温室効果ガス排出量は実は“プラストロー”の4.6倍…!? 専門家が明かす「紙ストロー問題」の“リアルな実情”

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いま手元に、脱プラスチックの流れのなかで、紙製をはじめとするプラスチックストローの代替品が増えていることを報じる最近の新聞記事がある。そこには「環境にやさしいと頭では分かっていても、紙製ストローへの抵抗感を拭えずにいた」と書かれている。紙ストローがプラスチックストローより「環境にやさしい」ことを前提にした記事だ。
【写真】この記事の写真を見る(2枚) その一方で、「紙ストローはプラスチックストローより地球環境への悪影響が大きい」とする研究論文が、最近になって目につくようになっている。紙ストローが環境にやさしいことを前提としたさきほどの新聞記事は、はたして成立するのだろうか。

iStock.com 米国の研究チームは今年1月、米国内で使われているプラスチックストローの全量を代替品に置き換えた場合、地球環境への悪影響がどう変わるかを比較した論文を発表した。 比較したストローは、従来型のプラスチックストローであるポリプロピレン製、条件さえ整えばやがて二酸化炭素と水に分解される「生分解性プラスチック」であるポリ乳酸製、そして紙製の3種類だ。 そこで述べられている結論は、「ごみとしての最終的な処分方法が焼却であろうと埋め立てであろうと、プラスチックストローは、生分解性ストローや紙ストローより環境にやさしい」というものだ。つくられてから廃棄されるまでにどれだけ悪影響が生じるか ストローを生産するには、まず原料が必要だ。プラストローなら原油や天然ガスからつくるポリプロピレンが、紙ストローなら植物由来の繊維であるパルプが原料になる。できた原料をトラックなどで加工工場に運び、そこでストローに成形し、製品を運んで販売する。そして使われ、廃棄される。 これらの過程で電気を使えば、石炭や石油などの燃料で発電していた場合、地球温暖化や海洋の酸性化を進める二酸化炭素を排出することになる。運送にも燃料が必要だ。製造過程で薬剤を使えば、それが漏れ出て環境を汚す可能性も考慮しなければならない。 ある製品の原料が生まれるときから使い終わって廃棄されるまでの「一生」について、環境にどれだけ悪影響を与えるかを量的に評価することを、ライフサイクルアセスメントという。国際的にその手法の基本形が決まっている。さきほどの結論は、これを用いて得たものだ。 話を簡単にするために、プラストローと紙ストローの2種類で説明しよう。いずれも使用は1回限りで使い捨てることを前提にしている。米国内で使われているプラストローは日に5億本で、重さは1本0.52グラム。一方、紙ストローの重さは1.15グラムなので、重さにして倍の原料が必要ということになる。温室効果ガスの排出量は“紙ストロー”が“プラストロー”の4.6倍 同論文では、悪化の可能性がある地球環境として、つぎの8項目を取り上げている。「地球温暖化」「海洋酸性化」「水域の富栄養化」「オゾン層破壊」「有毒物質による汚染(淡水域)」「有毒物質による汚染(陸域)」「人体に影響する有毒物質」「化石燃料の消費」の八つだ。 評価のためには、米国内の事情を考える必要がある。たとえば、ポリプロピレンの原料はおもに原油と天然ガスからつくられているとか、運送にはディーゼルトラックを使うとか。都市部のごみは大部分が埋め立てられている。こうした現状を考慮に入れ、ストローの種類ごとにさきほどの8項目のそれぞれについて計算する。さらに合算もして、地球環境に対するトータルな悪影響度を評価する。 その結果、全量埋め立て廃棄の場合、地球温暖化の原因となる二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量は、紙ストローがプラストローの4.6倍にもなっていた。紙ストローだと63%、プラストローだと80%が原料生産の段階で排出されている。その後の使い方や廃棄のしかたを工夫しても、排出量を削減するのは難しいということだ。 このほか、紙ストローはプラストローにくらべて海洋酸性化については2.2倍、人体に影響する有毒物質では4.4倍、富栄養化についても4.4倍の脅威になるという結果がでている。逆にプラストローの悪影響が目につくのは化石燃料の消費で、これは紙ストローの2.2倍だ。 地球環境に対するこれら8項目の影響を合算した「相対的環境影響指数」をみると、紙ストローの悪影響度はプラストローの2.1倍になっている。総合的にみて、紙ストローはプラストローよりかなり環境に悪いのだ。生分解性プラスチックであるポリ乳酸製ストローの悪影響度はプラストローの2.7倍。紙ストローより悪い。 廃棄の際に埋めるのではなく全量を焼却すると仮定しても、環境にいちばんやさしいのはプラストローで、最悪が生分解性プラスチックのストローであることに変わりはなかった。使い捨てのプラストローを使い続ければよい? では、このまま使い捨てのプラストローを使い続ければよいのか。そうではない。打つ手がある。いちど使ったプラストローを回収して再製品化するリサイクルだ。もし9割をリサイクルすれば、全量を使い捨てて埋め立て処分する場合にくらべ、さきほどの8項目のすべてについて、その悪影響度がほぼ5分の1に激減するという。 ブラジルの研究チームが2020年に発表した論文でも、やはりプラストローが紙ストローより環境にやさしいという結果が得られている。 こちらの論文で興味深いのは、金属(鋼鉄)やガラス、竹でできたストローを「マイストロー」として繰り返し使っても、それが必ずしも地球環境の負荷軽減には結びつかないという指摘だ。ひとつには、洗う際に使う水や洗剤が環境に負荷をかけること。もうひとつは、付属品としてついてくる持ち運び用の布袋や洗浄ブラシだ。これらにも、資源やエネルギーが消費されている。 どういう点で環境に悪いのかは素材によりさまざまだが、おおざっぱにみて、いちばん悪いのは竹製のストローで、ガラス製も同程度。金属製はもうすこしマシで、使い捨ての紙ストローと同じくらい。もっとも負荷が少ないのが使い捨てのプラストローだ。 米国やブラジルでこういう研究結果がでていても、それをそのまま日本にあてはめるわけにはいかない。発電方法ひとつとっても、化石燃料を使うか再生可能エネルギーか原子力かによって、結果は違ってくる。結論は大筋では変わらないかもしれないが、ライフサイクルアセスメントは、それぞれの国や地域の実情に合わせて行うものだ。 これからは、日本でもこうした研究が盛んになることを願う。その結果をふまえて、日本の社会がプラスチックごみをどう扱っていくのかを決めていくべきだろう。 ウミガメの鼻にプラストローが刺さった動画が2015年に公開され、海洋のプラスチックごみ問題を世界に広めるきっかけになった。もし海洋生物のこうした被害を減らすことを無二の目標とするなら、かりに地球環境によくないとわかっていても、プラストローを紙ストローに置き換えることは有効だろう。それも社会のひとつの選択だ。社会は何を目指してプラスチックごみの削減に取り組むのか 大切なのは、その社会が何を目指してプラスチックごみの削減に取り組むのかをはっきりさせ、それを市民にわかるように提示することだ。ごみ全体を減らすことなのか、地球環境の悪化を防ぐことなのか、海洋生物を守ることなのか。それによって戦略と戦術が違ってくる。 このとき、ライフサイクルアセスメントのような研究結果を基礎に置くことは有用だが、その結論どおりに政策を決める必要はない。「科学的にはこうだが、この社会としては別の道をとる」という選択もあるだろう。 そのとき欠かせないのは、決定に至る過程と理由をリアルタイムで公表することだ。たとえば、「紙ストローは環境には悪いが、プラスチックごみの削減を社会に呼びかけるために、あえてわが社は紙ストローに切り替える」のように。「総合的、俯瞰的な観点から」では、なにも説明していないに等しい。民主主義社会を支える一人ひとりの市民が、その決定に対して意見をもてるような説明が必要なのだ。 新型コロナウイルス関連の政策決定にしても、日本学術会議会員の任命拒否問題にしても、そしてプラストローを紙ストローに替える企業にしても、いまこの社会は「根拠を説明して是非を問う」というマインドに乏しい。イメージアップや責任逃れが、こうした説明より先に頭に浮かぶのだろう。 プラスチックごみをはじめとする環境問題は、とかく個人の主義を押し通したり、根拠にもとづかない情緒的な決定になったりしがちだ。せっかくこういう科学研究の成果がでているのだから、それを社会の意思決定に役立てないのはもったいない。 地球温暖化問題には、そのための国際的なしくみができている。「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」という政府間組織が1988年に設立され、ここで科学的知見を集約して定期的に公表する。それをもとに、世界の各国が対策をたてる。これがあるから国際協力もできる。 プラスチックごみ問題でいっきにIPCCのような組織をつくるのは難しいだろうが、せめてそのマインドだけでも日本の政府や各自治体、企業が取り入れれば、紙ストローを口にしたりごみを捨てたりする際に覚える市民のモヤモヤ感は軽減されるのではないだろうか。(保坂 直紀)
その一方で、「紙ストローはプラスチックストローより地球環境への悪影響が大きい」とする研究論文が、最近になって目につくようになっている。紙ストローが環境にやさしいことを前提としたさきほどの新聞記事は、はたして成立するのだろうか。
iStock.com
米国の研究チームは今年1月、米国内で使われているプラスチックストローの全量を代替品に置き換えた場合、地球環境への悪影響がどう変わるかを比較した論文を発表した。
比較したストローは、従来型のプラスチックストローであるポリプロピレン製、条件さえ整えばやがて二酸化炭素と水に分解される「生分解性プラスチック」であるポリ乳酸製、そして紙製の3種類だ。
そこで述べられている結論は、「ごみとしての最終的な処分方法が焼却であろうと埋め立てであろうと、プラスチックストローは、生分解性ストローや紙ストローより環境にやさしい」というものだ。
ストローを生産するには、まず原料が必要だ。プラストローなら原油や天然ガスからつくるポリプロピレンが、紙ストローなら植物由来の繊維であるパルプが原料になる。できた原料をトラックなどで加工工場に運び、そこでストローに成形し、製品を運んで販売する。そして使われ、廃棄される。
これらの過程で電気を使えば、石炭や石油などの燃料で発電していた場合、地球温暖化や海洋の酸性化を進める二酸化炭素を排出することになる。運送にも燃料が必要だ。製造過程で薬剤を使えば、それが漏れ出て環境を汚す可能性も考慮しなければならない。
ある製品の原料が生まれるときから使い終わって廃棄されるまでの「一生」について、環境にどれだけ悪影響を与えるかを量的に評価することを、ライフサイクルアセスメントという。国際的にその手法の基本形が決まっている。さきほどの結論は、これを用いて得たものだ。
話を簡単にするために、プラストローと紙ストローの2種類で説明しよう。いずれも使用は1回限りで使い捨てることを前提にしている。米国内で使われているプラストローは日に5億本で、重さは1本0.52グラム。一方、紙ストローの重さは1.15グラムなので、重さにして倍の原料が必要ということになる。
同論文では、悪化の可能性がある地球環境として、つぎの8項目を取り上げている。「地球温暖化」「海洋酸性化」「水域の富栄養化」「オゾン層破壊」「有毒物質による汚染(淡水域)」「有毒物質による汚染(陸域)」「人体に影響する有毒物質」「化石燃料の消費」の八つだ。
評価のためには、米国内の事情を考える必要がある。たとえば、ポリプロピレンの原料はおもに原油と天然ガスからつくられているとか、運送にはディーゼルトラックを使うとか。都市部のごみは大部分が埋め立てられている。こうした現状を考慮に入れ、ストローの種類ごとにさきほどの8項目のそれぞれについて計算する。さらに合算もして、地球環境に対するトータルな悪影響度を評価する。
その結果、全量埋め立て廃棄の場合、地球温暖化の原因となる二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量は、紙ストローがプラストローの4.6倍にもなっていた。紙ストローだと63%、プラストローだと80%が原料生産の段階で排出されている。その後の使い方や廃棄のしかたを工夫しても、排出量を削減するのは難しいということだ。
このほか、紙ストローはプラストローにくらべて海洋酸性化については2.2倍、人体に影響する有毒物質では4.4倍、富栄養化についても4.4倍の脅威になるという結果がでている。逆にプラストローの悪影響が目につくのは化石燃料の消費で、これは紙ストローの2.2倍だ。
地球環境に対するこれら8項目の影響を合算した「相対的環境影響指数」をみると、紙ストローの悪影響度はプラストローの2.1倍になっている。総合的にみて、紙ストローはプラストローよりかなり環境に悪いのだ。生分解性プラスチックであるポリ乳酸製ストローの悪影響度はプラストローの2.7倍。紙ストローより悪い。
廃棄の際に埋めるのではなく全量を焼却すると仮定しても、環境にいちばんやさしいのはプラストローで、最悪が生分解性プラスチックのストローであることに変わりはなかった。
では、このまま使い捨てのプラストローを使い続ければよいのか。そうではない。打つ手がある。いちど使ったプラストローを回収して再製品化するリサイクルだ。もし9割をリサイクルすれば、全量を使い捨てて埋め立て処分する場合にくらべ、さきほどの8項目のすべてについて、その悪影響度がほぼ5分の1に激減するという。
ブラジルの研究チームが2020年に発表した論文でも、やはりプラストローが紙ストローより環境にやさしいという結果が得られている。
こちらの論文で興味深いのは、金属(鋼鉄)やガラス、竹でできたストローを「マイストロー」として繰り返し使っても、それが必ずしも地球環境の負荷軽減には結びつかないという指摘だ。ひとつには、洗う際に使う水や洗剤が環境に負荷をかけること。もうひとつは、付属品としてついてくる持ち運び用の布袋や洗浄ブラシだ。これらにも、資源やエネルギーが消費されている。
どういう点で環境に悪いのかは素材によりさまざまだが、おおざっぱにみて、いちばん悪いのは竹製のストローで、ガラス製も同程度。金属製はもうすこしマシで、使い捨ての紙ストローと同じくらい。もっとも負荷が少ないのが使い捨てのプラストローだ。 米国やブラジルでこういう研究結果がでていても、それをそのまま日本にあてはめるわけにはいかない。発電方法ひとつとっても、化石燃料を使うか再生可能エネルギーか原子力かによって、結果は違ってくる。結論は大筋では変わらないかもしれないが、ライフサイクルアセスメントは、それぞれの国や地域の実情に合わせて行うものだ。 これからは、日本でもこうした研究が盛んになることを願う。その結果をふまえて、日本の社会がプラスチックごみをどう扱っていくのかを決めていくべきだろう。 ウミガメの鼻にプラストローが刺さった動画が2015年に公開され、海洋のプラスチックごみ問題を世界に広めるきっかけになった。もし海洋生物のこうした被害を減らすことを無二の目標とするなら、かりに地球環境によくないとわかっていても、プラストローを紙ストローに置き換えることは有効だろう。それも社会のひとつの選択だ。社会は何を目指してプラスチックごみの削減に取り組むのか 大切なのは、その社会が何を目指してプラスチックごみの削減に取り組むのかをはっきりさせ、それを市民にわかるように提示することだ。ごみ全体を減らすことなのか、地球環境の悪化を防ぐことなのか、海洋生物を守ることなのか。それによって戦略と戦術が違ってくる。 このとき、ライフサイクルアセスメントのような研究結果を基礎に置くことは有用だが、その結論どおりに政策を決める必要はない。「科学的にはこうだが、この社会としては別の道をとる」という選択もあるだろう。 そのとき欠かせないのは、決定に至る過程と理由をリアルタイムで公表することだ。たとえば、「紙ストローは環境には悪いが、プラスチックごみの削減を社会に呼びかけるために、あえてわが社は紙ストローに切り替える」のように。「総合的、俯瞰的な観点から」では、なにも説明していないに等しい。民主主義社会を支える一人ひとりの市民が、その決定に対して意見をもてるような説明が必要なのだ。 新型コロナウイルス関連の政策決定にしても、日本学術会議会員の任命拒否問題にしても、そしてプラストローを紙ストローに替える企業にしても、いまこの社会は「根拠を説明して是非を問う」というマインドに乏しい。イメージアップや責任逃れが、こうした説明より先に頭に浮かぶのだろう。 プラスチックごみをはじめとする環境問題は、とかく個人の主義を押し通したり、根拠にもとづかない情緒的な決定になったりしがちだ。せっかくこういう科学研究の成果がでているのだから、それを社会の意思決定に役立てないのはもったいない。 地球温暖化問題には、そのための国際的なしくみができている。「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」という政府間組織が1988年に設立され、ここで科学的知見を集約して定期的に公表する。それをもとに、世界の各国が対策をたてる。これがあるから国際協力もできる。 プラスチックごみ問題でいっきにIPCCのような組織をつくるのは難しいだろうが、せめてそのマインドだけでも日本の政府や各自治体、企業が取り入れれば、紙ストローを口にしたりごみを捨てたりする際に覚える市民のモヤモヤ感は軽減されるのではないだろうか。(保坂 直紀)
どういう点で環境に悪いのかは素材によりさまざまだが、おおざっぱにみて、いちばん悪いのは竹製のストローで、ガラス製も同程度。金属製はもうすこしマシで、使い捨ての紙ストローと同じくらい。もっとも負荷が少ないのが使い捨てのプラストローだ。
米国やブラジルでこういう研究結果がでていても、それをそのまま日本にあてはめるわけにはいかない。発電方法ひとつとっても、化石燃料を使うか再生可能エネルギーか原子力かによって、結果は違ってくる。結論は大筋では変わらないかもしれないが、ライフサイクルアセスメントは、それぞれの国や地域の実情に合わせて行うものだ。
これからは、日本でもこうした研究が盛んになることを願う。その結果をふまえて、日本の社会がプラスチックごみをどう扱っていくのかを決めていくべきだろう。
ウミガメの鼻にプラストローが刺さった動画が2015年に公開され、海洋のプラスチックごみ問題を世界に広めるきっかけになった。もし海洋生物のこうした被害を減らすことを無二の目標とするなら、かりに地球環境によくないとわかっていても、プラストローを紙ストローに置き換えることは有効だろう。それも社会のひとつの選択だ。
大切なのは、その社会が何を目指してプラスチックごみの削減に取り組むのかをはっきりさせ、それを市民にわかるように提示することだ。ごみ全体を減らすことなのか、地球環境の悪化を防ぐことなのか、海洋生物を守ることなのか。それによって戦略と戦術が違ってくる。
このとき、ライフサイクルアセスメントのような研究結果を基礎に置くことは有用だが、その結論どおりに政策を決める必要はない。「科学的にはこうだが、この社会としては別の道をとる」という選択もあるだろう。
そのとき欠かせないのは、決定に至る過程と理由をリアルタイムで公表することだ。たとえば、「紙ストローは環境には悪いが、プラスチックごみの削減を社会に呼びかけるために、あえてわが社は紙ストローに切り替える」のように。「総合的、俯瞰的な観点から」では、なにも説明していないに等しい。民主主義社会を支える一人ひとりの市民が、その決定に対して意見をもてるような説明が必要なのだ。
新型コロナウイルス関連の政策決定にしても、日本学術会議会員の任命拒否問題にしても、そしてプラストローを紙ストローに替える企業にしても、いまこの社会は「根拠を説明して是非を問う」というマインドに乏しい。イメージアップや責任逃れが、こうした説明より先に頭に浮かぶのだろう。
プラスチックごみをはじめとする環境問題は、とかく個人の主義を押し通したり、根拠にもとづかない情緒的な決定になったりしがちだ。せっかくこういう科学研究の成果がでているのだから、それを社会の意思決定に役立てないのはもったいない。
地球温暖化問題には、そのための国際的なしくみができている。「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」という政府間組織が1988年に設立され、ここで科学的知見を集約して定期的に公表する。それをもとに、世界の各国が対策をたてる。これがあるから国際協力もできる。
プラスチックごみ問題でいっきにIPCCのような組織をつくるのは難しいだろうが、せめてそのマインドだけでも日本の政府や各自治体、企業が取り入れれば、紙ストローを口にしたりごみを捨てたりする際に覚える市民のモヤモヤ感は軽減されるのではないだろうか。
(保坂 直紀)

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