昭和天皇の玉音放送が日本中に響いた夏から、80年。皇后として慰霊に心身を尽くす母を支えるため、プリンセスは列車に飛び乗った。そんな彼女の胸中に去来するのは、20年近く前から絆をあたためてきた、心優しき青年の姿だという──。
【写真】花柄ワンピースをお召しになる三つ編みの愛子さま、ブルーとホワイトの装いの雅子さま。他、23年前、生後8か月の愛子さまを抱えるブルー調のジャケット姿の雅子さまなども
伊豆半島の南部・下田の夜に可憐な花が咲いた──8月1日、天皇ご一家は静岡県・須崎御用邸でのご静養のため、伊豆急下田駅に到着された。列車からホームへ軽やかに降り立たれた愛子さまが身にまとうのは、白地に露草の青い花模様がちりばめられた清楚なワンピース。露草の花言葉は、“変わらぬ想い”──その日愛子さまの胸の内には、その言葉が浮かんでいたに違いない。
天皇ご一家がこの地をご訪問する際、駅構内で地元の人々による歓迎が行われるのが恒例になっている、真夏の伊豆急下田駅。ご一家のご訪問はコロナ禍以前の2019年以来6年ぶりで、夜の8時半という時間にもかかわらず現地にはおよそ100人の人々が集まった。
「愛子さまと60代くらいの女性が歓談されるのが聞こえてきたのですが、その女性は6年前、当時高校生の愛子さまに、持参したうちわで風を送って差し上げたそうなんです。そして今回、その女性が6年越しに再びうちわであおいで差し上げたところ、愛子さまはハッと思い出されたとか。『あ、あのときの? 覚えていますよ。ありがとうございます』と、にこにこ答えられていて、見ているこちらも幸せな気分になりました」(居合わせた乗客)
到着されてから30分以上にわたり、膝を折って視線を合わせ、一人ひとりと丁寧に交流を深められた愛子さま。“愛子さまとぜひお話ししたい”という人々が殺到したこともあって、予定時間をオーバーするほどの盛り上がりをみせた。そもそも、天皇ご一家を乗せた特別列車がこの時間帯に到着するのは、かなり珍しいことだという。
「同行する記者たちも困惑していましたが、これは陛下のご公務に加え、愛子さまが日本赤十字社での仕事を終えてから出発できるよう配慮された面もあったようです。
愛子さまの所属部署は、8月のいまが繁忙期。責任感の強い愛子さまは、休みを取るにしても、ギリギリまで仕事をしてから、とのお考えだったのです。また、ご成婚前は外務省のキャリア官僚として勤務されていた雅子さまも、『(愛子さまに)しっかり働いてほしい』というお気持ちだったようです」(宮内庁関係者)
お勤め先での仕事を果たされた宵闇の時間に、両陛下とともに列車に乗り込まれ、東京を発たれた愛子さま。忙しい合間を縫ってご一家でのご静養に向かわれた背景には、母である雅子さまへの想いがある。
「愛子さまは、ご静養先で雅子さまをねぎらって差し上げたいというお気持ちだったのでしょう。戦後80年の節目にあたる今年、雅子さまは激動の日々を送られていて、“慰霊の旅”のために各地を飛び回られています。
実際、ここ数か月の雅子さまのご体調は極限に近かったようで、6月の沖縄訪問時、7月上旬のモンゴル訪問時には目にお力が感じられないときもあり、いまだ療養中であることを改めて認識させられました。
ただ、愛子さまとともに下田に降り立たれた際の表情は溌剌とされていて、これまでの過密スケジュールをこなされたことへの自信や、7月下旬、ご一家で過ごされた栃木県の那須御用邸でのご静養の効果が出ているように感じました」(皇室ジャーナリスト)
4月の硫黄島訪問に始まり、沖縄、広島、モンゴルと、戦没者の鎮魂という務めに全力を注がれている雅子さま。9月に控える被爆地・長崎へのご訪問にあたって、雅子さまは大きな決断をされた。
「2泊3日の日程が計画されているのです。2003年に体調を崩されて以来、雅子さまは1泊の公務もままならない時期が長く続きました。令和に入ってからも、地方公務は基本的に1泊2日で、今回のスケジュールはかなり異例のこと。御代がわりから6年を経て、雅子さまは“国母”としての責任感を強められているのです」(前出・宮内庁関係者)
そんな雅子さまを唯一無二のお立場で支えられてきたのが、愛子さまだ。
「愛子さまは幼少の頃から、体調に不安を抱える雅子さまのおそばに寄り添ってこられました。ご病気の影響で不規則な生活を送られる雅子さまに合わせて、愛子さまの生活も夜型になってしまわれたこともあったほどです。
雅子さまは明らかに、愛子さまと一緒に過ごされることで体調が安定し、本来の明るさを取り戻されます。愛子さまご自身も、それをわかっておられるのでしょうね。
昨年は、9月に入るまで両陛下のご静養には同行されなかった愛子さまですが、雅子さまが全身全霊をかけて慰霊の旅に臨まれている今年、お仕事で多忙の中でも“できるだけそばにいて差し上げたい”と考えていらっしゃるのだと思います。この夏、両陛下のご静養にはすべて同行される予定で、愛子さまの母を想うお気持ちは、“熱情”と呼べるほど強いと感じています」(別の宮内庁関係者)
今回の須崎の前には7月下旬、前述のようにご家族そろって那須での時間を過ごされた。
「御用邸内では警察犬の訓練をご覧になり、ご一家で天体観測もされたそうです。ご滞在中は月のない好条件が重なり、土星や天の川、アンドロメダ銀河もご覧になることができたそうです」(前出・別の宮内庁関係者)
さらに、ご一家のお気に入りスポットでは、愛子さまのそばに寄り添うある好青年の姿が目撃された。
「那須どうぶつ王国で、園内を歩む愛子さまの隣に、周囲から頭一つ抜けた背の高い男性の姿があったのです。那須の自然を舞台にしたバードショーでも、その彼はご一家と並んで腰を下ろし、愛子さまと楽しげに話していました」(居合わせた入園者)
精悍な顔つきのこの青年の正体は、愛子さまの学習院幼稚園、初等科時代の同級生であるHさんだ。一時期は愛子さまの“初恋の相手”と囁かれた人物でもある。
「Hさんは大手造船会社のご子息で、幼稚園の頃から愛子さまと大の仲よしでした。愛子さまが那須で過ごされるときには、Hさん一家も頻繁に那須を訪れています。彼は成績優秀で、高校からは学習院を離れ別の私立名門高校に進学。大学もその系列の最難関私大に進みました。現在はメガバンクで、将来有望な若手社員として働いています」(Hさんの知人)
愛子さまとHさんは、かつては親密な様子で戯れる姿も目撃されている。
「愛子さまが初等科3年生だった2010年、那須の茶臼岳に登られたときには、愛子さまがHさんの手をしっかりと握っていらっしゃいました。人見知りだった愛子さまは、初等科時代に不登校に悩まれた時期もありましたが、そんなときもHさんは大きな心の支えだったそうです。
愛子さまが登校を再開されたのは、登山の際の“手つなぎ”が目撃された直後のこと。気負うことなく話ができ、心優しい彼の存在が、愛子さまから学校に対する不安を取り除いてくれたようです。当時、愛子さまは、Hさんに淡い思いを抱かれていたのかもしれませんね」(前出・皇室ジャーナリスト)
愛子さまと20年近く親交を重ねてきたHさん。小学生の頃は優しい顔立ちにメガネがトレードマークで“のび太くん似”とも囁かれていた。しかし、高校・大学でヨット部に所属し、大海原に繰り出して鍛錬を積んだ彼は、いまでは筋骨隆々の青年に成長した。
「実は彼はかなりの筋トレオタクで、筋トレ界では“猛者”が集うことで有名な、世界展開するジムの会員でもあるのです。このジムは、ボディビルダーとしても有名なハリウッド俳優の“シュワちゃん”ことアーノルド・シュワルツェネッガーもかつて通っていたとか。Hさんも日夜、日本中の筋肉自慢に交じってトレーニングに励んでいます」(前出・Hさんの知人)
そんなHさんは、両陛下からも全幅の信頼を獲得している。
「これまで両陛下は、愛子さまの親しいご友人と、家族ぐるみで交流を深めてこられました。中でもHさんは家柄がしっかりされているだけでなく、ご両親も両陛下と価値観を同じくする部分が多く、両陛下にとってもおつきあいしやすいご家庭だったようです」(前出・別の宮内庁関係者)
かつては無邪気に手をつなぎ合っていた幼なじみ同士も、いまでは成人を迎えた男女。幼少からの大切な友人であるだけでなく、その先の可能性を期待する向きもある。
「天皇陛下の長女である愛子さまは、幼少の頃から常に国民の注目の的でした。特に、女性天皇、女系天皇の可能性も含めた皇室典範改正の議論が行われている昨今は、なおさらです。それにもかかわらず、Hさんは愛子さまと変わらぬ交流を続けてきた。彼は、写真を撮られてお相手候補として名前が挙がることも織り込み済みで、愛子さまとの時間を大切にしているのでしょう」(前出・別の宮内庁関係者)
皇室という世界で生きてこられた愛子さまにとって、心の許せる友人は、何ものにも代えがたい存在だ。国民の期待に応え、母を支えるプリンセスの熱情を優しく受け止める幼なじみ。露草の花言葉のように彼への“変わらぬ想い”を胸に刻み、愛子さまは歩み続ける。
※女性セブン2025年8月21・28日号