「103万円の壁」問題は、インフレに対して所得税制を調整するために、当然必要な措置だ。ただし、必要とされる措置は、これにとどまらない。インフレの原因が輸入物価高騰から賃上げに移行しているいま、物価上昇そのものを食い止める必要性が増している。
「103万円の壁」が大きな問題として取り上げられ、所得税の基礎控除を引き上げられる方向での対処が行なわれる予定だ。基礎控除は所得税制の基本的な部分なので、大きな改正が行われることになる。これは岸田内閣が行なった一時的で場当たり的な減税とは大きく違う。
なぜこのような改革が行われるに至ったのか?
その原因を、政治的な条件の変化に求める見方がある。石破内閣は野党との政策協定を行うことが必要であるために、「減税派」の意見を取り入れざるをえなくなったというものだ。確かにそのような政治的な要因はある。
ただし、それだけが原因ではない。より重要な原因として、インフレが収まらないという経済的な事実がある。このために所得税制の調整を余儀なくされているのだ。
「103万円の壁」は確かに重要な問題だ。これは、基礎控除額が名目額で固定されていることから、インフレになれば本来引き上げられるべきであるにもかかわらず、それがなされていないために生じる問題である。つまり問題の本質は、インフレに対して税制を調整することだ。
ただし、当然のことだが、壁を消滅させることはできない。インフレに対して調整すれば、そこに新しい壁ができる。
問題は、どの時点の税制を基準とし、調整のためのデフレーターを何にするかだ。これに対する答えは、必ずしも自明ではない。そして、今回この問題について、十分な議論がなされているとは思えない。
また、「インフレに対する税制の調整」という観点からすれば、問題は他にもある。
所得税制には、名目値で固定してあるところが多い。だから、インフレが生じれば自動増税になってしまう。したがって調整が必要だ。
最も大きな問題は、累進税率の調整だ。今回、基礎控除の引き上げのみに終わってしまい、累進税率の問題が全く議論されていないのは、減税派の立場から言えば、全く不満足なことと言わざる得ない。
岸田内閣が行った所得税増税は、こうした基本的な問題に何ら手をつけることがなかったという意味で、大きな問題を抱えるものだった。
この減税は、税収の「もらいすぎ」を調整するものだと説明された。しかしそうであれば、本来は基礎控除や累進税率の見直しなどを行うべきであった。
しかし、実際に行われたのは定額の給付金であり、しかも住民税を払っていない世帯にも給付金が出された一方で、上限以上の納税者に所得税を返すことにはなっていなかった。何のために行われた減税なのかが、全くわからない。単なる人気取り政策としか評価できない。
ところで、減税派はインフレに対応して税制を調整することで満足してはならない。なぜなら、インフレ自体が税であると考えることができるからだ。しかもインフレという税は不公平で、過酷な税だ。
不公平で過酷だと言うのは、取引上の立場がどれだけ強いかによって、影響が異なるからだ。例えば大企業の下請けである零細企業は、経費の増加を大企業に認めてもらうことは極めて難しい。それに対して大企業は、価格の引き上げを買い手に認めさせることができる。
このように、インフレは、それに対応する力を持たない、社会の最も弱い階層に対して大きな負担を強いる。
だから、インフレによる負担の増加に反対するのであれば、インフレそのものに対しても反対する必要がある。
消費税率の引き上げと物価の上昇とは、消費者から見れば、ほとんど同じである。
違いは、消費税による売り上げ高の増加は税務署に納税され、社会保障給付などに使われるのに対して、物価上昇による企業の増収は、企業が自由に使えることだ。
それにもかかわらず、総選挙で消費税減税を主張した減税派が、この問題を重視しないのは、全くおかしなことだ。
本来、減税派がいま批判すべきは、賃上げが物価に転嫁されていることだ。これは、消費税の増税を行ったのと同じこと(ただし、それによって社会保障支出を賄うのでなく、賃上げを賄っている)で、減税派はまずこの点を問題にすべきだ。
減税派の主張は、政府は他の経費を削減して社会保障給付などを賄うべきということだ。そうすることによって、増税の必要はなくなる。
これと同じ論理を企業の場合に適用すれば、つぎのようになる。
物価が上昇すれば企業の売り上げが増え、企業は賃金を引き上げたり、利益を増やしたりすることができる。しかし、賃金を引き上げたいのであれば、企業は、生産性を上昇させたり、利益を減らしたりすることによって行なうべきだ。物価上昇を利用して、賃上げ分を売上価格に転嫁するのは、望ましくない。
したがって、消費税の減税を求めるのであれば、賃上げの売上価格転嫁を禁止することを、政府の物価対策の基本として求めるべきだ。
これまでの物価上昇は、輸入価格の高騰によって生じていたので、日本政府や日銀が行なえることは限定的だった。
物価高騰の原因に手をつけることは難しく、物価高騰を所与として、その結果に対処することが「物価対策」であった(もちろん、円安を阻止することによって輸入物価高騰の影響を極小化することは可能だったのであり、そのための努力をしなかったのは大きな問題だ)。
しかし、条件は変化した。
11月29日の本欄で述べたように、現在では、物価上昇は輸入価格の上昇によって生じているのではなく、賃金引き上げという国内の要因によって生じている。 だから、それに手をつけることが可能であり、かつ必要だ。
物価上昇率が低かった時代においては、大企業といえども、経費の増加を売上価格に転嫁することが難しかった。
しかし、物価が上昇するようになると、この環境が変化し、価格転嫁が容易になってきたと言われる。確かにその通りだろう。
そしていまや、原材料価格の上昇分だけではなく、賃上げ分も売り上げ価格に転嫁できることを認識し始めているのだと思う。この変化は、もちろん問題だ。そして、消費者の立場を重視する減税派としては、この状況を無視すべきではない。
減税派の真の目的は、国家権力が安易に負担を増加させ、それによって得た税収を必要性の疑わしい支出にあてるのを阻止することであろう。
そうであれば、減税派は、いま企業が売り上げを増加させ、生産性の向上や利益の圧縮に十分な努力を払っていないことに対しても、反対の意見を表明すべきだ。
そして、物価の上昇の原因を解き明かし、それらを取り除く政策を政府に対して求めるべきだ。
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