2001年6月に大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)で起きた児童殺傷事件は、8日で発生から22年となった。
当時2年生で、仲良しだった友だちが犠牲になった渡辺怜奈さん(29)は、事件後に学校を慰問したサッカーJ1・ガンバ大阪の選手らに元気づけられた経験からチームのファンになり、今は運営会社の社員として働く。事件のことは忘れられないが、「スポーツを通じて人を笑顔にしたい。友だちのためにも、前を向いて生きていく」と誓う。(斎藤七月)
あの日、渡辺さんは校舎1階の教室にいた。叫び声を上げながら教室に入ってきた男とぶつかった。手には刃物が見えた。「逃げなきゃ」。階段を駆け上がった。何が起きたのか分からないまま帰宅したが、数日後、報道で児童8人が亡くなったことを知った。犠牲になった児童の中に、幼なじみの女児の名前があった。
家が近く、同じ幼稚園に通った。小学校も毎日、バスと電車を乗り継いで一緒に登下校した。泣き虫だった自分を、いつも励ましてくれていたのに、「もう会えないんだ」――。そう思うと、涙が止まらなかった。
学校が再開されても、寂しさは消えなかった。登校できなくなった児童もおり、学校全体の雰囲気が暗かった。そんな時、元気づけてくれたのがガンバ大阪などのJリーグの選手だった。
学校で開かれたサッカー教室では、ガンバ大阪の現役選手だった宮本恒靖さんらが「頑張ろう」と声をかけてくれた。サッカーに興味を持ったことはなかったが、招待されて競技場に応援に行くと、気持ちが明るくなった。気がつけば、チームのファンになっていた。
ある時、母親から「くよくよしていても、友だちは喜ばないと思うよ」と言われた。つらいことがあって落ち込んだ自分を、「まだ泣いてるの」と心配してくれた女児の姿が浮かんだ。「いつまでも悲しんでいては、いけない」。次第に、日常を取り戻していった。
京都の大学に通っていた時は、ガンバ大阪のボランティアスタッフ「ガンバガール」も務めた。試合開催時、選手と手をつないで入場する子どもを先導したり、ハーフタイムに観客に手を振ったりして盛り上げた。
大学卒業後、航空会社に就職し、客室乗務員の仕事をしていた。しかし、耳の不調で飛行機に乗れなくなり、2017年に「人を笑顔にできるスポーツの仕事に関わろう」と、ガンバ大阪に転職した。
子どもを対象にしたイベントを開催する時には、小学生の自分が励まされたことを思い出し、「子どもたちの記憶に残る一日にしたい」と願う。19年には、選手たちが地元小学校の児童と交流する活動に携わり、スタッフとして初めて母校を訪問。目を輝かせる子どもたちの姿に、「自分も笑顔を届けられる側になれた」と胸がいっぱいになった。
毎年、6月8日は、できるだけ池田小に足を運ぶ。「友だちが生きていたことを忘れたくないから」。ガンバ大阪に転職後は欠かしたことがなく、今年も、教室があった場所で幼なじみに報告するつもりだ。「支えられてきた分、恩返しできるように頑張っているよ」