隠ぺい?17年前のいじめの真相 教育委員会“だけ”いじめ認めず「失敗を出したくない自己保身」独自入手記録をもとに直撃すると【報道特集】

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同級生たちに破られたノート。17年前、小学5年生だった男子児童がいじめを受けていた。
【写真を見る】隠ぺい?17年前のいじめの真相 教育委員会“だけ”いじめ認めず「失敗を出したくない自己保身」独自入手記録をもとに直撃すると【報道特集】加害児童は13人。全員のいじめ行為を裁判所は認めている。しかし、神戸市教育委員会「だけ」が、いじめを認めていない。私たちは、独自入手した記録や録音データをもとに、当時の教育委員会幹部に直撃した。■殴る蹴るの暴行、恐喝、50万円以上を親の財布などから抜き取り…27歳になったAさん「被害者は忘れる権利はあると思うし、実際僕は思い出すことはほぼないんで、それでいいんですけど、教育委員会が隠ぺいしたり、終わりにしたり、目をそらしたらダメだと思うんですよね」「そこまでして隠す理由が分からないですね。何を恐れているのか、何を嫌がっているのか。僕は全然わからないですけど」

「神戸市教育委員会によって僕がつらい思いをしたとか、もちろんありますけど。今になっても“いじめがない”、“分からなかった”、“なかった”、という根拠を本当に聞きたいですよね」Aさんは当時、同級生13人から殴る蹴るの暴行を受け、恐喝されて、50万円以上を親の財布などから抜き取り渡していた。Aさん「学校内で仲間はいなかったですし、先生も含めて助けてくれる人はいなかったですし、死ねっていう言葉はいっぱい言われてたんですけれども、変な話、具体的にどうやって死ねばいいか言われてなかったので、どうやって死んだらいいかを言われていたら、ひょっとしたらほんとにに死んでたかもしれない。それぐらい自分の意志では何もできないような状態でした」1年にも及んだいじめは、父親が異変に気づき、ようやく終わったという。加害児童13人のうち10人はすぐにいじめを認め、謝罪文を送った児童もいた。加害児童の1人が送った手紙「僕は恐喝してお金を取っていたことは間違いありません。『死ね』『消えろ』仲間はずれにもしました。大変反省しているので、すべて話してお詫びすることにしたのです」いじめ発覚から3年後。いじめを認めなかった加害児童3人の親を相手に損害賠償を求めた裁判で、加害児童全員のいじめが認められた。それでもなお、神戸市教育委員会は、いじめを認めようとはしなかった。Aさんの父親「いじめが教育委員会はあったかなかったかわからないと。教育委員会以外は全員いじめだといってるんですよ。なぜ、教育委員会はそこまでそれを否定したかったのかなと。ずっと知りたかったし、今も知りたいですね」■校長は認めていたが「ここだけの話、操作されてるかもしれん」問題が発覚した2006年2月。父親は、校長と面会した際の音声を録音していた。校長は、いじめがあったことを認めていた。校長「廊下に引きずられて何人かで」Aさんの父親「足でみんなに踏まれているとか、蹴られているような。けっこう痣はあったんですよ。お風呂一緒に入って『それどないしたんや?』って聞いたら、こけたとか」校長「本当にすごかったでしょ、いじめの回数とか。本当に私、まとめながら涙が出てきました。許されへん」しかし、この1か月後。校長の態度が一変する。校長「これ僕の口から聞いたって言わんとって。ここだけの話ね、ひょっとしたらね、操作されてるかもしれん」Aさんの父親「何を操作ですか?」校長「いじめがなかったってことに」Aさんの父親「誰が操作してるんですか?」校長「はっきりわかりません」突然、「いじめはなかったことになる」と言い出したのだ。それ以降父親は、学校を指導していた教育委員会が「いじめを隠ぺいした」と訴え続けてきた。発覚から4年後の2010年。教育委員会の幹部は、市議会でこう証言した。神戸市教育委員会 指導部長(当時)「被害を受けたと主張されている児童の保護者の方から『子どもにもう直接話を聞かないでほしい』という強い要望が学校の方にあったと聞いております。学校での聞き取りの協力が得られなくなったために、双方の児童から聞き取りが十分に行えなくなったと」親の強い要望で学校は調査できなかったと主張した教育委員会。その場で聞いていたAさんの父親「すいません委員長!被害者の父親なんですが、発言を認めていただけないでしょうか。今の説明は虚偽説明です。その部分だけを1、2分で簡単に説明しますので。発言を認めていただきたいんですが」発言は許されなかった。Aさんの父親「被害者の父親が息子に話を聞かないでくれと、学校の調査を妨害したと言ってましたよね。全くそんな事実はないんですよ」そして、2016年。Aさんの父親「何が足らないんですか。全体見るって全体像わかってるじゃないですか。何が不足してるんですか?」教育委員会の担当者「その時におけるお子さんの証言だとか、そういうこと自体が当時把握できていない」しかし、2020年、父親の陳情が初めて認められ、ついに第三者委員会が設置された。すると・・・■資料は白塗り…だったが加工前の記録を独自入手Aさんの父親「調査委員会に段ボール4箱送ってきたって、教育委員会から。それまで資料は全くないと言われてた」それらの資料を父親は即座に開示請求し、手に入れた。その中に気になる書類があった。学校と誰かが、何らかのやり取りを繰り返してきた、その記録。核心の部分は白くマスキングされていて、誰とどんな話をしていたのかは分からない。しかし今回、私たちは、マスキング前のものを関係者から独自に入手した。それは当時、学校がまとめていた34ページにも及ぶ「いじめ調査記録」だった。教育委員会の内部で保管されてきたとみられる。いじめが発覚した2006年2月4日。学校作成の調査記録「担任教諭がAさん宅へ電話で内容を確認する」「家の金を合計で10万円以上を持ち出し、友達に渡している」翌日の2月5日。学校作成の調査記録「父親がコレクションしていた旧札15万円分くらいを少しずつ袋より抜き取る。加害児童らにせがまれて、繰り返しその袋よりお金を抜き取り与える」教頭や担任らが連日のようにAさんや加害児童の家を訪れ、金のやりとりを聞き取っている。そして、3月14日の記録。学校作成の調査記録「被害児童が養護教諭に話しかける。ぼくは恐喝されたり、いじめられたりしている。主な加害者はクラスに11人と隣のクラスに1人いる。担任はいじめを見過ごした。クラスに信頼できる心を許せる人間は誰もいない。自殺しようまで思った」記録によると、学校はAさんから少なくとも8回、直接聞き取りを行っていたのだ。今回入手した、学校作成の調査記録。Aさん本人にも確認してもらった。Aさん「これ学校側が作ったんですかね。たまたま開いたページ見て思い出したことありますもん。こんなんあったなーって。それくらい詳細です。全部事実ですけども。どこから見つかったんですか?」記者「元々教育委員会の内部にあった資料で、(関係者が)情報提供してくれた」初めて見た、自身の調査記録。当時、どのような聞き取り調査が行われていたのか?Aさん「聞き取りは連日行われてましたね。先生側から家族が呼ばれたり、僕が呼ばれたりということもあったので、『聞き取ってない』という意味がわからない」■自己保身、同調圧力…元教育長が語る隠ぺいの理由何度も聞き取り調査をしていながら、なぜ、教育委員会は「Aさんから十分な調査ができなかった」と主張しているのか?私たちは、その真相に迫ろうと、神戸市教育委員会の元教育長の1人に接触した。Aさんへのいじめが始まった2005年の前年まで教育長を務めていた、西川和機氏。神戸市教育委員会元教育長 西川和機氏「率直に言ってなぜ、この隠ぺいが続く、隠ぺいの連鎖が起きるのか驚いています。当時の学校長はきちんとした調査と報告をしています。その後、その事実を公表することを逡巡したと。それは市教委の幹部の指示以外は考えられません」ーーなぜ隠ぺいしなければならないのか?元教育長 西川和機氏「この時代に起きていた学校での不祥事。柔道部の合宿で顧問の体罰によって、生徒が亡くなってしまうと、その時の市教委の対応のまずさ、やはりそういうものが背景にあって、この異常な事態を公表するのをためらったのではないかと」Aさんへのいじめが始まっていた、2005年8月。神戸市立中学の男子生徒が柔道部の合宿中に熱中症で死亡した。顧問に体調不良を訴えたが無視され、体罰を受けていたことが発覚した。西川氏の後任だった当時の教育長はこの問題で処分を受けている。その事件から半年後にAさんへのいじめが発覚したのだ。元教育長 西川和機氏「度重なる失敗を出したくないという自己保身。その後、続く人たちは役人の世界ではよくある同調圧力。このへんが働いたのではないかなと」■「あたかもモンスターペアレンツ…」明らかに違う教委作成の“もう一つのいじめ記録”明らかになった「学校作成の調査記録」。さらに驚くことに、これとは別に学校の記録とは別に「もう一つのいじめ記録」が存在していたことが分かった。その記録は、教育委員会が作ったものだった。同じいじめの記録だが、2つを比べると明らかに違う点があった。学校作成の記録では、2006年2月5日にAさんから初めて聞き取り調査を行っている。しかし、同じ日の教育委員会作成の記録には。教育委員会作成のいじめ記録「学校が調べを始める。6名の加害児童と保護者から聞き取りを実施」Aさんへの聞き取り調査が、なかったことになっている。さらに、いじめ発覚から6日後に行われた「学年集会」についても2つの記録で見解が異なる。2006年2月10日 学年集会の音声 担任「先生はね、いじめという言葉が、すごく重たい意味を持っているので、あまり使いたくない言葉であるけど、間違いない。言っとく、いじめは悪い」学年集会の最後に、欠席したAさんの手紙を母親が読み上げている。Aさんの母親「手紙を預かってきましたので、この場ですいませんけれども、読み上げさせていただきます。ここに来るのが怖くて怖くて、吐き気と頭痛で来れませんでした。またいじめられるんじゃないかって」この「学年集会」について、学校の記録では「深く考えるよい機会になった」と記されている。しかし、教育委員会の記録では、「母親が突然、手紙を読むという予定外の行動に出る」となっていた。学年集会に参加していたAさんの父親は・・・。Aさんの父親「最後にうちの息子の作文を母親が読むっていう、そういうきちっとしたプログラムができてたんですよね、打ち合わせで。被害者の親があたかもモンスターペアレンツのような書き込みを随所にしていってるんですよね」■「見たことない」「記憶にない」教委の元課長、元幹部に直撃学校の調査記録は、意図的に隠されたのか?私たちは7月、発覚当時に、学校を指導していた教育委員会の元課長を直撃した。ーー未だに教育委員会は、当時十分な調査ができなかったと言っているが、それは本当なんでしょうか?神戸市教育委員会 当時の指導課長「その頃ですか?そうですね。もっと時間があったらよかったですね」ーー当時校長はですね、最初はいじめがあったと認めていたんですが、その後誰かに操作されていると。それは教育委員会から圧力があったということではないか?神戸市教育委員会 当時の指導課長「それはないんじゃないですか。(校長の)主張は特に変わってないんじゃないですか」ーー当時、いじめがあったと認めているような音声が残っているんですけど?神戸市教育委員会 当時の指導課長「あーそうですか。ちょっと古いことですので」学校が作っていた調査記録について、尋ねると・・・。ーーこれは覚えていらっしゃいますか?神戸市教育委員会 当時の指導課長「それは見たことがないですね」ーー見たことがない?教育委員会として不祥事が続くと問題であるから、このいじめは?神戸市教育委員会 当時の指導課長「それは関係ないです。それはないです。ひとつの事件があったので次々と起こっているので、それが全体トータルとして隠しておこうと、そんな判断はないです。行政機関ですからね、それをするともうあかんでしょ」さらに当時、父親への対応などに当たっていた教育委員会の元幹部は。ーー学校側が作った34ページの資料なんですけど?神戸市教育委員会の元幹部「うわ、すごいね。記憶にはないかなー」ーー当時から脈々と「これを表に出すな」ということが内部であったんじゃないですか?神戸市教育委員会の元幹部「それはないです。(当時)開示請求がありましたからね」ーー開示請求があっても、これは出なかったんですよ神戸市教育委員会の元幹部「いや、その時にそれがあったのかどうかはちょっと記憶にないですけれど」当時の幹部らは「見たことがない」と話した。Aさんの父親に対して、一度はいじめを認めていた、当時の校長にも話を聞こうとした。すると8月、こんな手紙が返ってきた。当時の校長からの手紙「学校側の調査内容については、2006年2月初めから教頭がまとめたものを3月末までには、教育委員会の担当指導主事に送付しているものと思います。精一杯やれることはやったと思っています。誰かに操作されているかもしれないについては、私にはわからないのでコメントできません」神戸市教育委員会と闘い続けてきた、Aさん。なぜ、今になって調査記録が出てきたのか?その説明は一切ないという。Aさん「今僕ができることは、過去は変えられないので、二度と同じような被害者が出ないように第三者委員会とかで訴えていくしかないできないわけなんですが、教育委員会がああいう態度なんだったら、もう救われるはずのものも救われることはないなっていう意味で、すごく残念な気持ちですね」
加害児童は13人。全員のいじめ行為を裁判所は認めている。しかし、神戸市教育委員会「だけ」が、いじめを認めていない。
私たちは、独自入手した記録や録音データをもとに、当時の教育委員会幹部に直撃した。
「そこまでして隠す理由が分からないですね。何を恐れているのか、何を嫌がっているのか。僕は全然わからないですけど」
「神戸市教育委員会によって僕がつらい思いをしたとか、もちろんありますけど。今になっても“いじめがない”、“分からなかった”、“なかった”、という根拠を本当に聞きたいですよね」Aさんは当時、同級生13人から殴る蹴るの暴行を受け、恐喝されて、50万円以上を親の財布などから抜き取り渡していた。
Aさん「学校内で仲間はいなかったですし、先生も含めて助けてくれる人はいなかったですし、死ねっていう言葉はいっぱい言われてたんですけれども、変な話、具体的にどうやって死ねばいいか言われてなかったので、どうやって死んだらいいかを言われていたら、ひょっとしたらほんとにに死んでたかもしれない。それぐらい自分の意志では何もできないような状態でした」
1年にも及んだいじめは、父親が異変に気づき、ようやく終わったという。加害児童13人のうち10人はすぐにいじめを認め、謝罪文を送った児童もいた。加害児童の1人が送った手紙「僕は恐喝してお金を取っていたことは間違いありません。『死ね』『消えろ』仲間はずれにもしました。大変反省しているので、すべて話してお詫びすることにしたのです」
いじめ発覚から3年後。いじめを認めなかった加害児童3人の親を相手に損害賠償を求めた裁判で、加害児童全員のいじめが認められた。
それでもなお、神戸市教育委員会は、いじめを認めようとはしなかった。
Aさんの父親「いじめが教育委員会はあったかなかったかわからないと。教育委員会以外は全員いじめだといってるんですよ。なぜ、教育委員会はそこまでそれを否定したかったのかなと。ずっと知りたかったし、今も知りたいですね」
校長「廊下に引きずられて何人かで」
Aさんの父親「足でみんなに踏まれているとか、蹴られているような。けっこう痣はあったんですよ。お風呂一緒に入って『それどないしたんや?』って聞いたら、こけたとか」
校長「本当にすごかったでしょ、いじめの回数とか。本当に私、まとめながら涙が出てきました。許されへん」
しかし、この1か月後。校長の態度が一変する。
校長「これ僕の口から聞いたって言わんとって。ここだけの話ね、ひょっとしたらね、操作されてるかもしれん」
Aさんの父親「何を操作ですか?」
校長「いじめがなかったってことに」
Aさんの父親「誰が操作してるんですか?」
校長「はっきりわかりません」
突然、「いじめはなかったことになる」と言い出したのだ。それ以降父親は、学校を指導していた教育委員会が「いじめを隠ぺいした」と訴え続けてきた。
発覚から4年後の2010年。教育委員会の幹部は、市議会でこう証言した。神戸市教育委員会 指導部長(当時)「被害を受けたと主張されている児童の保護者の方から『子どもにもう直接話を聞かないでほしい』という強い要望が学校の方にあったと聞いております。学校での聞き取りの協力が得られなくなったために、双方の児童から聞き取りが十分に行えなくなったと」
親の強い要望で学校は調査できなかったと主張した教育委員会。
その場で聞いていたAさんの父親「すいません委員長!被害者の父親なんですが、発言を認めていただけないでしょうか。今の説明は虚偽説明です。その部分だけを1、2分で簡単に説明しますので。発言を認めていただきたいんですが」
発言は許されなかった。
Aさんの父親「被害者の父親が息子に話を聞かないでくれと、学校の調査を妨害したと言ってましたよね。全くそんな事実はないんですよ」
そして、2016年。
Aさんの父親「何が足らないんですか。全体見るって全体像わかってるじゃないですか。何が不足してるんですか?」
教育委員会の担当者「その時におけるお子さんの証言だとか、そういうこと自体が当時把握できていない」
しかし、2020年、父親の陳情が初めて認められ、ついに第三者委員会が設置された。すると・・・
それらの資料を父親は即座に開示請求し、手に入れた。その中に気になる書類があった。学校と誰かが、何らかのやり取りを繰り返してきた、その記録。核心の部分は白くマスキングされていて、誰とどんな話をしていたのかは分からない。しかし今回、私たちは、マスキング前のものを関係者から独自に入手した。それは当時、学校がまとめていた34ページにも及ぶ「いじめ調査記録」だった。教育委員会の内部で保管されてきたとみられる。
いじめが発覚した2006年2月4日。
学校作成の調査記録「担任教諭がAさん宅へ電話で内容を確認する」「家の金を合計で10万円以上を持ち出し、友達に渡している」
翌日の2月5日。
学校作成の調査記録「父親がコレクションしていた旧札15万円分くらいを少しずつ袋より抜き取る。加害児童らにせがまれて、繰り返しその袋よりお金を抜き取り与える」
教頭や担任らが連日のようにAさんや加害児童の家を訪れ、金のやりとりを聞き取っている。そして、3月14日の記録。
学校作成の調査記録「被害児童が養護教諭に話しかける。ぼくは恐喝されたり、いじめられたりしている。主な加害者はクラスに11人と隣のクラスに1人いる。担任はいじめを見過ごした。クラスに信頼できる心を許せる人間は誰もいない。自殺しようまで思った」記録によると、学校はAさんから少なくとも8回、直接聞き取りを行っていたのだ。今回入手した、学校作成の調査記録。Aさん本人にも確認してもらった。
Aさん「これ学校側が作ったんですかね。たまたま開いたページ見て思い出したことありますもん。こんなんあったなーって。それくらい詳細です。全部事実ですけども。どこから見つかったんですか?」
記者「元々教育委員会の内部にあった資料で、(関係者が)情報提供してくれた」
初めて見た、自身の調査記録。当時、どのような聞き取り調査が行われていたのか?
Aさん「聞き取りは連日行われてましたね。先生側から家族が呼ばれたり、僕が呼ばれたりということもあったので、『聞き取ってない』という意味がわからない」
神戸市教育委員会元教育長 西川和機氏「率直に言ってなぜ、この隠ぺいが続く、隠ぺいの連鎖が起きるのか驚いています。当時の学校長はきちんとした調査と報告をしています。その後、その事実を公表することを逡巡したと。それは市教委の幹部の指示以外は考えられません」ーーなぜ隠ぺいしなければならないのか?
元教育長 西川和機氏「この時代に起きていた学校での不祥事。柔道部の合宿で顧問の体罰によって、生徒が亡くなってしまうと、その時の市教委の対応のまずさ、やはりそういうものが背景にあって、この異常な事態を公表するのをためらったのではないかと」
Aさんへのいじめが始まっていた、2005年8月。神戸市立中学の男子生徒が柔道部の合宿中に熱中症で死亡した。顧問に体調不良を訴えたが無視され、体罰を受けていたことが発覚した。西川氏の後任だった当時の教育長はこの問題で処分を受けている。その事件から半年後にAさんへのいじめが発覚したのだ。
元教育長 西川和機氏「度重なる失敗を出したくないという自己保身。その後、続く人たちは役人の世界ではよくある同調圧力。このへんが働いたのではないかなと」
学校作成の記録では、2006年2月5日にAさんから初めて聞き取り調査を行っている。しかし、同じ日の教育委員会作成の記録には。
教育委員会作成のいじめ記録「学校が調べを始める。6名の加害児童と保護者から聞き取りを実施」
Aさんへの聞き取り調査が、なかったことになっている。さらに、いじめ発覚から6日後に行われた「学年集会」についても2つの記録で見解が異なる。
2006年2月10日 学年集会の音声 担任「先生はね、いじめという言葉が、すごく重たい意味を持っているので、あまり使いたくない言葉であるけど、間違いない。言っとく、いじめは悪い」
学年集会の最後に、欠席したAさんの手紙を母親が読み上げている。
Aさんの母親「手紙を預かってきましたので、この場ですいませんけれども、読み上げさせていただきます。ここに来るのが怖くて怖くて、吐き気と頭痛で来れませんでした。またいじめられるんじゃないかって」
この「学年集会」について、学校の記録では「深く考えるよい機会になった」と記されている。しかし、教育委員会の記録では、「母親が突然、手紙を読むという予定外の行動に出る」となっていた。学年集会に参加していたAさんの父親は・・・。
Aさんの父親「最後にうちの息子の作文を母親が読むっていう、そういうきちっとしたプログラムができてたんですよね、打ち合わせで。被害者の親があたかもモンスターペアレンツのような書き込みを随所にしていってるんですよね」
ーー未だに教育委員会は、当時十分な調査ができなかったと言っているが、それは本当なんでしょうか?
神戸市教育委員会 当時の指導課長「その頃ですか?そうですね。もっと時間があったらよかったですね」
ーー当時校長はですね、最初はいじめがあったと認めていたんですが、その後誰かに操作されていると。それは教育委員会から圧力があったということではないか?
神戸市教育委員会 当時の指導課長「それはないんじゃないですか。(校長の)主張は特に変わってないんじゃないですか」ーー当時、いじめがあったと認めているような音声が残っているんですけど?
神戸市教育委員会 当時の指導課長「あーそうですか。ちょっと古いことですので」
学校が作っていた調査記録について、尋ねると・・・。
ーーこれは覚えていらっしゃいますか?
神戸市教育委員会 当時の指導課長「それは見たことがないですね」
ーー見たことがない?教育委員会として不祥事が続くと問題であるから、このいじめは?
神戸市教育委員会 当時の指導課長「それは関係ないです。それはないです。ひとつの事件があったので次々と起こっているので、それが全体トータルとして隠しておこうと、そんな判断はないです。行政機関ですからね、それをするともうあかんでしょ」
さらに当時、父親への対応などに当たっていた教育委員会の元幹部は。
ーー学校側が作った34ページの資料なんですけど?
神戸市教育委員会の元幹部「うわ、すごいね。記憶にはないかなー」ーー当時から脈々と「これを表に出すな」ということが内部であったんじゃないですか?
神戸市教育委員会の元幹部「それはないです。(当時)開示請求がありましたからね」
ーー開示請求があっても、これは出なかったんですよ
神戸市教育委員会の元幹部「いや、その時にそれがあったのかどうかはちょっと記憶にないですけれど」
当時の幹部らは「見たことがない」と話した。Aさんの父親に対して、一度はいじめを認めていた、当時の校長にも話を聞こうとした。すると8月、こんな手紙が返ってきた。当時の校長からの手紙「学校側の調査内容については、2006年2月初めから教頭がまとめたものを3月末までには、教育委員会の担当指導主事に送付しているものと思います。精一杯やれることはやったと思っています。誰かに操作されているかもしれないについては、私にはわからないのでコメントできません」
神戸市教育委員会と闘い続けてきた、Aさん。なぜ、今になって調査記録が出てきたのか?その説明は一切ないという。
Aさん「今僕ができることは、過去は変えられないので、二度と同じような被害者が出ないように第三者委員会とかで訴えていくしかないできないわけなんですが、教育委員会がああいう態度なんだったら、もう救われるはずのものも救われることはないなっていう意味で、すごく残念な気持ちですね」

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