「情報求む」本土復帰から51年、沖縄で新たに見つかった少女の遺骨

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沖縄が日本に返還されてから半世紀が経つが、今もなお、時が止まったかのように、光の届かない暗闇がある。沖縄県糸満市の鬱蒼(うっそう)とした森の奥。岩に囲まれた、かつて旧日本軍の陣地が張られた場所から、ボランティア団体の手によって戦没者9人の遺骨が見つかった。DNA鑑定の結果、そのうちの2体は、女性であることがこのほど判明した。
【写真を見る】並べられた遺骨が物語るのは無念か苦しみか この陣地壕は、当時、沖縄守備隊の歩兵第32連隊第1大隊が使っていたもの。生き残った将兵らによると、糸満港に上陸してくる米軍を迎え撃つために設営され、1945年8月末に武装解除されるまで、十数人の兵士が立てこもって、抵抗を続けていたという。

遺骨の傍らで見つかった弁当箱少女の可能性が高い 遺骨の発掘を続けるボランティア団体の代表で、報道写真家の夫とともに活動するジャーナリスト・浜田律子氏は、「発掘された9体分の骨は、令和2~3年にかけて見つかりました。その後、身元特定の調査を厚労省に依頼し、ようやく今春になって、遺骨からDNAの抽出に成功したとの一報が届いたのです」 と話す。 DNA鑑定によって分かったのは、遺骨からサンプリングされた2人分の性染色体が女性だったということ。さらに骨の成熟度などから、うち1名は少女の可能性が高いと判明したのである。「戦闘部隊の駐留した壕で見つかった骨が、女性のものだと特定される例は極めてまれです。発掘時、少女と思われる骨の脇から、花柄の弁当箱が見つかっていました。これが彼女の所持品だったとすると、遺骨は民間人の母子や祖母と孫とも考えられます」(同)沖縄県民からの問い合わせはわずか3件 ボランティア団体は、遺骨を遺族へ返すため、部隊関係者や地元の自治会などに呼びかけ、遺族に該当する可能性のある人々のDNA鑑定申請を募っている。 ところが、適合検査は難航しているのだという。「第32連隊に所属した東北や北海道出身者の遺族からは40件近い申し出がありますが、沖縄県民からは3件です。遺族側の検体がない限り、適合検査は不可能。心当たりのある方は一人でも多く名乗り出てほしい」(同) DNA型が一致し、家族の元へ帰れた沖縄出身者の遺骨は、残念なことに過去まだ一例もないそうだ。 遺骨の主の無念を思うといたたまれない。撮影・浜田哲二(問い合わせ先)厚労省・戦没者遺骨鑑定推進室(03‐3595‐2219)。「週刊新潮」2023年5月25日号 掲載
この陣地壕は、当時、沖縄守備隊の歩兵第32連隊第1大隊が使っていたもの。生き残った将兵らによると、糸満港に上陸してくる米軍を迎え撃つために設営され、1945年8月末に武装解除されるまで、十数人の兵士が立てこもって、抵抗を続けていたという。
遺骨の発掘を続けるボランティア団体の代表で、報道写真家の夫とともに活動するジャーナリスト・浜田律子氏は、
「発掘された9体分の骨は、令和2~3年にかけて見つかりました。その後、身元特定の調査を厚労省に依頼し、ようやく今春になって、遺骨からDNAの抽出に成功したとの一報が届いたのです」
と話す。
DNA鑑定によって分かったのは、遺骨からサンプリングされた2人分の性染色体が女性だったということ。さらに骨の成熟度などから、うち1名は少女の可能性が高いと判明したのである。
「戦闘部隊の駐留した壕で見つかった骨が、女性のものだと特定される例は極めてまれです。発掘時、少女と思われる骨の脇から、花柄の弁当箱が見つかっていました。これが彼女の所持品だったとすると、遺骨は民間人の母子や祖母と孫とも考えられます」(同)
ボランティア団体は、遺骨を遺族へ返すため、部隊関係者や地元の自治会などに呼びかけ、遺族に該当する可能性のある人々のDNA鑑定申請を募っている。
ところが、適合検査は難航しているのだという。
「第32連隊に所属した東北や北海道出身者の遺族からは40件近い申し出がありますが、沖縄県民からは3件です。遺族側の検体がない限り、適合検査は不可能。心当たりのある方は一人でも多く名乗り出てほしい」(同)
DNA型が一致し、家族の元へ帰れた沖縄出身者の遺骨は、残念なことに過去まだ一例もないそうだ。
遺骨の主の無念を思うといたたまれない。
撮影・浜田哲二
(問い合わせ先)厚労省・戦没者遺骨鑑定推進室(03‐3595‐2219)。
「週刊新潮」2023年5月25日号 掲載

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