【黒島 暁生】「証拠ないだろ」「病院行ったら?」5歳で12歳男子から性加害を受けた「男子大学生」に、加害者の父親が放った「衝撃の言葉」

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※性暴力の描写を含みます。フラッシュバックの恐れがあるため、不安のある方は閲覧をお控えください。
大学生の岡田恭也さんは現在、SNSなどを通じて自らの性被害体験を綴っている。記憶する限り最も古い性被害体験は、5歳頃のことだという。加害児童は同じマンションの同階に済む住人で、岡田さんより7歳年上の男子。
凄惨な被害を受けたにもかかわらず、その周囲の大人たちはまともに取り合ってくれない。さらに加害者の父親からかけられた「衝撃の言葉」とは──。前編記事【裸にされ、肛門に指を…5歳で12歳男子から性加害を受けても、「なかったこと」にされ続けてきた「男子大学生」の絶望】より続く。
性被害を打ち明けた少年に対して、大人たちはまともに取り合おうとしなかった。殊に異質なのは、加害児童の父親だ。
「大学一年生の頃、マンション内の共有フロアのような場所で、加害児童の父親に出くわしました。正直、顔を合わせるだけでも苦痛な相手です。私は学生時代も、加害者家族と遭遇しないように、彼らがいない時間帯しか外出しないなどの自衛策を講じるほど追い込まれていました。
しかしこのときばかりは、はっきりと事実を伝えなければならないと思い、呼び止めて性暴力の実態を打ち明けました。すると、加害児童の父親は特段驚きもせずに『息子が君にいたずらをしていた時期は、息子が学校でいじめられていた時期と重なる。ごめんねぇ、きっとあのときに妻が息子を助けなかったからだろうね』と他人事のように言うんです」
息子の性的逸脱を予測していたかのような父親の冷静な態度にも違和感を覚えるが、その後の会話にも驚く。
「私が対策を講じるように迫ると、彼は『僕は忙しいから無理』とはっきり言いました。私が食い下がると、ようやく『償いはする』と言いました。私は金銭を要求したわけではなく、単に謝罪をしてもらいたかったので、”償い”が何を示すのかわかりませんでした」
その後もマンション内で加害者家族と顔を合わせる機会がたびたびあったが、”償い”の真意はわからなかったという。そこで今度は加害児童の母親を呼び出して話をすることにした。
「驚いたのは、加害児童の母親が夫から何一つ聞いていなかったことです。仲良しのご近所に遊びに来るようなラフな格好で現れて、『やっほー』みたいなことを言っていたと思います。過去の性暴力について伝えると、『気持ちが悪くなってしまった』と言っていました。今後こうしたことのないように対策を講じてほしいと伝えると、『わかった』とだけ言って去りました」
この一件以来、変化はなにもないと岡田さんは話す。対策を講じると口約束をしたものの、先方からの謝罪もなければ、建設的な話し合いもない。そればかりか、加害児童の家族は岡田さんを腫れ物として扱った。
「それ以来、加害児童の母親からはすれ違うと睨まれるようになりました。
昨年のあるとき、私が乗るエレベーターに加害者家族が乗り込んできました。他にも乗っている人がいたのですが、ちょうどその人が別の階で降りると、加害者家族も私から逃げるようにして続いて出ようとしたのです。
私は彼らに向かって『自分はこんなに苦しんできたのに、何もなしか?』と訴えました。すると父親が『病院に行ったら?』とせせら笑うように言ってきたんです。病院にはすでにかかっている旨を伝えても『(性暴力の)証拠はないだろ』とすごんできました。押し問答の末、彼らは非常階段から逃げていきました」
筆舌しがたいほどの屈辱と恐怖を味わう性暴力。勇気を振り絞って被害体験を語った先で、岡田さんは二次被害に遭ってきた。その辛さをこう話す。
「もちろん、性暴力を受けた事実は非常に辛いものです。正直、死んでしまいたいと思うことも多くありました。過去のフラッシュバックなどがあって満足に活動できなかったため、他の人たちのような青春を過ごす選択肢さえ、私にはありませんでした。実質的に人生の貴重な時間を過去の性被害体験に支配されたようなところもあります。
そして、性被害を告白したのに矮小化されたり、場合によっては説教をされるなども経験しました。自分の味方が世界に誰もいないのではないかという孤独感を味わう経験もまた、辛いものでした。特に、親や精神科医からの理解が得られなかった時期は暗澹たる気持ちで過ごしていました。
現在は、私の被害事実について母が正確に理解してくれて、涙を流して話を聞いてくれたことでいくらか救われた部分があります。また、私の背景を理解して交際してくれるパートナーもおり、その存在に助けられる部分があります。SNSを通じて、性暴力の被害者同士が交流することもあるため、自分がひとりではないと感じられる場面も多くなりました」
だがそれでも、拭えない感覚はなお岡田さんに残り続ける。
「たとえばパートナーに身体を触れられるのは、本来であればとても喜ばしいことなはずです。性的行為も、心を許した相手であれば嬉しいものです。それなのに、私は自分の身体が汚れていると常にどこかで考えていて、あるいは触られる恐怖が完全には抜けなくて、パートナーを拒絶してしまうことがあるんです。心から好きなのに、相手を暗い気持ちにさせていることが申し訳なくて、自分が情けなく思う瞬間が未だにあります」
自らに降り掛かった性暴力の体験をSNSで告白することを決めた岡田さんには、心に決めたことがある。
「体験をきちんと詳しく語ることです。単に『性的ないたずらをされた』と話しても、とりあってくれない場合が多いことを知りました。特に男性が被害者となる場合はあまり想定されていないのか、大したことではないと処理されてしまう傾向があると思います。正直、何度体験を語っても身体が震えるような怖さは消えないのですが、それをしっかり伝えることで初めて重大なこととして認識してもらえるのだと思っています。ですから、可能なかぎり正確に伝えたいと思っています。
加害者家族が言うように、昔の出来事なので証拠はないのかもしれません。けれども証拠がないことをもって、事実もないことにはならないと思います。金銭を要求したいわけではなく、真摯な謝罪をこれからも求めたいと私は考えています」
想像を絶する凌辱を受け、常に生活圏内に加害者がいる恐怖と孤軍奮闘し続けた岡田さんの主張には、深く頷かせる独特の熱気がある。だが一方で、死ぬ思いで生き抜いた性暴力サバイバーがここまでの自己開示を求められる社会とは、何なのだろうか。大きな傷を負った人間が社会の「普通」という規格に合わせて生きるのは難しい。語るまでを生きられず、風化させられてきた性被害体験が無数にあったとすれば、この優しくない社会で私たちはどう振る舞えばいいか。岡田さんの勇気はその糸口となるのかもしれない。
裸にされ、肛門に指を…5歳で12歳男子から性加害を受けても、「なかったこと」にされ続けてきた「男子大学生」の絶望

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