広重らが描いた芸術の山。5合目以下には、世界に誇る豊かな森林地帯が広がり、登るにつれて、植物相が次々と変化する自然の宝庫。日本の宝・世界の宝だと渡辺氏は言う。
「なんのために世界遺産に申請したのか。今となっては政治家のパフォーマンスだったとしか思えない」
と、渡辺氏の怒りは激しさを増す。
山梨県では今、富士山に鉄道を走らせようとする「富士山登山鉄道構想」を検討している。年間利用者として見込んでいるのは300万人。これ以上、富士山に人を送り込んで観光の山にして、どうしようというのか。
「ヨセミテ国立公園とトンガリロ国立公園のレンジャーと3人で富士山に登ったとき、あまりの無秩序、無法状態に呆れ、2人から『富士山は世界で最低の山だ』『世界遺産になる価値はない』と言われました。
私たち市民団体が、どんなにがんばっても、法律も制定できないし、新しい保全システムを実現する権限もない、どうすることもできない閉塞状態です。
それならいっそ、登山鉄道を造り、富士山を著しく傷付け、環境破壊を誘発して、世界中からバッシングされればいい。そうすれば、国も考えるかもしれないと思うんです」
「今、富士山は、泣いている」と渡辺氏。今後、富士山は、満身創痍の悲しい姿を晒したまま、傷付き、荒れ果て、世界の「恥の遺産」に成り下がっていくだけなのだろうか。
渡辺豊博 東京農工大学農学部を卒業後、静岡県庁に入庁、農業基盤整備事業などを担当。2007年に農学博士号を取得し、2008年から‘15年まで都留文科大学文学部社会学科教授、‘20年まで特任教授を務める。現在、グラウンドワーク三島を含め、4つのNPO法人の事務局長職を歴任。市民活動論や富士山学などを開講している。地域づくりや水辺再生をしかける「まちづくりプロデューサー」の役割を、全国に先駆けて先導している。著書に『富士山の光と影』(清流出版)ほか。
取材・文:中川いづみ

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