50年開けたことがなかった京都の老舗の金庫の中身は!?「すごい」「歴史的資料としての価値が高い」

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京都で扇子の製造・卸・小売を100年以上営む「大西常商店」にあった年代物の金庫を開けてみた…というツイートが話題です。もしやお宝発見か!?
【写真】金庫に入っていた、大量の株券「金庫開けたら死ぬほど株券出てきたんですけど…」 ツイートしたのは「大西里枝 扇子屋若女将(@RieOhnishi)」さんです。写真には、立派な両開きの古い金庫と、中に入っていたという大量の昔の株券が写っています。一番上に置かれた株券は「満州重工業開発株式会社」とあり「拾株 日本国通貨五百円」、刊行年は「康徳9年 昭和17年」とあります。

「満州重工業開発(満業)の株券ですね…(スゴイ)株券としての価値よりも、むしろ歴史的資料としての価値の方が圧倒的に価値が高いと思います。インド進出の先兵となった英国の東インド会社と同様に、戦前の日本の満州進出の先兵となった企業です。満業社長の鮎川義介は現在の日産自動車の創始者で、その孫にあたる人物(鮎川純太)が杉田かおると結婚して一時世間を賑わせていました。」などと株券について解説リプライがつき、戦前の日本に思いを馳せつつ、現在のお金に換算するといくらなんだろうと想像する人も。「わわ!凄いですね え、昭和初期の500円って200万位です?それがひぃふぅみぃ…:( ;´`;):ヒェッ それにしても金庫もまた素敵で、両方文化的資料になりそうですね」「ああ、御宝(だった)が!」「博物館行ってこれあったら 自分なら足止めて見ちゃうと思います」「やはり『鑑定団』に出してみて欲しいですわ~」 たしかに、お宝が入っていましたが…2009年の株券電子化の時に、紙に印刷された株券は無効とされています。さらに、現存しない会社だったりということもあり「株券は完全に紙屑なんですが、一応大事に取っておきます」とコメントしていた大西さんにお話を聞きました。「株券は完全に紙屑なんですが、一応大事に取っておきます」──金庫があったお店の歴史を教えてください。 詳細の創業期はわからないのですが、明治期までは元結という日本髪を結う道具を商っていたようです。大正2年に商品をかえ、扇子屋をはじめたと聞いています。そこから110年間、扇子製造・卸・小売という事業を続けています。──大西さんは4代目若女将として家業を継がれたのですね。こちらの金庫はお祖父様の時代のものということですが、どのくらい開けていなかったのでしょうか? 少なくとも50年以上はあけていないのではないかと思っています。──そんなに! 穴が空いているようですが、今回無理に開けられたのですか? 穴はもともと空いていたようですね。金庫の存在をあんまり気にもとめてませんでした。蔵のほうはある程度把握していましたが、金庫にさほど興味がなかったという感じでしょうか(笑)。──金庫に興味がないとは(笑)。そんな金庫をなぜ開けることにしたのですか? ふと気になってというイメージです。そういえば見たことなかったな、開けてみるかね、というちょっとした好奇心です。──中身を想像されていましたか? 蔵からは手紙や賃貸契約書みたいなものがたくさん出てきたので、そういう類のものかなと思っていました。──実際は大量の株券でした。 ああ、かつては資産家だったんだなと思いました。昭和初期で30万円の預金口座の写しのようなものもあり、すごいなぁって。現在は見る影もなく、100グラム50円の鶏むね肉を食べ、車はバンという生活レベルなので、落ちぶれちゃってごめんね…と思っています。仕事を頑張ります。──現在は、扇子のほかに、扇子の竹を使ったフレグランスの開発、お店のある数寄屋造りの町屋のレンタル、文化体験など、さまざまなことに挑戦されています。株券は大切に保管されるとコメントされていました。 創業者の軌跡を見られるということは稀有ですし、彼が繋いでくれた家業と命を思うと仕事がんばろう!という気持ちになります!! 株券もですが、彼が愛用していたであろうタバン社の懐中時計がひとつ出てきました。現在修理に出していますが、彼の生きていた時間を刻んだ時計と一緒に、私も今を生きていこうという気持ちでおります。 ◇ ◇ 金庫に入っていた株券は、満州重工業開発株式会社、日活株式会社、日本内燃機株式会社、川南工業株式会社、株式会社北川電気企業社、日本アンチモニー工業株式会社のものでした。 ほかに、「知恩院」の『特別待遇券』という寄付に対するお礼状のようなものも入っていたそうです。 歴史が感じられる扇子屋さんですが、あらためて扇子を見るてみると、軽くてコンパクトになり、電池もいらず、10年使う人もいるほどの耐久性があり修理も可能と、もしかしたら今の時代にぴったりの商品かもしれません。ご興味のある方は、オンラインショップもありますので、公式サイトをご確認ください。(まいどなニュース/Lmaga.jpニュース特約・太田 浩子)
「金庫開けたら死ぬほど株券出てきたんですけど…」
ツイートしたのは「大西里枝 扇子屋若女将(@RieOhnishi)」さんです。写真には、立派な両開きの古い金庫と、中に入っていたという大量の昔の株券が写っています。一番上に置かれた株券は「満州重工業開発株式会社」とあり「拾株 日本国通貨五百円」、刊行年は「康徳9年 昭和17年」とあります。
「満州重工業開発(満業)の株券ですね…(スゴイ)株券としての価値よりも、むしろ歴史的資料としての価値の方が圧倒的に価値が高いと思います。インド進出の先兵となった英国の東インド会社と同様に、戦前の日本の満州進出の先兵となった企業です。満業社長の鮎川義介は現在の日産自動車の創始者で、その孫にあたる人物(鮎川純太)が杉田かおると結婚して一時世間を賑わせていました。」
などと株券について解説リプライがつき、戦前の日本に思いを馳せつつ、現在のお金に換算するといくらなんだろうと想像する人も。
「わわ!凄いですね え、昭和初期の500円って200万位です?それがひぃふぅみぃ…:( ;´`;):ヒェッ それにしても金庫もまた素敵で、両方文化的資料になりそうですね」「ああ、御宝(だった)が!」「博物館行ってこれあったら 自分なら足止めて見ちゃうと思います」「やはり『鑑定団』に出してみて欲しいですわ~」
たしかに、お宝が入っていましたが…2009年の株券電子化の時に、紙に印刷された株券は無効とされています。さらに、現存しない会社だったりということもあり「株券は完全に紙屑なんですが、一応大事に取っておきます」とコメントしていた大西さんにお話を聞きました。
──金庫があったお店の歴史を教えてください。
詳細の創業期はわからないのですが、明治期までは元結という日本髪を結う道具を商っていたようです。大正2年に商品をかえ、扇子屋をはじめたと聞いています。そこから110年間、扇子製造・卸・小売という事業を続けています。
──大西さんは4代目若女将として家業を継がれたのですね。こちらの金庫はお祖父様の時代のものということですが、どのくらい開けていなかったのでしょうか?
少なくとも50年以上はあけていないのではないかと思っています。
──そんなに! 穴が空いているようですが、今回無理に開けられたのですか?
穴はもともと空いていたようですね。金庫の存在をあんまり気にもとめてませんでした。蔵のほうはある程度把握していましたが、金庫にさほど興味がなかったという感じでしょうか(笑)。
──金庫に興味がないとは(笑)。そんな金庫をなぜ開けることにしたのですか?
ふと気になってというイメージです。そういえば見たことなかったな、開けてみるかね、というちょっとした好奇心です。
──中身を想像されていましたか?
蔵からは手紙や賃貸契約書みたいなものがたくさん出てきたので、そういう類のものかなと思っていました。
──実際は大量の株券でした。
ああ、かつては資産家だったんだなと思いました。昭和初期で30万円の預金口座の写しのようなものもあり、すごいなぁって。現在は見る影もなく、100グラム50円の鶏むね肉を食べ、車はバンという生活レベルなので、落ちぶれちゃってごめんね…と思っています。仕事を頑張ります。
──現在は、扇子のほかに、扇子の竹を使ったフレグランスの開発、お店のある数寄屋造りの町屋のレンタル、文化体験など、さまざまなことに挑戦されています。株券は大切に保管されるとコメントされていました。
創業者の軌跡を見られるということは稀有ですし、彼が繋いでくれた家業と命を思うと仕事がんばろう!という気持ちになります!!
株券もですが、彼が愛用していたであろうタバン社の懐中時計がひとつ出てきました。現在修理に出していますが、彼の生きていた時間を刻んだ時計と一緒に、私も今を生きていこうという気持ちでおります。
◇ ◇
金庫に入っていた株券は、満州重工業開発株式会社、日活株式会社、日本内燃機株式会社、川南工業株式会社、株式会社北川電気企業社、日本アンチモニー工業株式会社のものでした。
ほかに、「知恩院」の『特別待遇券』という寄付に対するお礼状のようなものも入っていたそうです。
歴史が感じられる扇子屋さんですが、あらためて扇子を見るてみると、軽くてコンパクトになり、電池もいらず、10年使う人もいるほどの耐久性があり修理も可能と、もしかしたら今の時代にぴったりの商品かもしれません。ご興味のある方は、オンラインショップもありますので、公式サイトをご確認ください。
(まいどなニュース/Lmaga.jpニュース特約・太田 浩子)

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