東京から甲子園まで19時間、母校の応援に間に合わず泣き崩れる女子生徒…中国道と名神高速で135km、“お盆史上最悪の渋滞” はなぜ起きた?

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長期連休を迎えるたび、悩みの種となるのが高速道路の渋滞だ。今年のお盆も、中央道で最大45km、東北道や関越道で最大40kmと、各地で大規模な渋滞が予想されていた。
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「40kmの渋滞」というだけで気が滅入ってしまうが、これがもし50km、60kmと伸びていったとしたら……。「怖いもの見たさ」で、気になってしまう人も多いだろう。
そもそも「これまでで一番酷かった渋滞」は、一体どのようなものだったのか。今回は過去のお盆シーズンに生じた「最悪の渋滞」について、当時の報道をもとにその原因や影響を紹介していきたい。
お盆史上最悪の渋滞が起きたのは、今から35年前の1990年。8月12日、中国道および名神高速の下り線、安富PA(兵庫県)から瀬田西IC(滋賀県)にかけて、実に135kmにわたる長大な渋滞が記録されている。
これはおよそ、関越道の練馬IC(東京都)から上信越道の碓氷軽井沢IC(群馬)までの距離に相当する。東京から軽井沢まで、渋滞が続いていると考えると、それだけでゲンナリした気分になってくる。
この「最悪の渋滞」の背景にあったのが、8月10日の日中に東海地方から関東地方を通過していった台風11号だ。これにより遠出を控えていた車が、翌11日から高速道路に押し寄せていく。さらにこの11日は土曜日で、お盆休暇が始まるタイミングであったため、下り方面はとりわけ大規模な混雑に見舞われた。
読売新聞東京本社版11日夕刊によれば、同日午前9時の段階で、東名および名神高速の下り線では養老SA(岐阜県)を先頭に約100km、都夫良野トンネル(神奈川県)を先頭に62kmの渋滞が生じていたとされる。
また同11日の朝6時頃には、大阪府高槻市内の名神高速下り線で、計12台が絡む大規模な玉突き事故が発生。当時の現場付近にはまだ激しい雨が降っており、9トントラックのドライバーが前方不注意により前走車の2トントラックに追突したあと、前方・後方の車両をそれぞれ巻き込む大事故へと発展した。
この事故の影響で、京都南IC(京都府)~茨木IC(大阪府)間が一時的に全面通行止めに。朝日新聞大阪本社版11日夕刊によれば、同日午前9時の段階で現場付近から30kmほど渋滞が続き、反対車線の上り線でも現場を一目見ようとする車のノロノロ運転などにより、約33kmにわたって混雑が続いたという。
このように、すでに複数地点で大規模な渋滞が発生していた11日、物流の乱れが各方面に混乱を生み出していたことは想像に難くないが、全国紙がこぞって報道したのは甲子園出場校を襲った悲劇だった。
写真はイメージ GYRO_PHOTOGRAPHY/イメーシマート
この年、埼玉県から初出場となった大宮東高校は、当日に向け2800人の大応援団を結成し、55台のバスを動員。毎日新聞東京本社版12日朝刊によれば、バスは前日の夜8時に出発するも、上述の渋滞の影響により到着が6時間以上も遅れ、甲子園に着いたのは試合終了間際の午後1時頃。実際に彼らの一部がアルプス席になだれ込んだのは、同校が4点を追う状況で9回裏の攻撃に入ってからだった。
2アウトからチャンスを作るも、後続があえなく凡退。大半の生徒がアルプスに駆け込んできたのはゲームセット後のことで、毎日新聞や朝日新聞、読売新聞は「もう終わってるーっ」「半日以上も乗ってきて、着いたらおしまいなんて」と悔し涙を流す生徒らの姿を伝えている。
下り線における混雑のピークは12日まで続き、朝日新聞名古屋本社版は同日の夕刊において、名神高速の関ヶ原IC(岐阜県)から東名高速の岡崎IC(愛知県)にかけての、断続約100kmの渋滞を報じている。
この日、東名から名神、中国道にかけては中~大規模の渋滞が各所で生じていたと見られ、翌日までの報道に「135km」という記載は見られない。後日の日本道路公団による発表で、複数区間の渋滞がつながった結果、この日の渋滞が最長135kmに至っていたことが報告された。
特筆すべきは、これだけの規模の渋滞が発生しているにもかかわらず、「台風11号の影響による帰省時期の集中」の他には明確な原因が示されなかったことである。これはつまり、135kmという絶望的な渋滞が、主に車両集中によって生じた「自然渋滞」であることを示している。
バブルの最後期にあたる当時は、年々増大していく車両台数と交通量に対して、道路のキャパシティが慢性的に、かつ著しく不足していたと考えられる。実際に、この「お盆史上最悪の渋滞」が起きたまさにその日の朝刊、読売新聞は「平成交通戦争」と題したコラム上で、車両台数の増加に対するインフラ整備の遅れを批判し、それが交通死亡事故の急増や渋滞の増加を招いていると指摘している。
読売新聞の指摘にもあるように、90年代は「車両台数と道路環境のギャップ」が顕著であり、現在では考えられないような規模の渋滞が頻発していた。1995年8月12日にも、130kmに迫る長大な渋滞が起き、大きな混乱を招いている。中国道下り線、福崎IC付近(兵庫県)から名神高速の竜王IC付近(滋賀県)にかけて発生した129.7kmの渋滞である。
こちらの原因は明確であり、同年1月17日に起きた阪神淡路大震災の影響により、阪神高速が一部不通となっていたことが主な原因と見られる。当時はまだ山陽道も全線開通しておらず、京阪神から西に向かう際のルートが中国道に限定された結果、キャパシティを著しくオーバーしてしまった。

しかし1990年の渋滞と同様、当時の報道ではこの渋滞もそれほど「イレギュラーな事態」としては扱われていない。渋滞の影響を被った象徴的なケースとして報道されたのはやはり甲子園であり、東京都代表の帝京高校応援団が移動に19時間を要し、その日の最終試合にどうにか間に合ったことが朝日新聞や読売新聞で言及されている。
実際のところ、同日における他の高速道路の状況を見れば、この渋滞がそこまでイレギュラーなものではなかったことが読み取れる。毎日新聞東京本社版12日夕刊によると、同日の午前中、東北道下りでは福島飯坂IC(福島県)を先頭に117km、矢板北PA(栃木県)付近で81km、関越道下りの渋川伊香保IC(群馬県)で70kmと、各地で信じがたい規模の渋滞が発生していた。
ちなみに期間をお盆に限定しない場合、日本の記録に残っているなかでもっとも長い渋滞は、なんと154km。1995年12月27日、名神高速下り線の秦荘PA付近(滋賀県、現在の湖東三山PA)から東名高速の赤塚PA付近(愛知県)にかけて、大雪の影響で著しく交通が停滞した。
なおこの翌年には、渋滞情報や規制情報をカーナビに届ける「道路交通情報通信システム(VICS)」が開始され、2001年にはETCサービスがスタート。さらに現在では、高速道路網が30年前に比べて約2倍の総延長にまで拡充されており、特定路線への集中傾向も緩和されている。
実際に、ここ10年ほどのお盆期間の渋滞記録を遡ってみると、例年もっとも長い渋滞で50km前後。通信技術を中心としたテクノロジーの進歩と、インフラの整備によって、90年代のような渋滞は見られなくなっている。
一方で、世に出回る車両の台数は年々増加しつづけており、渋滞損失時間(渋滞によって人々がどのくらい時間をロスしているかを示す指標)も近年上昇傾向にある。
100km超の大渋滞に遭遇する可能性は薄そうだが、今後も「渋滞のイライラ」に悩まされることには変わりなさそうだ。長期連休の際はなるべく事前に渋滞情報を確認し、ピーク時間をズラすなどの対策を講じておきたい。
〈渋滞中の夫婦喧嘩でブチ切れ、妻も車も置き去りに…帰省ラッシュでトイレが我慢できず道端で放尿する父親…渋滞は人を狂わせる?《驚愕の渋滞事件簿》〉へ続く
(鹿間 羊市)

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