高身長高収入イケメンなのに…「育ち」が残念すぎる “選民気取り”母の暴走エピソード集

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【前後編の前編/後編を読む】やっと家庭の幸せを知ったのに…夫婦の「夜」に問題が 40歳夫をマチアプに走らせたバツイチ妻の酷評
外から見れば、「何の苦労もしていない」と思えるような人であっても、実はいろいろコンプレックスを抱えていることがある。見せないように努力と我慢を重ねているのだろうが、そこまで我慢しなくてもいいのではないかと考えさせられる。つらいことからは逃げてもいいはずだ。心身を壊す前に。
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「壊れかけても踏ん張る、がんばる。それが自分だと言い聞かせてます」
そんなメールをくれたのが三波秀平さん(40歳・仮名=以下同)だ。待ち合わせを決めるとき「長身なのですぐわかると思う」と言っていたとおり、身長は185センチあるという。しかも、一般的に言ってイケメンである。切れ長の目、筋の通った鼻、きれいに整えられた白い歯。非の打ち所がない。勤務先は誰もが知る有名企業で、出身大学も超有名私立である。父親も有名企業で順調に出世して退職、今は70代半ばを過ぎているが、とある会社の幹部だという。
「母は専業主婦で料理上手。パンもお菓子も手作りでした。毎日、母親の作ったおやつを食べるという、一見贅沢な子ども時代を送っていました」
1歳違いの弟、4歳違いの妹もそれぞれに有名大学を出て、「世間に言えば羨ましがられるような」仕事に就いている。
「完璧な家庭でしょ」
秀平さんはそう言って少しだけ皮肉な笑みを浮かべた。彼自身は、そんな環境で育ったことを完全に受け入れているわけではなさそうだ。
「子どものころは背ばかりひょろひょろ高くて、内気な性格でした。勉強もろくにできなかったしね。弟がスポーツ万能、勉強もできてクラスの人気者だったから、先生たちからは『あいつはきみの弟なのか』とよく驚かれました。でも兄弟仲は悪くなかったですよ」
家庭はいつも温かかったと思いたいと、彼は複雑な言い回しでこちらを見た。実際にはそれとかけ離れていたのだろう。重い口をようやく開いたのは、2杯目のコーヒーに手をつけたころだった。
「小さいころはわからなかったけど、うちの両親、実は常識がないんですよ。ある種の選民意識みたいなものがあるのかもしれない。たとえばゴミ出しとかも母はしょっちゅう近所から注意されていたんだけど、『ゴミはゴミなんだから、どうやって出そうとこっちの勝手よね』と言うわけです。父は母のそうした愚痴は完全に無視。母はわがままお嬢様が抜けず、父は自分の仕事以外に興味がない。母はときどきエキセントリックに僕らを叱ることがありました。矛先のほとんどは僕でしたけど、『あんたみたいな愚か者は消えなさい!』という怒り方なんですよ。ちょっと笑っちゃうでしょ。でも言われた当時の僕は体が震えるくらい怖かった」
母は料理以外の家事はあまりできなかった。子どもたちが率先して掃除や洗濯をした。母は「ごめんね」とも「ありがとう」とも言わなかった。自分に尽くすのが当然だと思っていたのかもしれないと彼は言う。
「よく学校にクッキーとか持たされてました。遠足のときも、みんなで食べなさいとシフォンケーキを大量に持たされる。先生も困ったでしょうね。中学のときの部活では、何かあると母がお重で大量の料理を作るんです。でも自分では運べないから、わざわざアルバイトを雇う。ちょっとおかしいですよね。母は『これが愛よ』と言っていたけど、おそらく承認欲求だと思う。母は寂しい人だったんだと僕は考えています」
人との距離のとり方も、なんとなく変だった。昨日まで仲よくしていたママ友と急に縁を切り、「あの家の子と遊んじゃダメ」と命令したり、ちょっと知り合った人を夕飯に招こうとして断られたり。自分は大事にされて当たり前の存在だと思って育ったのだろう。それでいて、母は無償の愛を子に注ぐことはしなかった。いや、できなかったのかもしれない。
「僕は母の気分次第でかわいがられたり、消えろと言われたり。高校生になるころには、母はそういう人だと自然とわかったので、あまり母の言葉に振り回されないようにしようと防衛本能が強化されました」
そんな母を父がどう思っていたのかはよくわからない。秀平さんにとって、父はいつも「仕事で家にいない人」だったから。年に1度は家族旅行をしたが、それも「家族はそうするのが当然」「幸せを人に見せつけるため」の恒例行事に過ぎなかったのだろうと彼は推測している。
秀平さんは親の期待を裏切って公立高校に入学した。有名私立に軒並み落ちたからだ。だが高校2年生のときの担任と人間的な信頼関係ができて、自分が変わっていくのがわかったそうだ。
「いい先生でした。受験勉強なんかしなくてもいい、ものを知ること考えることが楽しいと思ってもらいたいというのが口癖だった。先生は戦後生まれだけど、親が昭和初期生まれだからと戦争体験も聞かせてくれました。僕はそれで近現代史に非常に興味を持った」
もっと知りたい。その思いから近現代史を学ぶため、大学へ行こうと決めた。だから「手段としての受験勉強をした」のだ。受験ありきではなかった。
大学入学と同時に、シャイだった自分を変えようと思った。サークルに入り、アルバイトをし、とにかく人と関わってアクティブに動いた。そうこうするうちに女性に告白されることが多くなっていると気づいた。
「告白されても、僕は忙しくてつきあえないけど、友だちとして仲よくしようよと答えていました。人間性を知りもせず告白してくる女性も信じられなかったし。友人が『おまえはいい男だから得だよな』と言うので驚いたんです。僕にはまったくその自覚がなかった。外見なんて人それぞれ好みがあるから、当時の言葉で『ハンサムだね』と言われても信じられなかったんです。別にそこに価値があるわけでもないし」
身長が高く、顔立ちが整っている。それだけで人が寄ってくるのが気持ち悪かったと彼は言う。顔立ちなんて好みの問題、逆に自分には中身がないと思われているのがコンプレックスだった。実際、彼は自分の中身は空っぽだという認識をもっていたから。
「ただのモテ自慢だと思われるかもしれないけど、そうじゃないんです。告白してきた女性たちは、結局、僕が『冷たく断った』と言いふらす。男友だちからも、『もったいないことするなよ』とか『女性の気持ちを考えろよ』とか言われる。僕はどうしたらいいかわからなかっただけだし、恋愛するには時間が足りなかったし、そもそも恋なんてしたこともないだけなのに……」
なぜかそのうち、男女双方から総スカン状態になった。そのとき、「あなた、意外と不器用ね」と話しかけてくれたのが、クラスメイトの亜紀さんだった。漆黒のロングヘアがトレードマークで「神秘の美女」と呼ばれていた彼女だけが、彼の孤独を理解してくれたのだ。
「不器用というより、そもそも恋がわからないと言ったら、『私と同じタイプ』と彼女が笑ってくれた。大学にいるときはだいたい彼女と一緒にいました。だけど彼女は僕と違って奔放なところがあるから、キャンパスを出ると『私はこれから彼氏と会うから。じゃあね』といなくなってしまう」
神秘の美女と、学内切ってのイケメンとの恋が噂されたが、実情はそんなものだった。彼はアルバイト先では明るくふるまっていた。特に主婦ウケがよかったらしい。
「ファミレスでバイトしていたので、パートさんとは仲がよかったし、お客さんの主婦たちからも声をかけてもらいました。誰も『告白』なんてしなかった。だから居心地がよかったんだと思います」
だが恋に晩熟な秀平さんの人生は、就職と同時に突然、変わっていった。
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恵まれた環境と裏腹に、ここまでの秀平さんの前半生は、苦心の連続だったようだ。【記事後編】では“電撃結婚”を経て家庭の安らぎを知ってもなお、休まらない秀平さんの心の行方を紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部

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