「政治家は死を覚悟しなければいけない」亀井静香氏が語る、岸田首相襲撃事件から見えた「令和のテロ」の恐ろしさ

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4月15日、和歌山市の漁港で岸田文雄総理が選挙演説中、爆発物を投げ込まれる事件が発生した。安倍晋三元総理が凶弾に倒れてからわずか9ヵ月、またしても政治家を狙う事件が起きてしまった。令和は「テロの時代」になりつつあるのか。警察庁警備局時代にテロやゲリラ事件の統括責任者として数々の事件を担当、’21年に刊行された『永田町動物園 日本をダメにした101人』も話題を呼んだ亀井静香氏に、今回の事件についての見解を聞いた。昔のテロとは違ってきた今回、岸田がテロにあったが、一人前の総理になりかけたという証拠だ。過去を振り返ってみても、国のリーダーたちはテロに狙われてきた。1909年に伊藤博文元首相が銃撃されて以降、原敬首相が東京駅で男に刺され、浜口雄幸首相も銃撃されて重傷を負った。その後も犬養毅首相が官邸内で青年将校たちに銃撃された五・一五事件も起きたし、戦後では岸信介首相も官邸内で刺されたことがある。そして昨年7月には(安倍)晋三が銃撃されて亡くなってしまった。

歴史を遡れば、大物になる政治家たちがテロの犠牲になってきた。今回、岸田もテロにあったが、それは一人前の総理になりかけたという事なんだ。しかし、今回のテロは昔のテロとは違ってきたな。photo by gettyimages 俺は「三菱重工ビル爆破事件」や「土田警視庁警務部長宅・小包爆弾事件」、「あさま山荘事件」や、「テルアビブ空港乱射事件」など、数多くのテロ事件や過激派が起こす事件に関わってきた。昔のテロは左翼思想を信奉している連中が起こすものだったし、70年代の安保闘争や学生運動などは政治的な闘争だったんだ。いずれも組織や団体を通じてテロという意思表示をしてきた。個人で動くテロは防ぎようがないところが今は、単独テロが起こっている。労働組合も反権力ではなく御用組合だし、野党も猫みたいにおとなしい。あれでは野党とは言えない。昔であれば組織や団体が権力と闘っていたが、今はそれらの力が弱くなっている。本来は、組織や団体がうっ積している個人の不満の受け皿となり、権力に対して意思表示するものだった。だが今はその受け皿がないから、個人でテロを起こすしかないと考えてしまう。不満を持っている者が単独でテロ行為を行い、意思表示する時代になったんだ。 組織や団体が企んでいるテロは、対策しやすかった。情報がこちら側に漏れてきたり、追い詰める方法があったからだ。昔のように組織や団体でテロ行為を企んでいるときは、事前に動きが分かるから警備しようがあった。一方、個人で動くテロは防ぎようがない。なぜなら個人が命をかけてやるテロは防げないからだ。今回の犯人も捕まってもいいという覚悟で犯行に及んでいたと思う。今後も単独でテロ行為を起こす事件は増えていくし、それを止める術はない。例えば集団で泥棒をするのは簡単に捕まえられるが、個人でねずみ小僧をするとなかなか捕まえるのは難しい。これと同じことだ。どんなに警備を厚くしたとしても、個々の気持ちや行動を事前に把握するのは不可能だ。「民衆の気持ちを受け止める政治家」の条件これからも晋三や岸田が狙われたように、政治家へのテロ行為は続くだろう。今の日本は「孤独なテロ行為」が起こる時代に入ってきたということだ。俺も警察にいたから分かるけど、確信犯から防ぐことは無理だ。いくら金属探知機を導入しようが、SPの数を増やそうが何の意味もない。しかも今回の事件で使われたパイプ爆弾なんていうのは、インターネットを見たり、理科の授業レベルがあれば誰でも作れるものだ。これからは素人がそういう物を作れるのが当たり前の時代になっていくんだ。 事件翌日、岸田は群衆の中でグータッチして、逃げるそぶりを見せなかった。そういう意味では偉いと思う。本来、政治家は死ぬ覚悟でやるものだ。そうでない奴は政治家になったら駄目だ。これからの二世、三世は「親が政治家をやってたから、政治家をやります」ということではやっていけない。死ぬのが怖い者は政治家をやらなければいい。政治家は死を覚悟しなければいけない。警備を厚くして安全、安全と言っていたら、民衆と離れないといけなくなる。それは政治活動とは言えない。俺は自分から群衆の中に入っていったし、いつ殺されてもいいという覚悟を持って政治家をつとめていた。そうじゃないと民衆の気持ちを受け止める政治家にはなれない。取材・文/安藤健二(週刊現代)
4月15日、和歌山市の漁港で岸田文雄総理が選挙演説中、爆発物を投げ込まれる事件が発生した。安倍晋三元総理が凶弾に倒れてからわずか9ヵ月、またしても政治家を狙う事件が起きてしまった。
今回、岸田がテロにあったが、一人前の総理になりかけたという証拠だ。過去を振り返ってみても、国のリーダーたちはテロに狙われてきた。
1909年に伊藤博文元首相が銃撃されて以降、原敬首相が東京駅で男に刺され、浜口雄幸首相も銃撃されて重傷を負った。その後も犬養毅首相が官邸内で青年将校たちに銃撃された五・一五事件も起きたし、戦後では岸信介首相も官邸内で刺されたことがある。そして昨年7月には(安倍)晋三が銃撃されて亡くなってしまった。
歴史を遡れば、大物になる政治家たちがテロの犠牲になってきた。今回、岸田もテロにあったが、それは一人前の総理になりかけたという事なんだ。
しかし、今回のテロは昔のテロとは違ってきたな。
photo by gettyimages
俺は「三菱重工ビル爆破事件」や「土田警視庁警務部長宅・小包爆弾事件」、「あさま山荘事件」や、「テルアビブ空港乱射事件」など、数多くのテロ事件や過激派が起こす事件に関わってきた。昔のテロは左翼思想を信奉している連中が起こすものだったし、70年代の安保闘争や学生運動などは政治的な闘争だったんだ。いずれも組織や団体を通じてテロという意思表示をしてきた。個人で動くテロは防ぎようがないところが今は、単独テロが起こっている。労働組合も反権力ではなく御用組合だし、野党も猫みたいにおとなしい。あれでは野党とは言えない。昔であれば組織や団体が権力と闘っていたが、今はそれらの力が弱くなっている。本来は、組織や団体がうっ積している個人の不満の受け皿となり、権力に対して意思表示するものだった。だが今はその受け皿がないから、個人でテロを起こすしかないと考えてしまう。不満を持っている者が単独でテロ行為を行い、意思表示する時代になったんだ。 組織や団体が企んでいるテロは、対策しやすかった。情報がこちら側に漏れてきたり、追い詰める方法があったからだ。昔のように組織や団体でテロ行為を企んでいるときは、事前に動きが分かるから警備しようがあった。一方、個人で動くテロは防ぎようがない。なぜなら個人が命をかけてやるテロは防げないからだ。今回の犯人も捕まってもいいという覚悟で犯行に及んでいたと思う。今後も単独でテロ行為を起こす事件は増えていくし、それを止める術はない。例えば集団で泥棒をするのは簡単に捕まえられるが、個人でねずみ小僧をするとなかなか捕まえるのは難しい。これと同じことだ。どんなに警備を厚くしたとしても、個々の気持ちや行動を事前に把握するのは不可能だ。「民衆の気持ちを受け止める政治家」の条件これからも晋三や岸田が狙われたように、政治家へのテロ行為は続くだろう。今の日本は「孤独なテロ行為」が起こる時代に入ってきたということだ。俺も警察にいたから分かるけど、確信犯から防ぐことは無理だ。いくら金属探知機を導入しようが、SPの数を増やそうが何の意味もない。しかも今回の事件で使われたパイプ爆弾なんていうのは、インターネットを見たり、理科の授業レベルがあれば誰でも作れるものだ。これからは素人がそういう物を作れるのが当たり前の時代になっていくんだ。 事件翌日、岸田は群衆の中でグータッチして、逃げるそぶりを見せなかった。そういう意味では偉いと思う。本来、政治家は死ぬ覚悟でやるものだ。そうでない奴は政治家になったら駄目だ。これからの二世、三世は「親が政治家をやってたから、政治家をやります」ということではやっていけない。死ぬのが怖い者は政治家をやらなければいい。政治家は死を覚悟しなければいけない。警備を厚くして安全、安全と言っていたら、民衆と離れないといけなくなる。それは政治活動とは言えない。俺は自分から群衆の中に入っていったし、いつ殺されてもいいという覚悟を持って政治家をつとめていた。そうじゃないと民衆の気持ちを受け止める政治家にはなれない。取材・文/安藤健二(週刊現代)
俺は「三菱重工ビル爆破事件」や「土田警視庁警務部長宅・小包爆弾事件」、「あさま山荘事件」や、「テルアビブ空港乱射事件」など、数多くのテロ事件や過激派が起こす事件に関わってきた。
昔のテロは左翼思想を信奉している連中が起こすものだったし、70年代の安保闘争や学生運動などは政治的な闘争だったんだ。いずれも組織や団体を通じてテロという意思表示をしてきた。
ところが今は、単独テロが起こっている。労働組合も反権力ではなく御用組合だし、野党も猫みたいにおとなしい。あれでは野党とは言えない。
昔であれば組織や団体が権力と闘っていたが、今はそれらの力が弱くなっている。本来は、組織や団体がうっ積している個人の不満の受け皿となり、権力に対して意思表示するものだった。だが今はその受け皿がないから、個人でテロを起こすしかないと考えてしまう。不満を持っている者が単独でテロ行為を行い、意思表示する時代になったんだ。
組織や団体が企んでいるテロは、対策しやすかった。情報がこちら側に漏れてきたり、追い詰める方法があったからだ。昔のように組織や団体でテロ行為を企んでいるときは、事前に動きが分かるから警備しようがあった。一方、個人で動くテロは防ぎようがない。なぜなら個人が命をかけてやるテロは防げないからだ。今回の犯人も捕まってもいいという覚悟で犯行に及んでいたと思う。今後も単独でテロ行為を起こす事件は増えていくし、それを止める術はない。例えば集団で泥棒をするのは簡単に捕まえられるが、個人でねずみ小僧をするとなかなか捕まえるのは難しい。これと同じことだ。どんなに警備を厚くしたとしても、個々の気持ちや行動を事前に把握するのは不可能だ。「民衆の気持ちを受け止める政治家」の条件これからも晋三や岸田が狙われたように、政治家へのテロ行為は続くだろう。今の日本は「孤独なテロ行為」が起こる時代に入ってきたということだ。俺も警察にいたから分かるけど、確信犯から防ぐことは無理だ。いくら金属探知機を導入しようが、SPの数を増やそうが何の意味もない。しかも今回の事件で使われたパイプ爆弾なんていうのは、インターネットを見たり、理科の授業レベルがあれば誰でも作れるものだ。これからは素人がそういう物を作れるのが当たり前の時代になっていくんだ。 事件翌日、岸田は群衆の中でグータッチして、逃げるそぶりを見せなかった。そういう意味では偉いと思う。本来、政治家は死ぬ覚悟でやるものだ。そうでない奴は政治家になったら駄目だ。これからの二世、三世は「親が政治家をやってたから、政治家をやります」ということではやっていけない。死ぬのが怖い者は政治家をやらなければいい。政治家は死を覚悟しなければいけない。警備を厚くして安全、安全と言っていたら、民衆と離れないといけなくなる。それは政治活動とは言えない。俺は自分から群衆の中に入っていったし、いつ殺されてもいいという覚悟を持って政治家をつとめていた。そうじゃないと民衆の気持ちを受け止める政治家にはなれない。取材・文/安藤健二(週刊現代)
組織や団体が企んでいるテロは、対策しやすかった。情報がこちら側に漏れてきたり、追い詰める方法があったからだ。昔のように組織や団体でテロ行為を企んでいるときは、事前に動きが分かるから警備しようがあった。
一方、個人で動くテロは防ぎようがない。なぜなら個人が命をかけてやるテロは防げないからだ。
今回の犯人も捕まってもいいという覚悟で犯行に及んでいたと思う。今後も単独でテロ行為を起こす事件は増えていくし、それを止める術はない。例えば集団で泥棒をするのは簡単に捕まえられるが、個人でねずみ小僧をするとなかなか捕まえるのは難しい。これと同じことだ。どんなに警備を厚くしたとしても、個々の気持ちや行動を事前に把握するのは不可能だ。
これからも晋三や岸田が狙われたように、政治家へのテロ行為は続くだろう。今の日本は「孤独なテロ行為」が起こる時代に入ってきたということだ。俺も警察にいたから分かるけど、確信犯から防ぐことは無理だ。いくら金属探知機を導入しようが、SPの数を増やそうが何の意味もない。
しかも今回の事件で使われたパイプ爆弾なんていうのは、インターネットを見たり、理科の授業レベルがあれば誰でも作れるものだ。これからは素人がそういう物を作れるのが当たり前の時代になっていくんだ。
事件翌日、岸田は群衆の中でグータッチして、逃げるそぶりを見せなかった。そういう意味では偉いと思う。本来、政治家は死ぬ覚悟でやるものだ。そうでない奴は政治家になったら駄目だ。これからの二世、三世は「親が政治家をやってたから、政治家をやります」ということではやっていけない。死ぬのが怖い者は政治家をやらなければいい。政治家は死を覚悟しなければいけない。警備を厚くして安全、安全と言っていたら、民衆と離れないといけなくなる。それは政治活動とは言えない。俺は自分から群衆の中に入っていったし、いつ殺されてもいいという覚悟を持って政治家をつとめていた。そうじゃないと民衆の気持ちを受け止める政治家にはなれない。取材・文/安藤健二(週刊現代)
事件翌日、岸田は群衆の中でグータッチして、逃げるそぶりを見せなかった。そういう意味では偉いと思う。本来、政治家は死ぬ覚悟でやるものだ。そうでない奴は政治家になったら駄目だ。これからの二世、三世は「親が政治家をやってたから、政治家をやります」ということではやっていけない。死ぬのが怖い者は政治家をやらなければいい。
政治家は死を覚悟しなければいけない。警備を厚くして安全、安全と言っていたら、民衆と離れないといけなくなる。それは政治活動とは言えない。俺は自分から群衆の中に入っていったし、いつ殺されてもいいという覚悟を持って政治家をつとめていた。そうじゃないと民衆の気持ちを受け止める政治家にはなれない。
取材・文/安藤健二(週刊現代)

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