「保育士の数を2倍」にした園で起きた劇的変化

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保育士不足の解消や働き方へのさまざまな取り組みをご紹介します(写真:加古川市)
保育士は、朝の園児のお迎えから日中の活動、昼食時の食事サポートなど、多くの仕事を抱えている。誰かが泣いたり、体調を崩せば駆けつけてフォローをするし、連絡帳や日報などの事務作業も行う。保護者として、保育士たちはいったいいつ休憩を取っているのだろうかと心配になることもある。
昨年の保育所等利用児童数は、およそ274万人と5年間で30万人増となった。それに伴い、「保育士不足」が問題となっているが、保育士資格を持つ人すべてが保育士として働いているわけではない。
保育士資格を持っているにもかかわらず、保育士として働いていない「潜在保育士」は、全国に98万人と、資格保有者の3分の2にものぼる。東京都の保育士実態調査(平成30年)によると、保育士を辞めた理由は、職場の人間関係に次いで、給料、仕事量、そして労働時間と、待遇に関するものが目立つ。
一方、保育士資格を取った動機として最も多いのは、「子どもと接するのが好きだから」だ。保育士が待遇面、精神面ともにゆとりを持ち、子どもと接する時間を充実させることができれば、保育士不足の解消につながるのではないだろうか。人員増員やICT導入により保育士の働き方改革に挑む、保育園と自治体を取材した。
先ほどの東京都の保育士実態調査によると、保育士の半分(50.1%)が「現在の職場に改善してほしいこと」として、「職員の増員」を挙げている。しかし、今年4月の保育士の有効求人倍率は1.98倍と全職種の平均値(1.17倍)よりも高く、保育士確保はそう簡単ではない。
そんななか、保育士を国基準の2倍配置し、結婚や出産、育児を経ても働き続けられる職場作りに取り組む園がある。社会福祉法人風の森(東京都杉並区)が運営する、Picoナーサリだ。
もともと幼稚園運営をしていた同法人だが、区の待機児童の問題を受けて7年前から保育園運営を開始した。当初は、国や区が定める配置基準どおりの職員数を配置していたが、すぐにほころびが出始めた。
統括の野上美希氏は、「基準どおりの職員数だと、交代で休憩を取ることすら難しかった。研修時間や有給休暇も取れず、職員が疲弊するのが目に見えてわかりました。行事前は、衣装などの制作のために、残業や持ち帰り仕事が当たり前になっていました」と振り返った。
社会福祉法人風の森 統括の野上氏(筆者撮影)
保育園の運営開始から1年ほど経ち、職員を国基準の1.5倍に増員。すると、交代で1時間の休憩が取れるようになり、残業や持ち帰り仕事をする必要もなくなった。しかし、「勤務時間内の研修やミーティングの実施、希望どおりの有給取得は難しかった」(野上氏)という。
そこで2年前、都の補助金を活用して職員を国基準の2倍に増やしたところ、希望どおりの有給取得や、勤務時間内に交代で研修を行うことが可能になった。また、担任間のミーティングも、パート職員に午睡チェックを任せている時間に行えるようになった。
しかし、今の保育業界は、1人の保育士を2、3園で取り合う状況だ。そんななか、たくさんの職員を採用するのは難しいのではないだろうか。
「たくさんの応募をいただきますが、働いている保育士からの紹介が圧倒的に多いです。職員の満足度が高いと、人材の紹介につながると実感している」(野上氏)
職員の満足度につながっているのは、有給の取りやすさや、残業時間ゼロという点だけではない。充実した研修制度によるキャリアアップや、毎日の保育の充実も職員の満足度につながっている。
研修については、保育士それぞれが抱える課題や学びたいことを、年度ごとに園長と面談。1人ひとりに研修プランを組んでいる。外部講師による研修はもちろん、園内でもグループワークやディスカッションなどを行い、保育の質を高めている。
また、職員からは「ゆとりがあるから、子どもの気持ちを受け止められる」という声が多く聞かれる。例えば、散歩の時間に外に行きたくない子どもがいても、職員数にゆとりがなければ、無理にでも散歩に連れていかなければならない。しかし、職員数にゆとりがあれば、誰かが「なぜ散歩に行きたくないの?」と、子どもの気持ちを聞いてあげられる。
給食の準備で慌ただしいなか、話しかけてきた園児に優しく丁寧に接する職員。楽しそうに話しながら、七夕飾りを一緒に付けていた(筆者撮影)
駄々をこねている子どもも、話を聞けば満足して、スムーズに動いてくれることはよくある。こういったささいなことが、「子どもの気持ちを受け止められた」と、保育士の自己肯定感につながるという。
職員を増やすことでさまざまな課題が解決したが、野上氏は「人員を増やすだけでは、何も変わりません」と話す。
保育園運営を始めた当初は、行事の制作物について「じっくり時間をかけて、クオリティーの高いものを作りたい」という若手職員の声もあった。しかし、「将来、結婚や出産でライフステージが変わっても、今と同様に時間をかけて仕事ができるのか考えてもらった」(野上氏)という。
「時間をかけて作業することをよしとすれば、子育てや家事、介護で早く帰らなければならない職員が肩身の狭い思いをするかもしれない。長い目で見て、持続可能な働き方をしてもらうには、決められた勤務時間内に仕事を終えるカルチャーを作らなければならないと考えた」(野上氏)
今は、ミーティングのアジェンダの事前共有をはじめ、行事も計画的に前倒しで準備を始めるなど、全員で協力しながら貴重な時間をやりくりしている。
職員間で十分にコミュニケーションを取ることで、保育の質だけでなく職員の連帯感も高まっている(写真:社会福祉法人風の森)
今後の課題については、「保育士の働き方を見直す動きが広がり、潜在保育士が保育業界に戻ってきたいと思ってもらえることが、当園の働き方改革の最終目標です」(野上氏)と話した。
自治体として、保育士の働き方改革に取り組んでいるのが、兵庫県加古川市だ。政策企画課 多田功スマートシティ推進担当課長は、「ほかの市町村と同じく待機児童をはじめ、保育士不足は地域課題だった」と振り返る。
これらの地域課題の現状を知るため、多田課長は市内の保育園に足しげく通った。すると、「事務作業など、子どもと向き合う以外の業務にもかなりの時間がかけられていることに気づいた」(多田課長)という。
「具体的にどの業務が大変なのか検証し、ICTを使って何とかできないだろうか」と考えた多田課長は、内閣府のスマートシティ実証研究に応募。ICT導入による保育士業務の変化に関する検証が始まった。
実証研究ではさまざまな実験が行われたが、なかでも興味深いのがNECの感情分析ツールによる実験だ。この実験では1カ月間、園長と受け持ちクラスのある主任教諭に感情分析ツールを着けてもらい、感情を測定しながら行動記録を行った。
感情分析ツール(出所:wisdom「保育士不足を救え!「感情」からたどる、働き方改革と魅力向上」)
「測定結果から、園長先生は園全体を見なければならないプレッシャーのなか仕事をしており、つねに集中・緊張状態で高い負荷がかかっていることがわかった」(多田課長)
NECが開発した感情分析ツールの画面(出所:wisdom「保育士不足を救え!「感情」からたどる、働き方改革と魅力向上」)
そのうえ事務作業も膨大だ。「園長の負荷を軽くしなければ、その部下である保育士の負荷は軽くならない」と考え、同市では園長の事務補助職員の採用を始めた。
さらに実証研究では、午睡時の子どもの体勢をチェックする「午睡チェックセンサー」のテスト導入も行った。午睡チェックとは、うつ伏せ寝による事故を防ぐためのもので、5分おきなど定められたタイミングで子どもの体勢を目視し、向いている方向を矢印で記録する。
「いつ事務作業をしているのか保育士に訊ねると、『午睡時に昼食を食べながら、午睡チェックと事務作業をしている』と話していた。ICTを使って1つひとつの業務を見直すだけでなく、午睡時のマルチタスクをどうにかしなければと感じた」(多田課長)
そんなとき、うつ伏せ寝の事故を防ぎながら、保育士業務を軽減できる午睡チェックセンサーの存在を知り、早速テスト導入することにした。午睡チェックセンサーなら、自動で体勢を記録するうえ、うつ伏せ寝が続くとアラートで知らせてくれる。
園児のおなかに取り付けたボタン式センサーが体動を検知する、午睡チェックセンサーを導入した(写真:加古川市)
「午睡チェックセンサーは、実証研究で有効だとわかったので、市の補助金制度を作り民間園にも普及しました」(こども部幼児保育課伊藤淳平管理係長)。すでに午睡チェックセンサーの導入が済んでいた園もあったが、67の民間園のうち43園が、補助金を活用して午睡チェックセンサーを導入した。
さらに、実証研究を経て「登降園管理システム」もすべての公立保育園・公立こども園に導入した。アプリでいつでもどこでも欠席や遅刻の連絡を入れられるようになり、多忙な保護者からも評判だ。
「登降園管理システム」(写真:加古川市)
「園としても、『朝の電話の混雑がなくなったぶん、ほかの業務に保育士を配置できるようになり、時間が有効に使えるようになった』との声もいただいています」(こども部幼児保育課飯塚梨帆主査)
加古川市では、保育士の定着や復職促進のための補助金制度も整えている。
「国の制度などを活用して、市内の私立認可保育園で働く方に一時金をお支払いする制度を整えている。待機児童や保育士不足を解決するには、いかに加古川市で働いてもらうか、定着してもらうかという観点で制度を作りました」(飯塚主査)
さらに同市では、保育士向けの就職フェアを開催し、園の採用活動をサポートしている。
「『保育士』になるなら加古川市で!」と打ち出し、補助金制度を充実させている(画像:加古川市HP)
伊藤管理係長は、「民間園の協力のもと、園や定員の増加が実現し、今年4月にはようやく待機児童が0人になりました。だからこそ、市としても民間園の声を生かし、保育士確保に向けた取り組みを充実させている」と話す。
昨年の保育士就職フェアでは、参加者の3分の1が加古川市内の園で採用され、新規採用人数も増加傾向にある。
今後は、「AI入所調整」を取り入れる予定だ。今まで職員がアナログで行っていた入所調整をデジタル化することで、担当者ごとの判断のずれをなくせるうえ、入所予定の園を早く保護者に伝えられる可能性もある。
多田課長は、「働き方改革やICT活用を通して、保育士はもちろん、子どもや保護者も笑顔になれるよう、今後も施策を講じていきたい」と話した。
保育士には、連絡帳の記入、日報や指導案の作成など、子どもの成長と寄り添う以外の業務も多い。
その中で「人がやらなくてもよい業務」の負担を軽減し、さらには人員を増やすなどして、ゆとりを持って「子どもと向き合う時間」を増やすことが、保育士の定着につながっていく。さらには、潜在保育士が保育の魅力を再発見することにもつながるだろう。
保育士の働き方改革は、国や自治体の制度や園の取り組み、そしてICTなどさまざまな側面から行われている。今後も社会全体で保育士不足について考えていけば、多様なアイデアによって保育士や子どもたちの環境がよりよくなるかもしれない。
(笠井 ゆかり : フリーライター)

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