【仙田 学】「愛してる」のTikTok投稿に映ったのは…父親がゾッとした小5娘、友人の「アバター彼氏」の正体

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SNSとどう関わらせるかは、デジタルネイティブ世代の子どもを育てる親にとって、直面せざるをえない問題だ。
そもそもスマホを何歳で持たせるか、持たせる目的や時間、使う場面や使いかたなどについては、親の数だけ考えかたがあるだろう。SNSとの関わりかたについても同様だ。
そこで今回は、思春期の娘ふたりを育てるシングルファーザーとして、スマホやSNSとどう関わらせているかについてふりかえってみたい。
娘たちにスマホを持たせたのは、ちょうど1年前の、長女が小6、次女が小4の6月だった。まわりでスマホを持つ子どもが増えてきて、どのタイミングで持たせようかと考えていたときに、あるweb記事が目に止まったのがきっかけだった。
その記事には、子どもにスマホを持たせるなら小6からがいい、と書かれていた。その理由は、卒業式に写真を撮れるから。
長女は公立学校に進む予定だったが、私立中学を受験して別の学校に行ってしまう子もいるだろう。長女の親友の子が受験する予定だったので、もしかして別々になるのなら、それまでに一緒に写真をたくさん撮ったり、LINEでやりとりしたりできたら喜ぶだろうな、と思った。
スマホを持たせてから変わったことといえば、大きく以下のふたつ。
・GPS設定により、一緒に外出しているときに子どもが迷子になる不安が減った
・SNSやネットに触れることにより、子どもの世界が拡張された
デメリットもある。
・SNSやネットから真偽不明の情報を浴びまくるようになった
・依存症になったかのように、放っておくとえんえんスマホを見続ける
ひとつずつ触れていくと、まずGPSで居場所がわかるおかげで、中高学年になって親の目の届かないところで遊ぶことが増えてきた子どもたちが、知らず知らずのうちに危険にさらされていないかどうかを確認することができるようになった。
4年も6年も同じ地域で過ごしていると飽きてくるのはわかるが、子どもたちは勝手に校区外に遊びに行くことが増えていた。テーブルの上に長女が友達と一緒に撮ったプリクラが置いてあり、日付を見るとわたしが家を空けていた日だったこともある。
「どこで撮ったん?」
の聞くと、長女は照れくさそうに、
「イオン」
と答えた。校区外のイオンまで、片道1時間かけて歩いて行ったという。
また別のわたしのいない日に、そのイオンの近くで道に迷って、おばあちゃんに電話をして迎えにきてもらったことも何度かあった。
スマホがなく連絡が取れなかったとしたら……と思うとぞっとした。
校区外に行くな、と締めつければ締めつけるほど、子どもは行きたがるだろう。自分が子どもだった頃のことを思いだしてそう考えたわたしは、厳しく咎めることはしなかった。
ただ、不審者に遭遇したり、事故に遭ったりするかもしれないこと、顔見知りのいない校区外でそうなったら、発見や連絡が遅くなるかもしれないこと、そうなることをパパはとても心配していることは何度も伝えた。
それでもたまに校区外には行っているようだった。そのたびにわたしとしては、ぶじに帰ってくるように、と祈ることしかできない。スマホは子どもたちの命綱に思えた。
スマホを持たせてふたつめに変わったのは、SNSやネットによって子どもの世界が拡張されたこと。スマホを持っている友達とはLINEでつながって、毎日のように連絡を取りあって遊ぶ約束をしたり、休んだ日には宿題の内容を聞いたりしている。
また、YouTubeやLINEVOOMのショート動画を見て、さまざまな情報に触れるようになった。わたしの知らないニュースや豆知識を教えてくれるようにもなり、親子で話す話題の幅が広がった。
気に入った動画があると、長女はわたし宛にLINEでURLだけを送りつけてくる。いまではトーク履歴はURLまみれになっている。見てほしいから送っているのではなく、メモ帳代わりにしているのだろう。
一緒に散歩をしているときなど、たまに子どもたちは立ち止まって写真を撮る。雲の形、川に反射する陽の光、鳥など、こういうものをきれいとか、面白いとか捉えているんだな、ということがわかる。
デメリットもある。まずは、SNSやネットから真偽不明の情報も浴びまくるようになったこと。子どもたちが教えてくれることのなかには、明らかなデマもたくさん含まれている。それらを見極めるリテラシーは、残念ながらまだ身についていない。
ネットリテラシーの前提となる論理的思考力や倫理観は、ネットの外側にある人生経験や読書体験から身につくものだ。そうした経験や体験がまだ少ない状態でスマホを持たせてしまったことへの後悔は少なからずある。
たとえば、次女の友達のかおりちゃん(仮名・小5)には、ネットの彼氏がいる。TikTokのアカウントを次女から聞いて投稿を見てみると、アバターのかおりちゃんと、JUN(仮名)が抱きあっている画像に「愛してる」と書かれたものが、エモい楽曲とともに表示された。
リアルでは会ったことがないらしいが、次女からの情報によると、JUNは鹿児島県に住む中2の男子で、武勇伝がたくさんあり、学校で暴れたときには大人4人に取り押さえられたという。高校生になったら鹿児島から京都までやってきて、かおりちゃんの家の近くの児童公園で会う約束をしているらしい。
「そんな中学生おるんか?」
わたしは娘たちと一緒にJUNの投稿をさかのぼっていった。ゲームの画面のスクショに、かおりちゃんとのアバターどうしのツーショット。それから、昼食の写真(平日なのに、明らかに店で注文した蕎麦やカツ丼)に、桜並木の写真。
「バックで流れてる曲、パパが若い頃に流行ったやつや」
「ぜったい中学生ちゃうって。中学生やったら桜バックに友達と撮るし。誰もおらん土手の桜並木の写真撮らんし」
などと、娘たちとわいわい言いながらさらに投稿を見ていくと、あってはならない画像が現れた。ゲーセンでプレイしているゲームの画面が写っているのだが、スマホを構えた撮影者の姿も写りこんでいる。
「おじさんやん!!」
わたしと娘たちは同時に叫んだ。髪をオールバックにして、メガネをかけてチェックのシャツを着ているその男性は、拡大してみると40代後半にしか見えない。
翌日に、次女は学校でそのことを伝えたらしいが、かおりちゃんは「うち、顔で好きになったんちゃうもん!」と動じなかったらしい。そういう問題ではないのだが……。
もちろんうちの娘たちがネットの彼氏を作ったことがわかれば、厳重に注意をしたうえでTikTokを消させるだろう。でも、かおりちゃんは「よそんちの子」だし、親御さんとの関わりもない。心配ではあるが、どうすることもできない。
もうひとつのデメリットは、依存症になったかのように、放っておくとえんえんスマホを見続けるということ。依存性があるのはわかるし、大人でも同じような人は多い。
でも、有意義に使えるはずの膨大な時間を、手のひらサイズの画面に吸い取られている、と思うとぞっとする。
1日に使える時間を決めていたのだが、子どもたちが自分からスマホを離すことはない。そのうち、時間がきたら取りあげることにした。なんとなくその時間は1時間と決めていたのだが、つい最近、子どもたちが学校からもらってきたパンフレットを見ると、スマホを触らせる最適な時間は1時間、とあった。
全くスマホを触らない子どもに比べて、少しは触っている子どものほうが読解力や思考力がつく、というのだ。でも1時間を過ぎたあたりから、それらは逆に下がりだして、2時間、3時間と増えるにつれて、どちらも大幅にさがり、視力も落ちてくる。
パンフレットを見てぞっとしつつも、スマホへの関わらせかたの指針を得た気がして、わたしは改めて「スマホは1時間まで」というルールを子どもたちと確認した。友達との連絡もその時間内に済ませるようにと。
ところが1時間経ってスマホを預かっても、ちょっと目を離したすきに勝手にだしてきていじっているときもある。それを防ぐために、わたしは見つからないようなところに隠すようになった。でもなぜか探し当てて、隠れて使っている。その現場に遭遇したわたしが手をだすと、黙ってスマホを渡してくる。
隠し場所を頻繁に変えても、そのたびに必ず見つけてくる。変えてはあばかれ、変えてはあばかれ、を繰り返すうちに、なんだか懐かしい感覚に襲われた。
わたしは中学受験をしたのだが、小学校の高学年の頃から家のテレビは両親の寝室の奥にある、物置部屋に隠されていた。でも、両親の目を盗んで忍びこみ、動作確認をしたところチューナーには接続されていて、番組を見ることはできた。
それを知ってからは、母親が晩ご飯の支度をしているあいだなどに、自室で勉強をしているフリをして物置部屋にこもり、テレビを見て過ごしていた。
テレビを隠していたときの親の心境はこんな感じだったんだろうな、と毎日スマホをあちこちに隠しながら、わたしは想像している。
子育てをしていると、ふとしたことがきっかけで、自分がどう育てられたのかを思いだすことが多い。そのときに自分はどう感じていたのだろうと、もう思いだせない感情をたぐり寄せることも。それらは子どもから教えられたり、与えられたりする、計り知れないほどたくさんのものごとのひとつだ。
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