京都タリウム殺人、資産家の叔母が「植物状態」 直後から不動産が容疑者の名義に変更

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将来ある女子大学生が殺害された「京都タリウム事件」には多くの謎が残されている。容疑者が黙秘を続ける中、大阪府警が関心を寄せるのが「叔母」の存在だ。半世紀前から不動産業で財をなしてきた資産家一家の異変。そこには死とカネの匂いが漂っていた。
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【写真を見る】約250坪の一等地に建つ豪邸 宮本容疑者は羽振りの良い生活を送っていた 日本がコロナ禍に見舞われ、混乱が続いていた2年ほど前のことである。 知人からかかってきた電話の内容に、京都に住むある男性はたじろいだ。

「“彼女”が意識不明になっていて、長い間、意識が戻らない。ずっと植物状態のようだ」――。“彼女”とは、劇薬のタリウムを用い、立命館大学に通う浜野日菜子さん(21)=当時=を殺害した容疑で大阪府警に逮捕された宮本一希容疑者(37)の叔母(61)を指す。宮本一希容疑者(本人のFacebookより) 実は捜査関係者が目下、この叔母の異変について重大な関心を寄せ、捜査を進めている。茶道を嗜(たしな)み、直前まで活発に活動していた彼女が突然倒れてしまったのはなぜなのか。そこにこの事件のもう一つの「暗部」が隠されているというのである。 それに迫るには、まず容疑者が生まれた宮本家の歴史をひもとかねばなるまい。「ヤクザが毎日のように出入り」 宮本家は50年以上前から京都市内で不動産業を生業としていた。京都駅から見て北北東にある京都大学医学部の至近で宮本容疑者の祖父が不動産業を営み、ほどなくして、1974年に京都市役所近くのビルを買い取り、会社もそこへ移ることになった。 近隣住民によれば、「おじいさんは、いわゆる“やり手”の不動産屋でした。抵当権がたくさんつけられ、普通なら手を出せない“ややこしい物件”を安く買い、きれいに整理して高く売っていた。昔、ビルにはヤクザが毎日のように出入りしていました。おじいさん本人は身長が185センチ近くあって、髪はポマードで固めたオールバックでイカツかったですよ。ただ、近所の人たちには物腰柔らかく、行儀の悪いようなことはしなかった」破産手続き 祖父の息子、すなわち宮本容疑者の父は京都市内の大学を卒業後、さまざまなビジネスを展開していた。地元の不動産関係者が言う。「宮本家ではおじいさんに力があり、不動産で儲けてきた一方で、お父さんは物言いが偉そうでわがままというか……。いろんな人が寄ってきて事業を始めては失敗する、という感じでした。お父さんは不動産業もやっていたようですけど、彼の口から荒っぽい話が出てくるんです。“ヤクザの組長と飲んだ”とか。近寄りがたい人で、近所でも敬遠されていました」 2008年、父は不動産業などを営む市内の企業の代表に就任。が、うまくいかなかったようで、2年後にはその企業及び本人が破産手続きを行っている。ベンツのGクラスを乗り回し… 父には2人の子どもがおり、宮本容疑者は長男にあたる。地元の私立小学校から仏教系の中高一貫校を経て京都産業大学に進学。上京してリクルートに就職し、結婚情報誌の仕事に従事した後、数年前に京都に戻った彼は、「舞妓ディナー」などを手掛ける舞妓ビジネスを展開することになる。 宮本容疑者が慕い、ビジネス面でも頼っていたのが、父の妹、つまり叔母だった。「京都に戻り、何をしようかと悩んでいた一希に“お茶屋ビジネスをやってみなさい”と背中を押したのが叔母でした」(宮本容疑者の知人) その後、最近になって急に金回りが良くなり、彼はベンツの高級SUVであるGクラスを乗り回し始めるや、高級飲食店で企業の社長らとたびたび食事をしたりするようになった。 先に紹介したビルには宮本容疑者を社長とする不動産会社が所在し、ビルの所有者はその会社。建て替えが予定され、すでに図面が出来上がって来年には竣工する予定だった。まさに順風満帆。「成功者」そのものだった。叔母が植物状態に だが、その陰で叔母は姿を消していたのだ。「彼女が倒れたと聞いたとき、大変なショックを受けました。ですが、それ以上調べようもなくて……」 と語るのは叔母の元夫である。冒頭で知人からの電話を受けた男性とは彼のことだ。「事情があって20年ほど前に別れました。しかし、彼女とは良好な関係で、離婚後もたまに会っていました。植物状態になったと聞いてから、調べても入院先まではわからなくて……。その時に知人から一希くんのお父さんも心筋梗塞で亡くなっていたと聞かされました。それからしばらくして彼女も倒れた、と」女性の地位向上を目的とする団体の活動も 叔母の幼なじみに仔細を聞くと、「ある日彼女は頭痛がするので病院に行ったそうなんです。医師に診てもらうと大きな異常はなさそうなので、“様子を見ましょう”と帰宅したのですが、その後、やはり頭痛が治まらなくて……。本人が“救急車を呼んで”となり、再び病院に行くと、そのまま意識が戻らなくなってしまったと聞いています」 叔母は市内のミッション系高校から兵庫県内の女子大学に進んだ。「彼女はお嬢様とはいえ、私に対して、“幼い頃は母が内職し、お父さんは歯がボロボロになるまで命を懸けて働いた”と両親の苦労を話していました。筋が通らぬことが嫌いで、無駄遣いを許さないタイプでしたね」(元夫) 20代の頃から茶道を習い、先述の市役所近くのビルの1階には父親の計らいで茶室が設(しつら)えられた。倒れるまで毎週金曜にそこで茶会を開く一方、地元では女性の地位向上を目的とする国際団体の支部の活動も行っていた。植物状態になったのは、その団体支部の会長になろうかとする20年夏頃のことだったという。 団体関係者によれば、「体調を崩され、会長代行を立てることになりました。その後、(叔母は)退会されています」「そんな悪いことをするのかなあ」 叔母が倒れると、彼女が持っていた一部の不動産の所有権は、宮本容疑者や彼を代表とする会社に移転し始めたのである。 先の元夫が回想する。「一希くんはそんな悪いことをするのかなあ、とも思うんです。僕も彼女も彼のことはとてもかわいがっていて、小学校に入る前には両親に代わってディズニーランドに連れて行ったこともあった。ただ、いまはベンツのGクラスに乗っていると聞いて驚きました。宮本家は資産家でも、ぜいたくを好まない家ですから」 京都の闇に消えたはずの“過去”だった。しかし、「タリウム事件」の妖しい光が時を経て、その輪郭を朧(おぼろ)げに照らし始めている。「週刊新潮」2023年3月23日号 掲載
日本がコロナ禍に見舞われ、混乱が続いていた2年ほど前のことである。
知人からかかってきた電話の内容に、京都に住むある男性はたじろいだ。
「“彼女”が意識不明になっていて、長い間、意識が戻らない。ずっと植物状態のようだ」――。
“彼女”とは、劇薬のタリウムを用い、立命館大学に通う浜野日菜子さん(21)=当時=を殺害した容疑で大阪府警に逮捕された宮本一希容疑者(37)の叔母(61)を指す。
実は捜査関係者が目下、この叔母の異変について重大な関心を寄せ、捜査を進めている。茶道を嗜(たしな)み、直前まで活発に活動していた彼女が突然倒れてしまったのはなぜなのか。そこにこの事件のもう一つの「暗部」が隠されているというのである。
それに迫るには、まず容疑者が生まれた宮本家の歴史をひもとかねばなるまい。
宮本家は50年以上前から京都市内で不動産業を生業としていた。京都駅から見て北北東にある京都大学医学部の至近で宮本容疑者の祖父が不動産業を営み、ほどなくして、1974年に京都市役所近くのビルを買い取り、会社もそこへ移ることになった。
近隣住民によれば、
「おじいさんは、いわゆる“やり手”の不動産屋でした。抵当権がたくさんつけられ、普通なら手を出せない“ややこしい物件”を安く買い、きれいに整理して高く売っていた。昔、ビルにはヤクザが毎日のように出入りしていました。おじいさん本人は身長が185センチ近くあって、髪はポマードで固めたオールバックでイカツかったですよ。ただ、近所の人たちには物腰柔らかく、行儀の悪いようなことはしなかった」
祖父の息子、すなわち宮本容疑者の父は京都市内の大学を卒業後、さまざまなビジネスを展開していた。地元の不動産関係者が言う。
「宮本家ではおじいさんに力があり、不動産で儲けてきた一方で、お父さんは物言いが偉そうでわがままというか……。いろんな人が寄ってきて事業を始めては失敗する、という感じでした。お父さんは不動産業もやっていたようですけど、彼の口から荒っぽい話が出てくるんです。“ヤクザの組長と飲んだ”とか。近寄りがたい人で、近所でも敬遠されていました」
2008年、父は不動産業などを営む市内の企業の代表に就任。が、うまくいかなかったようで、2年後にはその企業及び本人が破産手続きを行っている。
父には2人の子どもがおり、宮本容疑者は長男にあたる。地元の私立小学校から仏教系の中高一貫校を経て京都産業大学に進学。上京してリクルートに就職し、結婚情報誌の仕事に従事した後、数年前に京都に戻った彼は、「舞妓ディナー」などを手掛ける舞妓ビジネスを展開することになる。
宮本容疑者が慕い、ビジネス面でも頼っていたのが、父の妹、つまり叔母だった。
「京都に戻り、何をしようかと悩んでいた一希に“お茶屋ビジネスをやってみなさい”と背中を押したのが叔母でした」(宮本容疑者の知人)
その後、最近になって急に金回りが良くなり、彼はベンツの高級SUVであるGクラスを乗り回し始めるや、高級飲食店で企業の社長らとたびたび食事をしたりするようになった。
先に紹介したビルには宮本容疑者を社長とする不動産会社が所在し、ビルの所有者はその会社。建て替えが予定され、すでに図面が出来上がって来年には竣工する予定だった。まさに順風満帆。「成功者」そのものだった。
だが、その陰で叔母は姿を消していたのだ。
「彼女が倒れたと聞いたとき、大変なショックを受けました。ですが、それ以上調べようもなくて……」
と語るのは叔母の元夫である。冒頭で知人からの電話を受けた男性とは彼のことだ。
「事情があって20年ほど前に別れました。しかし、彼女とは良好な関係で、離婚後もたまに会っていました。植物状態になったと聞いてから、調べても入院先まではわからなくて……。その時に知人から一希くんのお父さんも心筋梗塞で亡くなっていたと聞かされました。それからしばらくして彼女も倒れた、と」
叔母の幼なじみに仔細を聞くと、
「ある日彼女は頭痛がするので病院に行ったそうなんです。医師に診てもらうと大きな異常はなさそうなので、“様子を見ましょう”と帰宅したのですが、その後、やはり頭痛が治まらなくて……。本人が“救急車を呼んで”となり、再び病院に行くと、そのまま意識が戻らなくなってしまったと聞いています」
叔母は市内のミッション系高校から兵庫県内の女子大学に進んだ。
「彼女はお嬢様とはいえ、私に対して、“幼い頃は母が内職し、お父さんは歯がボロボロになるまで命を懸けて働いた”と両親の苦労を話していました。筋が通らぬことが嫌いで、無駄遣いを許さないタイプでしたね」(元夫)
20代の頃から茶道を習い、先述の市役所近くのビルの1階には父親の計らいで茶室が設(しつら)えられた。倒れるまで毎週金曜にそこで茶会を開く一方、地元では女性の地位向上を目的とする国際団体の支部の活動も行っていた。植物状態になったのは、その団体支部の会長になろうかとする20年夏頃のことだったという。
団体関係者によれば、
「体調を崩され、会長代行を立てることになりました。その後、(叔母は)退会されています」
叔母が倒れると、彼女が持っていた一部の不動産の所有権は、宮本容疑者や彼を代表とする会社に移転し始めたのである。
先の元夫が回想する。
「一希くんはそんな悪いことをするのかなあ、とも思うんです。僕も彼女も彼のことはとてもかわいがっていて、小学校に入る前には両親に代わってディズニーランドに連れて行ったこともあった。ただ、いまはベンツのGクラスに乗っていると聞いて驚きました。宮本家は資産家でも、ぜいたくを好まない家ですから」
京都の闇に消えたはずの“過去”だった。しかし、「タリウム事件」の妖しい光が時を経て、その輪郭を朧(おぼろ)げに照らし始めている。
「週刊新潮」2023年3月23日号 掲載

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