「免許取っても運転しないで!」教習生への心ない暴言、理不尽な差別対応……自動車教習所で遭遇した“ヤバい教官”

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「おらクラッチ遅ぇよ!」
【写真】この記事の写真を見る(2枚) 車内に響く、けたたましい怒声。次の瞬間、教官は教習生の左脚をバインダーで叩いた。これは昭和の話ではなく、現在教習所に通う10代男性の体験である。 かつて「パワハラの温床」と呼ばれることも多かった自動車教習所は、少子化の波にもまれ、今では教習生を「お客様」として扱う教官も増えているという。しかしながら、競合が少ない地域や、新陳代謝が起きにくい環境では、上のような「昭和の遺物」ともいえる高圧的な教官が幅を利かせている例もあるようだ。

そこで、今回は免許取得から間もないドライバーや、教習生へのインタビューを通じ、「ヤバい教官」についての話を聞いた。「バインダー」で教習生を威圧 はじめての運転に不安を抱く教習生にとって、免許取得へのハードルとなるのが「高圧的な教官」である。現在教習カリキュラムの終盤に差しかかっているAさん(10代男性)は、冒頭に挙げた「バインダー教官」について以下のように証言する。iStock.com「40代か50代の男性教官で、やたらとバインダーで威嚇してくる教官がいます。言葉遣いも悪く、『おらクラッチ遅ぇよ!』と怒鳴ってバインダーで左脚をペシペシ叩いてきたり。曲がる場所を指示するときも、『そこ左』と雑な言い方をして、わざわざバインダーを前の方に掲げるので、いつも視界の邪魔なんですよね。 しまいには、坂道発進でミスをして下がってしまったとき、『だからぁ!』と叫んでバインダーを自分の膝に叩きつけて。ビックリしてエンストすると、大きなため息をつきながらバインダーを足元に放り投げてしまいました。 もはや最近は、怖い気持ちを通り越して面白くなってきて、『そういう芸風なんだ』と思うようになりましたね」 強力な武器を手にして気が大きくなる人間と同様、その教官にとっては、バインダーがなんらかの「力の象徴」なのかもしれない。体罰は論外として、威圧的な態度が指導効果につながっていればまだ救いはあろうが、Aさんによれば「怒鳴るばかりでまともな説明はしてくれない」とのことだった。「免許を取っても車に乗らないで」 高圧的な態度によって教習生を萎縮させる教官に次いで、忌避されるのが「嫌みったらしい教官」である。「なんでこんなこともできないの?」といった言い回しにより、たびたび無力さを自覚させようとする教官など、「ネチネチ系」の攻撃に精神を削られる教習生も多いだろう。 合宿で群馬県の教習所に通っていた大学生のBさん(20代男性)は、教官の「人格否定」とも取れる言動に日々悩まされていたと話す。「最初の教習で当たった50代くらいの男性教官が、やたらと出身地や大学など関係のないことを聞いてきて、不思議に思っていました。『コミュニケーションを図ろうとしているのかな』とも思いましたが、フレンドリーな感じでもなく、少し不気味だったんです。 次の日またその人と当たって、態度がまるっきり違うことに驚きました。走り出してすぐに『まだこのレベル? 学習能力ねぇなぁ』と言われたり、ミスして長いお説教が始まり、返事をせずにいると『話聞いてる? 君、ほんとに大学生?』と詰め寄られたり、『だから東京のお坊ちゃんは……』と呆れられたり。ほんとに、当たるたびに憂鬱でした。 それでも毎回、修了の判は押すのですが、最後の方になると『君は免許取っても車に乗らない方がいいよ!』と言われ、それじゃ何のための教習なんだと……」 教習は「命に関わる乗り物」の扱い方を教える場であるから、ときに厳しい指導が必要になることもあるだろう。とはいえ当然、そこで教習生の「人となり」や「尊厳」を踏みにじる言動は指導上必要なものとは言えず、教官の個人的な「憂さ晴らし」以外の何物でもない。助手席で居眠り、指摘されるも悪びれず…… さらに、教習生にとって悩みの種となりうるのが「無気力な教官」である。わからないことばかりの段階で指導を放棄されては、必要な技術も身につかない。 地元の教習所を最近卒業したCさん(20代女性)は、教官の「居眠り」に驚かされた。「高齢の男性教官で、ほとんど同乗しているだけで何も教えてくれない人がいました。道順だけ指示して、あとは幽霊みたいにそこにいるだけ。一応、こちらから質問をすると答えてくれて、話も割とわかりやすいのですが、なぜかいちいちマスクを下にズラして話すので、あまり頻繁に質問したくはなくて……。 一番驚いたのは、教習中に隣で居眠りしていたことです。普通に腕組みしながら寝息を立てて、マスクもズレて鼻を出していました。『すみません、次はどっちですか』と大きめの声で起こすと、ハッと目を覚まして、何事もなかったように『9番を右だね』と。 何人か同じ教習所に通っていた友達に聞くと、『路上教習中に寝られた』という人もいたので、たぶんもう常習犯なんだと思います」 教官が何も口を挟まなければ互いのストレスは少なく済むだろうが、教習は「教官と教習生」の間で完結するものではない。教官はまったくの運転初心者を「公道を安全に走れる状態」にまで引き上げる責任があるはずだが、そうした意識が共有されていないケースもあるようだ。待合スペースにまで響く「内輪もめ」 話を聞くなかで、教官に対する不満以上に、教習所の環境面や対応面に対する憤りの声も多かった。予約や送迎システムの不備や、教官ごとの指導内容のブレといった問題である。その他、失効した免許を再取得すべく非公認の教習所に通っていたDさん(30代男性)からは、「待合スペースの異様な雰囲気」について以下のような話があった。「通っていたのは家族経営の小規模な教習所でした。代表やその息子さんに指導を担当してもらいましたが、二人ともあまり覇気のない感じで、試験のために必要最低限を教えるようなスタンスでしたね。 最悪だったのが、待合スペースの雰囲気です。小さい建物なので、受付の奥にある事務スペースの様子がまるわかりで、つねに50代くらいの女性が事務員に当たり散らしていて……代表の奥さんだと思いますが、大声で『なんでこれを先にやらないの!』とか、『コーヒー切れてるじゃない!』とか、終始誰かに何かを指摘していて、事務員の人たちはずっと切羽詰まった顔で仕事をしていました。 裏口に近いトイレでは、壁の向こうから教習生の悪口が聞こえてくることもあって、とにかく居心地の悪い空間でしたね」 教習所に限らず、家族経営の会社にまつわるトラブルは随所で聞かれ、「理不尽な身内のルール」「独裁的・閉鎖的」「コンプライアンス意識の欠如」といったネガティブな側面が指摘されることもある。上の話は、身内以外への当たりが激しい独裁型のケースだろうか。ルックスで態度を変える教官 通常の学校教育の場において、「生徒を差別する教員」は忌み嫌われる対象である。一方、教習所の技能教習は、基本的にマンツーマン形式で実施されるため「扱いの差」が露見する機会は少ない。しかしそれでも、数少ない複数人での教習などにおいて、差別が浮き彫りになるケースもあるようだ。 教習カリキュラムを終えたばかりのEさん(20代女性)は、教官の差別について次のように語る。「家から近い教習所が、ネット上の口コミで『女性にだけ甘い教官がいる』と言われていました。プライベートを詮索されたり、連絡先を聞かれたりっていう報告もありましたね。でも、料金も比較的安かったし、『最悪、怖い教官よりはいいか』と思い、そこに決めました。 3回目くらいの教習で、口コミで名前を挙げられていた教官に当たったのですが、私に対してはまるで興味のない態度だったんです。指導も適当で、退屈そうに座って道順を指示するくらいで……。不安になり『曲がるスピードはこれくらいでいいですか?』と聞いても、『あぁ、いいんじゃない』と素っ気なく答えるだけ。 その後も同じ調子でしたが、高速教習でキレイめの女子大生っぽい子が一緒だったときはグイグイでした。『思い切り踏んで! そうそう!』とか『いいよいいよ、視線は気持ち遠目にね』とか、親切な教官になりきっていて。私に対しても普段よりテンション高めに接してきて、とても冷めた気分になりました」 教える側の公私混同は、教わる側の感情を損ねるだけではなく、学習機会の不平等にもつながってしまう。それにしても、人目もはばからず「下心丸出し」とあっては、マンツーマンの状況でどれほど露骨な態度を取っているのか、恐ろしいばかりである。試験中にまさかのアドバイス 教習生にとって、教官の「判断基準」はある種のブラックボックスに包まれている。もちろん人間である以上、チェックするポイントに多少のブレが生じることは避けられないが、恣意的に基準を変えてしまうのは大きな問題だろう。 個人的な感情で修了の判を押さなかったり、試験で落としたりといった話も聞かれるが、今年8月に免許を取ったFさん(20代男性)からは次のような例が聞かれた。「本免の試験中、特定の受験者にだけ助言していた教官がいました。他の人の試験中は黙って点数をつけているだけだったのに、その人の試験中、横断歩道に差しかかったところで『路駐車の陰に歩行者がいるよ』と注意喚起していたんです。 私から見ても、その受験者は巻き込み確認を怠ったり、速度にムラがあったり、運転がちょっと危なっかしい感じがしたので、助言がなければ不合格になっていたと思います。教官は親切のつもりかもしれませんが、『これってカンニングじゃん』としか思えませんでした」 自動車教習所の教官は、安全運転に必要な技術や知識を教えることはもちろん、検定試験において受験者が公道を走るに足る技能を身につけているかを見極める責任がある。上のような「試験中の助言」は受験者に下駄を履かせる行為であり、運転免許制度の適正な運用を阻害するものだ。「ヤバい教官」はごく一部だが…… もちろん、インタビューを通じて聞かれたのは否定的な声ばかりではなく、「優しい教官が多かったので嫌な思いはほとんどしていない」といった話もしばしば聞かれた。上に挙げた例も、「ほとんどの教官はまともだったが……」と留保を設けたうえで話す回答者が多く、実際のところ「ヤバい教官」はごく一部の存在であることが窺えた。 それでも、現実に横暴な教官や理不尽な教官に出くわしてしまう可能性は否定できない。一度お金を払ってしまえば、途中で解約しようにも全額の回収は困難であり、弱い立場でひたすらハラスメントに耐えるという状況にも陥りかねない。 教習所を選ぶ際には、ネット上のレビューを参考にしたり、指名制度の有無を確認したりといった下調べが必須である。近年では指導の質を向上させるため、車内の様子を撮影できるドライブレコーダーを教習車に導入している教習所もあるので、そうした取り組み内容をチェックするのもいいだろう。 もちろん、「優しい教官=いい教官」とは限らないし、自動車という自他の命に関わる乗り物の操作を学ぶにあたっては、その危険性に見合った緊張感も必要ではあるだろう。しかしその緊張感は、「パワハラ教官の理不尽な指導に耐えること」によってもたらされるものではない。健全な精神状態を保ちつつ、学ぶべきものを学べる環境を選ぶことが重要である。(鹿間 羊市)
車内に響く、けたたましい怒声。次の瞬間、教官は教習生の左脚をバインダーで叩いた。これは昭和の話ではなく、現在教習所に通う10代男性の体験である。
かつて「パワハラの温床」と呼ばれることも多かった自動車教習所は、少子化の波にもまれ、今では教習生を「お客様」として扱う教官も増えているという。しかしながら、競合が少ない地域や、新陳代謝が起きにくい環境では、上のような「昭和の遺物」ともいえる高圧的な教官が幅を利かせている例もあるようだ。
そこで、今回は免許取得から間もないドライバーや、教習生へのインタビューを通じ、「ヤバい教官」についての話を聞いた。
はじめての運転に不安を抱く教習生にとって、免許取得へのハードルとなるのが「高圧的な教官」である。現在教習カリキュラムの終盤に差しかかっているAさん(10代男性)は、冒頭に挙げた「バインダー教官」について以下のように証言する。
iStock.com
「40代か50代の男性教官で、やたらとバインダーで威嚇してくる教官がいます。言葉遣いも悪く、『おらクラッチ遅ぇよ!』と怒鳴ってバインダーで左脚をペシペシ叩いてきたり。曲がる場所を指示するときも、『そこ左』と雑な言い方をして、わざわざバインダーを前の方に掲げるので、いつも視界の邪魔なんですよね。
しまいには、坂道発進でミスをして下がってしまったとき、『だからぁ!』と叫んでバインダーを自分の膝に叩きつけて。ビックリしてエンストすると、大きなため息をつきながらバインダーを足元に放り投げてしまいました。
もはや最近は、怖い気持ちを通り越して面白くなってきて、『そういう芸風なんだ』と思うようになりましたね」
強力な武器を手にして気が大きくなる人間と同様、その教官にとっては、バインダーがなんらかの「力の象徴」なのかもしれない。体罰は論外として、威圧的な態度が指導効果につながっていればまだ救いはあろうが、Aさんによれば「怒鳴るばかりでまともな説明はしてくれない」とのことだった。
高圧的な態度によって教習生を萎縮させる教官に次いで、忌避されるのが「嫌みったらしい教官」である。「なんでこんなこともできないの?」といった言い回しにより、たびたび無力さを自覚させようとする教官など、「ネチネチ系」の攻撃に精神を削られる教習生も多いだろう。
合宿で群馬県の教習所に通っていた大学生のBさん(20代男性)は、教官の「人格否定」とも取れる言動に日々悩まされていたと話す。
「最初の教習で当たった50代くらいの男性教官が、やたらと出身地や大学など関係のないことを聞いてきて、不思議に思っていました。『コミュニケーションを図ろうとしているのかな』とも思いましたが、フレンドリーな感じでもなく、少し不気味だったんです。
次の日またその人と当たって、態度がまるっきり違うことに驚きました。走り出してすぐに『まだこのレベル? 学習能力ねぇなぁ』と言われたり、ミスして長いお説教が始まり、返事をせずにいると『話聞いてる? 君、ほんとに大学生?』と詰め寄られたり、『だから東京のお坊ちゃんは……』と呆れられたり。ほんとに、当たるたびに憂鬱でした。
それでも毎回、修了の判は押すのですが、最後の方になると『君は免許取っても車に乗らない方がいいよ!』と言われ、それじゃ何のための教習なんだと……」
教習は「命に関わる乗り物」の扱い方を教える場であるから、ときに厳しい指導が必要になることもあるだろう。とはいえ当然、そこで教習生の「人となり」や「尊厳」を踏みにじる言動は指導上必要なものとは言えず、教官の個人的な「憂さ晴らし」以外の何物でもない。
さらに、教習生にとって悩みの種となりうるのが「無気力な教官」である。わからないことばかりの段階で指導を放棄されては、必要な技術も身につかない。
地元の教習所を最近卒業したCさん(20代女性)は、教官の「居眠り」に驚かされた。
「高齢の男性教官で、ほとんど同乗しているだけで何も教えてくれない人がいました。道順だけ指示して、あとは幽霊みたいにそこにいるだけ。一応、こちらから質問をすると答えてくれて、話も割とわかりやすいのですが、なぜかいちいちマスクを下にズラして話すので、あまり頻繁に質問したくはなくて……。
一番驚いたのは、教習中に隣で居眠りしていたことです。普通に腕組みしながら寝息を立てて、マスクもズレて鼻を出していました。『すみません、次はどっちですか』と大きめの声で起こすと、ハッと目を覚まして、何事もなかったように『9番を右だね』と。
何人か同じ教習所に通っていた友達に聞くと、『路上教習中に寝られた』という人もいたので、たぶんもう常習犯なんだと思います」
教官が何も口を挟まなければ互いのストレスは少なく済むだろうが、教習は「教官と教習生」の間で完結するものではない。教官はまったくの運転初心者を「公道を安全に走れる状態」にまで引き上げる責任があるはずだが、そうした意識が共有されていないケースもあるようだ。
話を聞くなかで、教官に対する不満以上に、教習所の環境面や対応面に対する憤りの声も多かった。予約や送迎システムの不備や、教官ごとの指導内容のブレといった問題である。その他、失効した免許を再取得すべく非公認の教習所に通っていたDさん(30代男性)からは、「待合スペースの異様な雰囲気」について以下のような話があった。
「通っていたのは家族経営の小規模な教習所でした。代表やその息子さんに指導を担当してもらいましたが、二人ともあまり覇気のない感じで、試験のために必要最低限を教えるようなスタンスでしたね。
最悪だったのが、待合スペースの雰囲気です。小さい建物なので、受付の奥にある事務スペースの様子がまるわかりで、つねに50代くらいの女性が事務員に当たり散らしていて……代表の奥さんだと思いますが、大声で『なんでこれを先にやらないの!』とか、『コーヒー切れてるじゃない!』とか、終始誰かに何かを指摘していて、事務員の人たちはずっと切羽詰まった顔で仕事をしていました。
裏口に近いトイレでは、壁の向こうから教習生の悪口が聞こえてくることもあって、とにかく居心地の悪い空間でしたね」
教習所に限らず、家族経営の会社にまつわるトラブルは随所で聞かれ、「理不尽な身内のルール」「独裁的・閉鎖的」「コンプライアンス意識の欠如」といったネガティブな側面が指摘されることもある。上の話は、身内以外への当たりが激しい独裁型のケースだろうか。
通常の学校教育の場において、「生徒を差別する教員」は忌み嫌われる対象である。一方、教習所の技能教習は、基本的にマンツーマン形式で実施されるため「扱いの差」が露見する機会は少ない。しかしそれでも、数少ない複数人での教習などにおいて、差別が浮き彫りになるケースもあるようだ。
教習カリキュラムを終えたばかりのEさん(20代女性)は、教官の差別について次のように語る。
「家から近い教習所が、ネット上の口コミで『女性にだけ甘い教官がいる』と言われていました。プライベートを詮索されたり、連絡先を聞かれたりっていう報告もありましたね。でも、料金も比較的安かったし、『最悪、怖い教官よりはいいか』と思い、そこに決めました。
3回目くらいの教習で、口コミで名前を挙げられていた教官に当たったのですが、私に対してはまるで興味のない態度だったんです。指導も適当で、退屈そうに座って道順を指示するくらいで……。不安になり『曲がるスピードはこれくらいでいいですか?』と聞いても、『あぁ、いいんじゃない』と素っ気なく答えるだけ。
その後も同じ調子でしたが、高速教習でキレイめの女子大生っぽい子が一緒だったときはグイグイでした。『思い切り踏んで! そうそう!』とか『いいよいいよ、視線は気持ち遠目にね』とか、親切な教官になりきっていて。私に対しても普段よりテンション高めに接してきて、とても冷めた気分になりました」
教える側の公私混同は、教わる側の感情を損ねるだけではなく、学習機会の不平等にもつながってしまう。それにしても、人目もはばからず「下心丸出し」とあっては、マンツーマンの状況でどれほど露骨な態度を取っているのか、恐ろしいばかりである。
教習生にとって、教官の「判断基準」はある種のブラックボックスに包まれている。もちろん人間である以上、チェックするポイントに多少のブレが生じることは避けられないが、恣意的に基準を変えてしまうのは大きな問題だろう。
個人的な感情で修了の判を押さなかったり、試験で落としたりといった話も聞かれるが、今年8月に免許を取ったFさん(20代男性)からは次のような例が聞かれた。
「本免の試験中、特定の受験者にだけ助言していた教官がいました。他の人の試験中は黙って点数をつけているだけだったのに、その人の試験中、横断歩道に差しかかったところで『路駐車の陰に歩行者がいるよ』と注意喚起していたんです。
私から見ても、その受験者は巻き込み確認を怠ったり、速度にムラがあったり、運転がちょっと危なっかしい感じがしたので、助言がなければ不合格になっていたと思います。教官は親切のつもりかもしれませんが、『これってカンニングじゃん』としか思えませんでした」 自動車教習所の教官は、安全運転に必要な技術や知識を教えることはもちろん、検定試験において受験者が公道を走るに足る技能を身につけているかを見極める責任がある。上のような「試験中の助言」は受験者に下駄を履かせる行為であり、運転免許制度の適正な運用を阻害するものだ。「ヤバい教官」はごく一部だが…… もちろん、インタビューを通じて聞かれたのは否定的な声ばかりではなく、「優しい教官が多かったので嫌な思いはほとんどしていない」といった話もしばしば聞かれた。上に挙げた例も、「ほとんどの教官はまともだったが……」と留保を設けたうえで話す回答者が多く、実際のところ「ヤバい教官」はごく一部の存在であることが窺えた。 それでも、現実に横暴な教官や理不尽な教官に出くわしてしまう可能性は否定できない。一度お金を払ってしまえば、途中で解約しようにも全額の回収は困難であり、弱い立場でひたすらハラスメントに耐えるという状況にも陥りかねない。 教習所を選ぶ際には、ネット上のレビューを参考にしたり、指名制度の有無を確認したりといった下調べが必須である。近年では指導の質を向上させるため、車内の様子を撮影できるドライブレコーダーを教習車に導入している教習所もあるので、そうした取り組み内容をチェックするのもいいだろう。 もちろん、「優しい教官=いい教官」とは限らないし、自動車という自他の命に関わる乗り物の操作を学ぶにあたっては、その危険性に見合った緊張感も必要ではあるだろう。しかしその緊張感は、「パワハラ教官の理不尽な指導に耐えること」によってもたらされるものではない。健全な精神状態を保ちつつ、学ぶべきものを学べる環境を選ぶことが重要である。(鹿間 羊市)
私から見ても、その受験者は巻き込み確認を怠ったり、速度にムラがあったり、運転がちょっと危なっかしい感じがしたので、助言がなければ不合格になっていたと思います。教官は親切のつもりかもしれませんが、『これってカンニングじゃん』としか思えませんでした」
自動車教習所の教官は、安全運転に必要な技術や知識を教えることはもちろん、検定試験において受験者が公道を走るに足る技能を身につけているかを見極める責任がある。上のような「試験中の助言」は受験者に下駄を履かせる行為であり、運転免許制度の適正な運用を阻害するものだ。
もちろん、インタビューを通じて聞かれたのは否定的な声ばかりではなく、「優しい教官が多かったので嫌な思いはほとんどしていない」といった話もしばしば聞かれた。上に挙げた例も、「ほとんどの教官はまともだったが……」と留保を設けたうえで話す回答者が多く、実際のところ「ヤバい教官」はごく一部の存在であることが窺えた。
それでも、現実に横暴な教官や理不尽な教官に出くわしてしまう可能性は否定できない。一度お金を払ってしまえば、途中で解約しようにも全額の回収は困難であり、弱い立場でひたすらハラスメントに耐えるという状況にも陥りかねない。
教習所を選ぶ際には、ネット上のレビューを参考にしたり、指名制度の有無を確認したりといった下調べが必須である。近年では指導の質を向上させるため、車内の様子を撮影できるドライブレコーダーを教習車に導入している教習所もあるので、そうした取り組み内容をチェックするのもいいだろう。
もちろん、「優しい教官=いい教官」とは限らないし、自動車という自他の命に関わる乗り物の操作を学ぶにあたっては、その危険性に見合った緊張感も必要ではあるだろう。しかしその緊張感は、「パワハラ教官の理不尽な指導に耐えること」によってもたらされるものではない。健全な精神状態を保ちつつ、学ぶべきものを学べる環境を選ぶことが重要である。
(鹿間 羊市)

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