「看護師なんてありえない」成績の上がらない娘に激怒して“足に熱湯をかけた”ことも…学歴コンプレックスの末に娘に殺害された母親(享年58)の“教育虐待”とは?(平成30年)

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〈「モンスターを倒した。これで一安心だ」医学部9浪の娘(31)が“母親をバラバラ”に…【滋賀県・母親殺害事件】はなぜ起きた?(平成30年)〉から続く
「看護師なんてありえない」「こんな調子だと、お父さんみたいに名前を書けば入学できるような大学にしか行けないわよ」と言われたことも……。学歴コンプレックスを抱えた母親による、壮絶な教育虐待の末に彼女を殺害した当時31歳の女性。いったい彼女は母親とどんな暮らしをしてきたのか? 我が子を無惨に殺された親、学生時代ひどいイジメに遭った者などが仕返しを果たした国内外の事件を取り上げた新刊『世界で起きた戦慄の復讐劇35』(鉄人社)から一部抜粋してお届けする。(全4回の2回目/続きを読む)
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写真はイメージ getty
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2018年5月17日、DNA鑑定により遺体の身元は桐生しのぶさんであると特定された。ではなぜ、のぞみは、母は別の場所にいると言ったのか。行方がわからないならなぜ届を出さないのか。のぞみが事情を知っている可能性が高いとみて、警察は彼女を任意で事情聴取する。
のぞみは事件への関与を一切否定した。が、6月5日、滋賀県警は彼女を死体遺棄容疑及び死体損壊容疑で逮捕。
彼女が自供を始めたのは翌6日からだ。
「母の体をバラバラにして、河川敷に捨てたことは間違いありません。でも、私は母の命を奪っていません。母は1月20日の未明に自ら命を絶ちました」
つまり殺人ではなく自殺だと主張するのぞみ容疑者。現場検証の時点で自殺の痕跡がなかったことがわかっている警察はこの供述を怪しんだ。その後、同容疑者の家の浴室に繋がる汚水桝からしのぶさんの骨片が発見されたこともあり、逮捕から半月後の6月21日、のぞみ容疑者を死体損壊容疑で追送検。彼女から詳しく経緯を聞き出す。
のぞみ容疑者の供述は次のとおりだ。1月20日夜、母は自分を厳しく叱責した。理由は母に約束していた助産師学校の入試で不合格となったため。9年間浪人したこともあり、そのうち「もう何もかも嫌になった」と言い台所から持ってきた包丁を自分の首に当てた。まさかと思い目を逸らしたところ「痛い」という声が聞こえ、母がリビングに敷いた布団の上で仰向けで倒れていた。祖母や親類に母が命を絶ったのが自分のせいだと責められるのが嫌で、死体を河川敷に捨て、隠した──。
供述にはいかにも無理があった。なぜ母は9年間の浪人生活を許しながら助産師の試験に落ちたことで自殺する気になったのか。看護学科に通っていたのに、なぜ救命活動を行わなかったのか。進路をめぐり母と娘の間に確執があったことも想像に難くない。やはり、しのぶさんを殺害したのは、あなたではないのか? 警察は厳しく追及するも、のぞみ容疑者は頑なに容疑を否定した。
しかし、状況証拠などから犯人は彼女以外にありえないとして逮捕から3ヶ月後の9月11日、殺人容疑でのぞみを再逮捕。10月2日に追起訴する。この時点でも本人は否認し続けていたが、しのぶさんを殺したのは娘ののぞみで間違いなかった。
のぞみは1986年、守山市で生まれた。父親はビルのメンテナンス会社に勤務、母は専業主婦。のぞみは一人っ子だった。母は教育熱心で、娘が幼いころから通信教材を買い与え将来は医師になることを切望した。
のぞみが幼稚園生のころ、迎えに来た母はジャージにヘルメット姿で自転車に乗る公立の中学生を見て「頭がよくない。みっともない」と蔑むように言った。なぜ、そんな言葉を口にするのか。のぞみの後の証言によれば、工業高校出身の母には学歴コンプレックスがあり、より偏差値の高い学校に入り、より社会的地位の高い職に就くことが人生の勝ち組だと信じて疑わなかったようだ。彼女にとって、それが娘を国立大学の医学部に入学させ、医者にすることだった。
1997年、小学校5年のとき天才外科医を主人公にした手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』を読み、のぞみは母から言われ続けてきた医師に自らも憧れる。学校のテストの成績も悪くなかった。が、その点数が90点に達していないと、母は「これじゃあ、みっともない公立中学にしか行けない」と不満を顕にし、買い与えた問題集を必死に解くよう命じられた。
厳しい母に比べ、父は優しかった。琵琶湖へのドライブなど休みのたびに遊んでくれ、のぞみには母や勉強のことを忘れられる唯一ほっとできる時間だった。が、小学6年のとき、父と母の間に亀裂が生じる。

のぞみが問題集をこなしていなかったことに端を発し、母が「こんな調子だと、お父さんみたいに名前を書けば入学できるような大学にしか行けないわよ」と発言。日頃から自分のことを蔑むしのぶさんに父はとことん嫌気がさし、仕事の都合という名目で、1人社員寮で生活するように。以降、のぞみが父に会うのは月に一度生活費を渡しに来るときだけとなった。
母と2人だけの暮らしは、のぞみにとって地獄だった。小学校までは成績が良かったものの私立の進学校に上がると伸び悩み、母は毎日のように叱責。それが怖く、のぞみは中学2年のとき成績表を改ざんする。それに気づいたしのぶさんが激怒し、娘の足に熱湯をかける。
こうした虐待にくわえ、自分の能力に限界を感じていたのぞみは高校3年になると医師になる気力を失う。しかし、母は決して許さなかった。受験前年の2004年秋、学校で三者面談が行われた際、担任教師が「今の成績では第一志望の滋賀医科大学医学部医学科に合格する見込みはない。看護学科であればA判定なので看護師の道を考えても良いのではないか」と助言したことに対して、しのぶさんは帰りの車で「のぞみが看護師なんてありえない。たかが高校教師のくせに偉そうに」と口汚く罵った。
〈母親から鉄パイプで殴られ、「産まなきゃ良かった」と言われただけじゃない…虐待から逃れるために母親を殺害「31歳女性を苦しめた“地獄の9浪生活”」(平成30年)〉へ続く
(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))

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