「バス運転手の過失はなかった」有罪率99.9%をひっくり返した“奇跡の刑事裁判” 交通事故鑑定人が見つけた「警察の穴」とは

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「自殺なんかじゃない!」幼子を抱えた母親が勝ち取った“保険金1億円”と“夫の転落事故の真相”《交通事故鑑定人の執念「自分が自殺するつもりで…」》 から続く
交通事故を取り巻くあらゆるトラブル――。車両同士であれば過失の割合について争いになり、保険会社相手に保険金支払いをめぐる争いも頻発する。そこには人間ドラマが渦巻き、時には億を超える金が動くこともある。
【画像】「フロントガラスが割れ車体はボロボロ」バス事故の現場写真
そんなトラブルを解決に導いているのが、千葉市で「交通事故調査解析事務所」を営む交通事故鑑定人・熊谷宗徳氏。熊谷氏は元警察官で、千葉県警の交通畑を20年以上歩んだ経験がある。その知見を活かし、警察が作成した実況見分調書や、ドライブレコーダーなどに残されたデータを頼りに事故を分析し、これまで300本以上の「交通事故鑑定書」を法廷などに提出してきた(#1、#2)。
「ただ、受けている仕事は民事と刑事で98対2くらいの割合で、ほとんどが民事訴訟です。しかし鑑定人になって7年ほどで、これまで20件程度の刑事訴訟も扱ってきました。古巣でもある警察と争うのは、精神的にも負担は大きいのであまりやりたくないのですが……」
熊谷氏はそう苦笑するように、刑事裁判をたたかうのは容易なことではない。
「自分も警察官だったからわかりますが、有罪率99.9%は伊達じゃない。警察が間違えるケースはほとんどありません。しかし、警察は一度『これは罪に問うべきだ』と決めてしまうと、覆すことができなくなります。無罪事件を作ってしまうのが一番評価を下げてしまいますからね。起訴後の検察も一緒だと思います。よくよく調べてみると、違ったというケースは人間ですしあり得ますが、無理にでも押し通そうとしてしまうことも時折あるんです」
※写真はイメージです iStock.com
かつて、こういう事故があった。
2013年8月、北海道白老町の高速道路でバスが中央分離帯にぶつかった後に横転。幸い死者は出なかったが、乗客ら13人が骨折などの重軽傷を負った。運転手の男性は事件発生当初から「ハンドルをとられた」などと車体の異常を訴えていた。しかし2015年9月、検察は「車体に異常は無かった。運転手が前方を注視しないでハンドル操作を誤った」として男性を起訴した。
「男性の弁護士から相談を受け、大学教授の鑑定人の方とともに参加しました。分厚い事故資料を読んで、私が目をつけたのが乗客の供述。『事故の直前にガタンっていう音がした』というものがあったんです。
さらに弁護士の先生がとても熱心で、事故発生直後に横転したバスの写真を何百枚も撮っていた。車体が、すごく錆びていたんです。さらに路面にはガウジ痕という金属がドンとぶつかりえぐれた痕跡もありました。車の下部が事故前に落下してついたものでした」
「これは運転手の過失ではないな」 熊谷氏はそう確信したが、裁判は長期にわたった。裁判は2015年11月に始まったが、車体異常の有無について争点を明らかにするため、2年以上中断することもあった。刑事事件で“奇跡の完全無罪”「見つけた警察の穴」 熊谷氏ら弁護側は、正常な車体では考えられない形で残されたタイヤ痕などから、車体の異常を立証。検察側は、自動車メーカーの職員を証人として呼ぶなど徹底的に争ったが、バス車体に異常があったことは明らかだった。起訴当初、検察側はバス車体の異常を認めていなかったが、裁判途中に「異常はあったが、操作ができないほどではなく、ただちに停車するべきだった」と起訴理由を追加するなど混迷を極めた。 そして初公判から3年4カ月後。運転手に「バスの部品破断により安定的なハンドル操作ができず、過失は無かった」として無罪判決が言い渡された。「ただ無罪を勝ち取れることは滅多にありません。私自身これまで20件ほどの刑事事件を扱いましたが、完全に無罪になったのはこの一件のみです。捜査側に何か問題があり得るものしか仕事を受けていなくてもこの程度なので、基本的に警察は負けません。 しかし、この件では『運転手の過失であってほしい』という深層心理が警察に働いたのかもしれません。私自身も警察官だったので分かるのですが、文系人間が多い中で車体異常について捜査するには、メーカーに行って車体の調査をしたりする必要もあり大変なんです。しかも起訴後に無罪になっては一大事ですから、苦手な分野でもミスは絶対に許されない。躊躇してしまう気持ちもわからなくはありません」鑑定は一律料金「被害者らの名誉をはらしたい」 熊谷氏のもとには全国から依頼が殺到している。さぞや忙しいだろうと思うが、大部分の依頼は受けられないという。「ありがたいことに思った以上に相談は来ます。それだけ事故に巻き込まれて困っている人がたくさんいるということでしょう。ただ、実況見分調書から読み取れる事実以外は書けませんので、『こうゆう鑑定を書いてほしい』と依頼いただいても事実と異なっていればお断りすることが多いんです。中には、依頼通りの鑑定をそれっぽく書く鑑定人もいますが(笑)」 交通事故をめぐる訴訟で動く金額は大きいが、鑑定料は一律同じ料金だという。「やることは一緒ですし、現地に行くと多少お金もかかりますが、そんなに金がかからないのが鑑定なんです(笑)。相談があると、受ける前に資料に目を通した上でこのようなことが読み取れこのような主張ができると推察される、という事前所見書を無料で書いています。それで思い通りにならないと思った人は、仕事を依頼してこないですね」 熊谷氏の事務所に鑑定の依頼がやむことはない。「ドラレコなどの普及で調査もしやすくなっています。保険会社は嘘がつけなくて困っているでしょうが(笑)。それでもやはり鑑定は難しいです。理系的な知識が必要になりますし。これだけ長くやっていても常識を覆されるというか、新しい発見だってあります。 そして福島の転落事故のように、人から感謝されることが何よりもやりがいですね。事故で亡くなった奥さんの名誉をはらしたいから、鑑定してくれと高齢の方に頼まれたことがありました。その方は鑑定書を『宝物にする』と言ってくれ、今もたまに電話を頂きます。そのような方に出会えるのもこの仕事の醍醐味です」 熊谷氏の交通事故鑑定の背景には数々のドラマがありそうだ。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
「これは運転手の過失ではないな」
熊谷氏はそう確信したが、裁判は長期にわたった。裁判は2015年11月に始まったが、車体異常の有無について争点を明らかにするため、2年以上中断することもあった。
熊谷氏ら弁護側は、正常な車体では考えられない形で残されたタイヤ痕などから、車体の異常を立証。検察側は、自動車メーカーの職員を証人として呼ぶなど徹底的に争ったが、バス車体に異常があったことは明らかだった。起訴当初、検察側はバス車体の異常を認めていなかったが、裁判途中に「異常はあったが、操作ができないほどではなく、ただちに停車するべきだった」と起訴理由を追加するなど混迷を極めた。
そして初公判から3年4カ月後。運転手に「バスの部品破断により安定的なハンドル操作ができず、過失は無かった」として無罪判決が言い渡された。「ただ無罪を勝ち取れることは滅多にありません。私自身これまで20件ほどの刑事事件を扱いましたが、完全に無罪になったのはこの一件のみです。捜査側に何か問題があり得るものしか仕事を受けていなくてもこの程度なので、基本的に警察は負けません。 しかし、この件では『運転手の過失であってほしい』という深層心理が警察に働いたのかもしれません。私自身も警察官だったので分かるのですが、文系人間が多い中で車体異常について捜査するには、メーカーに行って車体の調査をしたりする必要もあり大変なんです。しかも起訴後に無罪になっては一大事ですから、苦手な分野でもミスは絶対に許されない。躊躇してしまう気持ちもわからなくはありません」鑑定は一律料金「被害者らの名誉をはらしたい」 熊谷氏のもとには全国から依頼が殺到している。さぞや忙しいだろうと思うが、大部分の依頼は受けられないという。「ありがたいことに思った以上に相談は来ます。それだけ事故に巻き込まれて困っている人がたくさんいるということでしょう。ただ、実況見分調書から読み取れる事実以外は書けませんので、『こうゆう鑑定を書いてほしい』と依頼いただいても事実と異なっていればお断りすることが多いんです。中には、依頼通りの鑑定をそれっぽく書く鑑定人もいますが(笑)」 交通事故をめぐる訴訟で動く金額は大きいが、鑑定料は一律同じ料金だという。「やることは一緒ですし、現地に行くと多少お金もかかりますが、そんなに金がかからないのが鑑定なんです(笑)。相談があると、受ける前に資料に目を通した上でこのようなことが読み取れこのような主張ができると推察される、という事前所見書を無料で書いています。それで思い通りにならないと思った人は、仕事を依頼してこないですね」 熊谷氏の事務所に鑑定の依頼がやむことはない。「ドラレコなどの普及で調査もしやすくなっています。保険会社は嘘がつけなくて困っているでしょうが(笑)。それでもやはり鑑定は難しいです。理系的な知識が必要になりますし。これだけ長くやっていても常識を覆されるというか、新しい発見だってあります。 そして福島の転落事故のように、人から感謝されることが何よりもやりがいですね。事故で亡くなった奥さんの名誉をはらしたいから、鑑定してくれと高齢の方に頼まれたことがありました。その方は鑑定書を『宝物にする』と言ってくれ、今もたまに電話を頂きます。そのような方に出会えるのもこの仕事の醍醐味です」 熊谷氏の交通事故鑑定の背景には数々のドラマがありそうだ。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
そして初公判から3年4カ月後。運転手に「バスの部品破断により安定的なハンドル操作ができず、過失は無かった」として無罪判決が言い渡された。
「ただ無罪を勝ち取れることは滅多にありません。私自身これまで20件ほどの刑事事件を扱いましたが、完全に無罪になったのはこの一件のみです。捜査側に何か問題があり得るものしか仕事を受けていなくてもこの程度なので、基本的に警察は負けません。
しかし、この件では『運転手の過失であってほしい』という深層心理が警察に働いたのかもしれません。私自身も警察官だったので分かるのですが、文系人間が多い中で車体異常について捜査するには、メーカーに行って車体の調査をしたりする必要もあり大変なんです。しかも起訴後に無罪になっては一大事ですから、苦手な分野でもミスは絶対に許されない。躊躇してしまう気持ちもわからなくはありません」
熊谷氏のもとには全国から依頼が殺到している。さぞや忙しいだろうと思うが、大部分の依頼は受けられないという。
「ありがたいことに思った以上に相談は来ます。それだけ事故に巻き込まれて困っている人がたくさんいるということでしょう。ただ、実況見分調書から読み取れる事実以外は書けませんので、『こうゆう鑑定を書いてほしい』と依頼いただいても事実と異なっていればお断りすることが多いんです。中には、依頼通りの鑑定をそれっぽく書く鑑定人もいますが(笑)」
交通事故をめぐる訴訟で動く金額は大きいが、鑑定料は一律同じ料金だという。
「やることは一緒ですし、現地に行くと多少お金もかかりますが、そんなに金がかからないのが鑑定なんです(笑)。相談があると、受ける前に資料に目を通した上でこのようなことが読み取れこのような主張ができると推察される、という事前所見書を無料で書いています。それで思い通りにならないと思った人は、仕事を依頼してこないですね」
熊谷氏の事務所に鑑定の依頼がやむことはない。「ドラレコなどの普及で調査もしやすくなっています。保険会社は嘘がつけなくて困っているでしょうが(笑)。それでもやはり鑑定は難しいです。理系的な知識が必要になりますし。これだけ長くやっていても常識を覆されるというか、新しい発見だってあります。 そして福島の転落事故のように、人から感謝されることが何よりもやりがいですね。事故で亡くなった奥さんの名誉をはらしたいから、鑑定してくれと高齢の方に頼まれたことがありました。その方は鑑定書を『宝物にする』と言ってくれ、今もたまに電話を頂きます。そのような方に出会えるのもこの仕事の醍醐味です」 熊谷氏の交通事故鑑定の背景には数々のドラマがありそうだ。(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))
熊谷氏の事務所に鑑定の依頼がやむことはない。
「ドラレコなどの普及で調査もしやすくなっています。保険会社は嘘がつけなくて困っているでしょうが(笑)。それでもやはり鑑定は難しいです。理系的な知識が必要になりますし。これだけ長くやっていても常識を覆されるというか、新しい発見だってあります。
そして福島の転落事故のように、人から感謝されることが何よりもやりがいですね。事故で亡くなった奥さんの名誉をはらしたいから、鑑定してくれと高齢の方に頼まれたことがありました。その方は鑑定書を『宝物にする』と言ってくれ、今もたまに電話を頂きます。そのような方に出会えるのもこの仕事の醍醐味です」
熊谷氏の交通事故鑑定の背景には数々のドラマがありそうだ。
(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))

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