正社員としての激務に追われ、心身ともにすり減っていくより、自分のペースで働ける非正規という選択肢の方が性に合っている──そんなふうに考える人が、今の時代では珍しくありません。働き方が多様化した現在、大切なのは「どの形が正解か」ではなく、「自分が納得しているかどうか」。ただし、自由さと引き換えに、非正規という働き方には思わぬ落とし穴が潜んでいることも。見ていきましょう。
「正社員のストレスにはもう耐えられなかったんです。定時で帰れて、人間関係も穏やか。今の働き方が、私には一番合ってると思うんです」
そう語るのは、現在37歳のAさん。自宅から自転車で20分ほどの距離にある小さな会社で事務職のパートとして働いています。勤務時間は平日の9時から17時まで。手取りは月14万円ほどで、ボーナスや昇給はなく、契約は半年ごとの更新制です。
地方の大学を卒業後、Aさんは地元の企業に正社員として就職しました。新社会人としての期待と不安を胸に飛び込んだ職場でしたが、待っていたのは過酷な現実でした。残業が常態化し、上司との相性も悪く、徐々に心と体のバランスが崩れていきました。
「泣きながら電車に乗ることもありました。今振り返ると、軽い鬱状態だったと思います」
入社からわずか1年半で退職。以降もいくつかの企業を転職しましたが、どこも長続きはしませんでした。そんな中、「つなぎ」として始めたのが今のパートの仕事でした。
「正社員のときのような責任の重さがないし、定時になればきっちり帰れる。そのシンプルな働き方が、私には何より心地よかったんです」
パートという働き方を選んでから、心の安定を手に入れたAさん。しかし、経済的な余裕は決してあるとは言えません。
現在の手取りは月14万円ほど。一人暮らしをしている部屋の家賃は5万円。節約を重ね、食費はお米も含めて1万5,000円。なんとか生活を成り立たせてはいるものの、貯金は100万円ほど。突然の出費には耐えきれないといいます。
「定時に家に帰って料理をしたり本を読んだりする時間が持てる、今の暮らしが好きです。私はもともと生活も地味なので、節約もあんまり苦じゃない。でも、未来のことを考えると不安になります。もし病気をしたら? 仕事の契約を打ち切られたら? 貯金は一気に消えてしまいますよね……」
年齢を重ねるにつれて、老後への不安も大きくなってきました。
「貯金なし、結婚の予定もなし、親も年老いてきて介護が必要になるかもしれない。将来のことを考えると、夜に眠れなくなることもあります。正社員に戻るべきなのかなと頭ではわかっていても、一歩を踏み出せないまま、ここまできてしまいました」
望まず非正規雇用で働く人も多い一方で、Aさんのように、自らの心身を守るために非正規雇用を選ぶ人もいます。もちろん、自分が選んだ働き方であれば、誰に非難されることではありません。しかし、その選択には大きなリスクが潜んでいることは知っておくべきでしょう。
厚生労働省「令和4年賃金構造基本統計調査」によると、40年以上働いた場合の生涯賃金は、正規雇用で約2億7,000万円、非正規雇用ではおよそ1億2,000万円。倍以上の差があるのです。
非正規雇用は昇給や退職金、昇進のチャンスがない場合が多く、キャリアの積み重ねが難しい。これが、そのまま老後の年金額や生活の質にも影響を与えます。
総務省の「令和5年労働力調査」によれば、正規雇用の割合は63.0%、非正規雇用は37.0%。つまり、約4割が非正規で働いており、Aさんのようなケースは特別ではなく、社会全体で見ても決して珍しくない状況です。
働き方に正解はありません。正社員としてのストレスで心身を壊すよりも、自分らしく働ける選択をすることは、何より大切なことです。
しかし、「今の心地よさ」を守る一方で、「将来の安心」への備えを後回しにしてしまうと、気づいた時には取り返しがつかなくなる可能性もあります。
大切なのは、選んだ働き方の先にある未来を想像すること。収入が少なくても、つみたてNISAなどを活用して少しずつ資産形成をする、スキルアップのために勉強をするなど、小さな一歩を重ねることで、未来の不安を少しずつ軽減していくことができます。
Aさんの選択は、苦しみながら働く人々にとっては必要なものでしょう。ただ、その選択の続きとして、自分の老後や将来の備えも意識すること。それが、心地よさと安心を両立させるための鍵なのかもしれません。
【参考】総務省「令和5年労働力調査」https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2022/
【参考】総務省「令和5年労働力調査」
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2022/