「幻のお守り」がフリマサイトに出品、取引されていた値段はなんと…神社をけがす“ヤバい参拝客”

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「賽銭泥棒を捕まえました」深夜2時に警察から電話が…被害にあった神主が明かす“現行犯逮捕”の一部始終 から続く
あなたは「神主」と聞いて、どんなイメージを持つだろうか。神事をつかさどる聖なる存在だから、お金とは無縁。日々人々の悩みを聞いて、祭儀、社務をこなすストイックな宗教家。そういったイメージを持っている人がほとんどだろう。しかし、神主も我々と同じ人間。ささいなことで悩んだり、「仕事を休みたい」と思うこともあるのだ。
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ここでは、50歳のときにサラリーマンから神主に転職した新井俊邦氏の著書『神主はつらいよ とある小さな神社のあまから業務日誌』(自由国民社)から一部を抜粋。神主を悩ます“困った参拝客”を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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◆◆◆
私は帰宅すると、友人の宮司・河村和也に言われたとおり、メルカリのウェブサイトにアクセスしてみました。「例のモノ」を探し出すのは至って簡単でした。
「例のモノ」とは?
その日、私は神社関係の会議に出席していました。会議の合間の休憩時間にコーヒーを飲んでいると、河村が、
「不心得者が多くて困ったものだね」
とたいして困った様子もなく話しかけてきました。
「何かあったの?」
「いやね、つい先日、暇つぶしでメルカリに出品されているモノを眺めていたのさ。そうしたら、驚くモノを発見したんだ。俺たちからしたら、まさか、まさかのモノだよ。わかる?」
「……大麻?」
「それはどっちの大麻よ? 違法薬物の大麻が出品されたらすぐに削除されるだろうね」
「もちろん、神様の御札のほうの『大麻(※1)』だよ。俺たち宮司が驚くモノっていうから」
「なるほど。まあ、半分正解ってところかな」
「半分正解って、何?」
「○○神社のお守りが出品されていたのさ」
「え~、信じられない。あの『幻のお守り』が……」
会議と懇親会が終わり、私が帰宅したのは午後10時を回っていました。本当はすぐに休みたかったところですが、「幻のお守り」のことが気になり、メルカリのウェブサイトを立ち上げたのでした。
「幻のお守り」こそ、簡単に見つけられた「例のモノ」の正体です。
ここ数年、埼玉県内にある某神社のお守りは、とてつもなく人気がありました。その人気ぶりや、周辺道路が大渋滞となり、近隣の住民に迷惑が及ぶほど。そのため、頒布が中止になったという経緯のあるお守りです。頒布中止となってすでに1年が経過しており、ファンの間では「幻のお守り」と呼ばれていました。
その「幻のお守り」がメルカリにいくつか出品されており、しかも2万円近い値段で取引されていたのです。
この事実に対して、私は、怒りの感情は一切湧きませんでした。それよりも「このお守りを落札した人は大丈夫だろうか?」と心配しました。
お守りというものは、文字どおり、持っている人を守ってくれる存在です。1年間身につけていることで、身に降りかかる災い(穢れ)を吸い取ってくれるのです。
つまり、メルカリに出品されていたお守りは、出品者の1年分の穢れがたっぷり染み込んだものなのです。
そんなお守りを手に入れたところで、御利益は一切ありません。それどころか、前の持ち主の穢れを背負うことになります。知らないうちに、出品者の穢れがスルリスルリと落札者の体内に入っていくのです。
2万円で落札した人は、出品者に「ありがとうございました」と書いてありました。それを見て、背筋が凍りました。穢れをもらっているのに、ありがとうございます、なのですから……。
「未使用であれば、いいのでは?」と、思う人もいるでしょう。いえ、ダメです。未使用であれ、その人が神社で購入した時点で、そのお守りは、その人の穢れを吸い取りはじめるのです。
さらにいえば、転売目的で、お守りを購入した場合、神様はその魂胆を簡単に見抜きます。そのお守りは、あっという間に、穢れに満ち溢れるのです。
こうしたことを承知の上で、お守りを出品する人もいるかもしれません。「自分の穢れを誰かに与えてしまおう」というわけです。考えてもみてください。信仰心のある人が転売するわけがないのですから。落札した人は、騙されているのです。
お守りだけではありません。チェックしてみると、御朱印も出品されているではないですか。これには、正直困惑しました。
私自身、御朱印を書くときは本当に心を込めています。それゆえ、御朱印には御魂が宿っていると信じています。
それほどまでに魂を込めた御朱印を転売するとは!
御朱印の主である神様は、自分自身が転売されていることを、どのように思うでしょうか。どう考えても、転売した人にも、それを落札した人にも、いいことが起きるとは思えません。
今日もメルカリには、お守りや御朱印が出品され続けています。
そして今日も、穢れに満ち溢れたものを落札する人が増え続けているのです。
さまざまな現場で地鎮祭を執り行ってきて、一番強烈だった出来事があります。「紙コップ継ぎ足し事件」です。
家を建てるにあたり、地鎮祭を行った経験のある人もいるでしょう。そのとき、お酒を振る舞われませんでしたか?
これを神酒拝戴といいます。神様と同じお酒(御神酒)をいただくことで、神様のお力を体の中に取り込み、健康と開運を願う儀式です。
お酒が飲めない人や、車の運転をする人などは、飲む必要はありません。飲んだふりをすればいいのです。それでも、神様のお力を得ることができます。神様は優しいのです。
神酒拝戴には、もう1つ大きな目的があります。 お米を育ててくれた大地への感謝の気持ちです。「え? 飲むだけで?」――。いえいえ、違います。お酒を飲んだあと、その残りを感謝の気持ちをもって、地面に撒くのです。その際は、高い位置からではなく、かがんで低い位置から撒くのがきれいな所作です。 こうした所作については、事前に丁寧に伝えているのですが、「馬耳東風」と言いますか、地鎮祭での玉串奉奠(※2)がうまくいくかが気になってか、全然耳に入っていない人も、けっこういます。気持ちが高ぶっているのでしょう。「うまい!」などといって、飲み干してしまう人は、10人に1人はいます。紙コップ継ぎ足し事件 紙コップ継ぎ足し事件が起きたのは、桜が満開になったうららかな春のことでした。 紙コップにお酒を注いで、施主はじめご家族全員に手渡し、一斉に口をつけるまでは、コトは順調に進んでいました。 その後、残ったお酒を地面に撒く場面で、目を疑うような光景に出くわしたのです。施主が、ご家族全員の紙コップを奪うように取り、残ったお酒を自分の紙コップに注いでいったのです。「そうか。施主さんがまとめて、地面に撒くのか。そんな必要ないんだけどなぁ」と、思ったときです。施主さんは、なんとグイっと飲み干してしまったのです! この行為にびっくりして、思わず驚きの表情を浮かべていると、施主さんは何ごともなかったかのように、空になった紙コップを住宅販売会社の営業マンに手渡したのでした。笑顔で「これでいい家が建つといいなぁ!」と話していました。 ときどき、この施主さんのことを、思い出します。「神酒拝戴の所作は、気持ちが高ぶるあまり間違えてしまったようだけど、神様に報告をきちんとして建てた家なので、きっと、今も幸せに暮らしてるのだろうね」と――。子どもたちに乗じてジュースを手に取るお母さんたち こんなこともありました。夏祭のおみこしのお祓いで出会った“馬耳東風ちゃん”です。 私が夏祭の宮司を務めるときは、小さな子どもには、ジュースの入った紙コップを渡すようにしています。子どもたちが御神酒を誤飲してしまうのを避けるためです。 その日は町内会の夏祭で、おみこしの巡行安全祈願祭の祈祷があり、小中学生や幼稚園児がいたので、ジュースを用意してもらっていました。 すると、なぜかお母さんの何人かが「私も」と、ジュースのコップを取ったのです。 いやいや、飲み会の席で「今日は私、車だからお酒が飲めないの」じゃないんですから。 会場の司会者は、大人は御神酒の紙コップを手に取り、余ったらそのまま返すか、地面に撒くようにと話していたのに……。お祭りの高揚感で、やはり馬耳東風になられる方が想像以上に多いのでした。 お母さんたちには、ご自身の健康を祈るためにも、お酒の飲むふりだけでもしてほしかったなぁ、と思ったものです。※1・・・正式には「神宮大麻」という。神宮大麻の「大麻」とは本来「おおぬさ」と読み、神々への捧げもの、お祓いの際に用いられる木綿や麻を指す。 このことから、厳重お祓いを経て授けられる御神札を「大麻」と呼ぶようになった。違法薬物と漢字表記も読みも同じで混同されるのを防ぐための別の呼び方として、「お伊勢様」「皇大神宮」「大神宮様」などがある。※2・・・玉串を神前に謹んで供えること。お祭りの中で最も重要な行事。玉串を神前に供えてから「二礼二拍手一礼」までの一連の動作をいう。代表者の動作に合わせて、その場で「二礼二拍手一礼」を行う「列後参拝」もある。(新井 俊邦)
神酒拝戴には、もう1つ大きな目的があります。
お米を育ててくれた大地への感謝の気持ちです。
「え? 飲むだけで?」――。いえいえ、違います。お酒を飲んだあと、その残りを感謝の気持ちをもって、地面に撒くのです。その際は、高い位置からではなく、かがんで低い位置から撒くのがきれいな所作です。
こうした所作については、事前に丁寧に伝えているのですが、「馬耳東風」と言いますか、地鎮祭での玉串奉奠(※2)がうまくいくかが気になってか、全然耳に入っていない人も、けっこういます。気持ちが高ぶっているのでしょう。「うまい!」などといって、飲み干してしまう人は、10人に1人はいます。
紙コップ継ぎ足し事件が起きたのは、桜が満開になったうららかな春のことでした。
紙コップにお酒を注いで、施主はじめご家族全員に手渡し、一斉に口をつけるまでは、コトは順調に進んでいました。
その後、残ったお酒を地面に撒く場面で、目を疑うような光景に出くわしたのです。施主が、ご家族全員の紙コップを奪うように取り、残ったお酒を自分の紙コップに注いでいったのです。
「そうか。施主さんがまとめて、地面に撒くのか。そんな必要ないんだけどなぁ」と、思ったときです。施主さんは、なんとグイっと飲み干してしまったのです!
この行為にびっくりして、思わず驚きの表情を浮かべていると、施主さんは何ごともなかったかのように、空になった紙コップを住宅販売会社の営業マンに手渡したのでした。笑顔で「これでいい家が建つといいなぁ!」と話していました。
ときどき、この施主さんのことを、思い出します。
「神酒拝戴の所作は、気持ちが高ぶるあまり間違えてしまったようだけど、神様に報告をきちんとして建てた家なので、きっと、今も幸せに暮らしてるのだろうね」と――。
こんなこともありました。夏祭のおみこしのお祓いで出会った“馬耳東風ちゃん”です。
私が夏祭の宮司を務めるときは、小さな子どもには、ジュースの入った紙コップを渡すようにしています。子どもたちが御神酒を誤飲してしまうのを避けるためです。
その日は町内会の夏祭で、おみこしの巡行安全祈願祭の祈祷があり、小中学生や幼稚園児がいたので、ジュースを用意してもらっていました。
すると、なぜかお母さんの何人かが「私も」と、ジュースのコップを取ったのです。
いやいや、飲み会の席で「今日は私、車だからお酒が飲めないの」じゃないんですから。
会場の司会者は、大人は御神酒の紙コップを手に取り、余ったらそのまま返すか、地面に撒くようにと話していたのに……。お祭りの高揚感で、やはり馬耳東風になられる方が想像以上に多いのでした。
お母さんたちには、ご自身の健康を祈るためにも、お酒の飲むふりだけでもしてほしかったなぁ、と思ったものです。
※1・・・正式には「神宮大麻」という。神宮大麻の「大麻」とは本来「おおぬさ」と読み、神々への捧げもの、お祓いの際に用いられる木綿や麻を指す。 このことから、厳重お祓いを経て授けられる御神札を「大麻」と呼ぶようになった。違法薬物と漢字表記も読みも同じで混同されるのを防ぐための別の呼び方として、「お伊勢様」「皇大神宮」「大神宮様」などがある。

※2・・・玉串を神前に謹んで供えること。お祭りの中で最も重要な行事。玉串を神前に供えてから「二礼二拍手一礼」までの一連の動作をいう。代表者の動作に合わせて、その場で「二礼二拍手一礼」を行う「列後参拝」もある。
(新井 俊邦)

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