〈絶海の孤島・青ヶ島在住の41歳女性が明かす、「日本一人口の少ない村」に“ずっと住みたい”と思うようになったワケ「最初は東京本土に戻るつもりだったけど…」〉から続く
日本一人口の少ない村、青ヶ島村在住のYouTuber・佐々木加絵さんが“島暮らし”を発信する連載企画。
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東京都心から約360km離れた人口157人(2025年5月1日時点)の小さな島・青ヶ島。交通手段が限られていて、簡単に上陸できないことから、別名「絶海の孤島」と呼ばれている。
そんな青ヶ島の日常をYouTubeで発信しているのが、佐々木加絵さん(41)。「私にとっては普通なのですが、島外の人からすれば、青ヶ島の日常は非日常なのかもしれない」と話す加絵さんは、いったいどんな“島暮らし”を送っているのだろうか。今回は、「教育」をテーマに、青ヶ島の日常を紐解いていく。
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人口約160人の小さな島・青ヶ島にも、子どもたちが学ぶための学校はあります。今は、保育園と小中学校が1つずつ。ただ、島全体の子どもの数が減っていて、保育園には2、3人、小中学校には合わせても10人くらいの子どもしかいません。そして、そのほとんどが島外から転勤で一時的に来ている子どもたちです。
私も子どもの頃は、島の保育園、小中学校で育ちました。当時、保育園には私を含めて10人くらいの子どもがいたんです。
小中学校全体の人数ははっきりとは覚えていませんが、同級生は4人いました。当時はきょうだいが多い家庭ばかりだったので、人口と比較すると子どもの人数が多くて賑やかでしたね。ちなみに、私は4人きょうだいの一番上なんですよ。
さて、青ヶ島の小中学校は、同じ敷地内にあります。人数も少ないから、運動会や学習発表会、マラソン大会などのイベントは、小中学校合同で行うのが昔からの慣例です。
こういう話をすると、「子どもが少ない島は、できることが限られていて大変そうだな……」とネガティブな印象を受ける方もいるかもしれません。たしかに、少人数だから難しいことはあります。例えばスポーツ。普段の部活や習い事は、大人が混じって練習や試合を行うので、サッカーや野球のように人数が必要な競技でも不便は感じません。
でも、地域の大会に出るとなると、大人たちが入るわけにはいきません。大会に出るために、近隣の島の学校から、助っ人を呼ぶことが多いです。本当は島の子たちだけで出られたらいいんですけど、それができないのが島の現状です。
一方で、少人数だからこその良さもたくさんあるんですよ。
例えば、学校の授業は学年別だけでなく、合同授業もよく行われます。だから、子どもたちが学年を超えて仲良くなりやすいんです。また、先ほど話したように部活や習い事は大人も混じって一緒にやるから、子どもが鍛えられる。スポーツだけでなく、楽器や歌が上手い子もすごく多いんですよ。
都会の学校では、1つのクラスに30人以上いるのが当たり前ですよね。そうなると、どうしても学校行事を頑張る子と頑張らない子が出てきてしまうと思うんです。
でも、子どもたちの人数が少ない青ヶ島では、常に「自分が動かないと何も始まらない」環境です。例えば中学校では、ほぼ全校生徒が生徒会に入らなきゃいけません。私も、中学2年生のときにやっていましたね。人数が少ないので、みんなで協力して運営していました。
青ヶ島の人たちは、「ないものは作る」「自分でなんとかする」という精神がすごく強いんです。それには、“絶海の孤島”という自然環境だけでなく、こういった教育環境も影響しているんじゃないかな、と思っています。
青ヶ島で暮らしている佐々木加絵さん(本人提供)
実は、2022年に青ヶ島の中学校は休校寸前まで追い込まれたことがあるんです。休校となると、一時的に閉めるだけではすみません。例えば、今転勤で島に来てくれている約20人の先生たちは、みんな本土に引き上げてしまいます。
もし学校が再開するとしても、その人数を呼び戻すとなると、かなり大変なことは想像できますよね。そうなると、簡単には再開できなくなってしまうかもしれません。その間に、人口はさらに減ってしまうでしょう。
そんな休校の危機を救ったのが、本土の学生さんを1年間島の学校で受け入れる、青ヶ島村離島留学制度。通称「島留学」です。
現在は3人の中学生が島留学中です。留学中は村内の受け入れ保護者、通称「しま親」のもとで生活するのですが、その中心となっているのが青ヶ島の特産品「ひんぎゃの塩」を作る製塩所の代表、山田アリサさんです。アリサさんは、島留学を立ち上げた張本人でもあるんですよ。
島留学が始まって、今年で4年目。最初は少し緊張した様子で島で過ごしていた子どもたちも、大人と接する機会が多いからか、みんな挨拶がしっかりできるようになったり、意見をはっきり言ったりできるようになるんです。
他にも、「今日はたくさん釣れたから」と漁師さんから魚をもらったり、週末は畑に野菜を収穫しに行ったり、ご近所さんが飼っている鶏の世話をしたり。都会ではできない経験ができるのが、島留学の魅力です。
今後も青ヶ島を「人の住める場所」として存続させるには、子どもたちの存在が大切です。そして、そのためには学校を維持することが大切ですし、学校を維持するためには島留学の継続が必要です。
ただ、島留学にも課題はあります。「しま親」が見つからないと、募集が中止になる可能性があるんです。現状、「しま親」はアリサさんだけ。もっと増やしていきたいところですが、大切な人の子どもを預かるというのは、簡単にできることではありません。
方法は模索中ですが、島民全員、学校、そして村や都も一緒になって協力していけたらな、と思っています。
これまでのお話ですでにお気づきの方も多いと思いますが、青ヶ島には高校がありません。中学校を卒業すると、島外の高校に進学します。ちなみに私は親戚の家が近くにある、神奈川県の女子校に進学しました。
進学先を決める理由はさまざまですが、私のように「親戚の家が近いから」という理由で決める人は多いですね。今はもうありませんが、昔は「七島学生寮」という伊豆諸島出身の生徒のための男子寮が都内にあって、そこに下宿しながら高校に通う人もいました。
島には、進学のための塾や予備校がありません。だから私の頃は、放課後は学校に残って友達とわからないところを教えあったり、図書館においてある参考書を使って勉強したりしていました。夏休みだけ、東京の塾に通ったりする子もいましたね。
今はネットが発達しているので、オンラインで授業を受けたり、オンライン家庭教師を利用したりもできるはず。昔に比べたら、島の子たちも勉強の選択肢が増えているかもしれません。
最近は、大学や高専に進学する子も増えてきました。これからの青ヶ島を考えると、様々なことを勉強して島に戻ってきてくれる人が増えると良いな、と思います。
「人手があればなんとかなる」という時代もありましたが、これからは「革命的なこと」をしないと、島の人口減少は止められません。特に、移住者を増やせるような仕事を新しく生み出さないといけない。そのためには、島で起業してくれるような人たちが増えるといいですね。
私は私で、「この島に行ってみたい」と思ってくれる人が1人でも増えるように、これからも島の日常を発信し続けていくつもりです。
取材・文=仲奈々写真提供=佐々木加絵
(仲 奈々,佐々木 加絵)