患者が次々に亡くなり…終末期医療に携わる医師「もうやめたい」【在宅医の本音】

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「自宅で穏やかな最期を迎えたい」と在宅看取りの需要が高まるなか、在宅看取りに対応できる日本の病院はわずか5%にとどまっています。その背景には過酷な終末期医療の現状が関わっていると、ねりま西クリニックの大城堅一院長はいいます。具体的にどういうことなのか、詳しくみていきましょう。
在宅看取りを行う診療所は、わずか約5%在宅医療クリニックが在宅看取りに対応する場合も、やはり相応の体制が必要になります。在宅医療のなかでも看取りに向けての医療・ケアは、2018年にガイドラインが策定されています(「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」)。

そこで本人の意向を最大限に尊重しつつ、家族や医療・介護の関係者が十分に話し合いながら、最終段階の方針を決めるACP(アドバンス・ケア・プランニング)が重視されています。ACPの理念は大切ですが、その段階でも本人の気持ちと家族の意向が異なり、方針が決まるまでに時間を要することがよくあります。また「家にいたい」という本人の意向を尊重し一度は在宅看取りの方針を決めた場合でも、いよいよ最期が近づいてくると不安やストレスが高まり、本人・家族の気持ちが揺れることが多々あります。高齢者の急変や想定外の事態がいつ起こるか分からない状況で、医療・介護のスタッフが患者・家族に寄り添っていくためには、それなりの人員や、終末期医療・ケアに関する技術が必要になります。例えば、がんの終末期には麻薬等を使用した疼痛管理が必要になりますが、すべての医療機関で十分な対応ができるわけではありません。医学雑誌「Journal of Pain and Symptom Management」で2012年に発表された研究によると、調査に回答した253診療所のうち、経口麻薬投与やモルヒネ・鎮痛薬の持続皮下注射、中心静脈栄養・CVポート管理といった終末期の緩和ケアを「自信をもって行うことができる」と回答した施設はわずか10~26%です。半数前後の診療所は「対応は困難」としています。在宅で有効な緩和ケアを提供していくためには、医療者の麻薬使用等に関する教育・普及が重要と指摘されています。さらに看取りが近づくと医師・看護師が患者宅を訪問する回数も、かなり頻繁になります。医師が一人体制のクリニックはもちろん、訪問看護師も含めて限られた人員で対応するのは容易ではありません。このような現状のため日本で在宅看取りに対応できる病院・診療所は、いまだ全体の約5%程度にとどまっています。次々に死にゆく患者を診ながら、医療スタッフも疲弊看取りは見送る家族だけでなく、医師にとっても覚悟が必要です。医師はそもそも病気の人を治すことに喜びややりがいを感じる人たちです。在宅看取りでは病や加齢によって人生を終える人と、別れを悲しむ家族をずっと見続けることになり、心身を消耗させ在宅医療を諦めてしまう医師もいます。私のクリニックでも本人やご家族の希望によって在宅看取りを行っています。東京都のなかでは、在宅看取り件数が多いクリニックの一つです。実は以前、今よりもがん終末期や重症患者の在宅看取りを多く診療していたことがあります。特にがん終末期の人は病院での治療を終え、自宅で亡くなることを想定して在宅医療に入ることが少なくありません。ただ、がんの場合は病院での治療を終えて在宅で過ごせる期間が1~2カ月と短いことも多く、在宅医と信頼関係を築く間もなく看取りになることもあります。医師や看護師は次々に緊張を強いられる終末期の対応が続くことになるため、退職が相次いでしまったことがあります。医師も看護師も高度に訓練された専門職ではありますが、皆が皆、腹をくくって人の死に向き合える人ばかりではありません。若い医師・看護師や経験の少ない人であればなおさらです。看取りは結果。それまでに、家でどれだけ幸せな時間を過ごすか私自身は地域医療を支える在宅医として、患者・家族から希望があれば在宅看取りにも対応をしていく必要があると思っています。在宅で療養生活を送ってきて、最期の瞬間まで住み慣れた家で過ごせたとすれば、とても幸せなことです。しかしそれは結果に過ぎません。最終段階になって自宅で対応できず病院に運ばれて亡くなったからといって、必ずしもその人が不幸というわけではないはずです。その意味でも最初から在宅看取り=「家で死ぬこと」だけを目的にした在宅医療は、何か違うと考えるようになりました。死に場所がどこかということよりもむしろ大事なのは生きている間にどれだけ充実した時間を過ごせたか、どれだけ前向きな時間をもつことができたかではないかと思うのです。そこで「病気や衰えがあっても自宅でできる限り幸せな時間をもてるように支援する。そのために自分たちができる医療サービスを充実させよう」という方針を立て、医師や看護師にも伝えるようにしたところ、意欲をもって継続的に在宅医療に取り組めるスタッフが増えていきました。少し余談になりますが、最近は在宅医療クリニックで、グリーフケアを行っているところがあります。グリーフケアとは看取り後の遺族を訪問し、故人についての思い出話をするなどして、深い悲しみや喪失感からの回復に寄り添うものです。しかし、患者が生きている間に医師が全力でサポートしていれば、その人の死後も家族の悲嘆や後悔は多少なりとも軽減されるものと私は考えています。どんな人も死を避けることはできません。そのときがくれば一人で旅立たなければなりません。医療・介護スタッフや家族にできることは、そのときまでの支援であり、生きているうちにどれだけやってあげたか、が重要です。新しい検査機器や情報通信技術の普及により、在宅で行える治療・支援も以前よりも格段に進化しています。看取りのため、家で死ぬための在宅医療が不要というわけではありませんが、それだけでなく「家でより良く生きるための在宅医療」がもっと広まってほしいと願っています。大城 堅一医療法人社団星の砂 理事長ねりま西クリニック 院長
在宅医療クリニックが在宅看取りに対応する場合も、やはり相応の体制が必要になります。在宅医療のなかでも看取りに向けての医療・ケアは、2018年にガイドラインが策定されています(「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」)。
そこで本人の意向を最大限に尊重しつつ、家族や医療・介護の関係者が十分に話し合いながら、最終段階の方針を決めるACP(アドバンス・ケア・プランニング)が重視されています。
ACPの理念は大切ですが、その段階でも本人の気持ちと家族の意向が異なり、方針が決まるまでに時間を要することがよくあります。
また「家にいたい」という本人の意向を尊重し一度は在宅看取りの方針を決めた場合でも、いよいよ最期が近づいてくると不安やストレスが高まり、本人・家族の気持ちが揺れることが多々あります。
高齢者の急変や想定外の事態がいつ起こるか分からない状況で、医療・介護のスタッフが患者・家族に寄り添っていくためには、それなりの人員や、終末期医療・ケアに関する技術が必要になります。
例えば、がんの終末期には麻薬等を使用した疼痛管理が必要になりますが、すべての医療機関で十分な対応ができるわけではありません。
医学雑誌「Journal of Pain and Symptom Management」で2012年に発表された研究によると、調査に回答した253診療所のうち、経口麻薬投与やモルヒネ・鎮痛薬の持続皮下注射、中心静脈栄養・CVポート管理といった終末期の緩和ケアを「自信をもって行うことができる」と回答した施設はわずか10~26%です。
半数前後の診療所は「対応は困難」としています。在宅で有効な緩和ケアを提供していくためには、医療者の麻薬使用等に関する教育・普及が重要と指摘されています。
さらに看取りが近づくと医師・看護師が患者宅を訪問する回数も、かなり頻繁になります。医師が一人体制のクリニックはもちろん、訪問看護師も含めて限られた人員で対応するのは容易ではありません。このような現状のため日本で在宅看取りに対応できる病院・診療所は、いまだ全体の約5%程度にとどまっています。
次々に死にゆく患者を診ながら、医療スタッフも疲弊看取りは見送る家族だけでなく、医師にとっても覚悟が必要です。医師はそもそも病気の人を治すことに喜びややりがいを感じる人たちです。在宅看取りでは病や加齢によって人生を終える人と、別れを悲しむ家族をずっと見続けることになり、心身を消耗させ在宅医療を諦めてしまう医師もいます。私のクリニックでも本人やご家族の希望によって在宅看取りを行っています。東京都のなかでは、在宅看取り件数が多いクリニックの一つです。実は以前、今よりもがん終末期や重症患者の在宅看取りを多く診療していたことがあります。特にがん終末期の人は病院での治療を終え、自宅で亡くなることを想定して在宅医療に入ることが少なくありません。ただ、がんの場合は病院での治療を終えて在宅で過ごせる期間が1~2カ月と短いことも多く、在宅医と信頼関係を築く間もなく看取りになることもあります。医師や看護師は次々に緊張を強いられる終末期の対応が続くことになるため、退職が相次いでしまったことがあります。医師も看護師も高度に訓練された専門職ではありますが、皆が皆、腹をくくって人の死に向き合える人ばかりではありません。若い医師・看護師や経験の少ない人であればなおさらです。看取りは結果。それまでに、家でどれだけ幸せな時間を過ごすか私自身は地域医療を支える在宅医として、患者・家族から希望があれば在宅看取りにも対応をしていく必要があると思っています。在宅で療養生活を送ってきて、最期の瞬間まで住み慣れた家で過ごせたとすれば、とても幸せなことです。しかしそれは結果に過ぎません。最終段階になって自宅で対応できず病院に運ばれて亡くなったからといって、必ずしもその人が不幸というわけではないはずです。その意味でも最初から在宅看取り=「家で死ぬこと」だけを目的にした在宅医療は、何か違うと考えるようになりました。死に場所がどこかということよりもむしろ大事なのは生きている間にどれだけ充実した時間を過ごせたか、どれだけ前向きな時間をもつことができたかではないかと思うのです。そこで「病気や衰えがあっても自宅でできる限り幸せな時間をもてるように支援する。そのために自分たちができる医療サービスを充実させよう」という方針を立て、医師や看護師にも伝えるようにしたところ、意欲をもって継続的に在宅医療に取り組めるスタッフが増えていきました。少し余談になりますが、最近は在宅医療クリニックで、グリーフケアを行っているところがあります。グリーフケアとは看取り後の遺族を訪問し、故人についての思い出話をするなどして、深い悲しみや喪失感からの回復に寄り添うものです。しかし、患者が生きている間に医師が全力でサポートしていれば、その人の死後も家族の悲嘆や後悔は多少なりとも軽減されるものと私は考えています。どんな人も死を避けることはできません。そのときがくれば一人で旅立たなければなりません。医療・介護スタッフや家族にできることは、そのときまでの支援であり、生きているうちにどれだけやってあげたか、が重要です。新しい検査機器や情報通信技術の普及により、在宅で行える治療・支援も以前よりも格段に進化しています。看取りのため、家で死ぬための在宅医療が不要というわけではありませんが、それだけでなく「家でより良く生きるための在宅医療」がもっと広まってほしいと願っています。大城 堅一医療法人社団星の砂 理事長ねりま西クリニック 院長
次々に死にゆく患者を診ながら、医療スタッフも疲弊看取りは見送る家族だけでなく、医師にとっても覚悟が必要です。医師はそもそも病気の人を治すことに喜びややりがいを感じる人たちです。在宅看取りでは病や加齢によって人生を終える人と、別れを悲しむ家族をずっと見続けることになり、心身を消耗させ在宅医療を諦めてしまう医師もいます。私のクリニックでも本人やご家族の希望によって在宅看取りを行っています。東京都のなかでは、在宅看取り件数が多いクリニックの一つです。実は以前、今よりもがん終末期や重症患者の在宅看取りを多く診療していたことがあります。特にがん終末期の人は病院での治療を終え、自宅で亡くなることを想定して在宅医療に入ることが少なくありません。ただ、がんの場合は病院での治療を終えて在宅で過ごせる期間が1~2カ月と短いことも多く、在宅医と信頼関係を築く間もなく看取りになることもあります。医師や看護師は次々に緊張を強いられる終末期の対応が続くことになるため、退職が相次いでしまったことがあります。医師も看護師も高度に訓練された専門職ではありますが、皆が皆、腹をくくって人の死に向き合える人ばかりではありません。若い医師・看護師や経験の少ない人であればなおさらです。看取りは結果。それまでに、家でどれだけ幸せな時間を過ごすか私自身は地域医療を支える在宅医として、患者・家族から希望があれば在宅看取りにも対応をしていく必要があると思っています。在宅で療養生活を送ってきて、最期の瞬間まで住み慣れた家で過ごせたとすれば、とても幸せなことです。しかしそれは結果に過ぎません。最終段階になって自宅で対応できず病院に運ばれて亡くなったからといって、必ずしもその人が不幸というわけではないはずです。その意味でも最初から在宅看取り=「家で死ぬこと」だけを目的にした在宅医療は、何か違うと考えるようになりました。死に場所がどこかということよりもむしろ大事なのは生きている間にどれだけ充実した時間を過ごせたか、どれだけ前向きな時間をもつことができたかではないかと思うのです。そこで「病気や衰えがあっても自宅でできる限り幸せな時間をもてるように支援する。そのために自分たちができる医療サービスを充実させよう」という方針を立て、医師や看護師にも伝えるようにしたところ、意欲をもって継続的に在宅医療に取り組めるスタッフが増えていきました。少し余談になりますが、最近は在宅医療クリニックで、グリーフケアを行っているところがあります。グリーフケアとは看取り後の遺族を訪問し、故人についての思い出話をするなどして、深い悲しみや喪失感からの回復に寄り添うものです。しかし、患者が生きている間に医師が全力でサポートしていれば、その人の死後も家族の悲嘆や後悔は多少なりとも軽減されるものと私は考えています。どんな人も死を避けることはできません。そのときがくれば一人で旅立たなければなりません。医療・介護スタッフや家族にできることは、そのときまでの支援であり、生きているうちにどれだけやってあげたか、が重要です。新しい検査機器や情報通信技術の普及により、在宅で行える治療・支援も以前よりも格段に進化しています。看取りのため、家で死ぬための在宅医療が不要というわけではありませんが、それだけでなく「家でより良く生きるための在宅医療」がもっと広まってほしいと願っています。大城 堅一医療法人社団星の砂 理事長ねりま西クリニック 院長
看取りは見送る家族だけでなく、医師にとっても覚悟が必要です。医師はそもそも病気の人を治すことに喜びややりがいを感じる人たちです。在宅看取りでは病や加齢によって人生を終える人と、別れを悲しむ家族をずっと見続けることになり、心身を消耗させ在宅医療を諦めてしまう医師もいます。
私のクリニックでも本人やご家族の希望によって在宅看取りを行っています。東京都のなかでは、在宅看取り件数が多いクリニックの一つです。
実は以前、今よりもがん終末期や重症患者の在宅看取りを多く診療していたことがあります。特にがん終末期の人は病院での治療を終え、自宅で亡くなることを想定して在宅医療に入ることが少なくありません。
ただ、がんの場合は病院での治療を終えて在宅で過ごせる期間が1~2カ月と短いことも多く、在宅医と信頼関係を築く間もなく看取りになることもあります。医師や看護師は次々に緊張を強いられる終末期の対応が続くことになるため、退職が相次いでしまったことがあります。
医師も看護師も高度に訓練された専門職ではありますが、皆が皆、腹をくくって人の死に向き合える人ばかりではありません。若い医師・看護師や経験の少ない人であればなおさらです。
私自身は地域医療を支える在宅医として、患者・家族から希望があれば在宅看取りにも対応をしていく必要があると思っています。
在宅で療養生活を送ってきて、最期の瞬間まで住み慣れた家で過ごせたとすれば、とても幸せなことです。しかしそれは結果に過ぎません。最終段階になって自宅で対応できず病院に運ばれて亡くなったからといって、必ずしもその人が不幸というわけではないはずです。
その意味でも最初から在宅看取り=「家で死ぬこと」だけを目的にした在宅医療は、何か違うと考えるようになりました。死に場所がどこかということよりもむしろ大事なのは生きている間にどれだけ充実した時間を過ごせたか、どれだけ前向きな時間をもつことができたかではないかと思うのです。
そこで「病気や衰えがあっても自宅でできる限り幸せな時間をもてるように支援する。そのために自分たちができる医療サービスを充実させよう」という方針を立て、医師や看護師にも伝えるようにしたところ、意欲をもって継続的に在宅医療に取り組めるスタッフが増えていきました。
少し余談になりますが、最近は在宅医療クリニックで、グリーフケアを行っているところがあります。グリーフケアとは看取り後の遺族を訪問し、故人についての思い出話をするなどして、深い悲しみや喪失感からの回復に寄り添うものです。
しかし、患者が生きている間に医師が全力でサポートしていれば、その人の死後も家族の悲嘆や後悔は多少なりとも軽減されるものと私は考えています。
どんな人も死を避けることはできません。そのときがくれば一人で旅立たなければなりません。医療・介護スタッフや家族にできることは、そのときまでの支援であり、生きているうちにどれだけやってあげたか、が重要です。
新しい検査機器や情報通信技術の普及により、在宅で行える治療・支援も以前よりも格段に進化しています。看取りのため、家で死ぬための在宅医療が不要というわけではありませんが、それだけでなく「家でより良く生きるための在宅医療」がもっと広まってほしいと願っています。
大城 堅一
医療法人社団星の砂 理事長
ねりま西クリニック 院長

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