「殺人クマ」の胃袋から被害者のタイツが…「秋田八幡平クマ牧場事件」 檻から脱出「ヒグマ6頭」が、2名の老女を襲った惨劇の一部始終

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春の本格到来と共に、冬眠から覚めたクマが活動を活発化させる季節がやってきた。近年、街中に出没する「アーバンベア」が社会問題化しているのは周知の通り。最新の統計である2023年度の数字を見ると、全国でクマによる人身被害は198件発生し、被害に遭った人は219人(うち6人死亡)。統計のある2006年以降で最多となった。今年も4月に入ってからだけでも、16日、長野県木島平村で90歳の女性が襲われ、右腕や背中など11カ所を噛まれる事件が発生。9日にも長野県飯山町で3名の男女が襲撃され、重軽傷を負っている。今年も全国で深刻な被害が発生するのは確実視されているのだ。
【写真を見る】鋭すぎる爪がむき出しに… 2人の女性を殺めた凶暴ヒグマの実際の姿
我々はクマの危険性を再認識し、きちんと対応を取る以外に手立てはないのだが、それを余すところなく伝える事件が、13年前、2012年の4月20日に起きた「八幡平(はちまんたい)クマ牧場」事件である。
秋田県鹿角市にあった「八幡平クマ牧場」で、飼育されていたヒグマが檻から脱走。従業員女性2名が襲われ、犠牲となった事件である。「週刊新潮」は当時、事件の関係者に取材し、襲撃が起きてから、逃げ出した6頭のヒグマが射殺されるまでの5時間を再現している。当時の記事を振り返り、クマとの共生の仕方について、改めて考えてみよう。(「週刊新潮」2012年5月3・10日号の再録です。文中の年齢、役職等は当時のものです)【前後編の前編】
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〈六名の死者のうち二名の女性の体は胎児とともに羆(ひぐま)の胃に送りこまれ、消化された。それは、羆の血肉の一部になり、わずかに毛髪が不消化のまま胃中に残されていただけだった。雪の上におかれている赤身の肉は、羆の肉であることに変りはないが、人肉でもあるのだ〉
吉村昭の小説『羆嵐(くまあらし)』の一節だ。この名作が、日本獣害史最大の惨劇と言われる「三毛別羆(さんけべつひぐま)事件」をモデルにしたものであることは知られている。1頭のヒグマが農家を次々に襲撃し、死者6人、重傷者3人を出した。事件が起こったのは1915年。舞台は北海道北部の開拓村である。
時は流れて平成の世。いまだ根雪の残る秋田県北東部、鹿角市で「三毛別事件」を彷彿とさせる惨劇が起こった。「秋田八幡平クマ牧場」から6頭のヒグマが逃げ出し、田中ハナさん(仮名=75)と田中シゲさん(同=69)が犠牲になったのだ。2人はいずれも牧場従業員で、苗字は同一だが姉妹ではない。「三毛別事件」は野生のヒグマによるもので、今回は牧場で「管理されていたヒグマ」という違いは確かにある。しかし、両事件は、はっきりと1つの事実を示している。荒れ狂うヒグマの前では、人間があまりに非力な存在でしかないという事実を。事件の2日後、射殺されたヒグマが解体され、それぞれの胃袋が取り出された。その内容物を前に、人々は慄然とする他なかった。 「やっぱり、警察は熊の解体なんてやったことないし、腹破ってもどれが胃だか分かんねから、俺ら猟友会に依頼したんだべ」
とは、鹿角市猟友会のA氏(75)。解体には、同猟友会の会員8名が立ち会ったという。会員の1人が刃渡り12センチほどの包丁でヒグマの腹を裂くと、“ブシュー”という音がしてガスが噴き出してきた。
ある猟友会員は、
「風下にいた人は皆エズいてた。胃袋を取り出した後、内容物を警察の人がビニール袋に移していった。その中に、人の肉があった。牛とか馬と同じで、ちょっとくすんだ赤色だ。あそこにいた熊が生肉を餌にしていたことはないから、あれは人の肉だ。大きさは握り拳くらい。それがゴロゴロ出てきた。胃液で黄色っぽく変色したタイツもあった」
同じく解体現場に立ち会った別の会員は、ヒグマの胃から人間の髪の毛が取り出されるのを見たという。 「新聞紙片面くらいの大きさの胃からは、毛だけではなく、人間の皮膚も出てきた。被害者が身につけていた肌着の片袖の部分だけが出てきたのには驚いたよ」
冒頭で引用した『羆嵐』と同様、被害者は〈羆の胃に送りこまれ〉ていた。しかも、それから時をおかずに射殺されたため、消化されないまま胃中に残されていたのであろう。惨劇は如何にして起こったのか。ここで、ヒグマ解体の約48時間前、事件発生時まで時計の針を巻き戻す。
秋田と岩手にまたがって広がる火山群「八幡平」の麓。木々が生い茂る一角に「八幡平クマ牧場」はある。事件のあった4月20日は朝から快晴。気温は午前10時で約7度だった。牧場の敷地内のほとんどの部分は50センチほどの根雪に覆われ、葉を落としたままの木々が林立する荒涼たる光景は、見る者に寒々しい印象を与える。
「八幡平クマ牧場」が開設されたのは1987年。事件当時、北海道ヒグマ、コディアックヒグマ、ツキノワグマの3種、計33頭が飼育されていた。野生では本州に生息するツキノワグマは体長は平均1.5メートル、体重は80~120キロ。それに比べ、日本では北海道にのみ生息するヒグマは体長約2メートル、体重は300キロを超えるものもいる。アラスカのコディアック島などに生息するコディアックヒグマはさらに大きく、体重1トンになるものもいるという。 「八幡平クマ牧場」の経営者は造園業も営む男性(68)。従業員は、亡くなったハナさんとシゲさんに男性従業員(69)を加えた3人のみ。20日は冬季閉鎖中だったが、4月下旬の営業再開に向け、午前8時頃から従業員3人がエサやりなどの作業をしていた。
鹿角広域行政組合消防署・副署長の話。
「第一報が大館消防本部に入ったのが午前10時5分で、それが我々に転送されてきた。牧場の男性従業員がまず大館市に住む経営者に連絡し、彼が119番したのです。この時の情報は“女性が熊に噛まれているようだ”というもの。救急小隊3名が10時26分に、私を含めたポンプ小隊4名が31分に現着しています」
牧場には、客用の入口と従業員用の入口がある。従業員用入口から牧場のほうを見た副署長の目に、信じがたい光景が飛び込んできた。檻の中にいるはずのヒグマ2頭が悠々と牧場敷地内を歩いていたのだ。熊との距離は約30メートル。
「私は急いで入口のゲートを閉めた。でも、もう一方の入口には門もなく、一度熊が逃げてしまったら四方八方どこでも行ける」(同)
男性従業員は経営者に連絡した後、牧場から車で5分ほどの場所に住む猟友会会員・A氏(前出)の自宅を訪れている。 「ハナさんが“熊が逃げた”と叫んだんだ。シゲさんは何も応答ねぇ……」
一緒に牧場に向かう車中、男性従業員はA氏に動転した様子で告げた。
「牧場に着いたら、もう消防も警察も来ていた。国道側から牧場を見下ろしたら、熊がウロウロし、人が倒れているのが目に入った。ハナさんかシゲさんかは分からないが、横たわった人間を2頭の熊が引っぱり合っていた。私は銃の準備をするため、それから一旦自宅に帰った」(A氏)
牧場には、48メートル×20メートルの「運動場」があり、高さ約4.5メートルの塀に囲まれている(写真の「現場の図」参照)。が、事件当時、運動場の隅には雪山ができており、塀の上部まで1メートルほどしかなかった。6頭のヒグマはそこから外へと逃げ出したのだ。
ヒグマの生態に詳しい北海道野生動物研究所所長の門崎允昭氏がいう。
「熊と遭遇した場合、走って逃げてはダメ。“何やってるんだ、お前!”とか何でもいいから話しかけることが大事です。そうすると自分も熊も我に返りますからね。でも、今回は瞬時に襲われたのでしょう」
『シャトゥーンヒグマの森』の著者で、作家の増田俊也氏も話す。
「熊というと“クマのプーさん”のようにおっとりとしたイメージがありますが、極めて身体能力が高い。大きいヒグマだと400キロくらいあるのもいる。車ならワンボックスカーくらいの大きさですよ。襲われたら人間はひとたまりもない」
そんなヒグマが6頭も塀を乗り越えて“外界”に出た。まさに火急の事態だが、消防隊員は30メートルほど離れた場所から、倒れている被害者に“声が聞こえたら手を挙げて下さい”と叫ぶくらいしかできない。猟友会には、緊急救助隊が約20名いる。全員に招集がかかった。
***
【後編】では、猟友会によってヒグマ6頭が射殺されるまでの、決死の攻防を詳述する。
デイリー新潮編集部

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