ライフルで首に1発、頭に2発…“怪物ヒグマ”OSO18はなぜ逃げなかった? “最期のシーン”に隠された謎を追う

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〈「どうやらオソで間違いない」ついに捕らえた! 32頭の牛を殺した謎のヒグマをハンターが仕留めるまでの“一部始終”〉から続く
果たして7月1日、OSO18は上チャンベツの襲撃現場付近に戻ってきたが、牛を襲うことはなかった。警戒心の強いOSOのことだから、「OSO18特別対策班」リーダーの藤本靖らの厳戒態勢を敏感に察知したのかもしれない。次に藤本らがOSOの動きをキャッチするのは7月16日、アレキナイから上尾幌方面へと向かう足跡だった。
【画像】捕獲が確認され、変わり果てた「OSO18」の姿
位置関係としては、北から上チャンベツ―中チャンベツーアレキナイ―上尾幌となっており、OSOは大型のクマが多数いるという〈中チャンベツからアレキナイ〉をスルーするように一気に南に下ったことになる。(全2回の2回目/前編から続く)
牛を襲い続けたOSO18の姿(標茶町提供) 時事通信社
◆◆◆
「16日以降の足取りは不明でしたが、これまでのOSOの行動形態からすると、恐らくオボロ川を通って(駆除)現場まで南下したんでしょう。アレキナイからまっすぐ下ると今回の現場です」(藤本)
それにしても改めて驚かされるのはヒグマを獲ったのは初めてというハンターの冷静さだ。距離80メートルといえば、もし初弾で仕留めきれなかった場合、一瞬で反撃を食らう距離である。役場の職員という立場上か、このハンターがメディアの取材に応じる予定はないというが、かわりに釧路町役場の担当者が当時の状況をこう説明する。
「使った銃は(散弾銃ではなく)ライフルです。最初に80メートルの距離から首に1発撃ち込み、それから近付いて“トメ(トドメ)サシ”で頭に2発、計3発ですね」
※銃の所持許可の関係上、所持から10年未満の者は一般狩猟においてライフル銃の所持ができない。しかし自治体が行う有害駆除防除隊による駆除の場合、目的とされる有害獣に対してのみ使用と所持が許される。
一方で、公開された駆除後のOSOの死骸の写真を見たハンターの赤石正男は「痩せてるなぁ」と呟いた。山にクマのエサとなる木の実類が乏しくなる真夏は、普通のクマであればアリなどの昆虫類や草木の根を食べてしのぐが、OSOはこの時期に牛を襲うことを覚えた。
だが標茶町・厚岸町にある従来の狩場は藤本らの警戒が厳しく、今年はまだ1頭しか襲っていない。飢えたOSOは、新しい狩場を求めて一気に南下した可能性が高い。 そうやって辿り着いた新天地で、呆気なく、ハンターの銃弾に斃れたのである。OSO18は動かなかったのか? 動けなかったのか? それにしても――。あれだけ人間を警戒していたOSOが、80メートルの距離までハンターに接近を許し、逃げる素振りさえ見せずに撃たれたのは、一体どうしたことか。そもそもOSOは駆除前からほぼ2日間、現場付近にとどまり続けたという話もある。これまでの彼の行動パターンからは考えられないことだ。 なぜ動かなかったのか。それとも動けなかったのか。 駆除後、確認したところOSOの顔には4カ所、傷があったという。既に述べたとおり、これまでOSOが狩場としていた場所から駆除現場までの間には、OSOより大きなヒグマが生息している。そこを通過する際に、そのうちの1頭とケンカになり、ケガを負った可能性もなくはない。駆除現場となった場所に横たわり傷を癒していたところにハンターがやってきた――ありうるシナリオだ。 公開された写真を見る限り、目立った外傷などは確認できないが、念のため、私は釧路町役場に電話した。担当者を通じて、件のハンターに「駆除時、OSOはどこかにケガをしていなかったか?」と訊いてもらったところ、その回答は「確認した限りでは、ケガなどはなかったように思う」というものだった(OSOが持ち込まれた食肉加工業者にも訊いたが、同様の回答だった)。 ハンターや業者の言う通り、ケガなどがなかったとすれば、OSOは「動けなかった」のではなく、「動かなかった」ということになる。 返す返すも残念なのは、OSOの死骸が早々に処理されてしまい、今となっては検証する術もないということだ。OSO18はなぜ「動かなかった」のか? 前回の記事でも述べたが、OSOを作り出したのは最初から最後まで人間だったという見方もできる。 藤本に言わせれば〈老獪ではあるが普通のクマ〉だったOSOは、栄養価の高い牧草を食べることで道東で爆発的に増えたエゾジカを食べて肉の味を覚え、家畜の飼料として作付け面積を増やしているデントコーンに引き寄せられるように牧場にやってきて、牛を襲うようになった。そして人間の側がその捕獲にてこずっているうちに、人間のことを学習し、その危険を巧妙に避ける術を身に着けた。それがOSO18という“怪物”の物語である。 この物語には、同じ事を繰り返さないための人間に向けた教訓という面もある。しっかりとした検証と、今後の対策についての正式な報告が待たれる。 私は藤本と赤石のインタビューをこう結んだ。〈〈藤本と赤石に「このままではいずれ、第2、第3のOSOが現れますか?」と尋ねた。間髪入れずに藤本は「出るよ。間違いなく」と答えた。 赤石の言い方ではこうなる。「クマっていうのは、一度味を覚えたら、必ずまたやるから。これだけクマが増えて、ハンターは逆に減っていって、今にひどいことになるよ」 OSOとの戦いは、いずれ終わるだろう。だが、もしかするとそれは人間とクマがこれから迎える本当の戦いの「序章」に過ぎないのかもしれない〉〉 確かにOSOと人間との4年間におよぶ闘いは、これで幕引きとなった。その呆気なさすぎる最期は、OSOが“怪物”ではなく、どこにでもいる普通のクマだったことを示しているともいえる。だからこそ、気になるのだ。 なぜ、ハンターと対峙したOSOは「動かなかった」のか。その最期の瞬間、彼を捉えたものは、逃走への倦怠だったのか、運命への諦観だったのか、それとも――。 OSOの駆除が報じられてから1週間が過ぎようとしているが、私はまだそんな詮無いことを考えている。(伊藤 秀倫)
だが標茶町・厚岸町にある従来の狩場は藤本らの警戒が厳しく、今年はまだ1頭しか襲っていない。飢えたOSOは、新しい狩場を求めて一気に南下した可能性が高い。
そうやって辿り着いた新天地で、呆気なく、ハンターの銃弾に斃れたのである。
それにしても――。あれだけ人間を警戒していたOSOが、80メートルの距離までハンターに接近を許し、逃げる素振りさえ見せずに撃たれたのは、一体どうしたことか。そもそもOSOは駆除前からほぼ2日間、現場付近にとどまり続けたという話もある。これまでの彼の行動パターンからは考えられないことだ。
なぜ動かなかったのか。それとも動けなかったのか。
駆除後、確認したところOSOの顔には4カ所、傷があったという。既に述べたとおり、これまでOSOが狩場としていた場所から駆除現場までの間には、OSOより大きなヒグマが生息している。そこを通過する際に、そのうちの1頭とケンカになり、ケガを負った可能性もなくはない。駆除現場となった場所に横たわり傷を癒していたところにハンターがやってきた――ありうるシナリオだ。
公開された写真を見る限り、目立った外傷などは確認できないが、念のため、私は釧路町役場に電話した。担当者を通じて、件のハンターに「駆除時、OSOはどこかにケガをしていなかったか?」と訊いてもらったところ、その回答は「確認した限りでは、ケガなどはなかったように思う」というものだった(OSOが持ち込まれた食肉加工業者にも訊いたが、同様の回答だった)。 ハンターや業者の言う通り、ケガなどがなかったとすれば、OSOは「動けなかった」のではなく、「動かなかった」ということになる。 返す返すも残念なのは、OSOの死骸が早々に処理されてしまい、今となっては検証する術もないということだ。OSO18はなぜ「動かなかった」のか? 前回の記事でも述べたが、OSOを作り出したのは最初から最後まで人間だったという見方もできる。 藤本に言わせれば〈老獪ではあるが普通のクマ〉だったOSOは、栄養価の高い牧草を食べることで道東で爆発的に増えたエゾジカを食べて肉の味を覚え、家畜の飼料として作付け面積を増やしているデントコーンに引き寄せられるように牧場にやってきて、牛を襲うようになった。そして人間の側がその捕獲にてこずっているうちに、人間のことを学習し、その危険を巧妙に避ける術を身に着けた。それがOSO18という“怪物”の物語である。 この物語には、同じ事を繰り返さないための人間に向けた教訓という面もある。しっかりとした検証と、今後の対策についての正式な報告が待たれる。 私は藤本と赤石のインタビューをこう結んだ。〈〈藤本と赤石に「このままではいずれ、第2、第3のOSOが現れますか?」と尋ねた。間髪入れずに藤本は「出るよ。間違いなく」と答えた。 赤石の言い方ではこうなる。「クマっていうのは、一度味を覚えたら、必ずまたやるから。これだけクマが増えて、ハンターは逆に減っていって、今にひどいことになるよ」 OSOとの戦いは、いずれ終わるだろう。だが、もしかするとそれは人間とクマがこれから迎える本当の戦いの「序章」に過ぎないのかもしれない〉〉 確かにOSOと人間との4年間におよぶ闘いは、これで幕引きとなった。その呆気なさすぎる最期は、OSOが“怪物”ではなく、どこにでもいる普通のクマだったことを示しているともいえる。だからこそ、気になるのだ。 なぜ、ハンターと対峙したOSOは「動かなかった」のか。その最期の瞬間、彼を捉えたものは、逃走への倦怠だったのか、運命への諦観だったのか、それとも――。 OSOの駆除が報じられてから1週間が過ぎようとしているが、私はまだそんな詮無いことを考えている。(伊藤 秀倫)
公開された写真を見る限り、目立った外傷などは確認できないが、念のため、私は釧路町役場に電話した。担当者を通じて、件のハンターに「駆除時、OSOはどこかにケガをしていなかったか?」と訊いてもらったところ、その回答は「確認した限りでは、ケガなどはなかったように思う」というものだった(OSOが持ち込まれた食肉加工業者にも訊いたが、同様の回答だった)。
ハンターや業者の言う通り、ケガなどがなかったとすれば、OSOは「動けなかった」のではなく、「動かなかった」ということになる。
返す返すも残念なのは、OSOの死骸が早々に処理されてしまい、今となっては検証する術もないということだ。
前回の記事でも述べたが、OSOを作り出したのは最初から最後まで人間だったという見方もできる。
藤本に言わせれば〈老獪ではあるが普通のクマ〉だったOSOは、栄養価の高い牧草を食べることで道東で爆発的に増えたエゾジカを食べて肉の味を覚え、家畜の飼料として作付け面積を増やしているデントコーンに引き寄せられるように牧場にやってきて、牛を襲うようになった。そして人間の側がその捕獲にてこずっているうちに、人間のことを学習し、その危険を巧妙に避ける術を身に着けた。それがOSO18という“怪物”の物語である。
この物語には、同じ事を繰り返さないための人間に向けた教訓という面もある。しっかりとした検証と、今後の対策についての正式な報告が待たれる。 私は藤本と赤石のインタビューをこう結んだ。〈〈藤本と赤石に「このままではいずれ、第2、第3のOSOが現れますか?」と尋ねた。間髪入れずに藤本は「出るよ。間違いなく」と答えた。 赤石の言い方ではこうなる。「クマっていうのは、一度味を覚えたら、必ずまたやるから。これだけクマが増えて、ハンターは逆に減っていって、今にひどいことになるよ」 OSOとの戦いは、いずれ終わるだろう。だが、もしかするとそれは人間とクマがこれから迎える本当の戦いの「序章」に過ぎないのかもしれない〉〉 確かにOSOと人間との4年間におよぶ闘いは、これで幕引きとなった。その呆気なさすぎる最期は、OSOが“怪物”ではなく、どこにでもいる普通のクマだったことを示しているともいえる。だからこそ、気になるのだ。 なぜ、ハンターと対峙したOSOは「動かなかった」のか。その最期の瞬間、彼を捉えたものは、逃走への倦怠だったのか、運命への諦観だったのか、それとも――。 OSOの駆除が報じられてから1週間が過ぎようとしているが、私はまだそんな詮無いことを考えている。(伊藤 秀倫)
この物語には、同じ事を繰り返さないための人間に向けた教訓という面もある。しっかりとした検証と、今後の対策についての正式な報告が待たれる。
私は藤本と赤石のインタビューをこう結んだ。
〈〈藤本と赤石に「このままではいずれ、第2、第3のOSOが現れますか?」と尋ねた。間髪入れずに藤本は「出るよ。間違いなく」と答えた。
赤石の言い方ではこうなる。
「クマっていうのは、一度味を覚えたら、必ずまたやるから。これだけクマが増えて、ハンターは逆に減っていって、今にひどいことになるよ」
OSOとの戦いは、いずれ終わるだろう。だが、もしかするとそれは人間とクマがこれから迎える本当の戦いの「序章」に過ぎないのかもしれない〉〉
確かにOSOと人間との4年間におよぶ闘いは、これで幕引きとなった。その呆気なさすぎる最期は、OSOが“怪物”ではなく、どこにでもいる普通のクマだったことを示しているともいえる。だからこそ、気になるのだ。 なぜ、ハンターと対峙したOSOは「動かなかった」のか。その最期の瞬間、彼を捉えたものは、逃走への倦怠だったのか、運命への諦観だったのか、それとも――。 OSOの駆除が報じられてから1週間が過ぎようとしているが、私はまだそんな詮無いことを考えている。(伊藤 秀倫)
確かにOSOと人間との4年間におよぶ闘いは、これで幕引きとなった。その呆気なさすぎる最期は、OSOが“怪物”ではなく、どこにでもいる普通のクマだったことを示しているともいえる。だからこそ、気になるのだ。
なぜ、ハンターと対峙したOSOは「動かなかった」のか。その最期の瞬間、彼を捉えたものは、逃走への倦怠だったのか、運命への諦観だったのか、それとも――。
OSOの駆除が報じられてから1週間が過ぎようとしているが、私はまだそんな詮無いことを考えている。
(伊藤 秀倫)

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