「引きこもりの息子」と「高齢の妹」殺害 79歳の女が追い詰められた“浪費”と“老々介護”

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「殺してと言われたので…」法廷でこう述べた女の被告は79歳。白髪を後ろで一つに束ね、耳には補聴器をつけていた。本人からの依頼で47歳の三男を殺害した嘱託殺人の罪と、74歳の妹を殺害した罪に問われている。犯罪とは縁もなく過ごしてきた高齢の被告が、わずか半年の間に、なぜ実の息子と妹を次々と殺めてしまったのか。
【写真を見る】「引きこもりの息子」と「高齢の妹」殺害 79歳の女が追い詰められた“浪費”と“老々介護”法廷で取材を重ねると、夫の急死、引きこもりの息子によるネット通販の浪費、統合失調症を患っていた妹の体調悪化、それに伴う老々介護。被告が追い詰められていった4つの背景が見えてきた。

夫の急死 “引きこもり息子の浪費”が殺害引き金に小玉喜久代(こだまきくよ)被告(79)は2021年4月、東京・あきる野市で同居する三男・昭さん(47)から依頼されて殺害した罪に問われている。統合失調症と糖尿病を患っていた昭さんは当時無職。通院や近所への買い物で外に出る以外、基本的には自宅でゲームなどをして過ごす、いわゆる引きこもりだった。長男と次男は自立し、夫婦と昭さんの3人で暮らす中で、小玉被告は昭さんの“金遣い”に頭を悩ませていた。昭さんは1か月あたり約6万5000円の障害年金を受け取っていたがほとんど使い果たしていた。【小玉被告への被告人質問(抜粋)】ーー昭さんはアマゾンで何を買っていた?お酒やCD、ゲームソフト、本、洋服などですーー携帯代はネットでの買い物も含めて請求されていたようだが月にいくら?5万円くらいの時もあったし7~8万円の時ももあったーーアマゾンでの買い物に加えて携帯代など月6万5000円じゃ足りなかった?(無言でうなずく)ーー金遣いについて注意は?「考えて使いなさい」と常々注意はしていたけど、なかなか直らなかった夫婦の年金から20~30万円ほどの補填を繰り返していた、と小玉被告は証言した。こうした暮らしに変化が訪れたのは事件の約2週間前。夫が突然自宅で倒れ、急死したのだ。ーー昭さんに何か話した?「お父さんいなくなって年金がすごく減るから考えてね」とーーなぜ注意した?これからの生活に不安を感じて…私が元気なうちはいいけれど、と常々思っていました法廷で証言した次男によると、小玉被告は「気持ちが不安定になり笑うことが少なくなっていった」。将来への不安を胸に抱えた小玉被告の気持ちをよそに、昭さんの浪費が止むことはなかった。検察側の冒頭陳述によると事件当日も昭さんがネットで注文した荷物が届き、小玉被告が注意したという。これが悲劇の引き金になってしまう。小玉被告が冷蔵庫からインスリンがなくなっているのに気づき昭さんの部屋に向かうと、大量の注射器が散乱していた。自殺を図った昭さんは意識がもうろうとした状態で、こうつぶやいた。「死にきれなかったから殺して」小玉被告は近くにあったトレーナーを手に取り、我が子を手にかけた。逮捕からわずか半年「大切な存在」74歳妹を殺害 昭さんへの嘱託殺人の罪で逮捕・起訴された小玉被告は、裁判を前に2021年7月に保釈された。身元引受人となったのは妹の後藤喜美子さん(74)で、小玉被告は東京・羽村市の喜美子さんの家で同居を始めた。しかし、保釈からわずか2か月後の同年9月、喜美子さんを殺害したとして再び逮捕された。2023年1月に開かれた初公判。白いスウェット姿で現れた小玉被告は、渡された補聴器を右耳につけた。検察官が起訴状を読み上げた後、裁判長はゆっくり大きな声で、小玉被告に話しかけた。ーー検察官が朗読した2つの事実に違うところはありますか?2つめのは殺してと言われたので…昭さんと同様に喜美子さんについても「殺害の依頼があった」として殺人罪より刑が軽い嘱託殺人罪が成立すると主張した。喜美子さんもまた若い頃から統合失調症を患っていて、事件前、小玉被告は喜美子さんが暮らす実家を度々訪れていた。ーー実家は自宅からどれくらいの距離?歩いて25分くらいーーどれくらいの頻度で実家に?年中行ってましたーー毎日のように?そうです。前の日のおかずを持っていったり、様子を見に行ったりしていたーー小玉被告にとって喜美子さんはどんな存在だった?大切な存在ですけど…歩けなくなった妹の老々介護「殺して」と言われ「叶えたい」「大切な存在」だったはずの妹を、なぜ殺めてしまったのか。小玉被告と暮らし始めて1か月ほどで、喜美子さんは精神状態が不安定になり、通院していた精神科で不眠を訴えている。事件があった9月に入ると喜美子さんの体調は急激に悪化していく。小玉被告の次男は週に何度も2人が暮らす家を訪ね、病院の送り迎えなどサポートをしていた。事件直前の喜美子さんはどんな様子だったのか。「8月下旬から家の中を徘徊するようになった」「事件の4日前には、話しかけても答えが帰ってこず、目がうつろでしっかり歩けなかった。介護が必要だと思い地域の包括支援センターに連絡をした」(小玉被告の次男の証言)事件2日前、自宅で転倒した喜美子さんは救急搬送された。入院せず自宅に戻ったが、1人で歩くことはできなくなっていた。そして、事件前夜と当日「もうおしまいだ」「お母さんのところに行きたい」「殺して」などと小玉被告に依頼した。ーー「殺して」と言われてあなたはどういう気持ちに?よっぽどつらいのかなと思ってーーどうしてあげたいと思った?(10秒ほど沈黙した後)叶えてあげたいと思っちゃいましたーー叶えてあげたいと思った理由は?私も一緒に長くいられないので、一人になるのはかわいそうだなと思って…私が前の事件で一緒に住めなくなっちゃうのでーー昭さんの事件でどうなると?もちろん刑務所に行くと思っていました検察官から今の気持ちを問われると「とんでもないことをしてしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいです」と声を振り絞った。懲役7年「もう見ることはない」妹殺害後に訪れた場所喜美子さんの首を電気コードで絞めて殺害した小玉被告。その直後、電気コードを自分の首にも巻き付け自殺を図ったが果たせなかった。ーー喜美子さんを殺害した後、どこに行った?自分の家が見える橋にーー自分の家とは、あなたが暮らしていた家?はい、もう見ることはないなと思って見に行きましたそして迎えた判決。2023年2月13日、東京地裁立川支部は懲役7年を言い渡した。検察側が求刑した「懲役12年」より刑が軽い「懲役7年」の実刑判決。東京地裁立川支部は喜美子さんについて「第三者に殺害を依頼してまで死のうとする切迫したものはなかった」として、小玉被告側が主張していた嘱託殺人罪は成立しないと認定した。その一方で、殺害の動機については。裁判長「『殺して』などの発言をきっかけに、今後、体調が悪化した喜美子を一人にすることへの憂慮や、喜美子がつらい思いをしているのであれば殺害したほうが喜美子のためになると自分なりに考えた結果、犯行に及んだ」裁判長は「高齢の妹の行く末を案じた心情も理解できる」としつつ、2人を殺害したのは「命の大切さを軽視していたから」で「次男に支援を求めるなどして殺害という選択を避けるべきだった」と戒めた。判決を言い渡された後、小玉被告は「控訴しません」と小さな声で2度繰り返した。証言台から離れると両目を手で拭った。傍聴席の最前列に座った次男は、その姿を見つめていた。裁判中、終始表情を変えることなく、淡々と受け答えをしていた小玉被告が「もう見ることはないと思い」訪ねた橋。判決の日、その場所に向かった。小雨が降る中、喜美子さんの家から15分ほど歩くと多摩川にかかる大きな橋にたどり着いた。車の往来が多く歩行者は1人もいない。橋を渡る途中、小玉被告の自宅の屋根と2階の一部分が遠くに見えた。夫と3人の息子と過ごした我が家をどんな気持ちで見つめたのか。被告は今年80歳になる。(TBSテレビ社会部 司法記者クラブ 高橋史子)
法廷で取材を重ねると、夫の急死、引きこもりの息子によるネット通販の浪費、統合失調症を患っていた妹の体調悪化、それに伴う老々介護。被告が追い詰められていった4つの背景が見えてきた。
小玉喜久代(こだまきくよ)被告(79)は2021年4月、東京・あきる野市で同居する三男・昭さん(47)から依頼されて殺害した罪に問われている。統合失調症と糖尿病を患っていた昭さんは当時無職。通院や近所への買い物で外に出る以外、基本的には自宅でゲームなどをして過ごす、いわゆる引きこもりだった。長男と次男は自立し、夫婦と昭さんの3人で暮らす中で、小玉被告は昭さんの“金遣い”に頭を悩ませていた。昭さんは1か月あたり約6万5000円の障害年金を受け取っていたがほとんど使い果たしていた。
【小玉被告への被告人質問(抜粋)】ーー昭さんはアマゾンで何を買っていた?お酒やCD、ゲームソフト、本、洋服などですーー携帯代はネットでの買い物も含めて請求されていたようだが月にいくら?5万円くらいの時もあったし7~8万円の時ももあったーーアマゾンでの買い物に加えて携帯代など月6万5000円じゃ足りなかった?(無言でうなずく)ーー金遣いについて注意は?「考えて使いなさい」と常々注意はしていたけど、なかなか直らなかった
夫婦の年金から20~30万円ほどの補填を繰り返していた、と小玉被告は証言した。こうした暮らしに変化が訪れたのは事件の約2週間前。夫が突然自宅で倒れ、急死したのだ。
ーー昭さんに何か話した?「お父さんいなくなって年金がすごく減るから考えてね」とーーなぜ注意した?これからの生活に不安を感じて…私が元気なうちはいいけれど、と常々思っていました
法廷で証言した次男によると、小玉被告は「気持ちが不安定になり笑うことが少なくなっていった」。将来への不安を胸に抱えた小玉被告の気持ちをよそに、昭さんの浪費が止むことはなかった。検察側の冒頭陳述によると事件当日も昭さんがネットで注文した荷物が届き、小玉被告が注意したという。これが悲劇の引き金になってしまう。小玉被告が冷蔵庫からインスリンがなくなっているのに気づき昭さんの部屋に向かうと、大量の注射器が散乱していた。自殺を図った昭さんは意識がもうろうとした状態で、こうつぶやいた。「死にきれなかったから殺して」小玉被告は近くにあったトレーナーを手に取り、我が子を手にかけた。
昭さんへの嘱託殺人の罪で逮捕・起訴された小玉被告は、裁判を前に2021年7月に保釈された。身元引受人となったのは妹の後藤喜美子さん(74)で、小玉被告は東京・羽村市の喜美子さんの家で同居を始めた。しかし、保釈からわずか2か月後の同年9月、喜美子さんを殺害したとして再び逮捕された。2023年1月に開かれた初公判。白いスウェット姿で現れた小玉被告は、渡された補聴器を右耳につけた。検察官が起訴状を読み上げた後、裁判長はゆっくり大きな声で、小玉被告に話しかけた。
ーー検察官が朗読した2つの事実に違うところはありますか?2つめのは殺してと言われたので…
昭さんと同様に喜美子さんについても「殺害の依頼があった」として殺人罪より刑が軽い嘱託殺人罪が成立すると主張した。喜美子さんもまた若い頃から統合失調症を患っていて、事件前、小玉被告は喜美子さんが暮らす実家を度々訪れていた。
ーー実家は自宅からどれくらいの距離?歩いて25分くらいーーどれくらいの頻度で実家に?年中行ってましたーー毎日のように?そうです。前の日のおかずを持っていったり、様子を見に行ったりしていたーー小玉被告にとって喜美子さんはどんな存在だった?大切な存在ですけど…
「大切な存在」だったはずの妹を、なぜ殺めてしまったのか。小玉被告と暮らし始めて1か月ほどで、喜美子さんは精神状態が不安定になり、通院していた精神科で不眠を訴えている。事件があった9月に入ると喜美子さんの体調は急激に悪化していく。小玉被告の次男は週に何度も2人が暮らす家を訪ね、病院の送り迎えなどサポートをしていた。事件直前の喜美子さんはどんな様子だったのか。
「8月下旬から家の中を徘徊するようになった」「事件の4日前には、話しかけても答えが帰ってこず、目がうつろでしっかり歩けなかった。介護が必要だと思い地域の包括支援センターに連絡をした」(小玉被告の次男の証言)
事件2日前、自宅で転倒した喜美子さんは救急搬送された。入院せず自宅に戻ったが、1人で歩くことはできなくなっていた。そして、事件前夜と当日「もうおしまいだ」「お母さんのところに行きたい」「殺して」などと小玉被告に依頼した。
ーー「殺して」と言われてあなたはどういう気持ちに?よっぽどつらいのかなと思ってーーどうしてあげたいと思った?(10秒ほど沈黙した後)叶えてあげたいと思っちゃいましたーー叶えてあげたいと思った理由は?私も一緒に長くいられないので、一人になるのはかわいそうだなと思って…私が前の事件で一緒に住めなくなっちゃうのでーー昭さんの事件でどうなると?もちろん刑務所に行くと思っていました
検察官から今の気持ちを問われると「とんでもないことをしてしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいです」と声を振り絞った。
喜美子さんの首を電気コードで絞めて殺害した小玉被告。その直後、電気コードを自分の首にも巻き付け自殺を図ったが果たせなかった。
ーー喜美子さんを殺害した後、どこに行った?自分の家が見える橋にーー自分の家とは、あなたが暮らしていた家?はい、もう見ることはないなと思って見に行きました
そして迎えた判決。2023年2月13日、東京地裁立川支部は懲役7年を言い渡した。
検察側が求刑した「懲役12年」より刑が軽い「懲役7年」の実刑判決。東京地裁立川支部は喜美子さんについて「第三者に殺害を依頼してまで死のうとする切迫したものはなかった」として、小玉被告側が主張していた嘱託殺人罪は成立しないと認定した。その一方で、殺害の動機については。
裁判長「『殺して』などの発言をきっかけに、今後、体調が悪化した喜美子を一人にすることへの憂慮や、喜美子がつらい思いをしているのであれば殺害したほうが喜美子のためになると自分なりに考えた結果、犯行に及んだ」
裁判長は「高齢の妹の行く末を案じた心情も理解できる」としつつ、2人を殺害したのは「命の大切さを軽視していたから」で「次男に支援を求めるなどして殺害という選択を避けるべきだった」と戒めた。判決を言い渡された後、小玉被告は「控訴しません」と小さな声で2度繰り返した。証言台から離れると両目を手で拭った。傍聴席の最前列に座った次男は、その姿を見つめていた。
裁判中、終始表情を変えることなく、淡々と受け答えをしていた小玉被告が「もう見ることはないと思い」訪ねた橋。判決の日、その場所に向かった。小雨が降る中、喜美子さんの家から15分ほど歩くと多摩川にかかる大きな橋にたどり着いた。車の往来が多く歩行者は1人もいない。橋を渡る途中、小玉被告の自宅の屋根と2階の一部分が遠くに見えた。夫と3人の息子と過ごした我が家をどんな気持ちで見つめたのか。被告は今年80歳になる。
(TBSテレビ社会部 司法記者クラブ 高橋史子)

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