【巨人】長嶋終身名誉監督の次女・三奈さんが明かす最期「最後まで長嶋茂雄を貫いた」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

3日に肺炎のため89歳で亡くなった長嶋茂雄終身名誉監督の通夜・告別式が都内の斎場で8日までに執り行われた。
通夜が7日夜、告別式が8日の朝から執り行われ、親族のほか栄光のV9時代のチームメートや監督時代の選手やコーチら計96名が参列。祭壇上には長嶋終身名誉監督自筆の「3」が入ったユニホームや、天覧試合でホームランを打った時に使用したバット、国民栄誉賞で贈られた記念品の金のバット、文化勲章と勲記が飾られた。
喪主を務めた次女の三奈さんは「2004年、脳梗塞で倒れてからは、自分との闘いを21年間続けてきました。私が見ていても胸が締め付けられるぐらい苦しい治療をたくさんしてきました。食事も食べられず、会話もできない日も何日もありました。でも、父は、野球を全うしたそのままの力で、病と真正面から向き合って、決してあきらめることはしませんでした」と病床のミスターの様子について回顧。
さらには「6月3日、朝6時過ぎに、病室におりまして、脈拍と血圧の数値が0になったんですが、よく見ると、波形が、ピッピッと山なりの波形が、ずっと続いているんです。看護師さんに『これ、どういうことなんですか』と聞きましたら、『監督が心臓を動かそう、動かそう、動かそうとしている振動なんだと思います。私、こんなの見たことありません』。看護師さん、主治医の先生方、最後まで驚いていました。最後まで長嶋茂雄を貫いた人生を送ったと思います。意識がなくなっても諦めず、そして、最後まで、俺は生きるんだ、諦めてないぞ、諦めてないよと。父の心臓の鼓動がそう発していると、私は思いました。父らしい、最期まで諦めない姿を見せてくれました」とミスターが見せた「奇跡」についても明かした。
また、長嶋終身名誉監督との思い出として「2人きりの素振りの時間」を挙げた愛弟子の松井秀喜氏に対しては「父はとても耳が良いので、松井さんも、もしよろしければニューヨークから素振りをしていただければ、父もしっかりと聞いていると思います。どうぞ、これからも父と松井さん、二人だけの会話を、素振りを続けていただければと思います」と思いを明かした。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。