国土交通省が作成した資料「マンションを取り巻く現状について」によると、20階以上のタワーマンション(タワマン)の新築竣工棟数は2000年代に入って大幅に増加しており、2021年末の累計棟数は全国で約1400棟に上るという。
しかし最近、そのタワマンに関して、否定的な記事や論説を目にすることが多くなった。私が住宅に関する取材活動を始めた十数年前、タワマンを否定するような言辞をメディアで目にすることはほとんどなかったが、時代は少し変わったようだ。
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そもそも私は京都市内で生まれ育ったせいか、東京に移住した時に目にした超高層ビル群にはちょっと驚かされたものの、私自身は別に働きたいとも住みたいとも思わず、むしろそこはかとない違和感を抱いたように記憶している。14年前から、私は東京23区内や川崎市内で分譲される新築マンションの現地を、1物件ずつ見て回るようになった。物件ごとの資産価値を評価する有料レポートの制作とそのネット販売を始めたからだ。そこで改めて、タワマンなるものを身近にしげしげと眺めることになった。それまでは、建物が完成する前の現地を見ることはあっても、出来上がったタワマンを間近に見る機会はなかった。それは、ちょっとしたカルチャーショックだった。「人間はこんな異様なものを作ってよいのか」そんな風に感じたのを覚えている。日本と欧州の大きな違い正直に言うと、私の目に映ったタワマンは「違和感の塊」だった。建築造形として、あるいはあまりにも強烈な威圧感が迫ってくる情景……。もちろん、多様な価値感があることはわかっているし、それを否定するつもりはない。ただ、多くの人が、タワマンを「カッコイイ」と崇めていることを理解できなかった。自分の感覚が日本人の多数派ではなさそうなことは、何となく知っていた。私は小さい頃から、自分の発想や感覚がマイノリティであることには慣れている。そこで、少し調べてみた。タワマンのような集合住宅を「カッコイイ」と捉えるのは、人類共通の価値観なのか、という疑問が湧いたのだ。 2017年、私は『限界のタワーマンション』(集英社新書)という拙著を世に出した。その原稿を書くにあたって、ヨーロッパの大学院生を中心とした50人ほどの若者に「超高層住宅についてどう考えるか」というアンケート調査をしている。結論だけを先に言ってしまうと、「タワマンで子育てをしてもいいと考えている」との回答は皆無だった。この結果から類推できることがある。まず、G7の中でタワマンに関する意識調査をしたとして、「タワマンで子育てすることに抵抗感がない」と答える人が半数以上になる国は、おそらく日本だけなのではないか。そしておそらく、タワマン的な集合住宅を肯定的に捉えているのは、日本や韓国、中国、シンガポールなどの東アジア圏と、ドバイなどの成金的新興国のみなのではないか、という点だ。折しも2017年の6月、イギリスでタワマンの火災が発生した。死者・行方不明が70人という大きな事件。日本のテレビでも大々的に取り上げられた。私もいくつかの番組にコメントを求められた覚えがある。あの時、情報番組に出演していたコメンテーターたちは、火災が発生したタワマンが低所得者向けの賃貸住宅であるという事実に、明らかに戸惑っていた。日本のタワマンは、賃貸向けであっても低所得者向けということはあり得ないからだ。しかし、タワマンのような集合住宅はあのイギリスでの事例のように、本来は低所得者向けの賃貸である方がふさわしい。その理由は、このあと順次述べていく。賃貸住宅であることの合理的な理由まず、火災で話題になったイギリスのタワマンが、低所得者が多く居住するエリアにある「公的な賃貸住宅」であったのには、実に合理的な理由があるからだ。つまり、そのエリアの限られた敷地内で多くの住戸を建設するには、タワマン的な形態がふさわしかったのだろう。ところが、日本ではほとんどのタワマンが分譲タイプであり、都心であろうと埋立地であろうと、あるいは地方都市であろうと、行政がそれを認める限り、ところかまわず建設されている。特に敷地的にはたっぷり余裕がある湾岸の埋立地にタワマンが林立している光景には、どこかアンバランス感が漂う。私にとってさらに理解しがたいのは、そんなタワマンの住人たちが大方の欧米人とは真反対とも言える価値観でタワマンを捉えていることだ。 タワマンを崇める人々が生み出した独特の感覚が「階層ヒエラルキー」という価値観を生み出した。これは同じタワマンの中でも「価格の高い上層階に住んでいる方がエライ」という、何とも戯画的な価値観だ。都心よりも湾岸エリアにあるタワマンの方が、「階層ヒエラルキー」がより濃厚に認められる。その理由は、そこに居住する人々の属性が偏っているせいではないかと想像できる。筆者が調べたところ、彼らの多くは「ニューカマーのプチ成功者」である。その根拠は拙著で示した。大学進学もしくは就職時に上京し、タワマンが買える程度の収入に達した人々だからこそ、社会的地位や収入の差異には敏感なのかもしれない。それが「階層ヒエラルキー」という日本のタワマン居住者独特の価値観につながっているのだろう。これを外から見て笑っている分には他人事であり、お気楽だ。しかしタワマンの中に住んでいる子どもたちにとってこれは深刻な問題。「お前んちは8階だろ、ウチは35階だ」などと言う会話が、タワマン内の子ども社会では普通に交わされているという。私のように、昭和的な「人はみな平等」という価値観が刷り込まれた人間には、やや背筋が寒くなる情景だ。タワマンの高層階に住むことは、そんなに素晴らしいことなのか?仕事柄、タワマンに住むメリットとデメリットを上げながら考えてみたことがある。しかし、どう考えてもデメリットの方が圧倒的に多く、強烈だ。タワマンのメリットとはタワマンに住むメリットというのは、1.眺望がいい2.(物件によっては)共用施設が充実3.(物件によっては)管理サービスが充実と、この3点が思い浮かぶ。 だが、このうち2と3は、区分所有者が相応の対価を管理費というカタチで払っているので、厳密な意味でのメリットとは言い難い。そうなると、メリットは1の「眺望」だけ。その眺望も、毎日同じ情景を見ていると飽きるのではないか。飽きれば、その人にとっての価値は失われる。ということはつまり、眺望に飽きればタワマンに住むメリットは皆無になる、ということではないのか。デメリットなら山のようにある。後編記事「ご存じですか?欧米の富裕層がタワマンに住みたがらない「深刻な理由」…!」では、デメリットについて説明する。
そもそも私は京都市内で生まれ育ったせいか、東京に移住した時に目にした超高層ビル群にはちょっと驚かされたものの、私自身は別に働きたいとも住みたいとも思わず、むしろそこはかとない違和感を抱いたように記憶している。
14年前から、私は東京23区内や川崎市内で分譲される新築マンションの現地を、1物件ずつ見て回るようになった。物件ごとの資産価値を評価する有料レポートの制作とそのネット販売を始めたからだ。
そこで改めて、タワマンなるものを身近にしげしげと眺めることになった。それまでは、建物が完成する前の現地を見ることはあっても、出来上がったタワマンを間近に見る機会はなかった。
それは、ちょっとしたカルチャーショックだった。
「人間はこんな異様なものを作ってよいのか」
そんな風に感じたのを覚えている。
正直に言うと、私の目に映ったタワマンは「違和感の塊」だった。建築造形として、あるいはあまりにも強烈な威圧感が迫ってくる情景……。もちろん、多様な価値感があることはわかっているし、それを否定するつもりはない。ただ、多くの人が、タワマンを「カッコイイ」と崇めていることを理解できなかった。
自分の感覚が日本人の多数派ではなさそうなことは、何となく知っていた。私は小さい頃から、自分の発想や感覚がマイノリティであることには慣れている。
そこで、少し調べてみた。タワマンのような集合住宅を「カッコイイ」と捉えるのは、人類共通の価値観なのか、という疑問が湧いたのだ。
2017年、私は『限界のタワーマンション』(集英社新書)という拙著を世に出した。その原稿を書くにあたって、ヨーロッパの大学院生を中心とした50人ほどの若者に「超高層住宅についてどう考えるか」というアンケート調査をしている。結論だけを先に言ってしまうと、「タワマンで子育てをしてもいいと考えている」との回答は皆無だった。この結果から類推できることがある。まず、G7の中でタワマンに関する意識調査をしたとして、「タワマンで子育てすることに抵抗感がない」と答える人が半数以上になる国は、おそらく日本だけなのではないか。そしておそらく、タワマン的な集合住宅を肯定的に捉えているのは、日本や韓国、中国、シンガポールなどの東アジア圏と、ドバイなどの成金的新興国のみなのではないか、という点だ。折しも2017年の6月、イギリスでタワマンの火災が発生した。死者・行方不明が70人という大きな事件。日本のテレビでも大々的に取り上げられた。私もいくつかの番組にコメントを求められた覚えがある。あの時、情報番組に出演していたコメンテーターたちは、火災が発生したタワマンが低所得者向けの賃貸住宅であるという事実に、明らかに戸惑っていた。日本のタワマンは、賃貸向けであっても低所得者向けということはあり得ないからだ。しかし、タワマンのような集合住宅はあのイギリスでの事例のように、本来は低所得者向けの賃貸である方がふさわしい。その理由は、このあと順次述べていく。賃貸住宅であることの合理的な理由まず、火災で話題になったイギリスのタワマンが、低所得者が多く居住するエリアにある「公的な賃貸住宅」であったのには、実に合理的な理由があるからだ。つまり、そのエリアの限られた敷地内で多くの住戸を建設するには、タワマン的な形態がふさわしかったのだろう。ところが、日本ではほとんどのタワマンが分譲タイプであり、都心であろうと埋立地であろうと、あるいは地方都市であろうと、行政がそれを認める限り、ところかまわず建設されている。特に敷地的にはたっぷり余裕がある湾岸の埋立地にタワマンが林立している光景には、どこかアンバランス感が漂う。私にとってさらに理解しがたいのは、そんなタワマンの住人たちが大方の欧米人とは真反対とも言える価値観でタワマンを捉えていることだ。 タワマンを崇める人々が生み出した独特の感覚が「階層ヒエラルキー」という価値観を生み出した。これは同じタワマンの中でも「価格の高い上層階に住んでいる方がエライ」という、何とも戯画的な価値観だ。都心よりも湾岸エリアにあるタワマンの方が、「階層ヒエラルキー」がより濃厚に認められる。その理由は、そこに居住する人々の属性が偏っているせいではないかと想像できる。筆者が調べたところ、彼らの多くは「ニューカマーのプチ成功者」である。その根拠は拙著で示した。大学進学もしくは就職時に上京し、タワマンが買える程度の収入に達した人々だからこそ、社会的地位や収入の差異には敏感なのかもしれない。それが「階層ヒエラルキー」という日本のタワマン居住者独特の価値観につながっているのだろう。これを外から見て笑っている分には他人事であり、お気楽だ。しかしタワマンの中に住んでいる子どもたちにとってこれは深刻な問題。「お前んちは8階だろ、ウチは35階だ」などと言う会話が、タワマン内の子ども社会では普通に交わされているという。私のように、昭和的な「人はみな平等」という価値観が刷り込まれた人間には、やや背筋が寒くなる情景だ。タワマンの高層階に住むことは、そんなに素晴らしいことなのか?仕事柄、タワマンに住むメリットとデメリットを上げながら考えてみたことがある。しかし、どう考えてもデメリットの方が圧倒的に多く、強烈だ。タワマンのメリットとはタワマンに住むメリットというのは、1.眺望がいい2.(物件によっては)共用施設が充実3.(物件によっては)管理サービスが充実と、この3点が思い浮かぶ。 だが、このうち2と3は、区分所有者が相応の対価を管理費というカタチで払っているので、厳密な意味でのメリットとは言い難い。そうなると、メリットは1の「眺望」だけ。その眺望も、毎日同じ情景を見ていると飽きるのではないか。飽きれば、その人にとっての価値は失われる。ということはつまり、眺望に飽きればタワマンに住むメリットは皆無になる、ということではないのか。デメリットなら山のようにある。後編記事「ご存じですか?欧米の富裕層がタワマンに住みたがらない「深刻な理由」…!」では、デメリットについて説明する。
2017年、私は『限界のタワーマンション』(集英社新書)という拙著を世に出した。その原稿を書くにあたって、ヨーロッパの大学院生を中心とした50人ほどの若者に「超高層住宅についてどう考えるか」というアンケート調査をしている。
結論だけを先に言ってしまうと、「タワマンで子育てをしてもいいと考えている」との回答は皆無だった。この結果から類推できることがある。
まず、G7の中でタワマンに関する意識調査をしたとして、「タワマンで子育てすることに抵抗感がない」と答える人が半数以上になる国は、おそらく日本だけなのではないか。
そしておそらく、タワマン的な集合住宅を肯定的に捉えているのは、日本や韓国、中国、シンガポールなどの東アジア圏と、ドバイなどの成金的新興国のみなのではないか、という点だ。
折しも2017年の6月、イギリスでタワマンの火災が発生した。死者・行方不明が70人という大きな事件。日本のテレビでも大々的に取り上げられた。私もいくつかの番組にコメントを求められた覚えがある。
あの時、情報番組に出演していたコメンテーターたちは、火災が発生したタワマンが低所得者向けの賃貸住宅であるという事実に、明らかに戸惑っていた。日本のタワマンは、賃貸向けであっても低所得者向けということはあり得ないからだ。
しかし、タワマンのような集合住宅はあのイギリスでの事例のように、本来は低所得者向けの賃貸である方がふさわしい。その理由は、このあと順次述べていく。
まず、火災で話題になったイギリスのタワマンが、低所得者が多く居住するエリアにある「公的な賃貸住宅」であったのには、実に合理的な理由があるからだ。つまり、そのエリアの限られた敷地内で多くの住戸を建設するには、タワマン的な形態がふさわしかったのだろう。
ところが、日本ではほとんどのタワマンが分譲タイプであり、都心であろうと埋立地であろうと、あるいは地方都市であろうと、行政がそれを認める限り、ところかまわず建設されている。特に敷地的にはたっぷり余裕がある湾岸の埋立地にタワマンが林立している光景には、どこかアンバランス感が漂う。
私にとってさらに理解しがたいのは、そんなタワマンの住人たちが大方の欧米人とは真反対とも言える価値観でタワマンを捉えていることだ。
タワマンを崇める人々が生み出した独特の感覚が「階層ヒエラルキー」という価値観を生み出した。これは同じタワマンの中でも「価格の高い上層階に住んでいる方がエライ」という、何とも戯画的な価値観だ。都心よりも湾岸エリアにあるタワマンの方が、「階層ヒエラルキー」がより濃厚に認められる。その理由は、そこに居住する人々の属性が偏っているせいではないかと想像できる。筆者が調べたところ、彼らの多くは「ニューカマーのプチ成功者」である。その根拠は拙著で示した。大学進学もしくは就職時に上京し、タワマンが買える程度の収入に達した人々だからこそ、社会的地位や収入の差異には敏感なのかもしれない。それが「階層ヒエラルキー」という日本のタワマン居住者独特の価値観につながっているのだろう。これを外から見て笑っている分には他人事であり、お気楽だ。しかしタワマンの中に住んでいる子どもたちにとってこれは深刻な問題。「お前んちは8階だろ、ウチは35階だ」などと言う会話が、タワマン内の子ども社会では普通に交わされているという。私のように、昭和的な「人はみな平等」という価値観が刷り込まれた人間には、やや背筋が寒くなる情景だ。タワマンの高層階に住むことは、そんなに素晴らしいことなのか?仕事柄、タワマンに住むメリットとデメリットを上げながら考えてみたことがある。しかし、どう考えてもデメリットの方が圧倒的に多く、強烈だ。タワマンのメリットとはタワマンに住むメリットというのは、1.眺望がいい2.(物件によっては)共用施設が充実3.(物件によっては)管理サービスが充実と、この3点が思い浮かぶ。 だが、このうち2と3は、区分所有者が相応の対価を管理費というカタチで払っているので、厳密な意味でのメリットとは言い難い。そうなると、メリットは1の「眺望」だけ。その眺望も、毎日同じ情景を見ていると飽きるのではないか。飽きれば、その人にとっての価値は失われる。ということはつまり、眺望に飽きればタワマンに住むメリットは皆無になる、ということではないのか。デメリットなら山のようにある。後編記事「ご存じですか?欧米の富裕層がタワマンに住みたがらない「深刻な理由」…!」では、デメリットについて説明する。
タワマンを崇める人々が生み出した独特の感覚が「階層ヒエラルキー」という価値観を生み出した。これは同じタワマンの中でも「価格の高い上層階に住んでいる方がエライ」という、何とも戯画的な価値観だ。
都心よりも湾岸エリアにあるタワマンの方が、「階層ヒエラルキー」がより濃厚に認められる。その理由は、そこに居住する人々の属性が偏っているせいではないかと想像できる。
筆者が調べたところ、彼らの多くは「ニューカマーのプチ成功者」である。その根拠は拙著で示した。
大学進学もしくは就職時に上京し、タワマンが買える程度の収入に達した人々だからこそ、社会的地位や収入の差異には敏感なのかもしれない。それが「階層ヒエラルキー」という日本のタワマン居住者独特の価値観につながっているのだろう。
これを外から見て笑っている分には他人事であり、お気楽だ。しかしタワマンの中に住んでいる子どもたちにとってこれは深刻な問題。「お前んちは8階だろ、ウチは35階だ」などと言う会話が、タワマン内の子ども社会では普通に交わされているという。
私のように、昭和的な「人はみな平等」という価値観が刷り込まれた人間には、やや背筋が寒くなる情景だ。タワマンの高層階に住むことは、そんなに素晴らしいことなのか?
仕事柄、タワマンに住むメリットとデメリットを上げながら考えてみたことがある。しかし、どう考えてもデメリットの方が圧倒的に多く、強烈だ。
タワマンに住むメリットというのは、
1.眺望がいい2.(物件によっては)共用施設が充実3.(物件によっては)管理サービスが充実
と、この3点が思い浮かぶ。
だが、このうち2と3は、区分所有者が相応の対価を管理費というカタチで払っているので、厳密な意味でのメリットとは言い難い。そうなると、メリットは1の「眺望」だけ。その眺望も、毎日同じ情景を見ていると飽きるのではないか。飽きれば、その人にとっての価値は失われる。ということはつまり、眺望に飽きればタワマンに住むメリットは皆無になる、ということではないのか。デメリットなら山のようにある。後編記事「ご存じですか?欧米の富裕層がタワマンに住みたがらない「深刻な理由」…!」では、デメリットについて説明する。
だが、このうち2と3は、区分所有者が相応の対価を管理費というカタチで払っているので、厳密な意味でのメリットとは言い難い。そうなると、メリットは1の「眺望」だけ。
その眺望も、毎日同じ情景を見ていると飽きるのではないか。飽きれば、その人にとっての価値は失われる。
ということはつまり、眺望に飽きればタワマンに住むメリットは皆無になる、ということではないのか。デメリットなら山のようにある。
後編記事「ご存じですか?欧米の富裕層がタワマンに住みたがらない「深刻な理由」…!」では、デメリットについて説明する。