「自家製レシピ」を打ち出し、Instagramのフォロワー23万人以上を数える、料理研究家、フードコーディネーターの濱村圭さん(41歳)。
20代をアイドルとして過ごし、学生時代に遭ったイジメの経験から「自家製料理研究家」になるまでの紆余曲折ストーリーは、前編記事『同級生に「気持ち悪い!」と言われ…学生時代にいじめを受けた元アイドルの料理研究家が、調味料から加工品まで「手作り」する理由』で紹介した通りだ。
現在、夫と3人の子どもと暮らし、日々「自家製レシピ」を探求する濱村さん。本稿では、かつて「子どもを失う」という出来事を経験した彼女の明るく、強い生き様を紹介する。
――前編記事にて、過去に子どもを亡くした経験があると話されていました。詳しくお話を聞いても良いですか?
「2人目として授かった子だったのですが、10週目の検診の時にお医者さんが『頭の形がちょっとおかしいから、大学病院で診てもらいましょう』と言ったんです。『どういうことですか?』と聞いても、『いや、それは大学病院で…』と濁される。不安で、家に帰ってネットで検索しまくりました。
――不安になると、検索で答えや安心の材料を見つけたくなりますね。
「そこでわかったのは、無脳症の可能性でした。生まれてすぐに亡くなるか、長くても数時間しか生きられないと書いてありました。でも、病院ではまだ小さすぎて確定の診断が出せないとのことで、1ヵ月くらい待ったんです。じっとしていると、不安で潰されそうになります。つらい時間でした」
――はい。
「万が一無脳症だった場合、この子はこの世で生きられません。だから、お腹の中だけどいろいろな経験をしてもらおうと思って、その1ヵ月でたくさん旅行をしました。お腹の中からではありますが、様々な場所の景色を見せてあげたいと考えたんです」
――そして、検査の結果はどうだったんですか?
「胎児のサイズをエコーで測って『足の長さ◯センチ、腕の長さ◯センチ』とお医者さんが言っていくのですが、最後に『頭の大きさ、測定不能』と…」
――つまり、無脳症だったということですね。
「正確には、無頭蓋症からの無脳症という診断です。お医者さんからは『生きることはできないので、中期中絶になります』と。その瞬間に、涙が溢れて震えが止まらなくなりました」
――つらい宣告ですね。
「しかも、次に病院に行くのは、約1週間後の実際に処置をする日でした。なので、宣告されたらすぐに火葬の手続きの話などが進んでいくんです」
――まだ、そんな速度では受け入れないといけないのですか。
「病院の方から『棺に入れたいものを考えて来てください』と言われたのですが、私はなんか呆然としちゃって、音は聞こえてるのに意味が入ってこないような状態でしたね」
――ご主人はどうでしたか?
「私より泣いていました。呆然としている私の横で、グッスングッスン泣いていて、看護師さんに心配されたりしていました(笑)。もちろん、今だから少し笑えているんですけどね」
――処置の日までの1週間はどのように過ごしたんですか?
「その間も、仕事が決まっていたので働いていました。まだ司会業を少ししている時期で、元ソフトバンク・ホークスの選手を招いて、子どもたちと楽しく交流するイベントの仕事がありました。正直、明るく振る舞うのは辛かったですね。
ただ、現実は変わらないので、最後まで『決められたものはやり抜く』という姿をお腹の子に見せようと思って、気を張ってやりました」
――想像を絶するような悲しみだと思います。何が支えになりましたか?
「当時2歳だった長男です。まだ小さく、何か声をかけてくれたとかではないのですが、彼が居たから『私も生きなきゃ』と思えましたね。子どもを死なせてしまい、私は母として『一人で逝かせたくない、私も一緒に』という気持ちが湧いてしまいました。その時に踏みとどまったのは、長男がいたからです」
――そこに居てくれるだけで大きな意味がある。
「亡くなった子も、私たちを悲しませるために生まれたわけじゃない。そう思って前向きに生きていくことを決めました」
――そんな経験を乗り越えて、今は3人のお子様の育児をしながら仕事をしています。賑やかで楽しそうではありますが、料理は「◯分焼く」など、時間が重要になるので、育児をしながらだと大変ではないですか?
「だから、私のレシピには『調味液につけて1日置く』といった、ほったらかしが多いんです。自家製は手間が多いと思われますが、育児に時間を使ってもきちんと完成するようにしてあります。こういうレシピになったのも、子どもたちがいてくれたからこそですね」
――育児と仕事、お互いにストレスを掛け合ったり、妥協し合うのではなく、相乗効果になっている。
「いろいろなことが子ども達のおかげです。もちろん、亡くなってしまった子も含めて、です。私はずっと、『親に恥じない人生を送る』ということを考えて生きてきましたが、今は『親と亡くなった子に恥じない人生を送る』と決めています」
――素晴らしい「生き様」ですね。
「料理は体の中に入るモノです。だから、食に向き合うことは命にも向き合うことだと私は思っています。これからも私なりの『自家製』を発信して、料理を通じて自分も人も、幸せにしていきたいです」
悲しみを乗り越え、多くの人に料理の魅力とレシピを伝え続ける濱村圭さん。その言葉からは、強い芯が感じられる。
「食に向きうことは命にも向き合うこと」
彼女の話を聞いていて、わかっていても忘れかけていた事実を、改めて実感させられた。
一見、マイナスにも思える人生の経験。しかし、そこで見つけた大切なものを、濱村さんは料理に込めているのだ。
(取材・文/Mr.tsubaking)
【はじめから読む】同級生に「気持ち悪い!」と言われ…学生時代にいじめを受けた元アイドルの料理研究家が、調味料から加工品まで「手作り」する理由