「わたしの人生は壊された」 銀行員の父親から幼少期に性虐待、閉ざされた記憶を思い出した女性の慟哭

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「性虐待にあったのは、幼少から高校生までですが、自覚したのは30歳を過ぎたころです」
小原れいさん(仮名・40代)は、実の父親から性虐待を受けていたことを大人になってから思い出した。
きっかけは、海外留学中、精神面に不調をきたして、メンタルヘルスに関するホットラインに電話したことだった。小さいころの思い出話を何気なく話す中で、相談員から「性被害ではないか」と指摘されたのだ。
「家族による性虐待は、氷山の一角しか世間に知られていません。私たち性暴力被害者が住みやすい社会になってほしい」と取材に応じた。(ライター・渋井哲也)
「友だちがいなかったし、ひきこもりも長かったんです。20代のころ、病院に通いました。就職もできなかったし、過食になっていたので、病気ではないかと疑ったんです。当時、診断名は言われませんでした。
あとでカルテを開示したのですが、『統合失調症の疑い』となっていました。処方された薬の副作用で不安が大きくなったため、処方薬をOD(オーバードーズ)して、病院に運ばれて胃洗浄されたこともあります」
北陸地方で育ったが、子どものころ、虐待を問題視する風潮はほとんどなかったという。小中学校で教師から叩かれるのも日常だった。
「よくわからないままに子ども時代を過ごしていました。田舎は虐待が当たり前の文化。高校になると、少しだけ都会の街に通学することになったためもあるのか、教師から叩かれることはなかったです」
性虐待の張本人である父親は銀行員だった。家では、風呂上がりにパンツ一丁でウロウロするタイプで、隙間からは男性器が丸見えだったという。
「『見られちゃった』というよりも、『見てほしい』という感じ。わたしが年頃になってもそうでしたし、大学生になって実家に帰ったときも、いつもそうでした」
小原さんの記憶では、3歳のころから、その父親に風呂の脱衣所でオーラルセックスをされたり、入浴中に、父親の性器を触らされていたという。
「すべてを覚えているわけではないのですが、その場面や体の感触は覚えています。そのためもあり、排尿が苦手になりました。
双子の姉も一緒に風呂に入っていたことは覚えていますが、姉が何をされていたのかわかりません。母は、私たちが何をされているのか知らなかったと思います。姑にいじめられていたこともあり、気づく余裕もなかったと思います」
こうした記憶は30歳を過ぎて思い出した。週何回あったかなど、細かいところははっきりしないが、寝ているときに身体をまさぐられていた記憶もある。
「酔っ払っているとき、父はわたしの布団にきました。わたしは完全覚醒ではないのですが、身体が覚えています。目はつむっていて見えないのですが、触られた翌日はいつも体調が悪かったんです。首から上は何もされなかったので、わたしをモノだと見ていたんだと思います。
排尿が苦手になって、小学校中学年のころ、グラウンドで友だちと遊んでいるときにおしっこを漏らしたことがあり、そのため仲間外れにされたことがありました。その友だちはその後遊んでくれませんでした」
双子の姉からも被害を受けたこともあるという。
「小学校入学前から中学年くらいまで胸をよく触ってきました。大人みたいに。寝ていたときも、脱がせてきて触ってきたことがありました。そんなことをどこで覚えてきたんでしょうか。父からされたことなのかもしれない。正直、姉も性暴力だったと認識してほしい」
子ども同士の”遊び”としておこなわれることがある「電気あんま」を父親からされたことがあったという。父親が足を使って、小原さんの股間を攻めるというのだ。
「当時は性被害というよりも、”遊び”だと思っていました。何もわからないままされているのですが、あとから自尊心が壊れました。ただ、父は仕事が忙しく、家にいつもいるわけではないので、一緒にいるだけでうれしいということでもあったんですが…」
中学校に入って、性行為がどんなものかを知ったが、自分の”被害”と結びつけて考えることはなかった。小原さんによると、学校では生理の話はあっても性教育はされず、されたとしても”現実の性”から乖離していたという。
「高校生のときに、テレビ番組を録画しようと家でビデオテープをチェックしたときに、森の中で女性がレイプをされている映像を見つけました。性の知識自体は中学校のときにはぼんやりとあったのですが、あくまで空想の中のことで、現実的な性の知識や性暴力の知識がなかったです」
このビデオを見て、父親の変質的な側面が見えたという。しかし、自分がされていることが”被害”という認識はやはり持てていない。
「高校生のころ、寝ているときに父に股を開かされたのも覚えています。しかし、強姦はされていないように思います。初めて性行為をしたときの感触と違っていたので…そう思います」
このころ、父親の会社の飲み会に連れて行かれたことがあり、セクハラ的な言動も目撃した。
「若い女性社員が、そろそろ店を出ようと立ち上がりました。その女性はミニスカートだったんですが、そのとき父が首をひょいと曲げてミニスカートの中を覗いていたんです。他の人も酔っ払っていて盛り上がっているから気づきません」
当然のようにそんなセクハラ的な視線は、大人になった小原さんにも向けられた。
「20歳前半の夏、キャミソールに短パンという格好をしていたら、父は性的に興奮したような顔をして『なんて格好してるんや』と言ってきました。結構、目が見開かれて、ギラギラしていました。すごい気持ち悪かった」
大学生になり、小原さんは一人暮らしをはじめるが、すぐにひきこもりになった。
「頑張って、外に出て、バイトして…というふうな感じでした。食べ物を買うのに、コンビニは行けるけど、昼間はちょっと怖くて、外に出られない。あと、人がたくさん集まってるところが怖くなったり…」
夜のコンビニで買い物をしては「過食」を繰り返す。1回あたり2000~3000円を使った。結局、大学は留年してしまった。
「買ったものは全部食べるので、10キロ以上は太ったと思います。そんなことに頭が回らず、視野が狭くなっていたので、体重のこととか考えていませんでした。当時からインターネットは使っていましたが、『過食』をキーワードに検索をしていません。
アルコールを飲むと、量は少なくても嘔吐することがありました。過食や嘔吐を繰り返していました。飲食店のアルバイトをしていたので、バイト前に飲んでも何も言われませんでした。過食はメンタルヘルスの問題とは思ってなくて、留年したときも精神科に通っていません」
やっとのことで大学を卒業したあとの20代後半、姉が実家に放火したという。
「20代に入ると、姉は家で怒っていたことがありました。隣の部屋で、父がマスターベーションしていて、それが嫌だって…。なぜ、それがわかったのかわからないですが。実家を放火した日は、私たちの誕生日です。
母からの電話で知りました。姉の被害としては、下着の入ったタンスの引き出しを父に荒らされていたというのは聞いたことがあります。しかし、他にどういう行為をされたのかはわかりません」
30歳のころ北米に留学した。そこでいろいろと勉強して、過食は病名がつくものとわかった。ホットラインに電話したときに、幼児期、入浴中に父の性器を触らされた話をした。相談員からは「インセストサバイバーだ」と言われた。
インセストサバイバーとは、子ども時代に親族から性的虐待を受けたものの、生き抜いてきた人たちのことだ。小原さんはようやく被害を自覚した。精神科に行くとPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。インセストサバイバーのグループセラピーも紹介された。
「長い間、メンタルヘルスを患っていたので、メンタルヘルスに関するホットラインに電話していました。小さいときの思い出として『父親とお風呂に入っていって、父親のペニスを触って…』と話したところ、相談員から『性被害に関するホットラインにかけてください』と言われたんです。何気なく話をしていたら、性虐待と言われました。
その後、PTSDや虐待に関する文献を読みました。主に海外の文献を読みました。たとえば、医師に紹介された『心的外傷と回復』(ジュディス・ハーマン・みすず書房)も英文で読みました。自分の体験と似ていると思いました。性暴力の被害者には摂食障害が多いと聞きます。
乳幼児期に虐待されたら、愛着障害(情緒や対人関係に問題が生じる状態)になるとも言われていますから、私が過食になっていたのは関連するかもしれません」
父親だけでなく、母親からも暴力をふるわれるなど、家は修羅場のような場所だった。
「父はワンマンですし、家族の意見を聞きません。母は勤めに出ていたんですが、姑からのいじめもあったんです。家事はワンオペでした。そのためか、高校生のとき、昼間、自分の部屋で何気に寝ていると母に叩かれました。
物を投げつけられることもありました。いきなり怒鳴って、オルゴールを投げつけてきてことがあります。父方の祖母が父の上に君臨・支配して、その下に母がいました。だから、母は私に八つ当たりをしていたんだと思います」
性被害を受けると、男性に対する嫌悪の感情が生まれたり、逆に依存したりすることもある。小原さんの場合はどうだったのか。
「彼氏ができたこともありますし、性体験もあります。しかし、性虐待を思い出す前は、父親と似たような人、冷淡で情緒的ではない人を受け入れてしまっていました。トラウマの再演だと思うし、相手に執着していました。今から思えば、恋愛じゃなく、共依存だと思います。
思い出してからは、改めて男性に対する不信感が生まれました。大人になってから受けたセクハラも『性暴力』という認識もあります。そのため、性的なものを回避することにもつながりました。だから今は『彼氏のような存在』を避けています」
小原さんは10年以上、家族と連絡を取っていない。父親に性虐待について問い詰める手紙を送ったが、返事はなかったという。
「母や姉、妹にも話しました。すると、母は『昔の話をネチネチといつまでも…』と言っていただけです。姉からは『もう家に帰ってくるな』、妹からは『家族が壊れる』と言われました。こんな反応でしたので、会いたくないです。事実上、家族とは絶縁状態です」
どうして今、取材を受けようと思ったのか。
「もう、ごく普通の恋愛結婚の道は閉ざされています。出産も難しいでしょう。わたしの人生は壊されてしまっています。長年にわたる性暴力について、父、そして姉にもきちんとけじめをつけてほしいと思っています」

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