遺産は事前にすべて把握できているとは限りません。故人が生前に「財産はほとんどない」と話していても、死後に現金や預貯金、不動産、さらには借金が見つかることがあります。遺言がないままこうした資産や負債が判明すると、遺産分割や相続税申告のやり直し、家族間のトラブルに発展することも少なくありません。
「遺言なんて必要ないよ。うちは揉めないから」–そう笑っていた父が亡くなった翌日、思いもよらない事態が起きました。
押し入れの奥から出てきたのは、茶色い紙袋に入った現金1,000万円。銀行通帳にも記載がなく、誰も存在を知らなかった隠し資産でした。
東京都在住の松井正樹さん(仮名・52歳)は、葬儀の準備を進める中で、遺品整理をしていた妹から呼び出されました。
「ちょっと来て。すごいものが出てきた」
袋を開けると、帯封の付いた100万円の束が10本。驚きと同時に、「これ、どうやって分けるんだ?」という疑問が頭をよぎりました。
父には妻(正樹さんの母)と、正樹さん、妹の3人が相続人として残されていました。しかし、遺言がない場合、現金も法定相続分に従って分ける必要があります。
母は「全部、生活資金として私が預かるべき」と主張。妹は「法定相続分で分けるのが当然」と譲らず、正樹さんは板挟みに。葬儀後も話し合いは平行線のまま続きました。
さらに、現金がどこから出たのかも不明でした。
「父は現金主義だったけど、こんな大金を家に置いていたなんて…」
実際には、遺産がないようなことを言っていたのに出てきたため、ただ忘れていただけなのか、それとも意図的に黙っていたのか、家族の間で憶測が飛び交いました。
なお、仮に遺産分割協議が終わったあとに新たな遺産が見つかった場合、原則として新たな遺産に対してのみ遺産分割協議を行います。
注意すべきは、それが資産ではなく借金の場合もあるということ。遺産分割協議が成立したあとでは、相続放棄や限定承認はできません。思わぬ借金が見つかれば、相続人がその負担を背負うことになります。
遺言がないと、原則として法定相続分に従って分割協議を行います。しかし、現金や不動産の分け方で意見が割れれば、家族間で対立が深まります。本人しか知らない資産や借金が後から出てくれば、さらに混乱が長引きます。
今回、松井家は最終的に専門家を交え、法定相続分で現金を分けることで合意しました。しかし、妹は「父が元気なうちに遺言を書いてくれていれば…」とこぼします。
「揉めない家族だから遺言はいらない」という考えは、むしろ危険です。特に現金や不動産、株式など複数の資産がある場合は、誰に何をどのように残すのかを明確にしておくことが、家族の負担や関係悪化を防ぎます。
遺言は財産の多寡にかかわらず、家族にとって“最後のメッセージ”です。残された人たちが困らないために、元気なうちから資産や負債の整理と意思表示をしておくことが、相続トラブル予防の第一歩になります。