ウンコの循環のしくみが壊れた…酪農大国・北海道が直面している環境汚染「雪解けと共に牛糞が流れ出る」《ヒトの8倍近くを乳牛が排泄》

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土地に持ち込まれる養分と持ち出される養分の量を足し引きした収支関係を表す「養分収支」「栄養収支」という考え方がある。土壌で作物を育てると、作物が土壌から養分を吸収する。雨が降れば、多少の養分は流れ込むが、田畑は多くの場合で肥料を施して補うなどして、養分のバランスを保ってあげなければならない。
【写真】牛の“下肥散布”を禁じた北海道・別海町
一方、莫大な量のウンコによって、“養分過多”に悩む地域もある。酪農が盛んな北の大地、北海道だ。82万頭超の乳牛たちによるウンコが行き場をなくし、河川や海を汚染の危機に晒しているという──。
ジャーナリスト・山口亮子氏の著書『ウンコノミクス』(インターナショナル新書)より、“ウンコの循環”が崩れた地域の問題を解説する。(同書より一部抜粋して再構成)【全3回の第3回。第1回から読む】
* * * 高度経済成長が始まったころ、少なくない農家が田畑を耕しながら家畜を飼っていた。 酪農を例にとると、酪農家の戸数は、ピークだった1963年、全国で41万8000戸に達した。当時の総世帯数がおよそ2500万だから、戸と世帯のずれはあるものの、全世帯の1.7パーセント近くがウシを飼っていた計算になる。
そのうちの1戸が愛媛にある私の実家だった。祖父母は乳牛を3頭飼い、酪農の副産物として出る牛糞を堆肥にして田畑にすき込んだ。これは1960年代の平均的な複合経営のあり方だった。こういう農家が全国各地にあって、自分の田畑に堆肥をすき込んでいた。
いまや酪農家はわずか1万1900戸まで減っている(2024年)。酪農は、大規模化と効率化が進んだ。一戸当たりの飼養頭数は全国平均が110.3頭で、欧州連合(EU)のそれと変わらなくなった。酪農の集積が最も進んだ北海道だと、158.9頭になる。
北海道は、1960年代に生乳の生産量で全国の2割を占めるに過ぎなかったが、今では6割に達している。なかでも道東は、生乳生産量で全国の4割を占めるほど突出した存在になっている。
北海道はいくつもの点で酪農の適地といえる。牛乳は夏場に需要が高まるが、都府県では暑さによって乳牛にストレスがかかり、乳量が落ちてしまう。その点、冷涼な気候の北海道では、夏場も高い乳量を維持できる。さらに広い牧草地を持つ酪農家が珍しくなく、飼料の一部を自給できる。
だから現在、酪農で北海道が一強状態にあることは、経済合理性に適っている。問題は、養分収支の破綻、なかでもウンコの循環のしくみが壊れていることだ。
乳牛の糞尿の量は、人の約50倍とされる。北海道は2024年時点で82万1500頭の乳牛を飼っているから、4100万人分の糞尿に相当する計算になる。北海道の人口は2024年時点で522万人なので、人の8倍近くを乳牛が排泄している。
しかも排泄量の大半が道東に集中している。道東は冷涼な気候に恵まれ、広い牧草地を確保しやすい。乳業メーカーの工場が多く、酪農家にとって規模を拡大しやすい条件がそろっている。
そんな道東の畜産関係者を悩ませるのが、乳牛の糞尿問題だ。糞尿はタンクに溜め込み、スラリーと呼ばれる液体状の肥料にする。人間でいう下肥だが、量が段違いに多い。
「この辺りでは、できたものを全部撒くのがスラリー散布。施肥ではなくて、産業廃棄物の最終処分」
道東のある畜産関係者は、こう言いきった。スラリーは本来なら、牧草地や畑に肥料として施す。ふつうは面積当たりにどのくらいを施せばいいというJAや行政の指導に則るか、農家が土壌を分析して足りない養分を補うかする。
ところが、畑地が限られ牧草地しかないような地域では、「全量撒く以外に方法がない」(先の関係者)。運搬費用がかさむので、地域外に持っていくのも難しい。
その結果、道東では春先、雪がまだ残っている牧草地にスラリーを撒くというグレーな処分がみられる。積雪が残る状態や土壌がまだ凍結している状態で撒くと、雪解けとともに流れ出て、河川を汚染する可能性がある。「廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃掃法)」や「水質汚濁防止法」に触れる懸念が、かねてより指摘されてきた。道はこうした散布をしないよう、指導している。
唯一条例を作って明確に禁じたのが、道東に位置し、生乳の生産量で日本一を誇る別海町(べっかいちょう)だ。町の基幹産業は、約11万頭もの乳牛を飼育する酪農を中心とした農業と、漁業である。人口約1万4000人(2024年12月末時点)の町で、国内の乳牛の実に約9パーセントが飼われている。全国的に珍しい独自の「別海町畜産環境に関する条例」を2014年に定めた。
条例の制定前には、施設のキャパシティーを超えた頭数を飼育した農家で、スラリーを溜めるタンクが満杯になり、あふれ出て河川や海を汚染する事故が複数起きていた。
「ほとんどの酪農家は排泄物をしっかり管理していましたが、やはり一部にそういう意識がないまま経営する酪農家もいて、過去に糞尿を流出させる事案が発生しました。一人がやったとしても、それは町全体の問題として捉えなければいけない」
こう話すのは、別海町の農政課の担当者だ。条例には、「家畜排せつ物の管理の適正化及び利用の促進に関する法律(家畜排せつ物法)」や廃掃法の、酪農に関わる部分を改めて盛り込んでいる。
「法律よりも、身近にある条例で定めれば、気をつけようという気持ちが起きやすいだろうと、条例でもあえて定めました」(同町担当者)
この町に独自なのが、乳牛の飼養頭数の面積当たりの上限を設けたことだ。スラリーを散布する農地面積1ヘクタール当たり、2.13頭を超えてはならないとする(ただし一部に例外あり)。国が定める地下水の環境基準を超えないよう、適切な頭数を、研究機関の協力も得て算出した。
条例を浸透させるため、町は地元の農協や道とともに指導チームを作って農家を訪れ、 適切な管理がされているか確認している。条例の制定から数年は、毎年全戸を回り、今は3年に1度の頻度で全戸を回る。
「環境への影響を理解していない方は、自分のところだけ良ければいいやという考え方に なってしまう可能性があります。それでは周囲に多大な影響を与えかねず、もし地下水を汚すと、回復に何年もかかるわけです。事業者の一人ひとりが、そういう意識と自覚をもってしっかり対応していくことが、重要だと思いますね」(同)
別海町は先進事例である。町の外に出ると、積雪が残っていたり、まだ土壌凍結していたりしても、スラリーを撒く農家はいまだにある。
理由はさまざまある。スラリーを溜めておくタンクがあふれそうで雪解けを待てない、 黒いので融雪剤代わりに撒いて雪解けを促したい、春先は忙しいので作業を前倒ししたいなど。最たるものは、道東に乳牛が多すぎるという、構造的な問題だ。
(了。第1回から読む)
【著者プロフィール】山口亮子(やまぐち りょうこ)/ジャーナリスト。愛媛県出身。2010年京都大学文学部卒業。2013年中国・北京大学歴史学系大学院修了。時事通信社を経てフリーになり、農業や中国について執筆。著書に『日本一の農業県はどこか―農業の通信簿―』、共著に『誰が農業を殺すのか』(共に新潮社)、『人口減少時代の農業と食』(筑摩書房)などがある。雑誌や広告の企画編集やコンサルティングなどを手がける株式会社ウロ代表取締役。

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