【松庭 直】事件から8年・和歌山県紀の川市小5殺害事件…息子を失った父親の慟哭「犯人から謝罪はありません。そして懲役16年で出てきます」

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「あれから8年たちましたが、犯人からの謝罪は一切ありません。犯人は懲役16年の刑が確定しましたが、その刑期が終われば、出てくる。でも、私の子どもは帰ってこないんです」
そう話すのは、森田都史(とし)君(11)の父親だ。
2月5日都史君の命日に事故現場に花を手向ける森田さん
今から8年前の2015年2月5日、和歌山県・紀の川市在住の小学校5年生だった都史君は、自宅近くの空き地で遊んでいたところ、近所に住洲む中村桜洲(おうしゅう)受刑者に大型の刃物で身体中をメッタ刺しにされるなどして殺害された。

2017年の一審判決では、精神鑑定の結果、責任能力なしとされ、懲役16年の判決が言い渡された。二審では、再度、鑑定が行われ、結果は一転、責任能力ありとされたものの、刑罰は懲役16年と変わらず、2019年に判決が確定した。血がついたジャンパー「これを見てください」そう言って森田さんが紙袋から取り出したのは、袋に入れられて丁寧に畳まれた衣類であった。しかし、その黒いジャンパーらしき服には多くの羽毛がまとわりついていた。ズタズタにされた都史君が事件当日に着ていたジャンパー 森田さんの、その袋をあけ、取り出すと、鼻をつくにおいがした。「まだ匂うでしょ? 8年も経つのに」森田さんが、そっとそのジャンバーを開くと、ところどころ切られ、そして、大きくざっくりと切られたジャンバーだった。そして、まだ都史君の血がジャンバーに残されていたのだ。「今はようやく見れるようになったけどね、事件直後は、もう、辛くて辛くて、これみたらボロボロ涙が出てきたんや。なんで、ここまでせなあかんかったんかと。身体ズタズタにされて、都史君が手を合わせて命乞いしてんのに、『なかなか死なへんな』って言うて、頭を2回切ったんですわ。私が50歳を超えてできた子どもやったからね。ほんまかわいくてね。離婚した母親があまり育児しないもんやから、私がほとんどしてたんですわ。おしめかえて、お弁当作ってってね。母親と色々あって、ここに来て、3ヵ月で事件にあったんですわ。お兄ちゃんいれて、3人の生活がスタートしたばっかりやったのにな」無残な遺体に対面したときの想い、納得のいかない判決への怒り、そして森田さんの近所には今も加害者家族が住んでいるという。後編記事『和歌山県・紀の川市小5殺害事件 8年経った今も犯人から謝罪もなく賠償金も1円も支払われず…被害者父親の「悲痛な想い」』に続く。
今から8年前の2015年2月5日、和歌山県・紀の川市在住の小学校5年生だった都史君は、自宅近くの空き地で遊んでいたところ、近所に住洲む中村桜洲(おうしゅう)受刑者に大型の刃物で身体中をメッタ刺しにされるなどして殺害された。
2017年の一審判決では、精神鑑定の結果、責任能力なしとされ、懲役16年の判決が言い渡された。
二審では、再度、鑑定が行われ、結果は一転、責任能力ありとされたものの、刑罰は懲役16年と変わらず、2019年に判決が確定した。
「これを見てください」
そう言って森田さんが紙袋から取り出したのは、袋に入れられて丁寧に畳まれた衣類であった。しかし、その黒いジャンパーらしき服には多くの羽毛がまとわりついていた。
ズタズタにされた都史君が事件当日に着ていたジャンパー
森田さんの、その袋をあけ、取り出すと、鼻をつくにおいがした。「まだ匂うでしょ? 8年も経つのに」森田さんが、そっとそのジャンバーを開くと、ところどころ切られ、そして、大きくざっくりと切られたジャンバーだった。そして、まだ都史君の血がジャンバーに残されていたのだ。「今はようやく見れるようになったけどね、事件直後は、もう、辛くて辛くて、これみたらボロボロ涙が出てきたんや。なんで、ここまでせなあかんかったんかと。身体ズタズタにされて、都史君が手を合わせて命乞いしてんのに、『なかなか死なへんな』って言うて、頭を2回切ったんですわ。私が50歳を超えてできた子どもやったからね。ほんまかわいくてね。離婚した母親があまり育児しないもんやから、私がほとんどしてたんですわ。おしめかえて、お弁当作ってってね。母親と色々あって、ここに来て、3ヵ月で事件にあったんですわ。お兄ちゃんいれて、3人の生活がスタートしたばっかりやったのにな」無残な遺体に対面したときの想い、納得のいかない判決への怒り、そして森田さんの近所には今も加害者家族が住んでいるという。後編記事『和歌山県・紀の川市小5殺害事件 8年経った今も犯人から謝罪もなく賠償金も1円も支払われず…被害者父親の「悲痛な想い」』に続く。
森田さんの、その袋をあけ、取り出すと、鼻をつくにおいがした。
「まだ匂うでしょ? 8年も経つのに」
森田さんが、そっとそのジャンバーを開くと、ところどころ切られ、そして、大きくざっくりと切られたジャンバーだった。そして、まだ都史君の血がジャンバーに残されていたのだ。
「今はようやく見れるようになったけどね、事件直後は、もう、辛くて辛くて、これみたらボロボロ涙が出てきたんや。なんで、ここまでせなあかんかったんかと。身体ズタズタにされて、都史君が手を合わせて命乞いしてんのに、『なかなか死なへんな』って言うて、頭を2回切ったんですわ。
私が50歳を超えてできた子どもやったからね。ほんまかわいくてね。離婚した母親があまり育児しないもんやから、私がほとんどしてたんですわ。おしめかえて、お弁当作ってってね。
母親と色々あって、ここに来て、3ヵ月で事件にあったんですわ。お兄ちゃんいれて、3人の生活がスタートしたばっかりやったのにな」
無残な遺体に対面したときの想い、納得のいかない判決への怒り、そして森田さんの近所には今も加害者家族が住んでいるという。後編記事『和歌山県・紀の川市小5殺害事件 8年経った今も犯人から謝罪もなく賠償金も1円も支払われず…被害者父親の「悲痛な想い」』に続く。

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