銀座の路上に1億円が落ちていた! 1980(昭和55)年のゴールデンウィーク直前、世間はこのニュースにどよめいた。取得したのは運送会社社員の大貫久男さん。4月25日の午後6時頃、銀座3丁目の道路脇に落ちていた風呂敷包みを拾ったところ、中身はビニール袋に入った現金1億円だった。
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「週刊新潮」は落とし主についてのミステリーを報じているが、今回は大貫さんご本人にスポットライトを当ててみよう。1億円取得から6カ月後、当時の遺失物法により全額が自分のものとなった大貫さん。脅迫なども多かったため、受け取りの際はジョギングでの外出を装いつつ、防弾チョッキを身に付けていた。
使い道はマンション購入や将来の蓄えという堅実さも大いに注目され、19年後の1999年に“ある噂”が流れた際もどこか納得できる空気があったとか。噂の真相を求めた「週刊新潮」は当時61歳の大貫さんにインタビューを敢行。そこで語られたのは、変わらない堅実ライフと宝くじに関する衝撃的な体験だった。
(「週刊新潮」1999年2月18日号「あの1億円拾った『大貫さん』 今度はジャンボ宝くじ」をもとに再構成しました。年齢、企業名などは掲載当時のままです)
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東京・有楽町の宝くじ売り場に並ぶ主婦たちの間で、「1億円を拾った大貫さんにジャンボ宝くじが当たった」という噂が広がっている。
ご記憶のムキも多いだろうが、19年前、銀座の路上で現金1億円を拾ったあの大貫久男さん(61)である。その大貫さんが今度はジャンボ宝くじに当たったらしいというのだから驚く。
早速、発売元の第一勧銀(編集部注:現在のみずほ銀行)に問い合わせると、「大貫さんがジャンボ宝くじに当たったかどうかは申し上げられません」という答えで、噂は何となく真実味を帯びてくる。
ここは是非、ご本人に語ってもらう。大貫さんは、今でも片手で10キロのダンベルを軽々と持ち上げ、19年前と変わらない若々しさだ。
「あの1億円は税引き後、手取りは6400万円。そのうち3700万円でマンションを購入し、残りの2700万円を定期預金や個人年金に回しました。でも子供の進学や結婚に使ったので、今ではほとんど残っていませんよ」
昨年、還暦を迎え、長年勤めた運送会社を定年退職する時期になったが、
「社長から『体力が続く限り働いてくれ』といわれ、そのままトラックの運転手を続けています。今も毎朝5時に起きて食事を摂り、8時にはハンドルを握っている。月給は手取り23万円。個人年金も去年から年間127万円支給されていますから、生活には何の心配もありません」
仕事に精を出す傍ら、趣味の盆栽やスポーツで汗を流すのにも余念がない。
「夕方4時に仕事が終わると毎日テニスを楽しんでいます。公園のテニスコートですから、金もかからない。それに得意先の会社の野球チームに加わり、ピッチャーをやってるんです。昨シーズンは5勝2敗の好成績でした」
唯一の贅沢は、月に一度、伊豆大島や八丈島に泊まり掛けで磯釣りに行くことぐらいだという。
「私は若い時に下積みで苦労し、浪費癖がつかなかった。仕事帰りにわざわざ作業着から私服に着替え、飲みに行くのも馬鹿らしい。家で焼酎のお湯割りを1杯飲んで夜9時には寝てしまいますよ」
さて、ジャンボ宝くじが当たったという噂は本当か。
「いや、会社の社長と3000円ずつ出し合って1万円が当たったこともありますが、予約制でなくなってからは買っていません」
と、否定する。
「実は、仕事で宝くじを保管している倉庫に行ったことがあり、宝くじが入った段ボールが何百箱も山積みされているのを見ました。ところが、この中に1等の当たり券はたったの2枚しかないと聞いたんです。あまりにも確率が悪過ぎて当たらないと実感したから買わないんですよ」
デイリー新潮編集部