仁親王妃信子さまは3月4日、都内で行われた「女性の健康と働き方フォーラム」に出席されました。
信子さまは、このフォーラムを主催する公益社団法人「女性の健康とメノポーズ協会」の名誉総裁を務められています。
メノポーズ協会は、1996年にNPO法人として創設されました。信子さまとメノポーズ協会のつながりは19年前に遡ると言います。
ご自身が更年期障害に悩まされたこともあり、協会を通して女性ホルモンについて学ばれた信子さま。2009年頃からは、同じように女性ホルモンのバランスが崩れたことで体調不良になったり、精神が不安定になった人たちを対象に電話相談を受け付ける「女性の健康相談対話士」として、火曜日と木曜日に協会に通い、午前9時から午後5時まで悩み相談を受けられました。
「女性の健康相談対話士」は、最新情報を学んだり、医学的根拠のトレーニングを積んだ上でなれるもので、信子さまもここで勉強し、いろいろな知識を吸収されました。
協会での健康相談対話士は、警備など諸々の問題から7年間で終わりましたが、現在も午前5時から午前9時まで、東日本大震災で被災した方々の心のサポートとして個人的にご自宅で電話を受けられています。
熊本地震の被災者の方からも相談が入るようになったということです。
信子さまは、名乗ることもなく被災した方々の悩みに耳を傾け、解決に向けた対応を考えながら、ご自身にとっても勉強と経験をさせてもらう時間を過ごされているそうです。
今回のフォーラムでは、信子さまがご自身の乳がん体験について話をされました。
この中で、病気に対しての知識を持つこと、自分の体を知ること、さらにパートナードクターを持つことを薦められました。
乳がんの検査で、いつもは左胸を何回も見られるところが、その時の検査では右側を注視していたことから、もしやと思われたそうです。
そして、最終的にMRIで非浸潤がんが右胸に見つかったということでした。
説明を受けた時を振り返った信子さまは「医療の現場というのが専門分野に分かれている中で、近い科の先生との連係プレーがとれていないのが、よくよく分かりました。自分が協会で勉強していったおかげで、つながっていく状況というのが、よく自分でつかめたような気がします」と述べられました。
さらに、「医者に言われたら、まな板の鯉、と思っておりました、実は。今は、まな板の鯉に絶対にならないという信念を持って検査を受けさせていただいています」と述べられました。
協会で得た知識や旧知の医師との相談がどれだけ役に立ったかという経験を述べられたのです。
乳がんは、幸いなことに、初期だったそうです。信子さまは摘出手術を受け、その後は、放射線治療を受けられました。
病理検査では、表は非浸潤がんでしたが裏は浸潤がんで、治療の研究のため細胞は、旧知の静岡がんセンターに渡されたということでした。
信子さまは、自分の体を知る事の例として、放射線治療でのことも語られました。
信子さまによると、欧米では放射線治療は16回に分けて行われますが、皮膚が弱い信子さまは医師と相談の上で、25回に分けて1回の放射線量を減らし治療を受けられたという事でした。
「やはり皮膚の状態も25回でもひどかったので、やはり25回を選択したことと、一番新しい方式を選ぶということが、全て自分のためになるのではないかなということを教えて頂いたような気がいたします」
自分の体のことを知ることが大切だと述べられていた信子さま。
「自分の健康は自分で守るしかないのと、医師に説明するときに自分自身が自分を知らないと説明することができません」
「どんな症状か自分でメモを書いて、どこの病院をノックするのか、ノックをして違うなと思ったとき、勇気を持って病院を変えるという選択肢もあるのではないかなと私自身は経験して思いました」
信子さまは最後に、女性が健康で充実した人生を送ることが日本の発展にも寄与するとおことばを締められました。
「多くの方たちに健康と明るさと働く喜びと、私はご飯を作る喜びもありますけれども、何かをやった喜びというものがそこの皆さんの場で何か投げてくだされば、これからプラスにどんどんなっていくと思いますので、日本も元気になると思います」
【執筆:フジテレビ皇室担当解説委員 橋本寿史】