夜になると「来ないで!」と泣き、体重は11.9キロに激減…「給食いじめ」が小4女子に残した“深すぎる傷跡”とは

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〈小柄な小4女子が口を無理やり開けられ、スプーンを…広島県尾道市で起きた「給食いじめ」事件の一部始終「誰か食べさせてあげて」〉から続く
広島県尾道市の公立小学校に通っていた女子児童A子さん(当時4年生)が、同級生から無理やり給食を食べさせられ、心痛から不登校となり「適応障害」と診断された。A子さんは2年生の頃から継続的にいじめのターゲットにされており、その状況に学校が対応できずにいる中で起きた事件だった。(全2本の2本目)
【写真】同級生と比べてもひときわ小柄だったA子さん。「給食いじめ」で不登校に追い込まれた
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その日からA子さんは給食の時間が怖くなりほとんど食べられなくなったが、両親に事件について話したのは5月になってからだった。
いじめが原因で不登校に追い込まれたA子さんは同級生と比べてもかなり小柄だった(中央)
「A子はこの時も、家族に心配をかけないように言わずにいたんです。でもゴールデンウィークが終わり登校が再開してすぐ、5月10日に『給食が怖い。食べることが怖い』と言い、B子たちに無理やり口を開けられて給食を食べさせられそうになった日のことを初めて伝えられました。これまでのこともあり、担任に『我慢できないのでB子さんの保護者に直接会うか、こちらから連絡をとります』と言いました。普通に学校に行って自分なりの成長をしていただけなのに。娘の日常と家族の平穏を返してほしいと思いました」
当時のA子さんの様子は痛ましいものだった。
「何もない時に急に震えて泣き出したり、夜になると食べ物の夢を見るようで夜泣きや、『やめて!』『来ないで!』などの寝言を言うようになりました。喉が詰まる感じがあったようで、水や唾液も飲みこめない日々が続きました。16キロだった体重が7月には11.9キロまで減ってしまいました。私や祖母から離れることを極端に怖がるようになり、探し回ることも増えました。顔つきが険しくなり、表情も乏しく、フラッシュバックに苦しんでいました」

A子さんはそれでも登校を続けていたが、6月になると限界を迎え、「給食が無理」と母親に泣きながら訴えた。
「学校に『給食を停止し、弁当にさせて欲しい』『弁当を教室で食べられなければ保健室で食べさせて欲しい』と要望して対応してもらったのですが、それ以上の配慮はなく、結局7月にはA子は学校へいけなくなってしまいました。
1学期末の7月5日からはA子さんは不登校に。母親は学校に対して状況の改善を強く求めたが、対応は満足のいくものではなかった。
「学校側からの提案は何もなかったので、祖父やお世話になっている尾道市の議員さんにも協力してもらって、学校と何度も話し合いをしました。それでも一向に改善策が提示されず、市の教育委員会にも連絡をしました。A子をいじめた女子3人の保護者にも『個別の謝罪は要らないから、学校が公式に謝罪と説明の場を作るように協力してほしい』と伝えましたが、特に謝罪もありませんでした」
A子さんの母親は夏休みに入っても学校とのやりとりを続け、8月7日に「謝罪の会」が図書室で開かれることになった。参加したのはA子さんと両親、そして給食を無理やり食べさせようとさせたB子を含む女子3人とその保護者など。学校側からは校長と教頭、担任が同席した。
会が開かれる前、教頭は「きょうは給食事件のことで集まっていただいています。それ以外は触れないようにお願いします」とA子さんの母親に釘を刺したという。
「A子がB子からいじめを受けるようになったのは小2の時からで、学校にも何度も相談してきました。それが解決されなかったことが事件につながっているのに、学校はあくまでも給食の出来事にしか対応しないというんです。しかも給食の事件についても、3人がA子に何をしたのか説明してくれるように事前に伝えていたのですが、説明はなく、女子3人が順番に立ち上がって『ごめんなさい』というだけ。母親たちも、申し訳なさそうに頭を下げるだけでした」

怒りが収まらなかった母親は、2日後に教頭との電話の中で「過去のことをきちんと調べてください」と念を押した。しかし教頭の答えは「過去のことは認識の違い、記憶の薄れもあるし、解決したものと考えている」「市教委は過去のこともいじめとしていましたが、学校としてはもう解決したものと考えています」というものだった。
母親は尾道市の教育委員会にも電話で連絡し、「調べてくれないなら第三者に相談します」と伝えると、数日後に所轄の警察署に被害届を出した。
謝罪の会が終わって2学期が始まっても状況は一向に改善せず、欠席が30日を超えたことで、市の教育委員会はA子さんのケースを「いじめ重大事態」と認定したが、その時点ではA子さんの保護者には伝えられなかった。
10月、A子さんは医師から「適応障害」の診断が下された。被害届に診断書を添えて提出しようと警察署に電話すると、前回は被害届の受理ではなく相談扱いになっていたことがわかった。

結局A子さんは2学期の間ずっと学校に通うことができず、転校できるように学校に頼んでいた。1月16日にようやく許可が下り、弟とともに市内の別の小学校に転校することになった。
「A子はその時点でもまだ体力的に落ち着いていなかったので、まず弟だけが転校しました。弟は転校の理由を書く書類に『お姉ちゃんを守れなかった学校には通えません』と書いていました」
しかしA子さんたちが転校した学校は、B子の母親が養護教諭として勤務している学校だった。さらにA子さんが6年生になるタイミングで小学校の統廃合があり、なんとA子さんが元いた学校と転校先の学校が統合され、A子さんは現在は再びB子と同じ小学校に通っている。
「A子はいま6年生になり、身長125センチ、19.1キロになりました。以前よりは大きくなっていますが、周囲の子どもと比べると体格的にはどうしても劣ります。いまでも食事に恐怖心があるようで、給食は食べられないので弁当を持参しています。教室で食べられないときは保健室で食べさせてもらっています。外食も難しく、家でも食事の時間になると表情が険しく乏しくなり、喉がつかえたりして毎日落ち込んでいます。『給食事件がなくても自分は小さかったかもしれないけど、食べるのは怖くなかった』と言うのを聞くと、本当にB子たちが許せません」

今年の8月18日、尾道市の教育委員会は調査報告書を公表し、いじめを認めた上で「不登校と無関係ということはできず、むしろ大きな影響を与えている」と因果関係も認定した。ただしA子さん側の主張とは食い違う部分もあり、母親は「所見書」を提出したが公表されていない。文科省の「いじめ重大事態の調査に関するガイドライン」で「対象児童生徒・保護者からの所見所書を提出することが可能」だが、公表については定められていない。尾道市の教育委員会は、協議をしたうえで個別に判断する方針を示している。
(渋井 哲也)

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