「家事の分担をやめましょう」…家事分担が逆に家事を地獄化する? 最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」

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誰が家事をやるのか? なぜ家事が楽にならないのか?…永遠のテーマである。都内で夫なし、子なし、冷蔵庫なし、ガス契約なしで暮らす稲垣えみ子氏がたどり着いた「家事力」についての著書『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス)より一部抜粋、再構成してお届けする。 家事の分担をやめましょう これも「え?」と思われること間違いなしであろう。 だってそもそも分担とは、家事をラクにするための常識である。イロハのイである。

例えば洗濯をする時、お父さんとお母さんと子供の三人家族だとして、その中の誰かが三人分の洗濯をするのが現代では当たり前だ。問題になるとすれば「誰が」という部分であって、「誰かが」やることそのものに疑問が挟まれることなどまずないだろう。そりゃそうだ。 物事を効率的にやろうと思えば、分けてやるのでなく「まとめてやること」である。 誰かが全員分の洗濯物をまとめて一気に洗濯機に放り込むのがどう考えても合理的だ。 で、私はそこにまさかのダメ出しをしようというのであります。 各々が手で洗う方が合理的? お父さんも、お母さんも、子供も、自分のものはそれぞれ自分でチマチマ洗おうと言いたいのだ。しかも「便利をやめる」の原則に沿うならば、洗濯機でなく手で洗おうと主張したい。念のため釘を刺しておくと、これは何かの修行でも根性論でもなく、その方が圧倒的に家事がラクになりますヨという親切なご提案である。極めて合理的な選択肢として、このことを強くお勧めしたいのである。 無論、なんで? ということになろうと思いますので、以下、順を追って説明させていただきます。 これほど便利なものが次々売り出される世の中なのに家事の負担がちっとも減らないのは、その根っこを掘っていけば、結局は、どこまでも暴走し続ける私たちの欲望が原因なのだ……ということをこれまで繰り返し説明させていただいた。 なぜなら、そのどこまでも欲深いご主人様の面倒をみる(家事をする)のは、よほどのお金持ちでもない限りは自分自身。なのでこの悪魔のからくりから脱出するには、まずは自らの欲望を制御すること、暮らしを小さくすることが一番シンプルで簡単かつ確実な解決方法なのだ。 ところがですね、このシンプルで簡単な解決方法を許さない存在がいるのだ。 それは「家族」というやつである。 写真はイメージです 「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
誰が家事をやるのか? なぜ家事が楽にならないのか?…永遠のテーマである。都内で夫なし、子なし、冷蔵庫なし、ガス契約なしで暮らす稲垣えみ子氏がたどり着いた「家事力」についての著書『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス)より一部抜粋、再構成してお届けする。
家事の分担をやめましょう これも「え?」と思われること間違いなしであろう。 だってそもそも分担とは、家事をラクにするための常識である。イロハのイである。

例えば洗濯をする時、お父さんとお母さんと子供の三人家族だとして、その中の誰かが三人分の洗濯をするのが現代では当たり前だ。問題になるとすれば「誰が」という部分であって、「誰かが」やることそのものに疑問が挟まれることなどまずないだろう。そりゃそうだ。 物事を効率的にやろうと思えば、分けてやるのでなく「まとめてやること」である。 誰かが全員分の洗濯物をまとめて一気に洗濯機に放り込むのがどう考えても合理的だ。 で、私はそこにまさかのダメ出しをしようというのであります。 各々が手で洗う方が合理的? お父さんも、お母さんも、子供も、自分のものはそれぞれ自分でチマチマ洗おうと言いたいのだ。しかも「便利をやめる」の原則に沿うならば、洗濯機でなく手で洗おうと主張したい。念のため釘を刺しておくと、これは何かの修行でも根性論でもなく、その方が圧倒的に家事がラクになりますヨという親切なご提案である。極めて合理的な選択肢として、このことを強くお勧めしたいのである。 無論、なんで? ということになろうと思いますので、以下、順を追って説明させていただきます。 これほど便利なものが次々売り出される世の中なのに家事の負担がちっとも減らないのは、その根っこを掘っていけば、結局は、どこまでも暴走し続ける私たちの欲望が原因なのだ……ということをこれまで繰り返し説明させていただいた。 なぜなら、そのどこまでも欲深いご主人様の面倒をみる(家事をする)のは、よほどのお金持ちでもない限りは自分自身。なのでこの悪魔のからくりから脱出するには、まずは自らの欲望を制御すること、暮らしを小さくすることが一番シンプルで簡単かつ確実な解決方法なのだ。 ところがですね、このシンプルで簡単な解決方法を許さない存在がいるのだ。 それは「家族」というやつである。 写真はイメージです 「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
家事の分担をやめましょう これも「え?」と思われること間違いなしであろう。 だってそもそも分担とは、家事をラクにするための常識である。イロハのイである。

例えば洗濯をする時、お父さんとお母さんと子供の三人家族だとして、その中の誰かが三人分の洗濯をするのが現代では当たり前だ。問題になるとすれば「誰が」という部分であって、「誰かが」やることそのものに疑問が挟まれることなどまずないだろう。そりゃそうだ。 物事を効率的にやろうと思えば、分けてやるのでなく「まとめてやること」である。 誰かが全員分の洗濯物をまとめて一気に洗濯機に放り込むのがどう考えても合理的だ。 で、私はそこにまさかのダメ出しをしようというのであります。 各々が手で洗う方が合理的? お父さんも、お母さんも、子供も、自分のものはそれぞれ自分でチマチマ洗おうと言いたいのだ。しかも「便利をやめる」の原則に沿うならば、洗濯機でなく手で洗おうと主張したい。念のため釘を刺しておくと、これは何かの修行でも根性論でもなく、その方が圧倒的に家事がラクになりますヨという親切なご提案である。極めて合理的な選択肢として、このことを強くお勧めしたいのである。 無論、なんで? ということになろうと思いますので、以下、順を追って説明させていただきます。 これほど便利なものが次々売り出される世の中なのに家事の負担がちっとも減らないのは、その根っこを掘っていけば、結局は、どこまでも暴走し続ける私たちの欲望が原因なのだ……ということをこれまで繰り返し説明させていただいた。 なぜなら、そのどこまでも欲深いご主人様の面倒をみる(家事をする)のは、よほどのお金持ちでもない限りは自分自身。なのでこの悪魔のからくりから脱出するには、まずは自らの欲望を制御すること、暮らしを小さくすることが一番シンプルで簡単かつ確実な解決方法なのだ。 ところがですね、このシンプルで簡単な解決方法を許さない存在がいるのだ。 それは「家族」というやつである。 写真はイメージです 「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
これも「え?」と思われること間違いなしであろう。 だってそもそも分担とは、家事をラクにするための常識である。イロハのイである。

例えば洗濯をする時、お父さんとお母さんと子供の三人家族だとして、その中の誰かが三人分の洗濯をするのが現代では当たり前だ。問題になるとすれば「誰が」という部分であって、「誰かが」やることそのものに疑問が挟まれることなどまずないだろう。そりゃそうだ。 物事を効率的にやろうと思えば、分けてやるのでなく「まとめてやること」である。 誰かが全員分の洗濯物をまとめて一気に洗濯機に放り込むのがどう考えても合理的だ。 で、私はそこにまさかのダメ出しをしようというのであります。 各々が手で洗う方が合理的? お父さんも、お母さんも、子供も、自分のものはそれぞれ自分でチマチマ洗おうと言いたいのだ。しかも「便利をやめる」の原則に沿うならば、洗濯機でなく手で洗おうと主張したい。念のため釘を刺しておくと、これは何かの修行でも根性論でもなく、その方が圧倒的に家事がラクになりますヨという親切なご提案である。極めて合理的な選択肢として、このことを強くお勧めしたいのである。 無論、なんで? ということになろうと思いますので、以下、順を追って説明させていただきます。 これほど便利なものが次々売り出される世の中なのに家事の負担がちっとも減らないのは、その根っこを掘っていけば、結局は、どこまでも暴走し続ける私たちの欲望が原因なのだ……ということをこれまで繰り返し説明させていただいた。 なぜなら、そのどこまでも欲深いご主人様の面倒をみる(家事をする)のは、よほどのお金持ちでもない限りは自分自身。なのでこの悪魔のからくりから脱出するには、まずは自らの欲望を制御すること、暮らしを小さくすることが一番シンプルで簡単かつ確実な解決方法なのだ。 ところがですね、このシンプルで簡単な解決方法を許さない存在がいるのだ。 それは「家族」というやつである。 写真はイメージです 「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
これも「え?」と思われること間違いなしであろう。
だってそもそも分担とは、家事をラクにするための常識である。イロハのイである。
例えば洗濯をする時、お父さんとお母さんと子供の三人家族だとして、その中の誰かが三人分の洗濯をするのが現代では当たり前だ。問題になるとすれば「誰が」という部分であって、「誰かが」やることそのものに疑問が挟まれることなどまずないだろう。そりゃそうだ。 物事を効率的にやろうと思えば、分けてやるのでなく「まとめてやること」である。 誰かが全員分の洗濯物をまとめて一気に洗濯機に放り込むのがどう考えても合理的だ。 で、私はそこにまさかのダメ出しをしようというのであります。 各々が手で洗う方が合理的? お父さんも、お母さんも、子供も、自分のものはそれぞれ自分でチマチマ洗おうと言いたいのだ。しかも「便利をやめる」の原則に沿うならば、洗濯機でなく手で洗おうと主張したい。念のため釘を刺しておくと、これは何かの修行でも根性論でもなく、その方が圧倒的に家事がラクになりますヨという親切なご提案である。極めて合理的な選択肢として、このことを強くお勧めしたいのである。 無論、なんで? ということになろうと思いますので、以下、順を追って説明させていただきます。 これほど便利なものが次々売り出される世の中なのに家事の負担がちっとも減らないのは、その根っこを掘っていけば、結局は、どこまでも暴走し続ける私たちの欲望が原因なのだ……ということをこれまで繰り返し説明させていただいた。 なぜなら、そのどこまでも欲深いご主人様の面倒をみる(家事をする)のは、よほどのお金持ちでもない限りは自分自身。なのでこの悪魔のからくりから脱出するには、まずは自らの欲望を制御すること、暮らしを小さくすることが一番シンプルで簡単かつ確実な解決方法なのだ。 ところがですね、このシンプルで簡単な解決方法を許さない存在がいるのだ。 それは「家族」というやつである。 写真はイメージです 「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
例えば洗濯をする時、お父さんとお母さんと子供の三人家族だとして、その中の誰かが三人分の洗濯をするのが現代では当たり前だ。問題になるとすれば「誰が」という部分であって、「誰かが」やることそのものに疑問が挟まれることなどまずないだろう。そりゃそうだ。
物事を効率的にやろうと思えば、分けてやるのでなく「まとめてやること」である。
誰かが全員分の洗濯物をまとめて一気に洗濯機に放り込むのがどう考えても合理的だ。
で、私はそこにまさかのダメ出しをしようというのであります。 各々が手で洗う方が合理的? お父さんも、お母さんも、子供も、自分のものはそれぞれ自分でチマチマ洗おうと言いたいのだ。しかも「便利をやめる」の原則に沿うならば、洗濯機でなく手で洗おうと主張したい。念のため釘を刺しておくと、これは何かの修行でも根性論でもなく、その方が圧倒的に家事がラクになりますヨという親切なご提案である。極めて合理的な選択肢として、このことを強くお勧めしたいのである。 無論、なんで? ということになろうと思いますので、以下、順を追って説明させていただきます。 これほど便利なものが次々売り出される世の中なのに家事の負担がちっとも減らないのは、その根っこを掘っていけば、結局は、どこまでも暴走し続ける私たちの欲望が原因なのだ……ということをこれまで繰り返し説明させていただいた。 なぜなら、そのどこまでも欲深いご主人様の面倒をみる(家事をする)のは、よほどのお金持ちでもない限りは自分自身。なのでこの悪魔のからくりから脱出するには、まずは自らの欲望を制御すること、暮らしを小さくすることが一番シンプルで簡単かつ確実な解決方法なのだ。 ところがですね、このシンプルで簡単な解決方法を許さない存在がいるのだ。 それは「家族」というやつである。 写真はイメージです 「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
で、私はそこにまさかのダメ出しをしようというのであります。
各々が手で洗う方が合理的? お父さんも、お母さんも、子供も、自分のものはそれぞれ自分でチマチマ洗おうと言いたいのだ。しかも「便利をやめる」の原則に沿うならば、洗濯機でなく手で洗おうと主張したい。念のため釘を刺しておくと、これは何かの修行でも根性論でもなく、その方が圧倒的に家事がラクになりますヨという親切なご提案である。極めて合理的な選択肢として、このことを強くお勧めしたいのである。 無論、なんで? ということになろうと思いますので、以下、順を追って説明させていただきます。 これほど便利なものが次々売り出される世の中なのに家事の負担がちっとも減らないのは、その根っこを掘っていけば、結局は、どこまでも暴走し続ける私たちの欲望が原因なのだ……ということをこれまで繰り返し説明させていただいた。 なぜなら、そのどこまでも欲深いご主人様の面倒をみる(家事をする)のは、よほどのお金持ちでもない限りは自分自身。なのでこの悪魔のからくりから脱出するには、まずは自らの欲望を制御すること、暮らしを小さくすることが一番シンプルで簡単かつ確実な解決方法なのだ。 ところがですね、このシンプルで簡単な解決方法を許さない存在がいるのだ。 それは「家族」というやつである。 写真はイメージです 「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
各々が手で洗う方が合理的?
お父さんも、お母さんも、子供も、自分のものはそれぞれ自分でチマチマ洗おうと言いたいのだ。しかも「便利をやめる」の原則に沿うならば、洗濯機でなく手で洗おうと主張したい。念のため釘を刺しておくと、これは何かの修行でも根性論でもなく、その方が圧倒的に家事がラクになりますヨという親切なご提案である。極めて合理的な選択肢として、このことを強くお勧めしたいのである。 無論、なんで? ということになろうと思いますので、以下、順を追って説明させていただきます。 これほど便利なものが次々売り出される世の中なのに家事の負担がちっとも減らないのは、その根っこを掘っていけば、結局は、どこまでも暴走し続ける私たちの欲望が原因なのだ……ということをこれまで繰り返し説明させていただいた。 なぜなら、そのどこまでも欲深いご主人様の面倒をみる(家事をする)のは、よほどのお金持ちでもない限りは自分自身。なのでこの悪魔のからくりから脱出するには、まずは自らの欲望を制御すること、暮らしを小さくすることが一番シンプルで簡単かつ確実な解決方法なのだ。 ところがですね、このシンプルで簡単な解決方法を許さない存在がいるのだ。 それは「家族」というやつである。 写真はイメージです 「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
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無論、なんで? ということになろうと思いますので、以下、順を追って説明させていただきます。 これほど便利なものが次々売り出される世の中なのに家事の負担がちっとも減らないのは、その根っこを掘っていけば、結局は、どこまでも暴走し続ける私たちの欲望が原因なのだ……ということをこれまで繰り返し説明させていただいた。 なぜなら、そのどこまでも欲深いご主人様の面倒をみる(家事をする)のは、よほどのお金持ちでもない限りは自分自身。なのでこの悪魔のからくりから脱出するには、まずは自らの欲望を制御すること、暮らしを小さくすることが一番シンプルで簡単かつ確実な解決方法なのだ。 ところがですね、このシンプルで簡単な解決方法を許さない存在がいるのだ。 それは「家族」というやつである。 写真はイメージです 「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
無論、なんで? ということになろうと思いますので、以下、順を追って説明させていただきます。
これほど便利なものが次々売り出される世の中なのに家事の負担がちっとも減らないのは、その根っこを掘っていけば、結局は、どこまでも暴走し続ける私たちの欲望が原因なのだ……ということをこれまで繰り返し説明させていただいた。 なぜなら、そのどこまでも欲深いご主人様の面倒をみる(家事をする)のは、よほどのお金持ちでもない限りは自分自身。なのでこの悪魔のからくりから脱出するには、まずは自らの欲望を制御すること、暮らしを小さくすることが一番シンプルで簡単かつ確実な解決方法なのだ。 ところがですね、このシンプルで簡単な解決方法を許さない存在がいるのだ。 それは「家族」というやつである。 写真はイメージです 「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
これほど便利なものが次々売り出される世の中なのに家事の負担がちっとも減らないのは、その根っこを掘っていけば、結局は、どこまでも暴走し続ける私たちの欲望が原因なのだ……ということをこれまで繰り返し説明させていただいた。
なぜなら、そのどこまでも欲深いご主人様の面倒をみる(家事をする)のは、よほどのお金持ちでもない限りは自分自身。なのでこの悪魔のからくりから脱出するには、まずは自らの欲望を制御すること、暮らしを小さくすることが一番シンプルで簡単かつ確実な解決方法なのだ。
ところがですね、このシンプルで簡単な解決方法を許さない存在がいるのだ。 それは「家族」というやつである。 写真はイメージです 「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
ところがですね、このシンプルで簡単な解決方法を許さない存在がいるのだ。
それは「家族」というやつである。
写真はイメージです 「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
写真はイメージです 「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
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「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
「私はいいんですよ。でも家族が…… 」 そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。 いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。 「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
そのことに気づいたのは、この私の今の暮らしぶりについて、人様に向けて講演(自慢)させていただいたことがきっかけであった。
いやネ、講演、自分で言うのもなんだが案外に好評なんですよ。江戸時代に戻ったような暮らしなんて皆様きっと拒否反応を引き起こすだろうと思いきやちっともそんなことはなく、興味津々で笑いながら耳を傾けてくださる。そればかりか講演後は「そんな生活、憧れます!」などとおっしゃる方々にガヤガヤ取り囲まれることだって少なくない。で、当然のことながら気を良くしていると、次に必ずといっていいほどこう言われるのであった。
「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」 ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」 なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
「でもまあ、実際にはとてもできませんけどネ……」
ここで、カクッとくるわけです。そ、そーなんスか……いやまあ、確かに冷蔵庫がないとか、毎日一汁一菜とか、さすがにちょっと地味すぎてハードルが高いですかねやっぱり……などと多少がっかりしていると、いやそうじゃありませんとのこと。「私はいいんですよ。でも家族が……」
なるほど、そうきましたか。 それを持ち出されると、弱い。 何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
なるほど、そうきましたか。
それを持ち出されると、弱い。
何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。 料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
何しろ当方ずーっと一人暮らし。一家の主婦などやったこと一度もなし。確かに言われてみれば、洗濯機などなくても毎日タライで手洗いすれば10分で洗濯終了というのは一人暮らしだからこそ言えることで、お父さんの下着やシャツ、子供の部活のユニフォームなど洗うとなったら、タライ一個なんて冗談じゃないですよね。
料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。 なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
料理だって、自分一人なら一汁一菜で満足だとしても、家族のブーイングを無視してそれを押し通すとなれば、最悪、一家離散の危機に陥るかもしれない。私とてそこまで責任は持てぬ。
なぜお母さんが全員分を洗う? それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
なぜお母さんが全員分を洗う?
それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。 でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
それを思うと、そのような家族持ちの方々に対していかにも配慮が足りない無責任な提案をしてしまったと反省するのであった。なので最近では必ず、講演の中で「ま、独身だからできることですけどネ!」という一言を添えるようにしている。
でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。 なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか? そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
でもですね、あまりにも毎回同じことを言われるわけです。
なのでちょっと真面目に考えてみた。これって本当に「家族がいるから無理」なことなのだろうか?
そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。 みな、自分のものは自分で洗えば良いではないか。洗濯なんぞ大したスキルがなくとも大人でも子供でもできることだ。何しろ生まれてこのかた100%洗濯機頼みだった私だって、50の手習いで今や日々タライ一個で問題なく洗えるんである。 さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
そもそもなぜ、お母さんが当然のように家族全員の洗濯物を洗っているのだろう。
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さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。 ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。 写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
さらに言えば、これは別に特殊な提案というわけでもなくて、我が親の世代が子供の頃は、自分の汚れ物は風呂に入るついでに風呂の湯で洗うのが普通だったそうだ。老親曰く「結構楽しかった」とのこと。
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ウン、その気持ち、今の私にはよくわかります。その日の自分の汚れ物を自分の手ですっきり洗うって、なんか一日がリセットされるような、その日の嫌なことが汚れとともに流されていくような感じがするんですよね。
写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
写真はイメージです 分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
写真はイメージです
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分担という名の丸投げ そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。 掃除だって、お母さん一人が全部の部屋を掃除するから大変だし腹も立つんであって、お父さんも子供も自分が散らかしたものは自分で片付け、自分が汚したものは自分で掃いたり拭いたりすれば、実は全く大変なことでもないし、各々の精神衛生上もいい。 なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
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そうなのだ自分のことを自分でやるって、実は自分の心身の健康のためにとっても大事なことなのだ。
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なのに、なぜそうしないのか。家族が一緒に暮らしているからといって、なぜ家事を「分担」して、誰かが全員分のものをまとめてやらなきゃいかんのか。 「効率的」だから? いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
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いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。 つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
いや実はここにはワナがあって、現実は決してそうとはいえないのではないでしょうか。分担といえば聞こえはいいが、各種調査を見れば現実にはお母さんが多くを引き受けている場合がほとんどで、結局お母さん以外のメンバーは自分の後始末を他人に丸投げしてるんである。
つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。 前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
つまりは、お母さん以外のメンバーは全員がワガママな王様お姫様王子様状態、やりたい放題欲望全開。だらしなく欲望を垂れ流し、とどまるところを知らない。
前に書いたように、これが「自分で自分の家事をする」人、すなわち自分が姫と使用人の一人二役をしなけりゃならない人であればその欲望の恐ろしさも実感できようが、自分のケツを他人に拭かせている輩は底に大穴の空いたバケツである。「今日のご飯なに~」「えー、今日もナベ? 最近手抜きなんじゃないの~」などとのたまうあなたは何様か。念のため教えてさしあげれば何様でもないのですよ。ただの凡人です。 なのにそれにも気づかない。このような残念な方々に取り囲まれているがゆえ、そのような方々の一方的使用人と化したお母さんの家事負担とモヤモヤ感はとどまるところを知らないのである。 つまりはですね、「家事の分担」なんぞしている限りは、お母さんのひどすぎる家事負担はどこまで行ったってなくなりはしないのだ。 写真はイメージです 家事を他人任せにした人の末路 というわけで、あえて声を大にして言いたい。 家事の分担、もうやめませんかと。 決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
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というわけで、あえて声を大にして言いたい。
家事の分担、もうやめませんかと。
決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。 家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
決して非現実的な提案ではないと私は思う。高度に発達した文明社会に暮らす我々は、狩猟時代みたいに一から火をおこして肉を焼いたり、動物の毛皮をなめして衣服を手作りしたり、江戸時代みたいに重たい着物を洗濯したりしてるわけじゃない。
家にはガスコンロもあるし、衣類だって軽くて乾きやすいものばかり。自分の身の回りのことを自分でちゃっちゃとするくらい、全部合わせてもせいぜい40分ってことは私が証明済みである。 もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
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もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。 でも実は、家事分担をやめて最も恩恵を受けるのは、その人たちなのであります。 家事分担を誰かに押し付けている人たちは、決してラッキーな存在ではない。それどころか結局は最も大きなツケを払う方々である。 家事のできない定年後の男性が、何もせず家にいて「メシ」「フロ」などとのたまい、妻にウザがられ呆れられ身の置き所をなくすというのは有名な話だ。人生100年時代となった現代において、これは間違いなく生き地獄そのものであろう。 それでも妻がいるうちはまだ幸福である。私は新聞記者時代の取材で、元は社会的地位もありブイブイいわせていた人が、妻に先立たれた途端に家も着るものも表情も、なんともいたたまれない感じに崩れ落ちていくのを何度か目撃し衝撃を受けた。 それは実にやるせない光景だった。最終的に人を支えるのは「金でも名誉でもなく家事力」なんだと強く心に刻んだことである。 写真はイメージです 『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
もちろん、このようなことを実行しようとすれば、最大の抵抗勢力は現在、家事を分担してもらっている人、つまりは多くの場合、夫やお子様方ということになるだろう。
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『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス) 稲垣えみ子 (著) 発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
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稲垣えみ子 (著)
発売日 : 2023年5月25日 価格:1,650円(税込) 単行本(ソフトカバー) : 272ページ ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
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単行本(ソフトカバー) : 272ページ
ISBN: 4838732414 自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
4838732414
自分の面倒を自分でみる これがほんとうの お金に頼らない生き方 今の私の目標は、最後まで幸せに生きること、 すなわち死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことだ。 そのためには身の丈にあった暮らしをすればいい。 歳をとり体が動かなくなったら、食べるものも、着る物も、住まいも、持ち物も、どんどん小さくしていくだけ。 そう考えたら安心だ。 だって増やすことは難しくとも、減らすことなら誰だって実現可能だから。 デフレ・インフレ・不況災害・老後もなんのその 一人一家事の提案。それで全員が確実に救われる! 人生100年時代のまさかの出口戦略
自分の面倒を自分でみる
これがほんとうの
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