【太田 奈緒子】「同窓会なんて面倒」と欠席し続けたライターが60歳還暦の同窓会で驚いた男女の違い

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卒業式シーズンもそろそろ終わる。
「同窓会で絶対会おうね!」「結婚しても歳をとってもずっと同窓会をしようね!」と友人と言葉を交わしたのはいつのことやら……。友だちも、部活の仲間もクラスメイトも大切だったけれど、日々の忙しさの中、すっかり過去のものになってしまった人もいるだろう。
そして、忘れたころに届く同窓会の案内。毎回欠かさず参加する人もいれば、卒業以来、一度も参加していない人もいる。20歳の節目や就職が決まった頃までは頻繁に行われてきた同窓会も、次第に回数が減り、担任の教師の定年などの出来事がない限り、行われなくなったりもする。しかし、50歳以降、再び同窓会は熱気を帯びてくることが多い。
実際に50歳の同窓会に出席して辟易してから足が遠のいていたものの「還暦の60歳同窓会」ということで、友人に強く促されて出席した同窓会でライターの太田奈緒子さんが見た光景は、10年前とはまるで様子が違って興味深かったという。男子の脂の抜け具合、女子の元気さ、そして切実な再会の約束……。日本人口の中での75歳以上の人割合が5人に1人の「2025年問題」(※1)を考えれば、60歳はまだまだ人生の途中であるが、やはり還暦の同窓会には人生の節目を感じさせるものがあったという。そんな同窓会あるあるを太田さんの本音でレポートしてもらった。
※1:厚生労働省『今後の高齢化の進展~2025年の超高齢社会像~』
高校の同窓会のお知らせハガキが届いたとき、出席する気はサラサラなかった。「忘れないうちに欠席にマルつけて返送しないとな~」と思って机にポイっと放置していたら、当時つるんでいた親しい友人男女から「今回は来いよ!」「節目なんだから、顔見せてよ」と次々にメッセージが届いた。確かに仲がよかった友人たちとは久しぶりに会ってみたい気持ちもある。
それでも乗り気になれなかったのは、最後に出席した10年前、50歳の同窓会のよくない記憶のせいだった。参加者の「大人の事情」が垣間見えて、その独特の空気感に正直辟易した。地元から離れて住んでいる私は正直、交通費をかけてまで再びあの場に行きたいとは思えなかった。
以下、文章内で使用する「男子」「女子」表現については、どうかお許しいただきたい。同窓会の場で会う元クラスメイトは、いくつになっても「男子」「女子」なのだ。
さて、10年前の同窓会。職場でも役職がついた男子たちは、みんなパリッとして自信に満ち溢れていた。子育てもひと段落して余裕を感じさせる雰囲気の女子や、男子同様に有名企業で働いてキャリアを積んで輝いている女子もいた。ずっとフリーで仕事をしている私は立派な大人になった同窓生らにちょっと気後れしつつ、それでも仲良しの仲間と盛り上がっていた。
親しい友人同士のグループがおしゃべりに夢中になっているなか、会場内を回遊していたのが、着物姿で出席していたマダム風の女子たちと自称イケオジの男子数名。地方の進学校で落ちこぼれ組だった私は、同様の女友だちと黒歴史交じりの昔話に花を咲かせていたのだが、そんな私たちにマダムらは声をかけてきた。
「久しぶり、○組のA子です!」と、挨拶されても人の顔や名前を覚えるのが苦手な私はイマイチ思い出せない。
顔に「?」マークを浮かべてボンヤリしている私の代わりに、大人のあしらいを培った友人たちがA子が身に着けている高そうな着物やでっかいダイヤの指輪を無難にほめつつ、型通りに近況をたずねる。ご希望通りの言葉をきっちり受け取ったA子は満面の笑顔で医師と結婚して地元から少し離れた街に住んでいることや、ひとり娘の「お式(たぶん結婚式)のお仕度でバタバタなの」とうれしそうに愚痴り、その後来春オープンするという自身がオーナーを務めるエステサロンに「ぜひ来てね!」と機関銃のような自分語りを終えると私たちの近況をたずねることもなく、踵を返して華麗に去っていった。
あまりにも一方的なA子のご挨拶に「エステの集客、大変なのかな……」と首をかしげると、苦笑いを浮かべた友人たちは「相変わらずその手のことには疎いね……、あれはわかりやすいマウントだって」と教えてくれた。なるほど、と納得していると今度はB美(在学中、私は一言も話した記憶がない)が近寄ってきて、A子と似たような自慢話を披露したあと次のグループに「お久しぶり~」と駆け寄っていったのだった。
大変失礼なのだが、私は高校時代のふたりの記憶がなかった。友人の話では、ふたりともものすごく真面目で成績優秀、お地味なタイプだったという。そんな彼女らが、何十年もたった同窓会で華々しくマウントを取り歩くようになったいきさつに、ライターとしての興味は沸くものの、同窓会がそういう舞台になっているのかと思ったら、正直なんだかなーという印象だった。
マウント女子以上にうんざりしたのが、下心ダダ漏れであちこちの女子グループに乱入する自称イケオジの男子の所業だった。
親しかった悪仲間の男子らと話すのは昔を思い出して楽しかったが、有名IT社長のように黒Tの上にジャケットを羽織った若作りの自称イケオジが友人のひとりを「このあとどうすんの? 俺と飲み直さない?」とあまりにもわかりやすく口説いているのを目撃してゲンナリした。さらに、そんな事態に呆然としている私にまで、「今度、東京に出張に行ったらさ、ふたりで飲まない?」とささやいてくる男子がいて、腰が抜けそうになった。
もっと驚いたのは、ヤツらの誘いに乗る気満々の女子もいたことだ。よく同窓会で再会した相手と不倫した経験談がSNSやネット記事で流れてくるけれど、リアルでそれを目にすると、必死さと生々しさが際立った。しかも、見ず知らずの相手ではなく、昔の男子女子のノリを知っているからこその生々しさは強烈すぎた。旧友と会えた喜びや楽しい気分は吹っ飛んで、なんだかとてもシラケてしまった。
それ以来、親しい友人らと個人的に集まることはあっても、「同窓会」と名の付くイベントは、またあの手の光景を目にしてしまうのだろうか、と思うと気が進まず「欠席」に〇をつけるようになっていたのだ。
最後に同窓会に出席してから10年、先日「還暦の60歳同窓会」という知らせが来た。冒頭に記したように最初は欠席するつもりだった。
しかし、地元に住む仲良しに「恩師の出席はこれできっと最後だよ」などと何度も熱心に口説かれ、心が揺れた。実は新型コロナでクラスメイトのひとりが亡くなっていたという話などを聞くうちに、60歳・還暦というものを迎えた自分の寿命というか、死もまた急に現実感を伴って迫ってきた。ひょっとしたら、本当に二度と会えないかもしれない人たちに、会いに行ってみようと決めた。
そして当日。一番驚いたのは、“男子がなんか小さい”という事実だった。学生時代も10年前も、見た目は変容していても、目線的には見上げるようにして話していた仲良し男子たちの身長が、なぜか少し縮んでいるように感じた。違和感の理由を確かめたくて、思わず自分の靴を見てみたが、いつもよりヒールが高い靴を履いているわけではない。よくよく観察すると、どうやら男子陣の背中が少し丸まって姿勢が悪くなったのが原因だったようだ。
彼らのまとうオーラが10年前の脂の乗り切った押し出し感から、少々脂が抜けて落ち着いた印象に変わっていたことも、驚きだった。それに逆らうように相変わらず若作りしている男子も何人かいたものの、わかりやすいギラギラ感はもう、ない。かつて女子の憧れの的だった学年一のモテ男子も美形とすらりとしたスタイルを保っていた10年前とはうって変わり、「え、誰?」と思わず二度見するくらいフツーの気のいいおじさん風(ごめんなさい!でも、いい雰囲気になっていた)になっていたのは衝撃だった。
男子らの会話の内容にも変化があった。昔話以外の新たな話題はもっぱら孫自慢や親の介護、そして病気の話。「大阪で暮らしてたけど、親が動けんようになってな。子どもは家を出て独立したし、嫁さんと地元に戻ってきたんや」とか「共働きの息子夫婦のやんちゃな孫を家に預けられて、自営のジージはへとへとよ」と、孫自慢半分の愚痴……。そして私自身が一番、関心を持って聞いたのが彼らの病気の話だった。
「コロナにかかって、気管切開した」と喉元の小さな傷を見せたC太には、高校生時代に戻ったようなぶしつけさで、治療の様子や回復の具合をみんなで根ほり葉ほり質問攻めにした。「実は半年前に脳梗塞やってさ」というD彦には「それにしては後遺症全然ないよね。ごくごく初期? よかった」といいながら、半年前に私自身の母親が患った脳梗塞の症状を相談したりした。出席前に耳にしたコロナで亡くなった同級生の話題のほかにも、がんサバイバーや心臓にペースメーカーが入っているというカミングアウトも耳にした。
たぶん10年前にも大病を乗り越えて参加した人はいたと思うが、50歳のときには、久しぶりに会う同級生に見栄を張りたくて隠したというより、せっかくの楽しい雰囲気で病気話はよくないと遠慮した人もいたのかもしれない。でも今回は、いい感じに肩の力が抜けたオヤジとなった男子同士、弱った部分もさらりと見せ合い共感し合う、という感じだった。
ただし、現在進行中で経済的に大変だったり、病気で苦悩している人は、もともと同窓会には来ていない……。参加している人は精神的にも肉体的にも余裕がある人なのかもしれない、これも「同窓会」のリアルなのだろう……。
一方の女子は、10年前とほとんど変わってなかった。自分のようにシワの数や体重が微妙に増えている人もいたが、ヘアスタイルもイマドキだし、ファッションが急激にオバさん化したようにも見えない人が多い。むしろ10年前より明らかに若々しい印象の人もいて、口の悪い友人は「上手に“お直し”したねえ」とささやいていた。
脂が抜けてきた男子に対し、ますます絶好調の女子。しかも、女子同士の話題の中心は旅行や趣味、推し活の話がメインで、意外なほど、夫や孫の話や自分の病気話をする人は少なかった。きっと親の介護や老後への不安など、抱えている問題もあるのだろうが、日常と切り離してこの日は楽しもうという気合いが感じられた。
前回よりも若干増えた着物マダムたちも、マウントを取って周囲にアピールするというより、余裕たっぷりで会話を回し、周囲の男子や本物の老人になった恩師らにお酌をしたり、料理をとりわけて、女将のような風格で場を仕切っていた。
脂が抜け行く男子と、ますます元気に人生を謳歌する女子。これぞ男女の平均寿命の差、なのだろうか……。
ただひとつ違ったのは、男女を問わず、別れ際の会話だった。以前のような社交辞令感や建前は感じられず、本心から「また会いたい」と思う友人には、具体的に再会の約束を取り付けていた。あちこちで「また『絶対』会おうよ。いつごろにする?」とLINEや電話番号をきっちり交換し合っている姿が見られた。彼・彼女らの言葉には若いころの「また会おうね」とはレベルが違う「会っておかねば」という強い意志を感じた。
私自身、以前なら「近々会おうね」「今度、旅行にでも行こうよ」とほぼ実現の見込みがない約束を交わしてさらりと別れていた。でも今回は、二次会の席で「GW明けにでも旅行に行こう」「幹事は誰それね」と盛り上がり、当日作られた旅行のグループLINEしっかり参加したのだった。その後も頻繁にメッセージが飛び交い、旅行の計画は着々と進んでいる。
「そのうち」と思っていると、二度と会えないかもしれない可能性を、誰もがうっすらと意識した同窓会の別れ際は、初めて感じる切迫感があった。いろんな意味で、今回の同窓会に出ておいてよかった、と思った。
長年「同窓会なんてめんどくさい」と思い続けていたのにこんな心境になるとは自分自身でも驚いている。だからこそ、「同窓会にしばらく出ていない」という同世代の方には、興味半分でもいいから、ぜひ出席してみることをお勧めしたい。普段接している家族や仕事仲間と過ごすのとはまた違う同い年の旧友との再会の場で、自分の年齢や永遠には続かない人生について、少しだけ振り返ったり、真剣に考えてみるきっかけになるような気がする。
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