人事権はなかった、は本当なのか 「日枝久氏インタビュー」で見逃せない「矛盾点」

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フジテレビの事実上のトップだった日枝久氏(87)が8日発売の『文藝春秋』9月号のロングインタビューに応じた。中居正広氏(52)と元女性アナウンサーの性的トラブルに端を発する人権侵害問題、現在の立場などを語った。発言の意図や真意を読み解く。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】
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【写真】フジテレビ巨額赤字の発端「中居正広氏」高級車でお出かけの変装姿をカメラが捉えた
かなり踏み込んだインタビューである。いくつもの事実関係が明かされているだけでなく、日枝氏の人物像も浮き彫りになっている。聞き手は日本を代表するノンフィクション作家の森功氏が務めた。
日枝氏はフジと親会社のフジ・メディア・ホールディングス(FMH)の取締役相談役を6月下旬までに退任した。それでも3月末まで代表だったフジサンケイグループは離れていない。
同グループはフジと産経新聞を中核とする企業集団である。日枝氏はこう語った。
「今の肩書きは2008年から続けてきた(公益財団法人)日本美術協会の会長だけです」(『文藝春秋』9月号、以下カギ括弧はすべて同じ)
まるで小さな仕事しかやっていないように聞こえるが、それは違う。日本美術協会(通称・日美)はフジサンケイグループ最大のイベントである「高松宮殿下記念世界文化賞」を主催する。
この賞は世界の優れた芸術家を顕彰する。絵画部門、彫刻部門、音楽部門などがある。フジは「文化・芸術のノーベル賞」と謳っている。
日美の総裁は常陸宮殿下である。昨年の受賞者たちは皇居・宮殿に招かれ、天皇・皇后両陛下と懇談した。授賞式には首相経験者らが来る。
世界文化賞は皇室、政界と直結している。日美の会長は小さな仕事どころか、フジサンケイグループ内で要職中の要職なのである。
先々代の日美会長は同グループに君臨していた故・鹿内信隆氏だった。先代会長は大物財界人にして故・中曽根康弘氏のブレーンだった故・瀬島龍三氏が務めた。
日美の会長は同グループの頂点に立つ者か、あるいは外部の超大物だけが就いてきた。今、その座にある日枝氏も同グループのトップにいることが暗に示されている。
日枝氏が今なお同グループのトップにいると言える根拠はほかにもある。日枝氏が3月末に退任した同グループ代表の座が空位のままなのだ。後任の名前すら挙がっていない。
同グループの代表はサンケイビル社長の故・小林吉彦氏、産経新聞会長の故・羽佐間重彰らが務めてきた。その座が空位になった時期などなかった。
それでも空位なのは、6月下旬の社長退任後もアドバイザーとしてFMHに残った金光修氏(70)、FMHとフジの社長を兼ねる清水賢治社長(64)による日枝氏への気遣いだというのが社内のもっぱらの見方だ。後任の誕生は日枝氏が同グループのトップではなくなったことを意味するからである。
日枝氏は7月8日に放送された検証番組からの取材依頼を断った。一方で、中居氏と女性アナの性的トラブルを追及した『週刊文春』と同じ文藝春秋が版元の『文藝春秋』のインタビューは受けた。これについて日枝氏はこう口にした。本音が垣間見えた。
「なぜ(文春と)同じ会社の雑誌に話をするのか、という社内の反発はありました」
「社内」と言った。「フジ」あるいは「古巣」などではなかった。まだ自分がフジの一員であるという意識が強いからだろう。また、「社内の反発はありました」という下りによって、日枝氏は今もフジの社員と交流していることが分かる。
日枝氏はこうも言っている。
「(検証番組の担当者から)インタビューの申し出がありました。僕のところへ中元をもってきて『検証番組に出てほしい』と言ってきました。それで『僕がこんなものを受け取れるか』と突き返しました」
日枝氏が中元を受け取らなかったのも社内の人間同士という認識があったためではないか。
日枝氏は検証番組の取材を断った理由をこう説明した。
「(フジに)答えても、お手盛りにしか見えないでしょう」
だが、取材拒否は本人にもフジにもプラスにはならなかったと見る。日枝氏は説明責任を果たしていないという印象を与えてしまった。フジは会社関係者の取材すら出来ないというイメージを背負ってしまった。
一方で1月17日と同27日の記者会見に出なかった理由はこう語っている。
「記者会見は会長や社長など執行部がやるものであり、今度の場合は相談役の僕が出ていくのもおかしいでしょう」
これは理解できる。フジの事実上のトップとはいえ、代表権はなく、中居氏と元女性アナの問題には関わっていないのだから。近年、個別に取材すべきことまで会見を要求する風潮が強すぎるのではないか。
半面、日枝氏は6月下旬までにフジとFMHの取締役相談役を退いたが、その際にはメッセージを出すべきだったと考える。また、会見をせずとも書面での質疑応答くらいはやったほうが良かった。公共色が極めて強い民放の事実上のトップを30年以上務め、社風をつくり上げたのだから。
フジには女性アナたちを上納する文化があったと一部で報じられたが、日枝氏はこれについても触れ、言下に否定した。
一方で、検証番組において港浩一前社長(73)が女性社員の一部を選び、自分を囲む港会なる会合を開いていたことが明かされたが、これには薄々気づいていたようだ。
「(港氏に対し)毎週のようにやっているのはまずいぞ、と注意したことはあります。けれど上納と懇親はまったく違います。上納は自分の体を捧げるわけでしょう」
ただし、過去の経営陣の中には港氏以外にも女性アナを集めて頻繁に飲み会を開いていた人物がいる。場所は東京都港区白金。女性アナ側は断りにくいし、周囲や後進に悪影響を与えたのではないか。
女性アナが帰る際には元経営陣が車で送った。やはり女性アナは拒みづらいはず。日枝氏は気が付いていたのだろうか。
日枝氏は週刊文春にはいまだに不満があるようだ。中居氏と元女性アナの性的トラブルの記事を訂正したからである。
昨年12月26日発売号の第1弾では元女性アナがフジ編成幹部(当時)に中居氏との会食に誘われ、断れずに参加したとする記事が載った。その後の取材で誘ったのは中居氏本人と判明したそうで、1月8日発売号の第2弾以降は内容を訂正した。
「文春は第2弾の記事で編成局の人間が食事に誘ったのではないという事実を認めて否定しているわけではなく、シレッと訂正しただけです」
もっとも、第3者委員会がこの訂正の事実を重視しなかったのは知られているとおり。元編成幹部が中居氏と元女性アナの接点となったことに変わりなく、業務の延長線上における性的トラブルと認定したからである。
日枝氏の言葉とフジ関係者たちの証言が食い違う部分もある。日枝氏はフジの会長、社長、役員、局長、子会社社長をすべて1人で決めていたと相当数の新旧幹部が断言しているが、本人は否定している。
2007年から2013年まで社長を務めた豊田皓氏(79)氏も検証特番で「役員の指名も報酬の決定も(当時は会長の)日枝氏が行っていた」と書面で回答。遠藤龍之介・前副会長(69)も検証特番で日枝氏の力の源泉は人事権と証言した。
だが、日枝氏は自分には人事権がなかったとしている。2022年に港氏を社長に据えたのも当時の会長・宮内正喜氏(81)なのだそうだ。宮内氏は2017年から2019年まで社長だった。
「(宮内氏に)港の社長人事のことを聞いてみました。すると、彼は『港君を社長にしたのは私です』とハッキリ答えました。もちろん相談に来ましたが、決めたのは、あくまで宮内なんです」
解釈の違いではないか。日枝氏が直接的に人事を決めていたか、それとも間接的に人事権を行使していたかである。
そもそも人事権の話は矛盾する。1月27日付で辞任した港氏の後任を選ぶ際、遠藤氏が日枝氏に名乗りを上げると、「お前だけは絶対にダメだ」と突き放したという。日枝氏に人事権がないのなら、遠藤氏は許しを得る必要はなかったはずだ。
日枝氏は長らく遠藤氏を買っていた。だが、旧役員が総辞職することになったにも関わらず、遠藤氏は自分が社長に就こうとしたことなどから、不信感を抱いたようだ。
日枝氏が遠藤氏と会ったのは1月26日。ホテルの1室で2人きりだった。この場で遠藤氏は日枝氏の辞任も求めた。しかし日枝氏は「まだ事実関係もはっきりしていないのに、闘わずに辞めるのか。僕は辞めないよ」と拒んだ。
このやり取りは複数のマスコミにそっくり漏れた。2日後の新聞などに載った。
遠藤氏がリークしたのか。遠藤氏は元広報局長でマスコミに顔が広い。日枝氏のイメージダウンを狙ったのだろうか。これも日枝氏の遠藤氏に対する不信感につながったのだろう。
結局、社長に就いたのは清水賢治氏。日枝氏はこの人事に関与したかと問われると「それはあり得ません」。金光修氏が清水体制をつくったと聞いているという。
日枝氏は清水氏にはダメ出しをしなかった。金光氏は日枝氏の最側近として知られる。2月に日枝氏の腰椎圧迫骨折を公表したり、3月27日付のフジ役員人事を日枝氏に事前報告したりした人である。
後任社長争いは反日枝派の遠藤氏と親日枝派の金光氏の覇権争いだったとの見方も社内にはある。日枝氏はもうフジに影響力がないと言えるのだろうか。
高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。
デイリー新潮編集部

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