道東を恐怖と混乱に陥れた「牛を襲うヒグマ」の正体とは? ハンターの焦燥、酪農家の不安、OSO18をめぐる攻防ドキュメント『異形のヒグマ OSO18を創り出したもの』。
追うハンター、痕跡を消すヒグマ、そして被害におびえる酪農家の焦燥をつづり、ヒグマとの駆除か共生かで揺れる人間社会と、牛を襲うという想定外の行為を繰り返した異形のヒグマがなぜ生まれたのか、これから人間は変貌し続ける大自然とどう向き合えばいいのか。『異形のヒグマ OSO18を創り出したもの』から抜粋・再編集してご紹介!
山の神を「怪物」に変貌させたのは大自然か、それとも人間か?
『「フェンスがぐしゃぐしゃに壊されていた」…国道44号線で見つけた「怪物ヒグマ」OSO18の惨めな末路の痕跡』より続く
東京都日本橋人形町でジビエレストランを営む林育夫は、2023年8月上旬、解体業者の松野から46kg分のクマ肉を購入していた。7月30日に捕れたという野生のヒグマのモモ肉と肩肉だった。
モモ肉はステーキとして、肩肉は熊鍋として調理し、提供を始めた。
それがOSO18だとわかったのは、提供を始めてから2週間経った後だった。
SNSにその事実を投稿すると、5万件を超える「いいね」が集まった。席の予約はあっという間に埋まった。
予約をして訪れたある客がOSO18の熊鍋を頬張り、笑みを浮かべながら言った。
「あんまり味に特別感がないところも含めて、ちょっとあっけない最期だなっていう感じはしますね」
またある客は言った。
「一番ジビエに求めているものがもしかしたらこの、OSO18にあるのかもしれない。ジビエを食べる欲みたいなものを凝縮しているのがOSO18かもしれないなみたいな、ちょっとありますね」
牛を食らい続けたOSO18は、この店で、250人の人間に食された。誰しも食欲を満たそうとここに来たのではない。その好奇心をこそ、満たそうとして来たのだ。
「超巨大」「忍者」「猟奇的」「快楽犯」「最凶」「怪物」……。都市部でヒグマの脅威とはほとんど無縁に過ごすマスメディアはさまざまな言葉を用いて、人々の好奇心を掻き立ててきた。その中に、私たちもいたのだ。
人間はいまもなお、おびただしい数の駆除と捕食を繰り広げて止まない。OSO18は生涯で66頭の牛を襲い、その半数近くを捕食したが、我々人間は、毎年およそ1000頭のヒグマを殺し、年間100万頭を超える牛を食らっている。それは日本に限った数であり、人類全体に広げれば、その実数はもはや計り知れない。
この取材を始めたとき、提案にこう記していた。
――見えない怪物に、人間は何を見るのか。
約2年間に及んだ取材を終えて、その問いにあえて答えるならば、私たちは「人間自身」を見たのではないかと思った。闇夜にしか現れないヒグマに光を当てようともがいたが、その本当の姿は永遠の闇に閉ざされたまま、鏡となって我々に強烈な光を照り返している。「怪物」とは、果たしてどちらであったか。
OSO18について明確に言えることには限りがある。それでもなお、人間に名前を与えられた1頭のヒグマの、哀しみに満ちた一生を想像せずにはいられなかった。
9年6ヵ月前、森で1頭のオスのヒグマが生まれた。そのとき、名前はまだなかった。
豊かな森でドングリやフキを食べ、悠々と暮らす運命があったのかもしれない。だが、母親と離れて独り立ちした頃、森の中で数を増やしたエゾシカの肉を見つけた。肉の味を覚え、次第に執着を断ち切れなくなり、本来の草食のあり方を忘れ去っていく。
やがて人間が森を切り開いてできた牧場で、牛を襲うことも覚えた。まだ若く、身体が大きくなかったために、襲いきれない牛がいた。なんとしても肉にありつこうと、次々と牛を襲った。すると、人間に「襲うことを楽しんでいる」と喧伝され、「OSO18」と名付けられ、「怪物」と恐れられるようになった。
偏った食性は大きな代償をもたらした。身体は徐々に弱り、野生を生き抜く力を失い、オスグマたちとの争いに敗れ、数多のハンターから命を狙われ、最後は保護区を目指してさまよった。
鳥獣保護区の入り口まで、あと3kmのところまで辿りついた。
力も尽き果て、牧草地で寝そべっていると、そこにひとりの人間が通りかかった。
一度もヒグマを撃った経験のないハンターだった。
目が合うと、ハンターはゆっくりと近づいてきた。
もう逃げる力は残っていなかった。
2023年7月30日、1頭のヒグマが死んだ。
『「異形のヒグマOSO18」を生んだのは“人間”だった…恐るべき“人間の力”と一頭のヒグマの「歪められた一生」』へ続く
【つづきを読む】「異形のヒグマOSO18」を生んだのは”人間”だった…恐るべき”人間の力”と一頭のヒグマの「歪められた一生」