だから175平米26万円でも売れない…東京から1時間でも「擁壁のある住宅地」が放置される理由

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不動産、特に土地の価格は、何よりもまず立地条件や利便性に左右される。そのうえで、広さや地形、接道方向や前面道路の幅員の違いによって価格が決められる。
宅地を例に挙げれば、例えば最寄り駅からの距離がほぼ同じで利便性に差はなくても、土地が北向きで日当たりが悪かったり、前面道路が狭く車両の往来も難しいような場所であれば、周辺の相場価格より安くなるのが通例だ。
それでも、現在の日本で「住宅用地」として一般的に流通する住宅街であれば、多少の条件の悪さは、ただ価格に反映されると言うだけで、それで直ちに流通が止まったり、誰も買い手がつかず放置されるというケースは多くないだろう。
少しでも良い条件の土地を求めるのは皆同じだが、人それぞれ予算も異なれば、住まいに求める条件も違う。日当たりが悪かろうと道が狭かろうと、駅や商業施設に近く、他より安ければ良いと考える人はいるものだ。
しかし、区画の大半が今なお更地のまま残されているような限界ニュータウン・限界分譲地の場合はどうか。限界分譲地の地価の安さは、もちろん立地条件の悪さに起因するものだが、別の遠因として、その分譲地が持つ本来の需要に対し、売地の供給数があまりに多すぎるために価格崩壊を起こしているという事情がある。
単一の販売業者が販売する現役の分譲地とは異なり、千葉の限界分譲地は、一度は投機目的の取得者の手に渡っているために、現在の所有者は区画ごとに異なる。所有者の大半は現地の土地勘を持たない遠方在住者であり、統一された相場観が形成されることがない。
そこへ、需要をはるかに上回る過剰供給が常態化したらどうなるか。その結末が、現在の土地価格の崩壊である。
南向きの60坪の土地が、北向きの30坪の土地の半額で売られているというような状態も珍しくない。普通の住宅地であれば一番条件が良いはずの区画ですら、底値に近い安値で売られていたりする。
限界分譲地の売地の多くは、所有者の希望価格に沿って広告が出されているものだと思うが、つまるところ、分譲当初の価格と現在の実勢相場があまりに乖離しているために、ほとんどの場合、所有者(売主)がどこまで妥協できるか、その考え方次第で価格が決まる市場であると言っても過言ではないのだ。
ほとんどの所有者は具体的な利活用方法を持ち合わせていないので、相対的に見て好条件の区画であろうと、所有者自身がその土地を捨て値で手放す決断を下せば、それは底値で市場に放出されるのである。
こうなると買い手側としては、積極的に条件の悪い土地を選ぶ理由がない。活用されるのは条件の良い土地ばかりで、条件の悪い土地はどんなに売値を落としても買い手がつかず、0円でようやく手放すことができれば御の字、というほどの二極化が起きる。
まともな売値もつかず、手放すための労力ばかり要する土地は、やがて市場に出ることもなくなり、管理もされず放棄されていく。限界分譲地には今なお大量の売地が残され、広告が出され続けているが、その一方で、もはや広告にすら出てこない「放棄区画」もまた次第に増加しつつある。
では、実際に「放棄区画」になりうる土地には、どんな共通点があるのか。筆者が調査対象にしている千葉県北東部の分譲地に限って言えば、もう答えが出ていると言っていい。
それは「擁壁のある土地」である。
擁壁とは、住宅地においては、傾斜地上に開発されたひな壇状の造成地の土砂の崩落を防ぐために設置される、コンクリート製の構造物を指す。大規模なニュータウン開発が盛んだった1960~70年代、丘陵地や山腹に開発された分譲住宅地で多く採用されている。
地形の制約で、どうしても擁壁を設置しなくてはならなかった宅地は多いが、中には、擁壁など設置する必要があると思えないような平坦地でも、わざわざ盛り土をし、擁壁が造られている住宅地を見かけることもある。
擁壁の宅地は家屋が大きく見えるので好まれたとも言われており、石垣や城塞を模したようにも見える擁壁が、マイホームと並び、一種のステータスとして機能した時代もあったのかもしれない。
しかし擁壁は、その建造に多額の費用を要する構造物である。費用は高さや建築面積によるが、一般的な広さの宅地の場合でも、道路との高低差が1メートルにも及べば、数十万単位での費用を要する。
また擁壁は他の外構工事と異なり、単に施主の好みで設置すればよいというものではなく、建築基準法において設置義務が定められている(壁高2m以上の高低差のある土地。宅地造成等規制法区域内においては1m以上の盛り土)。
その建造方法や材料も同法の規定に沿ったものにせねばならず、建造にあたっては家屋同様に建築確認申請を行う必要がある。
ところが、1970年代ころまでに建造された擁壁の中には、現行の建築基準法が定める構造要件を満たしていないものが少なからずある。
法改正前から存在する基準未満の建造物は「既存不適格」と呼ばれる扱いになる。条例内容や要件は地方自治体によって異なるが、既存不適格の擁壁は、たとえ見た目では老朽化しておらず擁壁としての役割を果たしているものでも、法的には「がけ」と同等の扱いとなっている擁壁もある。
既存不適格だからと直ちに造り直しを命じられるわけではないが、今あらためてその土地に建造物を新築する場合は、もちろん擁壁も、現行の建築基準法が定める工法や構造を要求される。
つまり、古い基準で造られた擁壁にそのまま家屋を新築しようとしても、建築確認申請が通らないのである。
そうなると、古い擁壁を撤去し、現行の基準を満たした新しい擁壁に造り直して初めて、その土地は宅地として利用できることになる。
だが、利便性が高く、更地が希少な都市部ならともかく、千葉の限界分譲地は、果たしてそこまで費用を投じる価値のあるものなのか。これはかなり微妙であると言わざるをえない。
たしかに不動産は二つと同じものはなく、見出す価値も人それぞれである。他ならぬ筆者自身、一般的な不動産の評価基準に照らし合わせれば、およそ話にもならない悪条件の分譲地を、わざわざ選んで暮らしている。擁壁上の宅地を好むこと自体を疑問視することはできない。
しかし千葉の限界分譲地は、すでに述べたとおり常に過剰供給の状態にある。道路との高低差が一切ない平坦な分譲地でも、売主の考え方次第で、たやすく底値で購入できてしまう市場である。
すぐに利用可能な宅地が数十万円で売られている市場において、まず宅地としての最低限の要件を満たすために数百万円の費用を要するのでは、商品として勝ち目などあろうはずもない。
一般的な住宅市場においても、今は擁壁の宅地は平坦地と比較して価格が落ちるのが通例だが、千葉の限界分譲地の価格相場には、その下げ幅がもう残されていないのだ。
高低差が2m未満の擁壁であれば建築基準法の定める要件を満たす必要はなく、新築時に擁壁の構造や強度を問われることはないが、古い擁壁は法令上の制限の他にも問題を抱えていることがある。
特に目立つのが駐車スペースの不足だ。
これは限界分譲地だけでなく、古い郊外住宅地全般で起きている問題でもある。70年代、80年代ころに造成された擁壁の宅地は、駐車スペースを1台分しか確保していないものが多い。
中にはビルトインガレージを設けている宅地もある。乗用車と言えばセダン型が当たり前だった時代に造られたビルトインガレージは、今日の基準では総じて天井が低く、中にはまともに駐車できる車種がほとんどないものもある。
駐車場の拡張や造り直しを行うにしても、すでにそこに住居を構えて住んでいるのならともかく、新築用地として選ぶメリットがほとんどないのは、先に述べた建築基準法に適合していない擁壁の土地と同様である。
たとえ駐車スペースが不足していようとも、宅地需要・土地需要の高いエリアであれば、月極駐車場はたやすく見つかると思う。しかし、千葉の限界分譲地ではそうもいかない。有料の駐車場の需要がほとんどなく、幸運に借り手が付いたとしても、せいぜい1台あたり月に2000円から3000円程度の賃料しか得られないような市場では、月極駐車場の経営に着手する事業者はない。
駐車スペースを確保したければ、車両が乗り入れ可能な別の空き地を探さなくてはならず、これでは本末転倒も甚だしい。
そもそも建築基準法による規制を受けないということは、裏を返せば、安全のための統一された基準や、質の低い工事を排除できる審査や仕組みが存在しないということである。
どれだけ費用を投じて豪壮な家を建てたとしても、その家が立つ宅地の擁壁工事がずさんなものあれば何にもならない。
これまで筆者が訪問した分譲地の中には、よほど質の低い工事が行われたのか、擁壁そのものが崩壊して宅地が激しく沈下していたり、雨水が染み込んで膨張した土砂によって擁壁が歪み、今にも崩れ落ちそうな擁壁を見かけることもあった。
また、分譲販売時に見た目ばかり重視して、擁壁付近に苗木を植えてしまったために、数十年の年月を経た今、その苗木が大木となって、擁壁が木の根に押されて崩落し始めているものもある。
これらはいずれもずさんな工事の結末であり、立地条件を問わずどこでも起こりうることではあるが、一般論として考えて、実需に基づいて開発され、生活に必要な設備を一通り備えた標準的な住宅分譲地と、ほとんど投機目的のみで乱開発されたような、ろくにインフラも整っていない分譲地では、後者のほうが手抜き工事がまかり通る市場であったことは想像に難くない。
実際千葉県の限界分譲地においては、質の低い舗装や造成工事を見かけることは頻繁にある。そもそもまともな舗装すら行われていない分譲地もある。
限界分譲地における擁壁の問題について指摘するのは、正直言って後ろめたさがある。
今でも区画ごとに所有者がいるはずだが、すでに多くの擁壁上の宅地が放棄され、荒廃して雑木林と化している。その現状を語るのは簡単だが、解決策として提言できることがなにもないからだ。
現行法令に適合していない擁壁はもはやどうにもならないし、工事をやり直すほどの価値も、地価が回復する見込みもまったくない。
この擁壁の問題は、筆者が以前の記事で指摘した、家屋の解体費用が更地の価格を上回っていて、廃墟と化した建物の始末が困難になっている事例に類似している。結局は、地価と、建築工事にかかわる人件費や材料費のバランスが崩れた際に生じる必然的な現象なのである。
地価の上昇が見込めるエリアで不動産を購入できれば話は簡単だが、今日の日本では、誰もが地価上昇エリアの物件をたやすく手に入れられる状況ではないだろう。
膨大な数の放棄区画から得られる教訓として言えるのは、工事費用に見合った資産となりうるかどうかの見極めが、今後はよりシビアになっていく、ということかもしれない。
今は遠い僻地の限界分譲地で起きているこの現象は、さらに人口減が進むこの先、次第に都市周縁の郊外住宅地にも、静かに侵食していく恐れがあるからだ。
———-吉川 祐介(よしかわ・ゆうすけ)ブロガー1981年静岡市生まれ。千葉県横芝光町在住。「URBANSPRAWL -限界ニュータウン探訪記-」管理人。「楽待不動産投資新聞」にコラムを連載中。9月に初の著書『限界ニュータウン 荒廃する超郊外分譲地』(太郎次郎社エディタス)を出版予定。———-
(ブロガー 吉川 祐介)

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