「池袋通り魔事件」が起きたのは、1999年9月8日のこと。白昼の東京・池袋で通行人をハンマーで殴り、包丁で突き刺し、死者2名、重軽傷者6名を出した惨事である。実行犯・造田博(23=事件当時)は2007年に死刑が確定したが、2025年現在、未だ刑は執行されず、拘置所での生活を続けている。遺族にとっては耐え難い事実であろう。
【前編】では、事件の詳細と造田の生い立ちについて「週刊新潮」の記事を再録して明らかにした。【後編】では、公判で明らかになった事件の動機、拘置所での造田の生活ぶり、そして、事件後26年が過ぎても死刑が執行されない理由について考察する。
【前後編の後編】
***
【写真を見る】虚ろな表情を見せる造田博死刑囚。事件現場となった池袋「60階通り」も
なぜ、造田は無差別殺人を起こしたのか。殺人罪などで起訴された造田は、法廷で、事件のきっかけは犯行の5日前にかかってきた無言電話だと述べている。造田は事件当時、足立区内の新聞販売店に勤務していたが、9月1日に遅刻し、所長から携帯電話の購入を勧められる。その携帯電話に9月3日、「無言電話」がかかってきた。造田はその電話の主を、普段から「努力しない人」と軽蔑している同僚従業員からだと思い込んだという――。造田は尋問でこう述べている。
「電話にむかついた」
「それで、日本に大勢いるような人に頭に来て、殺意が生まれた」
「日本という国は、あまりいい国ではない」
この翌日、造田はアパートに、
〈わし、ボケナスのアホ全部殺すけえのお〉
との書き置きを貼り付け、姿を消す。そして犯行に及ぶのだが、無言電話への怒りがなぜ無差別殺人へと繋がるのか、およそ理解しがたい主張である。
こうした不可解な言動もあり、公判で焦点になったのは、犯行時の造田の精神状態だった。弁護側は「被告は精神分裂病による妄想に支配され、物事の是非や善悪を判断する能力が全くないか不十分だった」と、心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあったと主張、無罪もしくは刑の減軽を求めた。精神鑑定も行われた。
しかし、この被告側の姿勢に激怒したのは遺族である。2名の犠牲者のうちの1人・B子さん(29=事件当時)の弟は、事件後、「姉のページ」というHPを開設した。「週刊新潮」2000年5月4・11日号は、この動きについて記事にしているが、それによれば、弟はHPでこのように思いの丈を述べている。
〈初公判で、犯人の弁護士が精神鑑定を要求してきました。あきれたものです。もしこれで本当に犯人が無罪になったら、日本の法律では無差別殺人は罪にならないということになります〉
〈すべての臓器を売ってでも賠償してほしいです。死刑囚の臓器を売り、その収益で賠償。そんな気の利いた法律、作れないものでしょうか〉
また、B子さんの夫も同誌の取材にこう答えている。
「相手の弁護士は造田の生い立ちや過去について延々と述べ、同情を誘おうとしていました。私にいわせれば、どういう犯罪をなぜ犯したのかだけが重要で、造田の過去などどうでもいいことです。そのうえ造田が書いた意味不明の手紙を引っ張り出して、犯行当時、精神分裂病だったと結論づけようとしていました。しかも加害者には公判中、同情を誘うための莫大な時間があり、まさに言いたい放題ですが、被害者側にはそんなことは許されないのです」
事件から3年後の2002年3月、東京地裁は一審判決を下した。判決は「死刑」。裁判官は、「事前に凶器を準備し、目的通りに犯行を遂げており、行動の抑制能力が喪失、減退した状態にはなかった」として、完全責任能力を認めた。動機についても、「携帯電話にかかってきた無言電話を契機に、努力している自分を正当に評価しない社会などへの反発心を募らせ、世間を驚かせることで自分を認めさせようとした」。そして、「自己中心的で冷酷な動機に酌量すべき点はない」と断罪したのである。
これを不服とした造田は控訴したが、判決は覆らず。上告も2007年に棄却され、死刑が確定した。その後、再審請求をしたが、主張は認められなかった。
その後、造田はどのように執行の時を待っていたのか。「週刊新潮」2013年7月25日号では、拘置所で死刑囚の身の回りの世話をしていた受刑者に取材。造田の秘められた生活ぶりを明らかにしている。それによれば、
「造田は何もしゃべらず、下を向いて一日を過ごしています。“お茶要りますか?”と聞いても、やや間を置いて手でバッテンの合図をするくらいで、私は彼の声を一度も聞いたことがありません」
「汚くてもどうしようもない人間で、シャツも洗濯しないから、白いシャツが真っ黄色になってしまっているんです。トイレも絶対に流さないので、房は臭くて仕方がない。一言で言えば、“廃人”同様の人物」
扱いにくさでは、フロアで屈指だったという。
令和となった今でも、造田の死刑は執行されないままだ。刑事訴訟法では、死刑確定から刑が執行されるまでの期間を半年以内と定めている。2015~2024年に執行が行われた死刑囚の、確定から執行までの平均期間は9年強。造田の場合、確定から既に18年の歳月が経っている。
執行の遅れの背景には、造田の精神状態が影響していると思われる。刑事訴訟法479条には、「死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によって執行を停止する」とある。造田がこれに当たるのではないか、との指摘が出ているのだ。
死刑制度の廃止を求めている「日本弁護士連合会」は、2018年、心神喪失の疑いがあるとして、8名の確定死刑囚の執行停止を法務省に勧告している。そのうちの一人が造田。日弁連は勧告書でこう述べている。
「(日弁連のメンバーと協力医が)面会したところ、(造田は)自分の置かれた状況に対して全く関心を示さず、自閉、感情平板化(感情鈍麻)、無関心という統合失調症の中核的な陰性症状が著明である」
こうした指摘の影響もあり、執行が後回しにされていることが窺えるのだ。
事件から26年。先の2000年の「週刊新潮」の記事で、犠牲者・B子さんの夫はこうも述べている。
「私としては、造田が妻が生きた年月より1日たりとも長く生きるようなことがあったら、気持ちの持って行き場がなくなります。ですから、国が裁くのに限界があるなら、私が“裁き”を下してもいいと思っています。とにかく、絶対に造田を妻以上に長生きさせないことが、今の私にとって最大の目標なのです」
B子さんが亡くなったのは29歳。そして造田は今年で50歳となる。己を閉ざした造田は、死刑が確定したにもかかわらず、被害者の人生よりも遥かに長い年月を生き永らえている。これ以上の不条理はあるまい。
【前編】では、事件の詳細と造田の生い立ちについて詳述している。
デイリー新潮編集部