娘(27)は元同僚の男にバラバラにされた 翌年には結婚の約束も「もうこいつは絶対許さない」その後の心境の変化【強姦殺人事件 父親の訴え③】

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14年前に、岡山県内で起きた強姦殺人事件で娘を亡くした父親【画像①】が、岡山県警本部で自身の辛い記憶を語りました。
【写真を見る】殺害された加藤みささん(当時27歳)
2011年9月30日(金)、午後6時半から午後7時半の間(推定)に、加藤裕司さんの長女・加藤みささん(当時27)は、元会社の同僚の元死刑囚の男(当時29)に性的暴行を受け、ナイフで十数回刺され、殺害されました。その後、元死刑囚の男は、遺体を大阪へ運び、バラバラに切断してごみ袋に入れ、川などに遺棄しました。

元死刑囚の男は、2013年2月、岡山地方裁判所で死刑判決を受けましたが、被告側の弁護人の考えで即日控訴しました。しかし、翌月に控訴を取り下げたため、死刑が確定し、2017年7月に死刑が執行されました。【第1回】【第2回】から続く。
元死刑囚の男に対しての裁判は、なかなか始まりませんでした。ようやく裁判が始まったのは、事件が発生して1年4か月後でした。(加藤裕司さん)「裁判員裁判ということで、裁判を行うということなんですけど、相手の弁護士からは、『検察が起こした起訴内容では、一切反論しません。争いません』ということでした」「じゃあ、何を争うんだということなんですけど、要は『強盗強姦殺人』というのは、強盗殺人とは違って、“無期懲役か死刑”の2択しかないということでした」
「だったらすぐ始まるんじゃないか、と思ったんですけども、なかなか始まりません。裁判官と検事と相手の弁護士の3者で毎月1回、調整をしながら、いつまでに何をどうするというのを話し合うと」「ところが、相手の弁護士がその日に出席しなかったら、1か月延びるんです。3か月くらい延びました。『あ、これは引き延ばし作戦だな』と思いました」
「検事さんに『早く裁判やってくれないと、こちらのテンションが下がってしまう』と言ったら、検事さんにすごく叱られて、『あなた一体何を言ってるんですか、あなたは裁判に出席することもできない、発言することもできないお嬢さんの代わりにあなたが戦うんですよ』と言われました」「もうそれでいっぺんに目が覚めました。愚痴などを言っている場合ではない。もっともっと裁判員裁判に備えて、知らないことを勉強する必要があると思って」
もともと裁判のことを知らなかった加藤さんは、普通の裁判と裁判員裁判は何が違うのかなど、「一生懸命勉強しなければならない」と思い、週2~3日を仕事にあて、残りの日は裁判について勉強することにしました。(加藤裕司さん)「私は当時、個人事業としてコンサルタントをやっていましたので、働かなかったらごはんを食べられないですよね。誰かが保証してくれるわけもなく、仕事に出ない日があれば、その分だけ減るわけですから」「極端にいえば、ひと月の間に100万円以上の収入があると思えば、0円の月もあります。そういう激しい浮き沈みがあるんですけども。最低2日か3日は仕事するんですけども、あとは一生懸命、勉強するということで、事件のことも、それから戦前~戦中~戦後を通じての悲惨な事件を扱ったルポや小説とか、ありとあらゆる本を読みました」
「検察が起訴している以上、『精神鑑定は無いな』と思っていたんですけど、相手の弁護士が罪を下げる努力をする一つの手段として、『情状鑑定』というのがあります。これはやるだろうなと思っていたので、私は一生懸命、ある有名な精神科の先生の2人の本を約10冊くらい読みました」「素人であっても、『どのようなパーソナリティ障害を持ってるのか』ということが言えるぐらいのレベルにしたいと思ったんです。というのは、相手の弁護士が精神科医を証言台に呼んで、説明した時になんかわけの分かんない病気を言った。これではもう勝負にならないと思ったんです」「知らないということは質問もできないんです。そういうことがあってはいけないと思って一生懸命頑張って勉強しましたけど、結果としては、呼ばれることはありませんでした」
加藤さんは、検事から知らされた事実に深い悲しみと怒りを抱えました。(加藤裕司さん)「知らされたのが、『強姦殺人だった』ということです。それまでは殺人事件というようなことで、自分が作った創作物語を言ってました」「証言を変えた内容が、ことごとく証拠物と一致してたんですね。これは間違いないだろうということで、『強盗強姦が起きたんだ』ということを、その時に初めて検事さんから知らされました」
「それを聞いた時に、私はどんな悪人であっても、人間である以上どっかいいところがあるって反省をし、償いをし続けたら、われわれとて人間だから、20年後、30年後にひょっとしたら許せる、というような甘い考えを持っておりました」「ところが、娘は強姦までされて殺されたのかと聞いた時には、『もうこいつは絶対許さない』と思いました。裁判所が許そうが、神様が許そうが、仏様が許そうが、私は許さない、そういう思いで一生懸命勉強に臨みました」
「一生懸命勉強すればするほど、分かってきたのは、『元死刑囚の男だけが戦う相手ではない』ということでした」「『永山判決』というのがありました。1983年に最高裁で死刑判決になったんですけど、永山則夫元死刑囚が1960年代に19歳でピストルで4人を射殺した事件がありました」「未成年ということと、4人ピストルで射殺したという重い事実で、かなり揺れ動いたんです。最終的に十何年かかって最高裁が出した結論は、死刑でした」
「そのときに死刑にする条件として、9つ挙げていました。社会的に大きな影響を与えたとか、殺害の内容がとてもひどいものだったとか、いろいろ項目がある中に、“殺人の数”というのがありました」「考えたこともないと思うんですけど、1人を殺害したの場合は、有期刑。つまり、懲役15年とか20年とか。2人殺害して無期懲役、3人以上の殺害で死刑、という条件を出したんです」
「馬鹿げた条件だと私は思います。人の命を数で数えるのか、ということですよね。昔から道徳の授業とかで人の命は地球よりも重いと教わってて。“殺人の数”で死刑にするかしないかを決めるのはどう考えてもおかしいですよね」「しかし、それが現実で大きな壁でした。われわれの弁護士の先生にも、おそらく無期懲役だろうと言われましたが、私は神様が許しても許さないと思っていましたので、無期懲役なんか考えたこともなかったですね」
「でもひょっとしたら、社会の流れから、無期懲役になる可能性は十分ありました。というのが、私の娘の事件より数年前さかのぼって見てみると、本当にひどい殺害事件があったのも、ことごとく無期懲役でした」
加藤さんは、処分は国に委ねるしかなかった当時の胸の内を語りました。(加藤裕司さん)「私は検事にも警察にも言いましたけど、元死刑囚の男を許すつもりは無いので、法治国家である以上、処分というのは国に委ねるしかない。それの最高刑が “死刑” だということでした」
「でも、私にとっては、最高刑ではありません。最低刑なんですよね。『最低でも死刑』なんですよ。最高は、『この手で死んでってもらう』ということですよね、目の前で。娘が味わった屈辱以上の屈辱を味わわせてから、死んでってもらう。これが復讐というか、素直な考えですよね」「おそらく娘、息子、お父さん、お母さんを殺害された家族が思うことだと思います。それを法律が遮っているんで、復讐はできない。国に委ねるしかないんだけど、心の底では自分で敵を討つ、そのような思いがあります。だからそのことも言いました」
「じゃあ、どうするか。死刑囚は今では30年~33年に1人ぐらい仮釈放になるんです。ひと昔前の有期刑が20年が最高刑だった時は、無期懲役は6~7年で出てたんですよ。驚くでしょう」「これが有期刑が30年に延びたことによって、つじつまが合わなくなって、出ては犯罪を犯してまた戻る、という『再犯』がすごく増えたのもあって、30年~33年に1人か2人しか出ないという状況になっていました」
「それに忠実に従うとなると、おそらく元死刑囚の男は、真面目に過ごしてれば、60代で出てくるということです。その時に私は90代になっています。90代の老人に何ができるか。何もできません」「何もできないけど、計画は出来ますよね。元死刑囚の男が釈放されたら、速やかに連れ去って、私の目の前に連れて来る。そして私の目の前で娘が味わった屈辱以上の屈辱を与えて死んでいってもらう」「そのことによって、私が逮捕されて死刑になろうが何も構わない。そう思っていました。無期懲役になったら、必ずそれをやると宣言しました」
「残念ながらというか、幸いにもというか、死刑判決が出ました。本当にありがたいなと思うのは、真面目な裁判官と裁判員の方と検事と弁護士の先生。多くの支持者の方に支えられて死刑判決が出た」「マスコミの方からは、『非常に珍しい事件ですね』と言われました。『初犯で、1人の殺人で死刑判決になったのは初めてです』と言われました。私はこれが珍しいと思ってないです。当たり前なんですよ。それだけのことをしてきたんですから」
「ところが、それ以降、同じように死刑判決が地方裁判所で出た2件が、同じ人間によって高裁でひっくり返されました。要は無期懲役なんですよね」
「私が元死刑囚の男を『死刑以外考えられない』と思ったのは、誰しも自分の死が目前に迫った時に何を思うかというと・・・辛いですよね」「おそらく娘も、もうこれで自分は助からないなと思った瞬間があったと思います。そのとき娘が何を思ったか、それを想像するとすごく辛いです。『お父さん助けて』ともし言ったとすれば、それが出来なかった自分が辛いですよね」
みささんがヨガ教室に通っていたのは、あるきっかけがあったからでした。(加藤裕司さん)「結婚を約束してた彼氏、『翌年結婚をする』ということを8月に、27回目のプロポーズをやっと受けたんですよ」「9月から生活態度を改めるというか、マイクロ検定を新しく取り直すとか、ヨガに行くとか、習字教室に行くとか、いろんなものを9月から挑戦して。どうしたんかなと思ってたんですけど、のちのち彼氏に聞いたら、『プロポーズを受けてくれたんだ』と」
「それまで私は、娘の結婚には反対しておりました。彼が正規社員ではなかったんです。娘は派遣社員だったんです。契約社員と2人一緒になった時には、保証が無いんですよね」「たとえば、子どもができたとなったら、辞めないといけない。産休が多分ないから。『それじゃ大変だから、正社員になるまで頑張ってくれ』ということで、それまで反対すると言ってたんです」
「彼氏に対して娘は、『こんなことになって申し訳ない』と言ったんだと思うんです。娘のことですから。そういうことを考えると、命乞いまでさせて、しかも彼氏に対して申し訳ないと思わせることを、元死刑囚の男はしたんだと。こんな鬼畜のような、絶対許さない、そう思ったんです」「その場で死刑判決が出た時に、相手の弁護士は、即日控訴しました。高裁でもう一度戦おうと。これも卑怯だなと思って、自分にバツがつかないように。高等裁判所でもう一回一からやっていく。もう逃げですよね」「でも『そうやっていくんだったら、とことん最高裁まで戦おうじゃないか』と、もう一度思い直したんですけど、元死刑囚の男が1か月半後に控訴を取り下げました。控訴を取り下げることができるのは、被告人だけです」
さらに加藤さんは、裁判員裁判での死刑判決についても語りました。(加藤裕司さん)「3人の専門の裁判官と、6人の裁判員の、9人で判決などを出していくんですけども、死刑判決に関しては、9分の6で判決が決まるんです」「ところが、3人の裁判官が無期懲役、6人の裁判員が死刑の場合、9分の6ですが、死刑にはなりません。“無期懲役”です。3人の裁判官のうち、少なくとも1人以上が9分の6の中に入ってないと、死刑にはならないんです」
「娘の事件の死刑判決は、何人の裁判官の方が死刑を支持していただいたかは分かりません。分かりませんけども、死刑判決が出たということは、そういうことだったんたなと思って、これもまた大変感謝しております」「刑事事件の決着として、“死刑判決”が出た、これで万歳かといったら、そうじゃありません。私は、元死刑囚の男を『それでも死刑で許す』というつもりは全くないので、どうやって元死刑囚の男を苦しめてやろうかと思ってました」
「広島の拘置所に収監されていましたけども。手紙も書きました。手紙を書いて元死刑囚の男に面会を求めたのです」「死刑囚に対する面会は、両親しかだめなんです。兄弟は面会できません。面会ができるのは、死刑囚がほかの事件で、弁護士のお世話になってるとなれば、その弁護士は面会の権利があります」
「結局はできないというルールだったんですけども、例外事項があって、そこを見ると、拘置所の所長の判断で死刑囚に対して、・心を乱さない・会う目的が明確であるというこの2点を満たし、拘置所の所長が認めれば、月に2回まで、1回15分程度の面会ができるという項目がありました」
「それに賭けたんです。元死刑囚の男は娘のことをよく知ってて殺害したわけではありません。自分の好みのタイプが4人いると。4人のうちの1人が娘だった。たまたま娘が出てきたときに引っ掛かったと。元死刑囚の男の目的は、『強姦する』ということだけでした」「娘のことをなんも知りません。元死刑囚の男が収監されてから、死刑が確定してから元死刑囚の男は反省してないな、とずっと思ってました。なぜかというと、お詫びの一言も、手紙の一枚も、お花の一輪も、ろうそくの1本も届いたことがありません」
「要は『反省してないな』と思って。じゃあ誰が反省させてくれるのか、拘置所の人がしてくれるのか、できません」「おそらく自分しかいないと思ったんですね。何年かかろうと、月2回、面会に行って、娘に対して元死刑囚の男が知らない事実」「娘が幼少期のころどうだったか、子どもの頃、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人。その間にどういう子で、どんなことに興味があって、どういう育ち方をしたのか。そしてわれわれ家族がどれだけ娘のことを愛してたのかということをこんこんと聞かせてやろうと思いました」
反省が見られない元死刑囚の男に対し、加藤さんは自身で反省させて苦しみを与えようと考えました。(加藤裕司さん)「いかに鬼畜な人間であろうと、人間で生まれてきた以上はどっか心の隅に隙間があるだろうと」「こんこんと教えることによって、元死刑囚の男が『自分は大変なことをしてしまった。これはなんとかお詫びをしなければいけない』という思いになってくれたら、その時に初めて苦しみが出てくるだろうと思ったんです。人間に戻して、苦しみを与えて死んでいってもらう。それが私の願いでした」「それをやろうと思ったんですけど、ある友人から、『そんなことをして、自分の将来を、余生をそのことに費やして、娘さんは喜ぶのか?娘さんは復讐をしてくれと言ってるのか』ときつく言われたことがあって。そんなこと思うわけないなと思って。じゃあどうすりゃいいんだ、という思いに駆られたんです」
「元死刑囚の男のことは、一切気にかけないようにしよう、拘置所で自殺しようが、死刑になろうが、全然関心を寄せない、そういう風に思うようにしました。『それじゃあ自分が何をしたらいいのか』ということをいろいろ考えたんですよね」
人権のことに携わっている人権擁護委員会などから講演を依頼されることが多い加藤さん。「人権のことについてよく考えなければならない」と思い、加藤さんなりに考えました。(加藤裕司さん)「ただ『死刑囚に対しての人権』という考えです。一般の罪を犯した人たちの人権ということではなくて」「死刑囚に関しては、『加害者にも人権はある』と基本的には私は思っています。問題は、被害者と加害者の人権がイコールに扱われていないということが一番の問題なんです」
「しかも、弁護士さんとかは特に『人権、人権』とよく言いますけど。『死刑を廃止せえ』とか言いますけど。状況はすべて100人の被告人がいれば、100人みんな状況が違うんですよね。家族も被害者も当然そうです」「要はお医者さんと一緒ですよ。100人の患者にも同じ治療する人はいませんよね。一人一人違うわけですよ。だから、一律に人権が必要だとか、人権が必要でないとかいうことは語れないということですよ。私は『加害者と被害者は同じ立場ではない』と言いたいんです」
「被害者の家族を支援する、国から出ている経費は平均して10億~20億です。加害者は、どれくらいお金使ってると思いますか?」「ごはんを食べさせる、薄給のお金を出す、病気にかかれば警察病院で無料で治療する、そんなこと全部含めてひと昔前に600億と言われていました。今2000億と言われています。10億、20億と2000億ですよ。なんでこんな差があるのか」「私の言い分は『2020億を2で割れ』ってことです。被害者はそんなにお金は要りません。2000億も、1000億も要らない。たぶん100億もあればなんとかなるんかなと思ってます」
「加害者は、被害者が払ってる税金を使って暮らしているわけです。3食無料です。病気になれば、警察病院が面倒を見てくれます。普通に刑期を務めれば、わずかですけども懲役のお金を出る時にもらえます」「これっておかしいな、と思うんです。私たちが飲食店でごはんを食べてパッとお金を払わずに出たら、どうなりますか?逮捕されますよね。お金を払わなかったから。生きていくために食べてるわけですよ。でも、お金を払わないと食べれないんです。逃げたら逮捕される」
「刑務所、拘置所の中では、3食が確保されてるわけです。誰のお金で?われわれ含めた国民のお金です。病気になったら、治療費も払わずに治療してもらえる。私たちは病院に行ってお金を払わなかったら、どうなりますか?後で追及されてどうされるか、やったことないか分かりませんけど・・・ただでは済みませんよね」
「法務省の人に聞いたことがあります。『刑務所にいる被告人は、日本国民ですか?』日本国民って、われわれが知ってる日本国民というのは、三大義務を果たすというように聞いてます。納税の義務です。15歳以上で働くっていう労働の任務があります」「もう1つは税金です。税金を払う、働かないといけない、教育を受けてこの3つをやって初めて日本国民と聞いてますよね。(刑務所にいる被告人は)何もやってないですよね。だからどうするか、平等に扱うんです。働かせて何が悪い?ということです」
「北海道の開拓の時代、足に鎖をしてロシアが攻めてこないように道路整備をして、その中で二百何十人が亡くなったっていうことがありますけど、そこまでひどいことはないにしても、1日頑張って1万円ほど稼ぐ。労働して何が悪いっていうことです」「労働して得たお金で食費を払うんですよ。税金も払うんです。病気になったら療養費も払うんです。残ったものを被害者にあてる。あるいは自分が出所する時に少し持って出るお金を貯めておく。それに使って何が悪いんですかっていうことでしょう。そうすると国がお金を出さなくても済むじゃないですか。わずかのお金で済むはずです。それを平等に扱えということなんです」
「被害者だけを取り上げて、『被害者だけに何とかする』というような考えではありません。加害者も被害者も人間である以上イコールです。イコールならイコールの扱いをしてほしい。それがなぜできないのかということも考えてほしいわけですね。何に遠慮してるのかなと私は思います」
加藤さんは「今後、どういう風に生きていったらいいのか」、みささん【画像】の墓前で約束を3つしました。(加藤裕司さん)「1つは『犯罪を生まない社会に貢献をする』ということ。2つ目は『犯罪被害者とその家族と直接支援を行っていく』ということ。だから、『犯罪被害者の経済的支援のための基金作り』、この3つを娘と約束しました」「『どうやって犯罪を防ごう』、と一生懸命考えるのは当然大事なんですけども、狙われたら防げないんです。特に性犯罪なんか多いですよね。70%が性犯罪ということで、狙われてる人っていうのは『狙われる』とほとんど思ってないんです」
「ところが狙う人は、ターゲットを絞って攻めてくわけですから、勝ち目がないんです。だったら、スタンガンを持つとかいろいろ対策があるかもしれませんけど、それでうまいこといくとはなかなか思えない」「『じゃあ、どうしたらいいのか』ということは、犯罪に向かう人たちを減らす、そっちに行く数を減らすしかないんだと思ったんです」
「アメリカのデータですけども、アメリカでは『未成年が銃で何十人も打ち殺される』という事件がしょっちゅう起きてますよね。そういう人たちを調べたら、全員がそうではないけども、約50%の人が『3つの項目』が重なったときに事件を起こしているんだということがあるそうです。これが日本にそのまま当てはまるかどうかは分かりません」「要は、『脳の中の前頭前野から偏桃体に至るプロセスが壊れている』、『認知と判断ができない、そういう遺伝の資質を持った親から引き継いた子どもたち』。もう1つは『幼少期の身体的、あるいは精神的な虐待』、この3つが重なったうちの人の50%が、そういう事件を起こしてたということでした【画像】」「1番、2番っていうのは現代の医学では回復できませんよね。残念ながら・・・。だけども3番目はできるんです。幼少期の虐待だとか精神的ないじめだとか」
「幼少期の身体的・精神的虐待」が多いのは、学校でのいじめであると加藤さんは話します。(加藤裕司さん)「特に小学校、中学校。小学校、中学の先生には悪いですけども、ほとんどの先生が生徒たちをしっかり見てないなって。学校の先生に能力がないのではなく、学校の仕組みがそうさせてる」
「ものを教えるのは、いま塾の方が優れていると思いますよね。要は、『人として育てていく』のが学校の先生の役割ですよね。われわれ日本の将来を担っていく若い世代がまともに育っていただくために教えるのが学校の先生です」「やっちゃいけないこと、やらないといけないこと、守らないといけないこと、そういう道徳的なことをきちんと教えるのが学校の先生です」
「ところが、ほとんどテレビ、マスコミで出てくるのは『我が校にいじめはなかった』と。生徒が自殺したりしても。そして1週間もたたないうちに校長先生が出てきて、『やっぱいじめがありました』と教育委員会から言われて前言をひるがえすんです」「生徒が一生懸命に日記に応援のメッセージを要請してもスルーしてますよね、ほとんど。なんでそんなことするのか。わずらわしいからですよね」「私は、学校の先生は生徒の親だと思ってるんです。父親であり、母親である。それが学校の先生。この子は何かちょっと生活態度がおかしいなとか、考え方がちょっとおかしいなとかいうことを毎日接してる先生が気づかない、分からないはずがないんですよ。分からないふりをしているだけです」
「子どもたちも、本当にコミュニケーション能力というのが磨かれてないという気がするんですよね。ものには向き合えるけども、人には向き合えない。どうしてそういう子になるのかというと分かりませんけど、必ずいます」
「大学っていうのはずるいですからね。そういう子たちは数年後いなくなるっていうことで、1割り増し、2割り増しで、生徒はとってます。責任を持ってこの子をなんとかしてあげよういう発想は1つもないですよね」「(子どもは)家に帰る、ネットを見る、あるいは漫画を読む、そんな形で言葉が発揮できなくなる。先生は、そういう子たち分かるはずなんですよ。だったら、その子の父代わりを務める必要がある。そのために学校の先生になってて、一人一人と向き合うんでしょ、というのが私の考えです」
「そういうことを学校の先生がやってくれたら、少しは犯罪にいく側が減るんじゃないかなと私は思ってます。これが合ってる、合ってないかは分かりません」「学校の先生もかわいそうで、さっき言ったように、もういろんな仕事を背負われて、できてたとしてもできないような仕組みになってしまってる、そんな気がいたします」
「2番目の『犯罪被害者とその家族の直接支援』は、同じ被害、同じような痛みを受けた人間同士だったら、ある程度分かり合える部分もあるのかな、と思って述べています。まだ『直接支援』は私は2件しかできていなくて、東京の人と千葉の人の2組だけです」「3番目の『経済的支援』というのは、よく考えていただきたいんですけど、いま被害にあわれた被害者に対して、配給金というのを警察が作ってくれています。『一番最初はまぁ、どうかな?』と思ったんですけど、最近では枠が広がりました」
「5年ほど前ですね、この配給金というのは、申請していつもらえますか?と尋ねたら、警視庁、警察庁の回答は6.8か月と言われました。翌年、同じことを聞いたら、6.7か月と言われました」「1%、どういう努力で1%なのかなと不思議に思ったんですけど、『あすのごはんが食べられない人に対して、6.8か月後に何の役に立つんですか?』ということですよね」「保証金の代わりになっているわけではないので。いま、けがをしたり、傷を負ったりしている人というのは、厚いケアだと思います」
「最近は早く出せるようになったと聞いています。だけど本当に遅いのと、行政などに関わっている人にちょっと考えてもらいたいんですけど」「たとえば、『お父さんを亡くした。お母さんは専業主婦だったけど、仕事をしなくちゃいけなくなった。家で事件が起きました。家の中が血だらけです。住むことができません。引っ越ししないといけません。仕事も探さないといけません。家はローンが残っています。ローンをしながら新しい家を借りないといけません』。誰がどのように救ってあげられますか?」
「これができるかどうか。あした一家で食べるお金が無い。コンビニのおにぎりも買えない。こういう状況の時にどういう手助けができますか?」「現実にはあるんですよ。全員じゃないですよ、ほんのごく一部。ほんの0.何%かもしれません。そういうことが起きえます。そういう時にどういう手助けができますか?ちょっと考えていただきたいです」「ある有志の方が『じゃあ、これでごはん食べて』と言って出してくれる人はいると思います。全員じゃないですよね。1週間ぐらい続くかもしれません。その後、継続的に安定的に暮らしていけるように、どうできますか?」
「なんだかんだ経済支援が無いと難しいんですよ。本当に。これを何とかしてほしい。20億ですよ。これを何とかしてほしいと思ったんだけど、どこも何もしない」「やってもものすごく時間がかかって遅い。いま困ってるのに、3年後の未来のこと考えられても困るでしょ。いまだったら、いま対処しないと何の意味もないですよね。いまのいま対処することができる体制を作って欲しいわけです」
「私は、『国がやらないんだったら、やろう』と思って動きました。『自分がお金を一つも出さずに給付金を出してくれ』というのは恥ずかしいなという思いがあったので、自分がここまでやったけど、ここまでしかできない。だけど、こうしたいからみんなの力を借りたいんだといえば、筋道が通るかな、納得してくれるかなと思って、やろうとしたんですけど」
「私の背中にいろんなものがかかってきてるんで、ちょっと背負ってしまいました。ちょっと中座してます、当然のことながら。だけど諦めてません。私は85歳までは活動しようと思ってるんで、まだ10年そこらは頑張れるということで、諦めたらその瞬間から失敗なんで」「最終的にどうなるか分かりませんが、私は私なりのことをやっていこうと思っています。誰が何と言おうと。妻から猛反対を受けてますけどね」
「これ【画像】は私の不平不満です。加害者に対しては、『本当に真実を語れ』。加害者の弁護士には、『もうちょっと加害者が再犯を起こさないように努力を。マスコミに対しては、真実を語って欲しい』」
「娘の事件は、“強盗強姦殺人”でした。とあるメディアは“強盗殺人”といいました。被害者の家族だけども、正直に言ってくれと強盗強姦と言っていいから、強盗強姦殺人といってくれ。だけど強盗殺人としか言いませんでした」「これを聞いた受け取る側はどうですか?『強盗殺人、あーよく世の中で起きてるああいう事件だったんだな』と思うのと、強盗強姦殺人といったら、『ひどい目にあってるうえに殺されたんだな』と受け取り方が違いますよね」「マスコミ操作じゃないけど、これで真実を語ってるのか、ということです。私は真実を、被害者の家族が『No』と言えば、言っちゃいけません。言ってくれと言ってるのに言わないんですから。私は非常に疑問を持っています」
「『われわれ被害者が何かしてくれ』ということを特に思っているわけではありません。じゃなくて、『被害者はどんな事件で、どんな思いをして過ごしてきたのか』。たいていの被害者っていうのは、『こうなんだ』ということをしっかり受け止めていただきたい。それを忘れないでいただくことが1番ありがたいことです」「人のことっていうのはすぐ忘れます。本人に罪があるわけでもなくて、すぐ忘れるんだけど、何かことあるごとに思い出して、『ああ、大変なんだな』ってことを思っといて欲しいなということです」
「『犯罪被害者等の支援活動』というのは、お金になる仕事じゃないんです。お金を生み出す仕事でもない。たいていは、人の善意をかって、人の努力でなんとか被害者を支えている」「ところが、一つの機関だけで何ができるか、というと限られています。どうしても。だからお互いの連携が必要なんだということなんです」「VSCO(ヴィスコ・加藤さんが代表理事を務める公益社団法人)、県警、弁護士会、検察庁、産婦人科、精神科医、臨床心理士、行政、あした彩・・・。たとえばVSCOは、会員を募っているわけですけども、会員になっていただく民間企業、一般の人、そういう会費でなんとか活動を回しています」
「私、VSCOの代表理事になってみたんですけど、もし、応援してやりたいなという気持ちがあったら、ぜひご参加ください。そういう支えが無いと、活動ができないグループなので、よろしくお願いしたいと思います」
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