「どこまでも軽い。もともとそんな人ですよ。議員1年生時代も遅刻するなど、緊張感に欠けるところがあったんです」
と、明かすのは国民民主党代表の玉木雄一郎議員を旧民主党時代からよく知る元議員だ。本誌が報じた玉木氏と香川県観光大使の不倫交際の波紋が収まらない。国民民主党の地方議員がうんざり顔でこう語る。
「大変なことになっていますよ。地方自治体の議員の間では擁護派と糾弾派が真っ二つです。とくに女性議員を中心に、県連からは離党勧告しろという厳しい意見がたくさん出ています。一方で党執行部に媚びを売りたい野心的な議員は、『政策と私生活は無関係だ』という立場。各都道府県連の代表は板挟みになって大変です」
東大法学部を卒業し、財務官僚を経て旧民主党から初出馬したのは2005年。この時に、玉木氏はある“美談”を残している。
「自民党からも熱心な誘いを受け、当時は幹事長だった安倍晋三元首相と面談までしていたそうです。しかし、『先祖の墓があるところから立候補したい』という思いが強く、地元選挙区の香川2区に公認候補者がいた自民党ではなく、旧民主党を選んだということになっています」(前出・議員)
しかし、当時を知る自民党関係者は、こう明かす。
「あの安倍さんが『失礼な奴だ』と怒って、破談になったのが真相ですよ。というのも、香川2区にはすでに7期も当選した公認候補がいるのに、『優秀な自分は将来、党を担う人材だから』と、差し替えて自分を出せと要求したからです。
たしかに玉木さんが当時から有望株だったのは間違いないですが、自民党側の事情をまったく汲まない玉木さんに安倍さんがキレたわけです」
しかし、2005年の選挙はいわゆる小泉純一郎元首相が仕掛けた「郵政選挙」に当たり、旧民主党は歴史的な大惨敗をきっする。玉木議員も比例復活できずに落選した。前出の元議員が続ける。
「次の2009年の総選挙では、『消えた年金問題』などで自民党に大逆風が吹いたこともあって、玉木さんは楽々と当選しました。元財務官僚であり、将来の幹部候補ということで、党内でも期待されていました。
そのため、メディアに注目される当選後の初登院の際は、正門を“1着”で玉木さんが通ることになったのです。メディアに対しても玉木さんは公言していたにもかかわらず、前日に痛飲したとかで寝坊。三宅雪子さんが最初に登院し、玉木さんは2着となりました。せっかく事前に調整したのにと、党内はがっかり。この時から玉木さんにはルーズな印象がありましたね」
そして、次のような女性関係のエピソードまで語った。
「若手議員時代は、議員宿舎内でよく宴会を開いていました。どこから調達するのか、インターンと称する女子大生なんかもメンバーに入っていました。半分“合コン”みたいなものですよね。議員宿舎は言うまでもなく税金で運営されています。諫めるベテラン議員もいましたが、どこ吹く風でした。さらに旧民主党ではあらぬ疑いやトラブルに巻き込まれないためにも、個人的な投資であっても投資先に注意を払うように指導していましたが、玉木さんは投資案件を同僚議員に持ち掛けたりしていました。『自分だから入る情報だ』みたいなことも言うので、怪しんでいた議員は多かったです」(元議員)
その後、小池百合子都知事率いる希望の党への合流騒動が勃発し、旧民主党が分裂。玉木氏は希望の党に入り、後の“保守系野党”の国民民主党に繋がる土台を築いた
「もっと早くに勢力を伸ばしてもよかったと思いますが、やはり自民党との距離感がどうにも怪しかったのと、頭が固い。議論になると『(自分の主張を)理解できないことが理解できない』と、一方的に議論を打ち切るところがありました。口うるさいところを揶揄して、一部の議員の間では“玉木ばあちゃん”と呼ばれていました。政策が近い日本維新の会のカウンターパートだった議員は、『あのおばちゃんはどうにもならん』と匙を投げていましたよ。なので、周りにはイエスマンしかいません。榛葉賀津也幹事長は一見強面ですが、ああ見えて玉木さんには絶対に逆らいませんから」(元議員)
代表続行を明確にした玉木議員だが、党内からは党規委員会での釈明と、処分を求める声があるという。先の国民民主党の地方議員が明かす。
「不倫は認めているので、党のイメージダウンにつながったのは事実です。やはり、何らかの処分、ケジメは必要だという地方議員は多いですね。榛葉さんは『週刊文春』で事務所秘書との関係が取り沙汰されたので、代表代行として古川元久国対委員長を推す声が上がっています」(同前)
「103万円の壁」見直しを掲げる玉木氏だが、党内に生まれた“壁”をどう乗り越えるつもりなのか……。